妹に婚約者を奪われてしまいました 〜婚約破棄された聖女の私は殿下の浄化を諦めて、隣国に逃げることにします。え、今さら戻って来いと言われましても〜
「エルメア! お前のような冷酷な女との婚約は破棄させてもらう!」
「え? 本気ですか? ラインハルト殿下」
今日は、この国の王子でラインハルト殿下の誕生パーティである。
出席者は、私とラインハルト殿下、そして彼が招待した貴族たちだ。
そのめでたい席の主役が、突然大声で私との婚約破棄を宣言した。
「ついにこうなったか……」
「当然だ。卑しい平民との混ざりものの分際で、殿下と婚約していること自体がおかしかったのだ」
周囲からそういった声が聞こえてくる。
私は子爵家の次女だ。
父が平民の使用人と戯れに成した子である。
次期国王であるラインハルト殿下の相手としては、明確に身分が不足している。
そんな私が、ラインハルト殿下の婚約者として選ばれていたのには理由がある。
私は、聖魔法に高い適正があるのだ。
教会から聖女の認定も受けている。
「当然、本気だ! お前のような自称聖女と結婚するなどあり得ない。俺に真に相応しいのは、このカティア嬢だ!」
「くすくす。そういうことですわ、お姉さま」
ラインハルト殿下の横に立つのは、私の妹のカティアだ。
妹とはいっても、同じ屋根の下でともに育ってきたわけではない。
彼女は父と正妻との間に生まれた。
父が平民の使用人と戯れに成した子である私とは、受けてきた教育や待遇に雲泥の差がある。
彼女は私をお姉さまと呼ぶが、形だけのものだ。
その声色には、尊敬や親愛の念が欠片も込められてはいない。
「なぜ、私ではダメなのです? そして、なぜカティアを?」
私はそう疑問を口にする。
「わたくしにも聖魔法の素質があったのですよ、お姉さま。1年ほど前に発覚しました。まあ当然ですわね。平民の卑しい血が混じったお姉さまにできて、高貴な血のわたくしができないわけがありませんもの」
カティアが自慢気にそう言う。
「エルメア。お前は聖女と名乗るくせに、街の瘴気や悪霊を祓ったことがないだろう? その点、カティアは心優しい女性だ。つい先日も、とある屋敷に巣食う悪霊を祓ってくれた。お前がなかなか祓おうとしなかった悪霊だ」
「お姉さまがもったいぶるから、さぞ強力な悪霊だと思いましたが。大したことはありませんでした。あの程度の悪霊に尻込みするようでは、教会の聖女認定の基準もあやしいものですわね」
ラインハルト殿下とカティアが、侮蔑を込めた目で私を見てくる。
「ラインハルト殿下。私は、この国全体にかけられている呪詛の浄化を行っているのです。さらに、次期国王であられる殿下への呪詛の浄化も行っています。その他の個別的な案件には、私以外の聖魔法の使い手が赴くように調整されているのです。陛下や司祭からご説明を受けませんでしたか? それに、私の口からも再三申し上げさせていただいておりますが」
私は、この国全体の安寧を守るという責務がある。
屋敷の悪霊?
放置しておけば直接の被害はない。
そのような些事にまで、私が出張るわけにはいかない。
私は暇ではないのだ。
「ええい! そんな出鱈目は聞き飽きたわ! とにかく、お前との婚約は破棄だ。立ち去れ、卑しき平民混じりめ! この国から出ていくがよい」
「くすくす。お姉さまの仕事は、わたくしが引き継ぎます。この国にお姉さまの居場所はありません。国外でもどこへでも、好きに行ったらよろしいのでは?」
ラインハルト殿下とカティアがそう言う。
私を国外へ追いやりたいようだ。
「え? 私を国外へ追放ですか? 私は構いませんが、この国や殿下は大変なことになると思いますが……」
私の母は、既に亡くなっている。
天涯孤独の身である私は、他国へ行くことに戸惑いはない。
隣国に知り合いも何人かいることだし。
「くどい! お前ごときがいなくなったところで、どうなるわけでもない!」
「くすくす。現実を受け入れられないのね。哀れなお姉さま。これ以上、醜態を晒さないでくださいまし」
ラインハルト殿下とカティアは、私の言葉に耳を傾ける気がないようだ。
「わかりました。では、さっそく失礼させていただきます」
これ以上問答しても意味がない。
ちょうど、今の仕事には嫌気がさしていたところだ。
責任が重くて量が多い割には、見返りが少ない。
聖女だからといって、ただ同然でこき使っていいわけじゃないんだよ?
カティアが代わってくれるのであれば、喜んで私は身を引こう。
私はドレス着のまま、会場を後にする。
「はっはっは! 今日はめでたい日だ。あの卑しき血の女と縁を切れたわけだからな! 俺はここに、カティアとの婚約を宣言する!」
私がいなくなったのを見計らって、殿下がそう声高に宣言したようだ。
「おお。それはすばらしいですな」
「やはり高貴な血には、高貴な血が相応しい」
「カティア嬢は聖魔法の素質をお持ちですからな。あんな卑しき血の平民混じりなんぞより、ずっと良き伴侶となってくれましょうぞ」
ラインハルト殿下の取り巻きの貴族たちのそういった声が聞こえてくる。
彼らは、殿下に取り入って甘い汁を吸うことしか考えていないような連中だ。
「やれやれ。馬鹿らしい。手始めに、殿下に常時かけていた聖魔法を解除しますか……」
私はラインハルト殿下にかけていた聖魔法を解除する。
彼にまとわりつく呪詛から彼を守るためのものだ。
この国全体に常時かけている聖魔法と比べると私への負担は小さかったが、やはり常時となるとそこそこ負担ではあった。
魔力への負荷という面でも、精神的な負荷という面でも、私への負担は少し減ることになる。
肩の荷がふっと下りたような気分だ。
「国にかけている聖魔法も解除したいけど……。私がこの国から出るまでは我慢ね。とばっちりを食うのはごめんだもの」
私がこの国にかけている聖魔法を解除すれば、魔物の異常繁殖が発生する可能性が高い。
いや、異常と言うと少し語弊があるか。
呪詛によって汚染されたこの国にとっては、魔物の発生が抑えられている現状こそが異常なのだから。
私はそんなことを考えつつ、王宮を後にした。
先ほどの会場から何やら強い瘴気の気配を感じるけど……。
もう私には関係のないことだ。
身支度を整えて、この王都、そしてこの国からもさっさと出ることにしよう。
どこに行こうかな?
やはりここは、隣国のあそこかな。
他国ではあったが、あそこには私の知り合いが何人かいる。
彼らであれば、この国の次期王妃ではなくなった私でも、優しく受け入れてくれるだろう。
私は開放感と期待感を胸に、まずは隣国へ向かうための諸準備を進めることにした。
●●●
エルメアが王宮から出た頃ーー。
「はっはっは! 今日はいい日だ。ワインもうまい!」
「うふふ。飲みすぎないように気をつけてくださいね、殿下」
ラインハルトとカティアは、上機嫌だ。
会場にて、出席している貴族たちと誕生パーティを続けていた。
「そういうカティアこそ、デザートを食べすぎないようにな。そのケーキは何個目だ? 太るぞ」
「もう! レディに失礼ですわよ。まだ3つめですわ」
彼らが、のんきにそんな会話をしている。
ラインハルトはこの日を待ちわびていた。
国王である父や鬱陶しい司祭が諸用で不在の隙を突いて、邪魔な平民混じりのエルメアとの婚約を破棄することを企んでいたのである。
その企みは成功した。
ついでに、目障りなので国外への追放も言い渡した。
これで、真に愛するカティアと過ごしていけるというものだ。
彼が幸せを噛み締めている、そのとき。
ゾクッ。
ふと、背筋に悪寒が走った。
「な、なんだ……?」
「どうか致しましたか? ラインハルト様」
「い、いや……。なんでもない」
心配するカティアに対して、彼はそう返答する。
しかし、実害はすぐに訪れた。
「な、なんだこの黒い霧は! どこから入った!?」
ラインハルトの右足に、不吉な気配のする黒いモヤがまとわりついていた。
これは、どこかからやってきたものではない。
彼にもともと取り憑いていた瘴気である。
今までは聖女エルメアの聖魔法により抑えられつつ徐々に浄化されていた。
しかし、ラインハルトを見限った彼女が聖魔法を解除したことにより、今再び彼に牙を剥いているのである。
「ぐ……。ぐああああぁっ!」
瘴気が彼の右足を蝕んでいく。
彼が苦痛に叫びつつ、カティアに助けを求める。
「カ、カティア! 聖魔法を!」
「わ、わかりましたわ。……神の光よ。邪を滅ぼしたまえ。ホーリーシャイン」
カティアが聖魔法を発動させる。
ラインハルトの右足が聖なる光に包まれる。
しかしーー。
「ぐっ……。少しは勢いが緩まったが、まだだ。もう一度頼む!」
「う……。もう魔力が残り少ないですわ。次で浄化できなければ……」
カティアの聖魔法はまだまだ半人前。
教会から聖女認定を受けているエルメアと比べるべくもない。
カティアの力量では、ラインハルトに取り憑いている重い瘴気を祓うには力不足であった。
「とにかくもう一度頼む! おい、衛兵! マナポーションを持ってこい。大至急だ!」
自身の右足を襲う激痛に耐えつつ、ラインハルトはそう指示を出す。
そして、カティアからの再度の聖魔法、マナポーションでカティアの魔力を回復してからの持久戦、さらに教会から聖魔法の使い手を緊急派遣してもらい、何とか右足の瘴気は収まった。
しかし、彼の足は無事とはいかなかった。
「ぐ……。くそっ! 右足が動かんぞ! これでは……!」
ラインハルトがそう叫ぶ。
闇の瘴気への対応が遅れたことにより、彼の右足は動かないようになってしまっていたのだ。
室内業務はともかく、軍の指揮や各領地の視察などを行うことは難しくなった。
「で、殿下……。わたくしも、精一杯お支えしていきますので……」
カティアがそう気遣う。
「うるさい! だいたい、お前の聖魔法が不十分だからこうなったのだろうが!」
「なっ!? わたくしは今の力を最大限に出しました。あんな強い瘴気、1人で抑えられる人なんてそうはいませんわ!」
ラインハルトとカティアが口論を始める。
聖女エルメアにより抑えられていた瘴気は、カティア程度に抑えられるものではない。
そもそも、ラインハルトの右足に取り憑いていた瘴気は、彼の中ではまだ軽い方だ。
軽いからこそ、エルメアが聖魔法を解除してから真っ先にラインハルトへの侵食を再開したのである。
これから、ラインハルトの他の部位に取り憑いている瘴気も、侵食を本格化させてくるだろう。
さらに、国自体にかけられている聖魔法が解除されると、国全体を強力な呪詛が襲うことになる。
ラインハルトたちの受難は、まだ始まったばかりである。
空には、暗雲が立ち込めていた。