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子爵令息は負い目を感じたくない

作者: 1ばんどうろのくさむら

チョロインしかいねぇので!

 俺が前世の記憶を取り戻したのは物心がついた頃。

 三歳ぐらいからおぼろげに思い出していたが、自我がはっきりすると共に前世の記憶が一気に蘇った。


 前世の俺は現代社会で死んだ目をして働きながらエンジョイ勢としてゲームを嗜んでいた。


 俺は既に戻りかけていた記憶の中にあった社会人としての経験を活かし、強くてニューゲームを楽しんでいた。

 しかし、記憶が戻れば戻るほど次第に暗雲が立ち込める。


 俺が転生した世界の節々に、かつて自分が男も楽しめると言う触れ込みでプレイした乙女ゲームと酷似している点が目に付くようになったのだ。


 芯の通ったヒロインが居て助けてくれるヒーローが居る。

 それを良く思わない悪役も居て、それらを包み込むような魅力的なサブキャラクターで脇を固められた物語。


 王道にして鉄板。

 古今東西愛されてきたテンプレートを時代に合わせて落とし込み、奇をてらわないからこその堅実さとコミカルなノリを随所に織り込んだシナリオは圧倒的な人気こそ得られなかったが名作として一定以上の評価を博していた。


 悪役となるのはヒロインと惹かれあう王子と幼い内から婚約を交わしていた公爵令嬢。


 ミリアード・ラセル・グレースメリア。


 悪役令嬢と呼ばれる存在としてヒロインの前に立ちはだかるのだが、王子には一途で文武両道、情に厚く味方に報いる義侠心溢れた性格は性別を間違えたイケメンとしてヒロインよりも人気が出ていた。


 他の女子を差し置いて王子と仲を深めるヒロイン。

 それをよく思わない令嬢達が嫌がらせをした際も彼女達を諌めつつ、過激なことをしないようにと抑えていた人格者。


 しかし、中盤以降生来の性格が仇となる。

 ミリアードは派閥に所属する貴族の横領を庇うのだが、若くして商人となったヒロインの幼馴染がその損害を押しつけられて失意のまま死亡。

 ヒロインとの間に修復不可能な溝が生まれる。


 立場の悪くなったミリアードは他でもない王子からその行いを咎められる。

 しかも、爵位の低い貴族令嬢でしかなかったヒロインと結ばれる機会を虎視眈々と狙っていたヒーロー達が協力し、ヒロインは復讐心を胸に成り上がって彼女を追い詰めていく。


 結局ヒロインがどのルートに進もうと王子からお前の味方はしないと宣言され、婚約を白紙にされた時のミリアードの悲嘆ぶりは敵ながらプレイヤーの胸を打つほどだった。


 その後、冷静さを失ったミリアードは暴走する派閥の統率を失い、ヒロインはより過酷な嫌がらせを受けて時には命を失いかねないほどの危機に見舞われる。


『貴方の愛を得られないのなら、こんな誇りなど要りません』


 責任を追及されどんどん離れていく王子達。

 最大の長所であった矜持を捨てる宣言と共にミリアードの心は狂気に蝕まれ、最後は側近に命じてヒロインを亡き者にしようとする。しかし、その企みをヒーロー達によって暴かれ、王子に断罪され、庇ってきた罪を背負わされて処刑となる。


 そのミリアードが命じる側近が陰気な子爵令息なのだが、彼は隣り合った領地のグレースメリア公爵領に幼い頃訪問した際、魔獣の襲撃を受けてミリアードに庇われた経験を持つ。


 その時の負い目が原因で、王子に見放されて狂っていくミリアードに何も言うことが出来ず、最後は共に罪を背負って処刑と言う結末を迎える。


 陰気で弱虫なくせにミリアードから受けた恩には恋心を隠したまま命を捨ててまで報いるのが彼の唯一の見せ場と言えば見せ場だろうか。


 自分を庇ったことが原因で想い人の顔に小さいとは言え傷がつくのだから当然といえば当然か。


 因みにその魔獣襲撃の原因は王家主導の討伐隊が撃ち漏らした魔獣が公爵領に逃げ込んだことで、顔に傷のついた公爵令嬢に対し責任を取る形で王子との婚約が決まるからギリギリメインとなるストーリーに絡む立ち位置だ。


 そもそもなんでそんな端役の話が出てくるのかといえば――


「何度見ても生まれ変わる前が嘘みたいなイケメン顔。


 陰気で弱虫でなければ……これはモブ脱却どころか主役も食えるぜマイト君よぉー」


 鏡に映る幼いマイト・ラーナード(確か5歳になったばかり)の顔を見て俺は独り嘆息した。

 認めるしかない。

 悪役令嬢に叶わぬ恋をして共に処刑される子爵令息に俺は転生してしまったようだ。


「マイト様ー。朝食の時間ですよぉー」


 子爵家のメイドが俺を呼びに来る。

 生まれる性別を間違えた女傑ミリアードのことは嫌いじゃないし、報われることのない恋心を抱えていきていくのもご免だ。

 だからミリアードに負い目を感じるような事態と彼女の処刑を回避して、このイケメン顔で未来の恋人の心を掴みにいくとするか。


「よし!」


 俺は心の内側で嘯いた目標を胸に刻むとそそくさと部屋を出て行った。




 朝食。

 幼いメイドのチェシャが頭頂部に生えた猫耳をピコピコさせながら視線を向けてくる。


「何か良い事でもありましたか? マイト様」


 彼女はゲームの舞台となる王国より北から流れて来た流民の出身だ。

 この世界は普通に獣人とか居るし、魔法とかも存在する。

 チェシャという名前しかないが、獣人で苗字を持つのは王家のみ。

 既にその王家は国ごとなくなってるとゲームのテキストでは語られているが、それは続編で意味を持ってくる。

 ネタバレすると彼女がその王家の血を引く者で、続編のラスボスである悪役女王に成り果てるのだ。

 思いを寄せていたマイト・ラーナードが処刑されたことで彼女は復讐を誓い、続編までの間に亡んでいた王家を復興。

 獣人達の国を作り上げた彼女はミリアード共々仕えていたラーナード家を潰した王国を敵視し、一方的に攻勢を仕掛けてくる。

 挙句国同士の間で戦端が開かれ、戦況が泥沼化したところで今はまだ生まれていない弟エラントに率いられた続編のヒロインとヒーローに説得される。

 説得後は争いを止めて和解し、情勢が落ち着くと戦争終結の功績からラーナード家を再興したエラントを見届け、女王の座を退位するなり服毒自殺。


『ずっといっしょ、ですよ』


 恋焦がれた主への想いを口にしてこと切れる。

 作品を跨いで愛を捧げるとか実に重い。


「今日も鏡に映った自分が思っていた以上にカッコ良かったのが嬉しくてね」


「ふふっ。なんですかそれ」


 手を口に当て、猫耳を下げて笑う彼女は幼いのもあってとても可愛らしい。

 後ろでフリフリと揺れている尻尾なんか特に。

 現状チェシャの俺に向ける感情は歳の近い子に向けたシンパシーが主で恋心とかはなさそうに見える……が、自信は無い。

 とりあえず処刑回避失敗時にも備えて、彼女に恋心を持たれるほど好かれるのは避けた方が良いか。

 最悪未来の王国がボロボロになるのだけでも回避しよう。

 両親は仲睦まじく食事しつつも俺とチェシャのやり取りを楽しげに見ている。

 既にこの時点で両親は俺とチェシャの仲が良いと――いやいやまさか!

 とにかく俺の今後の行動次第で悪役二人の未来が変わる可能性がある。


 きっと俺が出来ることは少ない。

 それでも彼女達が幸福と成れるよう俺は出来る限りを尽くそう!


 今一度俺は自分の人生にかかる重みに心を引き締めた。






 両親の仲は良好。夜に二人で運動会してるのもしばしば。

 弟エラントが生まれるのにそれほど時間はかからないかもしれない。


「チェシャ。こんな夜中になにしてるの?」


「にゃ! こ、これはマイト様」


 深夜。何かを窺ってる様子のチェシャにトイレに起きて来ただけの何もわからない幼気な子供を演じて話かける。

 チェシャは小声で驚くと言う器用な芸当を披露すると、すぐに俺の目を塞いで俺の自室に移動した。


「み、見ましたか?」


 恐らくは両親の恥ずかしい夜の共同作業のことを聞いているのだろうが五歳児がそれについて興味を持つのはまだ早いので何も知らない純粋な子供のふりをする。


「足音が聴こえたからトイレのついでに誰か居るのか見に来ただけだよ。


 それでチェシャが居たから声をかけたんだけど。他に誰かいたの?」


「い、いえいえいえいえ! 誰も居ませんでしたよ!」


「変なチェシャ」


 藪蛇になりそうだと気づいて首を何度も振って否定するチェシャ。

 4歳年上の彼女はそういったことに興味津々なのだろう。

 早熟な彼女の反応に苦笑が零れそうになる。


「夜中の足音で毎日起こされるんだよね。


 それも今日のでチェシャのせいだと分かった。


 夜中に歩き回るのは止めた方が良いし、何かあるならお父さんやお母さんに言った方が良い?」


「そ、それだけはご勘弁を。二度と!二度と夜中に歩き回ったりしませんので!」


「約束だよ。もし破ったりしたらチェシャのこと嫌いになるからね」


「はいぃ! マイト様。チェシャは絶対に約束を守ります」


 しゃちほこばって頭を下げる。

 しょげかえって耳が下がっているので頭を撫でて慰めた。

 喉を鳴らして喜ぶ彼女を見下ろしたまま表情を緩める。

 罪悪感がすごいけど悪いねチェシャ。

 これでも中身は社会の酸いも甘いも味わった汚い大人なんだ。

 チェシャのおねだりに付き合って何度もなでるのを止めては再開するのを繰り返した後、去り際のチェシャが振り返った。


「貴族の男子はその、歳の近い従者が練習相手を務めることもあるとか。


 そ、その時はチェシャ頑張りますからね!」


 それだけ言うと脱兎の如く走り去る。


「は?」


 いきなり何言ってんの?

 好感度ゲージ一つも貯めた記憶が無いのにこの発言。

 チェシャの好感度は最初からバグってるのかもしれないと思いつつ、五歳児マイト何もワカリマセーンと首を捻る演技を観客もいないのにやり切った俺はきっと良い役者になれるはずだ。





 来たるべき時に備え、父親に頼んで剣術指南を受けつつ体も鍛えてもらってる内に10歳になった。

 しかも領主の子供特権で演習にも参加してる。権力マンセー。

 既にエラントは6歳の時に生まれ、今では「兄さん兄さん」とひよこのように後をついてくる。

 そろそろ女の子が欲しいと毎晩母が父にねだっているのを知っているが、未来で妹どころか第三子の影も形も無かったのを思うと複雑だ。

 この先母親の身に何かあるのかと心配になる俺を他所に、両親が次の世代の顔見せとして隣接する領地への訪問を計画しているのを何度も耳にする。

 遠くない内に隣の公爵領を訪問する機会はやって来るだろう。

 幾度となく稽古の終わりにチェシャに労いとして抱きしめられるが、その時に異常なほど匂いを嗅がれているのは気にしない。

 肉体より先に精神の修練による成果を感じる。

 並みの10歳とは比べ物にならないほどの実力と剣技を身に着けたがそれでも子供は子供。

 君子危うきには近寄らずでいこう。



 それから一月。

 父親に公爵からのお誘いが有り、ついに俺の公爵領訪問が決まった。

 幼い弟とそのお守りをする母親はお留守番。

 父親と付き従う護衛数名に俺とチェシャ。

 総勢でも10名に登らない人数で子爵家を出発した。


「マイト様はこのチェシャがしっかりとお守りしますからねー」


 宣言するなり馬車で俺の隣に居座るチェシャ。

 体重をかけるようにして全身で密着してくる

 移動ルートの確認をするために父親が御者の席へと移ったのを見計らい、これまでずっと疑問だったことを聞く。


「ねぇ、チェシャ。


 どうしてチェシャは俺にそんなに尽くすの? 俺のこと好きなの?」


 自分のことが好きなのかと確認するなど痛すぎてまずできたものではないが、言外に「まさかね」と付け足すことでいつでも茶化せるよう撤退準備をすることでなんとか尋ねた。


「はい。チェシャはマイト様の事が大好きですよ」


「な、なんでさ」


 笑顔で即答されて困惑しつつも問い返す。


「まだまだマイト様が幼くてちいさーい時に道端で倒れてボロボロだったチェシャを見つけて下さったのです。


『ぼくのじゅうしゃにする』って難色を示す子爵様と奥方様を説得されました」


 幼かった時の俺の可愛さをひとしきり述べた後に「その日からチェシャはマイト様の為だけにあります」と言って締めくくった彼女の顔は自慢の宝物を披露した子供の笑顔のように眩しかった。

 どうしよう。チェシャの好感度は最初から振り切れていた。

 俺に何かあったら暴走するラスボスが最初から隣に居るなんて笑えない。

 これで今更好感度を下げるなんて難しいし、何より目の前で嬉しそうにしてるチェシャの顔が曇るのは嫌だ。


「ずっといっしょ、ですよ」


 その台詞に喜びより先に恐怖が来る。

 チェシャの中身は既にこの時点で出来上がっているようだ。

 逃れ得ないゲームの強制力があったとして、それを乗り越えられるかどうかは公爵領訪問中に分かるだろう。

 マイト・ラーナードがミリアード・ラセル・グレースメリアに負い目を感じなくて済む立ち回りができるかどうかで。



 特に盗賊から襲撃を受けることも無く俺達はグレースメリア公爵の屋敷に到着した。

 そもそも丸一日かければ辿り着く距離だ。襲いようが無い。

 お隣さんここに極まれり。

 道すがら父親から聞いた話だとラーナード家は武で鳴らした家らしく精鋭ぞろいのラーナード軍は日夜盗賊狩りに明け暮れているのだとか。

 察するにラーナード家の治安維持とそれに関わる武力を見込んだグレースメリア家はラーナード家が子爵に陞爵する際、隣の領地に迎えたのだろう。

 ぶっちゃけ公爵領の隣だけあって子爵家にはもったいないほどの好立地なのだ。

 王都にはそれほど遠く無く、辺境伯の領地にも軍を送れるぐらいには拠点向きの配置だ。

 仮にゲームでマイトがミリアードに懸想しなくてもグレースメリア家はラーナード家を取り込んだだろう。

 順当に行けばラーナード家を継ぐ俺ではなく、弟エラントを自分の派閥で近しい貴族と婚約させるなどして、だ。


「よく来たな。ロンバルド。


 このエドガー・ラセル・グレースメリアが歓迎しよう」


 杖をついたロマンスグレーの偉丈夫が屋敷のエントランスで待っていた。


「ロンバルド・ラーナード。歓待の誘いを受け、遅参ながらご挨拶に参りました」


 膝をついて首を垂れる父、ロンバルド・ラーナード。

 護衛も俺もチェシャもそれに倣って頭を下げた。


「良い。首を上げよ」


 許しが出たので顔を上げると偉丈夫の横には女神かと見間違うかのような美女と美少女が居る。

 美少女はゲームに出ていたミリアードを幼くしたような外見から彼女がミリアードなのだろう。

 ならば、美女の方はミリアードの母親か。


「今日は息子を連れて来たと聞くが、そこに居るのが?」


「はい。特に問題無く10歳になりましたのでラーナード家の後継として顔見せに連れて参りました」


「マイト・ラーナードです。


 本日はグレースメリア公爵家への訪問の機会に恵まれ、恐縮しております。


 僭越の身ではありますがどうかよろしくお願い申し上げます」


 父親に紹介され、エドガーに視線を向けて口上を述べると再度頭を下げる。

 頭上からエドガーの「ほう」という返事が聞こえたと思うとエドガーは父親を連れてどこかに行ってしまった。

 そのまま置いていかれる俺達。

 どうしたものかと思っていると美女が俺のもとまで来ると立つことを促してくる。


「お立ちになって。挨拶は終わったからこれ以上畏まる必要はないわ。


 ほら、そこの可愛らしいあなたも」


 この中で一人だけ居る獣人に目を付け、チェシャに歩み寄ろとする美女。

 どうして良いのか分からず固まる彼女を背に庇う。


「チェシャは私に仕える従者です。


 彼女に何かあるのでしたらまずは私にお申し付けください」


 恐らくはエドガーの妻であろう美女を相手に身分をものともせず向かい合う。

 下手したらこの場で勘気をこうむりかねないが、何をされるか分からないのに彼女を放っておくことなどできなかった。


「ごめんなさいね。私ったらつい」


 特に気にした様子はなく美女は口もとに手を当てて微笑む。


「そうそう私達の自己紹介がまだだったわね。


 本来は夫のエドガーにしてもらう予定だったのだけれど、本当にあの人ったら……」


 惚気るような口調で既に去っていったエドガーの方を見る美女。

 顔が良いだけあって本当に様になる。


「私はナターリア・ラセル・グレースメリア。エドガーの妻よ


 隣に居るこの子がエドガー・ラセル・グレースメリアの娘――」


「ミリアード・ラセル・グレースメリア」


 促される形でこれまで立っているだけだったミリアードが自己紹介する。

「うん。知ってた」と言いそうになる口を抑えて、最敬礼のお辞儀を返した。

 マイト君と同じ10歳なの、とナターリアが付け足すとミリアードは俺とチェシャを交互に見るなり睨み付けた。


「マイト。お前は従者を嫁にするつもりか。それとも10歳で愛妾の用意をしているのか」


 いきなり投げかけられた不躾な言葉にチェシャが固まる。

 俺はミリアードの性格を知っているので、これから彼女が何を言おうとしているのか推測できた。


「主が従者より前に立つなど有り得ない。


 チェシャと言ったか。自分より主を前に立たせてそれを恥に想わないのであれば従者として失格だ。


 獣人の評価を下げぬためにも即刻表に出る立場から退いた方が良い」


 余り貴族のマナーに煩くない子爵家で特に指摘されていなかったが、チェシャの態度は主従の姿からかなり逸脱している。

 注意して離れようとするとチェシャが寂しそうにするので俺はどうしても言えなかった。

 最悪彼女を連れて子爵家を出て行く覚悟も決まっていたのでなおさらだ。


「……申し訳ありません」


「頭をさげるのは私にではない。己の不甲斐なさで矢面に立たせた主人にだろう」


 蚊の鳴くような声で謝罪を述べて頭を下げるチェシャ。

 仁王立ちするミリアードに俺は何も言い返さない。

 ここで庇えば益々チェシャが自分の未熟さのツケを主人に押し付けることになり、彼女の立場が悪くなる。

 だから何も言わない。

 むしろ後で、本来俺が注意すべきだったことを言わせてしまったことでお詫びをしなくてはならないだろう。


「申し訳ありません。マイト様」


「構わない。全ては君に従者としての振る舞いを教えられなかった私の責任だから。


 ミリアード様。


 私達の未熟さ故に手間をかけさせてしまったこと誠に申し訳ございません」


 頭を下げたままのチェシャに気にしてないと伝え、改めてミリアードに頭を下げる。


「良い。主人だけが優秀だと従者の成長が遅れるのも道理。


 今後はお前達の振る舞いで忠告したミリアード・ラセル・グレースメリアの品格も疑われることを気に留めてくれさえすれば良い」


 穏やかな物言いだが、ミリアードの名誉が傷付くから人目に付くところで同じ真似は二度とするなという事実上の脅しである。

 ビクビクと体を震わせつつも俺の前に立つよう移動するチェシャ。

 カチコチになって下を向いたままの尻尾に罪悪感。

 しかし、家族を失って温もりに飢えているであろうチェシャに遠慮して言うべきことを疎かにしていたのも事実。

 これを機会にチェシャにも弁えて貰うしかない。


「さて、堅苦しい話はここまでにしてグレースメリアの屋敷を案内しようか。


 お母様?」


 睨むような表情が切り替わると、歳相応の子供の顔が出た。


「ええ、後のことは私がやっておくからマイト君のお相手をお願いね」


 笑顔で、父親が連れて来た護衛達の案内を執事たちに引き継ぐナターリア。

 恐らく俺もグレースメリア家の家令に案内されるものと思っていただけに驚愕を隠せない。


「よ、よろしいのですか?! 跡取りとはいえ子爵家の子供如きに公爵家のご令嬢が案内など」


 幾ら俺が子爵家の跡取りとはいえ、公爵家の人間とは住む世界が違う。

 貴族社会のヒエラルキーに置いて伯爵以上の上級貴族とそれ以下の下級貴族とでは越えられない壁があるとすら言って良い。

 新興の成り上がりと格式を備え何代も歴史を積み上げていた一族というのはそれだけで差があるのだ。


「噂に聞くラーナード家の麒麟児がようやく表情を見せたな。


 これなら私が直接案内を買って出た甲斐もあるというもの」


 悪戯の成功した子供のような笑顔で手を引くミリアード。

 そもそもラーナード家の麒麟児など初めて聞いた。


「武で鳴らすラーナード家の兵士に混じって鍛錬に励み、演習では父親顔負けの指揮を見せたと有名よ。お茶会やパーティでラーナード夫妻が自慢していたわ」


「あの人たちは……」


 頭に手をやる。

 盗賊狩りに明け暮れるバーサーカーだというのはついさっき聞いたばかりだが、ラーナード軍が精鋭揃いなのは知っていた。

 俺が問題視したのは父親が手札を隠すと言うことを学ばないところだ。

 正面切って全力で活路を開くことで先祖が爵位を得たのでそれが全てだと思っている節がある。

 だからそれだけではダメだと示すために指揮の演習でこれでもかと搦め手で敗北させたのだ。

 とはいっても落とし穴とか騙し討ちとか思いつく限りのアイデアを俺は出しただけに過ぎない。

 ラーナード軍自体が良く鍛えられていて俺の指揮に嫌な顔一つせずに応えてくれるし若い参謀が俺の思い付きを即興で形にするほど優秀だったからこそ得られた勝利だ。

 兎も角、個人の戦闘能力の差で指揮官の差は決まらないのだと示せたことに俺は満足していた。

 残念ながら、ナターリアの説明を聞く限り両親は俺と言う手札を隠そうとすらしていないけれど。

 そして何より頭が痛いのは麒麟児などと親の欲目で言いふらされることだ。

 分かり易すぎる弱点を優秀な駒で突いただけ。

 それも良く知っている相手だから罠など無いという身内読みありき。

 負けた側が馬鹿にされこそすれ、勝った側が賞賛を浴びるのも変な話だ。

 詳細を聞いているはずのナターリアが終始微笑ましげに見てくるのも居心地が悪かった。




 初対面の挨拶から数日。

 俺は宝物を自慢するような満面の笑顔でグレースメリア領を案内するミリアードに嫌と言うほど引きずり回された。

 移動時間中ずっと講釈を聞かされてはクイズを出され、解けなければ説明と答え合わせで睡眠時間まで削られる。

 前世の弾丸ツアー旅行でもまだマシなスケジュールとプログラムを組んだだろう。

 だが、訪問期間の最終日にグレースメリア家の練兵所を尋ねるようにスケジュールの変更をお願いしたのは俺自身。

 嫌な顔をせずにスケジュールを組み直してくれたミリアードに文句など言えるはずが無い。

 そんなこんなで寝ぼけた頭に鞭を打って迎えた公爵領訪問の最終日。

 ゲームのテキストで魔獣の襲撃があったのは訪問の最終日だったと記憶している。

 だから、予め魔獣の襲撃に対抗できる場所として練兵所を選んだ。

 ここならゲームの時みたいに移動中を襲われるよりマシなはず。

 無論、ゲームの時と場所が変わったのでこの場に居る兵士たちだけで対応できる状況になるかも不明。

 十分な救援が来るまでもつかが全てになる。

 公爵家の軍が弱兵でないことを祈るばかりだが、彼らにとって最重要となる護衛対象はミリアードになるので、彼女が傷を負うようなことになる可能性だけは下がったはずだ。


 それと公爵領訪問の間、ずっとミリアードは俺と二人っきりになりたがっていた。

 しかしチェシャがどこに行くにも俺と一緒に居るので業を煮やし、ナターリアを動かしたようだ。

 結果としてチェシャはナターリアに捕まって屋敷でマナーを叩き込まれることになったので、今日は俺とミリアードの二人で行動している。

 チェシャが不相応な扱いを受けることの無いよう父親には目を光らせてくれと頼んでいたので彼も公爵家の屋敷に居るはず。猪突猛進が玉に瑕だが、指揮官としては本当に優秀なのだ。

 どこに居るのか分からないと言う事態は避けられたのだから、これで魔獣襲撃の際には援軍に駆け付けて来るに違いない。


 ミリアードは朝一の移動では邪魔が居なくなって最初は機嫌を良さそうにしていたが、人の集まる練兵所での視察中二人っきりになるなど周りが許さない。

 見る見るうちに増していく不機嫌に対し、俺はポーカーフェイスで距離を取った。


 それもこれもチェシャが俺に対し、自分が居ない間に自分以外の女子の匂いがつくと決まって瞳のハイライトを消した目で訴えてくるからで、それが結構怖いのだ。

 何も言ってこないのが本当に怖い。

 ここでミリアードの匂いをつけて帰ろうものならチェシャに無言で威圧されるのは火を見るより明らかだ。

 目の前に見えている危険とその先にある危険を避ける為、俺は今日一日ソーシャルディスタンスを徹底して保つことを心に誓った。


 一分の隙も無く距離を取る俺に益々空気を冷え込ませるミリアードだが、初めて見るのだろう兵士達の木剣で打ち込み合う姿に目を白黒させていた。

 つつがなく訓練メニューをこなしていく兵士達は下降していく公爵家令嬢の機嫌に何とかしろと嘆願にも似た視線を送ってくる。

 しかし、『我が身恋し~♪ この様~♪』と故郷ならぬ臆病の歌を内心で歌って俺は首を振り退けた。

 真横で勢力を増し続ける亜熱帯低気圧と目の前で繰り広げられる荒々しい光景とは裏腹に流れていく平和な時間。

 もしかしたら魔獣の襲撃自体無いのでは、と思いかけた昼下がりだった。


「魔獣が領内に侵入しました!」


 伝令が血相を変えて飛び込んでくる。

 この場の最高責任者であろう隊長の男が伝令に近づくなり俺とミリアードを見た。


「状況を教えてもらってもよろしいでしょうか」


 突然の出来事に固まっているミリアードを放って隊長に声をかける。


「しかし……」


「邪魔はしませんし、ここで聞いたことは私の胸の内だけに秘めておきますよ。


 それよりも状況の確認を急ぎましょう」


「仕方がありません。ですが、客人として我々の指示に従ってください」


「分かりました」


 聞けば状況は最悪に近かった。

 辺境伯と王家が兵を出し合って行った討伐の撃ち漏らしが徒党を組んで公爵領になだれ込んで来たらしい。

 広い領地のせいで間に遮る勢力が何も無かったのが災いしたと言うべきか。

 発見するのが遅れてしまったようだ。

 恐らく公爵あたりには連絡がいっていただろうが、それでも撃ち漏らしが王都近くの公爵領にまで一直線でなだれ込んでくるなど想定しておけというのが酷な話。

 魔獣の数はそれなりに居るらしく、今練兵所に居る人数で全ての対処はまず無理だとのこと。

 包み隠さずに教えてくれる隊長にもし首になったら子爵家で雇うと再就職先を紹介し、心からの感謝を述べた。

 それほどの魔獣が向かってきている方向がよりにもよって兵士の集まる練兵所なのは不幸中の幸いといえなくもないが、それが最悪に近い理由でもある。


「侵入経路から察するに、この練兵所を抜けた先にあるのはラーナード家の屋敷だ……」


「バカな! 公爵領内にある施設と子爵家の屋敷の位置関係を配置しているのか?!」


 いつの間にかミリアードが隣に立っている。

 ソーシャルディスタンスを保って距離を離すなり俺は首肯した。

 他でもない公爵家令嬢が領内の施設と立地の良さをクイズ付きで自慢げに話してくれたのだ。既に頭の中でマッピングは済んでいる。

 もっと早く分かっていれば子爵家を出る前に指示を出せていたのに。

 そう思うと悔やんでも悔やみきれない。


「……麒麟児」


 ミリアードのボソっとした呟き。

 俺はそれに構わず隊長を含め、兵士達に頭を下げる。


「邪魔をしないと言って置いてなんですが、伝令を出して貰えませんか」


「伝令だと? 公爵様の屋敷には既に報せがいっているはずだ」


「ラーナード軍にグレースメリア領の越境許可をお願いします」


 隊長どころか一兵士達までもが驚愕を露わにする。


「ここで食い止めなければ、ラーナード領にも被害が出る。


 下手をすれば幼い弟と母が屋敷を出たところを襲われるかもしれない」


 第三子の影も形も無かった理由がそれならば、仲の良い両親にエラント以降の子供が居ない理由として納得がいく。


「隊長殿。私からもお願いしよう」


「許可が出るかはわからないが伝令は出そう」


 ミリアードが一緒になって頭を下げると、隊長は渋々といった声で了承した。


「ありがとうございます。後、もうひとつお願いですが、ラーナード領の屋敷にも伝令を出してください。方向は教えます」


「……良いだろう」


 逡巡は短かった。

 この練兵所を魔獣の襲撃に対する防衛拠点として、グレースメリア、ラーナードの連合勢力で対抗するという俺の意向を隊長は理解してくれたようだ。

 グレースメリアとラーナードの間は殆ど平野で領地の境なんて丘があるぐらい。

 既に備えとして俺と父親が公爵家を訪問してる間だけで良いからと主力部隊に屋敷での待機をお願いしておいたのだ。兵士を集めてから連れて来なければならないだろう公爵の軍より初動の差でラーナード軍が先につく可能性すらある。

 これを活かさない手は無い。もっとも、もし山なり何なり障害物でもあればここを防衛拠点にしてラーナード軍を呼ぶ必要すら無かった話でもあるのだが。


「この手紙を」


 持ち歩いていた短冊状のメモから短く書きなぐった紙を伝令に手渡す。


『“命知らず”のラーナードよ、来たれ』


 内容を目にした伝令が痛ましいものでも見る目で俺を見た。

 後でどうなるか分かっていて、それでも来いと呼び寄せる。

 子爵である父を通さずの独断。放逐ぐらいは覚悟しなきゃならないだろう。

 弟と母を守る為、他でもない俺がここで死兵となって更なる死兵を募る。

 僅かな間で決死の覚悟を決めた俺に対する目が波を打つように変わっていくのが分かる。


「まずは魔獣を集めて周りの被害を抑えないと。


 大きな音を出す大砲とか、光を放つ照明弾は無い……か」


 魔法使いが居れば魔獣を集める為のどでかい花火をお願いするのだが、そんな貴重な人材が狙ったかのように居合わせるはずもない。

 俺だって魔法を使えるようになりたかったが、教えてくれる人が居ないので独学で魔法の練習をするしかなかった。

 しかし、人材を揃えられる上級貴族との差というやつは越えがたく芳しい結果は得られなかった。

 正直俺の魔法はどれもしょぼ過ぎてジョークグッズのお供が関の山だ。

 魔獣どもにギャグセンスと粋を求めるのも筋違いどころかそもそも腹筋も抱える腹もあるのか怪しい。

 笑わせるしか能の無いわが身が笑えない。


「大きな音と光が出せれば良いのだな。それなら私が使えるぞ」


 居たよ。ここに文武両道の貴重な人材が。

 年齢に対して不相応に豊かな膨らみを主張する胸を張ってミリアードが俺を見た。


「魔獣は魔法使いが居たら率先して狙う程度の知能はあると聞いてますよ。


 そんな危険なことを公爵令嬢であるミリアード様にさせる訳には――」


「巻き込んだのは私の方だ。巻き込まれた側にばかり身を切らせてお前はグレースメリアの名を貶めたいのか」


「そんなことは」


 言いがかりじみた言葉に俺は言葉を失う。

 だが批難じみた言葉とは違ってミリアードの目は柔らかい。


「この突発的状況で目的の達成のみを求める大胆不敵な采配。実に見事だ。


 だが、忘れるな。ラーナードの麒麟児ほどでないにせよ、ここには私も居るのだ。


 未来のグレースメリアの一角を担うこの私がな!」


『頼れ』と言外に示すその様はまさしく胸の膨らんだイケメン。

 男の夢まで搭載した女の中の男がそこに居た。






「見えた。魔獣北の方角より接近!」


 遠見の兵士が声を張り上げる。

 次いで五十近い数字が告げられ、兵士たちの間に動揺が走った。


「狼狽えるな! 我々で全てを倒す必要はない。


 ここに引き付けて防衛さえしていれば味方が必ずやってくる!」


 倉庫にあった新兵用の皮防具を身に着けたミリアードが兵士を鼓舞する。

 女性用ではないので発育の良い部分がそこかしこ強調されていて眼福だったが、鼻の下を伸ばすものは居ない。


「孫子の兵法に因れば、“およそ戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ”だったか。


 なら、対峙する俺達は正面切って守り切り、勝ちを任せた味方達に奇襲して貰えば勝てることなる。


 そうだ。勝てる。これなら被害を抑えられる……しかし“善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず”の勢いが無い。


 これを俺達が作るのは無理だ。味方に頼むしかない。


 でもそれじゃ、即興の連合勢力頼み。神頼みと変わらないじゃないか。


 どうすれば……どうすれば守る立場の俺達が能動的に勢いを持てる?」


 最善の策ではないが、守りを固めて確実に勝てる戦いの構築としては外れていないはずだ。

 だが、勢いが無い。これがないと長期化して泥沼になる危険性がある。

 そう思って念仏のように孫子の兵法を唱えていると呆れた様子のミリアードが隣に立っていた。


「さっきから小言で何度もブツブツと。そんな様ではお前は将には向かないな」


 うるさい。

 元々エンジョイ勢の俺にドラマも何も無いただの戦いに興味を持って思考を割くなんて無理な話だった。

 ビジネスの知識としてかじった孫子の兵法ぐらいしかあてになる者が無い。


「敵が見えたなら魔法の準備をお願いします。ミリアード様。


 とにかく敵にも味方も目も眩むような華々しいのを」


 将に向かないと言われたのを無視して指示を飛ばす。

 お前は将に向かないと言った奴の指示に従うのだと皮肉を込めて。


「任せておけ」


 フッと男も女も惚れるような男らしい微笑で女もうらやむ胸を張るとミリアードは右手を掲げた。

 手のひらの先に現れた光球が空へと浮かんでいき、弾けたかと思うと轟音を立てて閃光を放つ。


 魔獣の先頭が明らかに練兵場へと進む先を変える。

 これは魔獣達の優先して魔法使いを狙うと言う特性を逆手に取った誘引だ。

 率先して自分たちの驚異になる存在を狙う奴らに居場所を伝えればこうなるのは道理。

 既に練兵場の門は閉じられ、籠城戦の構えを兵士たちが取っていた。

 数と力に任せて門にぶつかる魔獣達。

 門に張り付いた兵士達の消耗を少しでも減らす為、弓矢を持った兵士が立て続けに矢を放つ。

 聞いた限りだと魔獣一体を討つのに十人近くかけるのが普通らしいが、練兵場に居たのは五十人程度。

 魔獣と兵士がほぼ同数。

 勢力的に見れば多勢に無勢は誰もが承知していた。

 それでも武器と施設が充実している練兵所の利を生かして誰もが獅子奮迅の働きを見せている。

 邪魔をせずに見てるだけとはいかず、俺も弓矢を借りて矢を放っていた。


「さっきからどこを狙っている! 


 幾ら矢に余裕があるとはいえ、矢を射る時間を稼いでくれる兵士たちの体力は限られているのだぞ」


 明後日の方向に矢を飛ばしたり、魔獣の居ない場所に矢を射る俺をミリアードが叱り飛ばす。

 魔法は精神を消耗するので、兵士たちの精神的支柱であるミリアードを酷使して前後不覚にする訳にもいかなかった。

 旗印が倒れただけで人と言うのは結束力を失いかねないのだ。

 だからミリアードは俺と同じように弓を使って矢を射っている。


「うるせぇ! 細工は流流、仕掛けは上々、後は仕上げを御覧じろだ!」


 頭をフル回転させて矢を射る場所を定めていた俺は邪魔をするミリアードに怒鳴り返す。

 最早相手が公爵家の令嬢であることすら忘れて作業に没頭していた。


「もう良い。勝手にしろ!」


 声を荒げてミリアードは言い捨てるなり新しく矢を弓につがえると俺のことなどまるで居ないかのように魔獣を狙撃する。


「味方だ! 味方が来たぞ!」


 陽が沈みかけ、どれだけ地の利を活かしても兵士達の間に隠し切れない疲労が出て来た頃。

 遠見の兵士が喜色の篭った渾身の声を上げた。

 掲げられた旗はラーナードの旗。

 予想した通り、立地的に近かったラーナードの軍が先に到着した。

 とはいっても五十名余りと数は少ない。

 高速で馬を飛ばせるものだけを先に出してきたのだろう。


「チッ。援軍が来たはいいが……この数じゃ各個撃破されるのが関の山だな」


「おいっ。どうにかならないのか。


 お前達の軍ならばというアテがあったのだろう!?」


 俺の泣き言に食って掛かるミリアード。

 他所の兵士に期待し過ぎじゃないですかね。


「……さて、俺の魔法で仕掛けたジョークグッズのお披露目といきますか」


 練兵所から最も離れた位置にいた魔獣に騎兵たちが接近する。

 そこに予め射っておいた矢が小さな音を立てて爆発。

 続けて少し離れた位置で二つの爆発。

 一丸となっていた騎兵たちは二手に分かれ魔獣の横を通り過ぎる。

 その後も小さな爆発の度に陣形を変えて次々と魔獣の横をすり抜けていく。

 魔獣達は足元の攻撃力皆無のクセに閃光を放つ爆発が気になって騎兵たちへの注意が疎かになったまま。

 これで魔獣達を誘引できたのではないかとミリアードがジト目で見てくるが、閃光だけだとウケが悪くて集めきれないのだ。

 今はまだ誰も知らないゲーム知識を参考にしてるので説明できない以上顔を背けるしかない。

 因みに騎兵達の馬が平気な顔をしているのは俺が散々馬に慣らさせたからと、攻略法を知ってる奴が指揮しているからだろう。

 最初に馬を使い物にならないほどビビらせて父親を負かした時は負けたことにプルプルと震える父親に笑顔ですごまれ、次までに馬に慣れさせろと命令された。

 威圧100パーセントの笑顔とか今思い出しただけでもちびりそう。

 俺が過去を振り返ってブルっている内に練兵所の近くを通り過ぎた騎兵たちはそのまま練兵所から離れていった。


「なんだ。なんのつもりだラーナード。


 どうして騎兵達を遠ざけた。


 先ほどの魔法なら魔獣の一体や二体仕留められたのではないか」


「足りないからですよ」


「なに?」


 一体や二体仕留めても数の差は変わらない。

 とはいえ、何体か連れて離脱してくれただけで十分な成果だった。

 練兵所の包囲が明らかに緩んでいる。


「俺じゃ彼らを率いるには役者不足だ」


 どう足掻いたって小手先の策じゃ絶対に覆らない。

 不利を跳ね返す圧倒的なものが俺にはない。

 正面からぶつかり合う魔獣との戦いは相性が悪すぎた。

 だが、それを得意とする人間を俺は少なくとも一人は知っている。


「うぉぉおおおおおおおおおお!」


 ほどなくして騎兵が去った先から聞こえてくる雄叫び。

 演習の度に幾度となく聞かされた父親の声。

 去っていった騎兵と護衛を連れた将として父が先頭を切って馬と共に駆け抜けてくる。

 聞く者の耳を通して心まで震わせるような叫び。

 恐れを知らぬ戦士の咆哮。

 臆病な俺では絶対不可能な芸当。

 ラーナード軍の兵だけでは足りないし、ロンバルド・ラーナードと十に満たない護衛でも足りない。

 だから駆け付けたラーナード軍をロンバルドの来るであろう屋敷の方向に誘導した。

 その為に頭をフル回転させながらシミュレートして迂回駅路を仕込んだのだ。

 演習の度にタッグを組んで父親に嫌がらせし続けた若い参謀“命知らず”が俺の目くらまし戦法に合わせてくれると信じて。


「貴方の兵士は無事届けたんだ。ここからは貴方の番ですよ、父上」


 弓に矢をつがえて更なるジョークグッズを放つ。


「おぉおおおおおおお!」


『おぉおおおおおおお!』


 父親を含めた兵士達の雄叫びが山彦のようにリピートされる。

 俺が使っても音の反響による位置把握をかく乱するのが関の山だが、父親の心を震わせる雄叫びを増やせば味方の士気はうなぎ登りだ。

 現に練兵所で疲労困憊の兵士たちがこぞって雄叫びを上げ始めた。

 闘志をみなぎらせた彼らは練兵所の外側での戦闘に打って出て行く。

 あくまで魔獣を翻弄する騎兵の補助で数は中々減らないが、圧されてないだけ上々だ。

 ここまで来ると戦略も戦術も最早あったものではない。

 それでも戦場の趨勢を塗り替えて来た兵が目の前に居る。

 勝機はまだ見えないが、敗北が遠のいただけでも十分な意味があった。

 そして至る所で兵士たちが魔獣を相手にした戦闘が膠着してきたところでまた新たに軍旗が翻る。


「よし。来た」


 遠目に見えたのはまたもラーナード軍の旗。後発部隊。その数百名。

 間に合ってくれるかは賭けだったが、流石は精鋭。いい仕事をする。

 次いでグレースメリアの軍も三百以上率いて現れる。

 こんなに早く数を揃えて兵を出してくるなんて、弱兵の心配をしていたのが馬鹿みたいだ。

 これで数の差はほぼ埋まった。

 負ける要素の排除に肩の力を抜いたところで更なるダメ押しが続く。


「え?」


「嘘」


 俺とミリアードの二人から驚愕の声が出る。

 想定外だった北の方角から王国旗を翻しながら駆けてくる騎兵隊。

 それが何かなど問うまでも無い。


「討伐軍が追いかけて来たのか!」


 彼らがどうしてこんな場所に現れるのかと考え、散々敵も味方も集めた自分の所業を省みる。


「これは調子に乗って集めすぎた……かも」


 横で呆れた顔をして見てくるミリアードの視線が痛い。


「マイト様~」


 遠くから自分を呼ぶ声が聞こえたので振り返るといつの間に来たのか全速力で飛び込んでくるチェシャの姿。

 横にずれて躱すと言う発想が頭をよぎるも身を張って受け止める。


「御無事で良かったです~」


 ミリアードに勝るとも劣らない恵体で抱きしめられ、一瞬で精神が虚無の世界に入った。

 しがみつくのを無言で離し、無心でソーシャルディスタンスを保つとチェシャはスナドリネコのように渋い顔つきとなる。


「従者としてなんとはしたない奴だ」


 離れても俺の手を手に取ったままのチェシャはミリアードの言葉など聞いていないようでにへら~と相好を崩したまま。

 相手にされていないという事実にミリアードが眉を寄せ、一触即発の状態になったまま時間が流れいくと、練兵場の外から勝鬨があがった。


「終わったみたいだな」


 気を抜いたミリアードが兵士の迎えを待たずに練兵所の外へと出て行く。

 その背中に前世の記憶からフラグと言う単語が過ぎった俺は駆け足で追いかけた。

 案の定と言うべきか、門の影からまだ絶命していない血まみれの魔獣が一匹躍り出る。

 標的は最も近い位置のミリアード。

 驚愕の表情に凍り付く彼女を俺は突き飛ばすように押し退けて前に出る。

 魔獣が最期の力を振り絞るように肉薄してくるのを見て、ゲームの中でミリアードの顔に傷をつけたのはこいつだったのかと妙な納得をした。


「マイト様!」


 俺を守ろうと追いかけてくるチェシャ。だが、間に合わない。

 顔めがけて繰り出される爪。

 ここまでか、という諦めと共に俺の意識は途絶えた。









「……」


 目が覚めた。

 顔が包帯まみれだが、命はあるようだ。

 幸い両目とも失明しておらず、鼻とかも特に欠損は無い。


「マイト様! ……良かった」


 すぐそばに居たチェシャが感極まった表情で抱きしめてくる。


「何日寝てた?」


「その……十日ほど」


 言いにくそうな言葉に、返事を返そうとして急に意識が重くなる。

 まだまだ体は休息を欲しているらしい。


「マイト様? また眠ってしまったんですか?」


 チェシャの声を最後に再度俺は意識を失った。










 夢を見た。

 前世のゲームで見たこれから起きるはずだった出来事の夢を。



 城の一室で話し合う国王とエドガー。

 国が主体となって王族が指揮した討伐の結果、ミリアードが怪我をした。

 小さいが顔に残る傷。

 それは貴族令嬢としての未来を閉ざすには十分なものだった。

 浮かない表情の二人が話し合う場へミリアードが顔の傷を隠さずに現れる。

 これから王国で一、二を競るほど美しくなるだろう美貌に致命的な瑕疵を作ったという事実に悲痛な表情をするエドガーと国王。

 責任を感じた国王は王子を呼びつける。


 呼び出された王子の名はギルバート・フォルク・ガランド。


 次期国王として期待される彼はミリアードと同じ10歳。

 早熟な彼は王族の自分が心を焦がすような恋をするとは思わず、心を捧げるような愛を抱くとも思っていなかった。

 国王が思っていた以上にあっさりとギルバートは王族の務めと割り切り、ミリアードとの婚姻を受け入れる。

 それより数年後に一人の女性に恋焦がれて愛を捧げることになるのも知らず……



 ミリアードは王子に対し、どこまでも一途に尽くす。

 どこか必死さもあった献身にはなんとかして王子の事を愛そうと言う気持ちがあったのだろう。

 しかし本当の恋を知った王子の心は繋ぎ止められず、顔に傷を負った日から女として諦めたことでますます男らしくなった性格が巡り巡って彼女を孤立させた。



 顔に傷一つ負っただけで全ての歯車が狂い、不幸のどん底めがけて突き進んでいく。

 救えない結末。


 俺は確かにその未来を退けた。

 きっとミリアードは自分の望んだ男と添い遂げるだろう。

 それができるだけの権力と地位をグレースメリアは持っているのだから。



 訪れない未来に背を向けると泣いている女の子が居た。

 前世の該当する知識から俺は女の子の名前を思い出す。


 ブリジット・マール


 ゲームのヒロインで王子と結ばれるルートなら互いにギル、ビディと愛称で呼び合うほどの仲になる少女。

 彼女もまたミリアードと同様に討伐から漏れた魔獣によって運命を翻弄されたと言っていい。

 母親がマール子爵家で働いていた際に仕える主との間に身籠った子供だが、母親に子爵と子供と三人で暮らすと言う発想は無かった。

 妻を失ったばかりの子爵の心につけこんでしまったという自責の念から屋敷勤めを辞し、閑散とした村に引っ越す。

 その後は二人でひっそりと幸せに暮らしていた母娘。

 しかし、討伐から漏れてはぐれとなった魔獣に襲われてブリジットだけが生き延びる。

 身寄りの居なくなった彼女を引き取ったのは、表に出ることなく影から見守っていた父親の子爵。

 そうしてブリジットは図らずも子爵令嬢として貴族の一員になる。

 母を喪った喪失感と急変した環境に一人泣き暮らしていたが、村で共に育った年上の幼馴染に支えられ、元の明るい性格を取り戻す。

 だから恩人とも言える幼馴染を間接的に殺されたら復讐心に囚われるのも訳ないだろう。



 でも討伐隊が討ち漏らした魔獣は全てまとめて俺達が討ち取った。

 きっと村で母親と幸せに過ごし、行く行くは幼馴染と結ばれるに違いない。


 俺はやり切ったのだ。

 意識が浮上していくのを感じる。

 目覚めると顔の包帯が取れていた。

 また何日か時間が空いたのだろう。

 主の事ばかり考えて心配性のメイドがドアの向こうで慌ただしくしているのが聞こえる。

 彼女には悪いと思ったがもう少しだけ達成感を胸に微睡むことにした。





 ――そして五年の月日が流れて。





 魔獣襲撃から回復し、ようやくラーナードの屋敷に戻った俺は父親にしこたま怒られた。

 許可を待たずに軍に越境命令をだしたことはミリアードが「自分が許可を出したからだ」と庇ってくれたのでラーナードとグレースメリアの問題にこそならなかったが、俺はこれこそが未来でミリアードが身内をかばって不興を買う遠因だと捉えた。

 彼女は自分の内に引き入れたものにはめっぽう甘い。

 だが、それではダメなのだ。

 例え身内でも締めるところは締めなくては上に立てない。

 ミリアードの身内への甘さを断ち切る為、俺は自ら謹慎処分と廃嫡を求めた。

 ここで身内だからとなぁなぁに処分をしては後世で悪意ある者達に格好の前例として悪用されると訴えて。

 父親は俺の意志が固いと見るや軍に懲罰兵として入隊を命じ、五年の期限が来るまで正規兵と同等の兵役を課した。

 まだ10歳の子どもに大人に交じって兵役をさせるのは死ねと言っているようなもの。

 父親の苦渋の決断に俺は笑って罰を受け入れた。

 あくまで信賞必罰を貫くラーナード父子にグレースメリア公爵と娘は連名で罰の軽減を嘆願した。

 それで情状酌量の余地ありとされ、俺だけ訓練メニューは子供の身体に無理のないものへと変更された。



 父とエドガーは魔獣の襲撃事件以来ずっと頻繁に領地を行き交っていて、都度父親と一緒に訪ねてくるミリアードの相手は俺がする羽目になっていた。

 次第にミリアードだけで何度も訪ねて来るようになり、彼女が訪ねて来た日は決まって俺のみ兵役が免除となる。

 公爵家のお嬢様に目を輝かせていたエラントに「代わってくれても良いのよ」と水を向けたら屋敷の部屋の隅でひっくり返っているゴミ虫を見るような目で見られた。解せぬ。



 毎月ほぼ半分が免除となっていた懲罰の兵役が期限を迎えて終わり、15歳となった俺は貴族の教養を教える学園に通うことになった。

 その学園こそゲームの舞台となる場所なのは今更言うまでもない。

 風の噂ではブリジットという名の少女が母親共々マール子爵家に迎えられ、急遽入学することになったと聞く。

 王子と恋仲になる可能性も出て来たので、ヒロインの幼馴染は強く生きて欲しい。

 入学にはまだ一か月あるが、隣の公爵家が移動の馬車を出してくれて更には寮生活で必要なものまで面倒を見てくれると言うので一足先に公爵家の屋敷にお邪魔することになっている。

 屋敷の中で一人忙しく準備に追われていると俺に気づいた弟が様子を見にやってきた。


「兄さん。いい加減そのやぼったい前髪どうにかしたら?


 僕は蓑虫を兄に持った覚えはないんだからね」


 9歳になった弟は、妹には甘々なくせに兄相手となると年齢に似合わない辛辣な言葉でメンタルを殴ってくる。

 ライフで受けるしかない俺には全てがダイレクトアタックだ。痛い。


「身だしなみねぇ。そうは言ってもエラント。


 前髪はこうしておけってミリアード様直々に言われてるからどうしようもないのだよ。


 きっとこれが無いと傷が目立って気に病んでしまうんだろ。


 ほら」


 目元まで隠れるように伸ばしていた前髪をさっとあげて後ろに流す。

 近くの鏡にファイナルをうたったファンタジーのシリーズ八作目主人公よろしく額にノの字の傷が残った青年の顔が映る。

 傷のせいで余りイケメンっぽさはなく、物々しくて俺としては座りの悪さしか感じない。


「うわ。確かにそれは隠せっていわれちゃうね」


 ゲエッっと音が出そうなぐらい顔を顰めるエラント。

 そんなに見るに堪えないか弟よ。兄さん今にも泣きそうだ。


「大丈夫ですよマイト様。


 チェシャはそんなマイト様のことがだいだいだいだ~い好きですから!」


 弟の心無いリアクションに傷心していると後ろから抱きしめるようにして体を寄せてきた獣人のメイド。

 19歳となった彼女は可愛らしい猫耳と出るところが余すことなく出てなお引き締まった健全な大人の色香で昔と変わらずに好き好きアピールをしてくる。

 女性としての理想的な丸みを持つ体つきは既に領内の男という男から視線を引き付けているほど。

 こちらとしてもいい加減男の情熱を持て余すのだが、本人はなおさらウェルカムと攻勢を緩めない。

 そんな彼女も従者として俺と一緒に学園に向かう為、準備に追われているはずなのだが。


「いつでもマイト様と駆け落ちする準備をしていた私には今更ですよ。


 なにせ私はいつだってマイト様と二人で出発できるよう準備万端なんです」


「……さいですか」


 堂々と駆け落ち宣言するチェシャに引く。

 兵役中は屋敷に帰る途中で何度も意識を失ってその都度彼女の世話になっていた。

 朝目が覚めれば身体中丹念に洗われた形跡があり、下着の着替えまですませてくれていたので頭が上がらない。

 なんか妙にスッキリした気分だと伝えれば寝ている間にマッサージまでしてくれていたという。

 尽くしてくれる彼女に申し訳ないので疑うようなことはしていないが、ミリアードが来て兵役が免除になる度に不服そう態度を隠さないのは気になった。

 結局ミリアードが来る頻度が月の半分で落ち着いたのも何らかの話し合いが彼女たちの間であったかららしい。

 迎えにきた公爵家の馬車に乗って五年ぶりのグレースメリアの屋敷に足を運ぶ。


「よく来たな」


 初めてきた時と同様にエドガーがエントランスで出迎えた。

 どんな挨拶をしたか忘れて途方に暮れた俺の横で何故かついて来た父親が礼を取る。

 何食わぬ顔で真似をして膝をついた。


「これから私の息子になるかもしれないマイト君はそんなことをしなくて良いのだぞ」


「エドガー様」


 何か良く分からない冗談を口にしたエドガーを父親が咎めると、誰かが走って来る足音。


「マイト!」


 頬を上気させて現れるミリアード。

 五年前ですらそこらへんの女子に周回差をつけるほどのプロポーションだったが、今の彼女は女神のようなナターリアと変わらぬ体つきに成長していて絶世の美女になる寸前の青さと美しさに溢れている。

 そんな女神に至る直前の美少女は抱き付きいてきそうなくらいの勢いで距離を縮めて来たかと思うと俺の後ろで眺めているチェシャに気づいて我に返り、ばつの悪そうな顔になる。

 だがそれも一瞬。

 チェシャに視線を向けていたのを俺に向けるなり柔和な笑顔を浮かべ、全身で歓迎の態度を示す。


「ついてきなさい」


 俺とミリアードの一部始終を満足気に見ていたエドガーに連れられ、全員が執務室へと案内された。


「単刀直入に言おう。


 娘のミリアードと婚約する気は無いかね。


 君ほどの男ならグレースメリアの未来を背負ってもらうのに申し分ない」


「お言葉ですが、マイトはラーナード家の嫡子として当主を継ぐ予定でございます」


 視線をバチバチとぶつけ合うエドガーと父親。

 埒が空かないことにため息を一つついたエドガー更なる手札をきる。


「マイト君の従者であるチェシャ……女史。


 君は十年以上前に亡んだ北の王国の王女だと調べがついている。


 北の流民たちが新たな旗印を探していて、亡国の姫君を見つけ出して担ぎ上げようとしているらしい」


 父親とミリアードが驚愕の表情でチェシャを見るが、俺の傍に控えたままの彼女は「それが何か」と態度を崩さない。


「亡国の姫を復興させる王国の女王に担ごうとしてる輩が今の君を放って置くかな。


 色々と難癖を付けてラーナード家から切り離し、望みもしない王配を――」


「ふざけるなッ!


 命を賭して逃がしてくれた父と母を裏切って私を捨てた連中が!


 今更どの面をさげて……私を担ぐというの」


 いつも甘々で横でずっとにへら~と笑っていた彼女が激情に任せて地団駄を踏む。

 そこに居るのは怒りの炎に憎悪をくべつづけた復讐鬼のような暗い顔。


「嫌よ。絶対に嫌。あんな連中の女王なんて絶対にならない。なってやるもんですか。


 私は見つけたの……私の全てを捧げられる相手を」


 これまでずっと閉じ込めていた激情の蓋を開けたように叫ぶチェシャ。

 頭を掻き毟る姿を見て居られず、肩を抱いてその腕を手に取った。

 俺に抱き留められていることに気づいた彼女はひしっと抱き付いてきて身を震わせる。

 ミリアードはその一部始終を痛ましげに見ていて、嫉妬する気配はない。


「エドガー様」


 短く息を吐いて前髪を掴んで後ろに流す。

 態度と空気が一瞬で変わった俺に、横で見ていたミリアードと父親がギョッと目を丸くした。


「命がけで貴方の娘を庇った私の従者を脅すとは、一体如何様な了見でしょうか。


 どうか納得のいく理由をお聞かせ願いたい」


 エドガーを見据え、視線をぶつける。


「か、勘違いしないでくれ。


 私はあくまでそのような勢力があると告げただけで君の従者を売るつもりなど毛頭ない。


 それにミリアードとの婚約を提案したのも君とチェシャ女氏の身を守るための方法としてだ」


 狼狽えたのを取り繕う余裕も無いのか、エドガーは捲し立てるように言葉を並べる。


「それはどのようなどのような方法でしょうか」


「う、うむ。恐らくラーナード子爵家ではチェシャ女氏を女王に担ごうとする勢力を無視するのは無理とは言わないが、難しいだろう。


 そこで、グレースメリア公爵家が文句のつけようのない地位を持たせることでそいつらを黙らせるのだ」


「つまり……私をグレースメリア公爵家次期当主に据え、チェシャを第二夫人にでも迎えさせるのですか?」


 エドガーの表情が凍り付く。

 そんなに意外だろうか。女王に担がれるほどのチェシャに相応しい立場を与えるとなるとそれぐらいしか思いつかない。


「それではミリアード様の気持ちはどうなるのです。


 命がけで救けてくれた相手でこそあれ、好きでもない男性を婿に迎えるなど――」


「わ、私は最初からマイトのことを好きだった!」


 いきなり割り込んで来たミリアードの言葉に今度は俺が凍り付く。

 何を言っているのか分からない。なんでそんなことを言い出したのかも分からない。


「五年前からラーナード家の麒麟児としてマイトの話を聞くたび気になって仕方がなかった。


 婚約の話だって、本当はもっと早く……でもラーナード子爵が猛反対するから」


 父親を見ると目を逸らされる。


「エラントも優秀だが、マイト。お前はそれ以上だ。


 早々にチェシャを嫁に迎えさせて当主に据えるためパーティーだけでなく妻にも頼んで茶会で自慢してもらっていたんだ。


 けれど、それでミリアードお嬢様の目に留まってしまったのは全くの想定外だった」


「マ、マイト様?!」


 俺は頭に手をあててその場にうずくまる。


「王族から討伐の討ち漏らしで迷惑をかけたことに何かしら賠償の話はなかったのですか?


 望めば王子との婚約だって可能だったはずです」


「国王の方から王子との婚約の打診ならばあったがミリアードの意向もあって断ったぞ。


 グレースメリア公爵家はそんな政略結婚など必要ないだけの地位と権力はある」


 気を取り直したエドガーは自慢げに髭をくゆらせた。

 未来を変えたことに安堵して情報収集を怠っていた己を呪う。

 ミリアードが王子との婚約を辞退していた?

 しかも、俺がミリアードの婚約者?!


「マイト様? 私はマイト様と共に居られるのならどんな立場でも構いませんよ。


 ですが……まさか私に女王になれなど仰いませんよね?」


 ハイライトの消えたチェシャが背後に迫る。

 やばい。この表情は本気の赤信号だ。


「どうかグレースメリアに来てくれ。マイト。


 決してチェシャを粗雑に扱ったりもしない。この血と誇りにかけて約束する。


 彼女を利用するだけの連中に渡して望まぬ女王にするなどもってのほかだ。


 だから、わ、私を選んで!」


 父親は何も言わず目を閉じている。

 俺とチェシャに苦しい道を進ませるぐらいなら子爵の地位はエラントに継がせればいいという境地なのだろう。

 俺はミリアードに負い目を感じるような事態を避けるために命だって賭けたというのになんでこうなった。

 チェシャのことは好きだし、行く行くは嫁に迎えるつもりだった。

 それこそ愛する女性はチェシャ一人のつもりでいたので、いきなり二人を愛することになっても気持ちが追いつかない。

 だからといってチェシャの為にグレースメリアに婿入りして俺の気持ちが定まってないミリアードを嫁にするなど、彼女に一途な愛を捧げさせたゲームのシナリオと大して変わらないじゃないか!!


「マイト」


「マイト様」


 前門のミリアード。後門のチェシャ。

 決断を迫って体を寄せてくる二人の感触で頭がパンクしそうだ。

 雑念に囚われてぐるぐると空回りする頭にどこか冷静な自分が匙を投げた。


 どうする?


 どうする?!


 どうしよう!!!


 答えは出てるようなものだ。しかしそれでは……。


 俺は、俺は、俺は――マイト・ラーナード子爵令息は負い目を感じたくない!


 それが目標だったのに!


もっと削ることが出来たはずだし短くできるはずだった。


ぶっちゃけ自分にラブコメの才能はなかった。すまんな。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素晴らしい物語でした。 それぞれのキャラクターが活きていて 読んでいて飽きがなく、ワクワクした気持ちで 最後まで読めました。 [気になる点] 短編なのが残念。 幼少期編から学園編・・・et…
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