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熱い日  作者: 村岡みのり
7/11

火傷と写真

今回より史実とはいえ、残酷、及び不快な描写が多くなります。

途中で無理だと思ったら、読むことを中断し、ブラウザバックを行って下さい。







 祖母が被爆したのは、現在で言う広島駅の裏側。広島市東区だと学生時代、親戚に教えてもらったことがある。

 つまり勤めていた会社があった場所だが、初めて大まかとはいえ被爆した場所を聞いた時は、爆心地に近い。よく生き延びられたものだと驚いた。

 自宅があった場所は不明だが、ノートの内容から会社とさほど離れていないと思われる。他の記述内容から、同じく東区に位置していたのではないかと、見当もつけている。




 なおこれより遺品ノートからの原文は、漢字等はノートの通りに記す。ただし句読点に関しては途中から記述がなくなったので、そこで少し空白が設けられている所へ私が判断し、読みやすいように句読点を入れさせてもらった点をご了承いただきたい。

 なかなか読むには難しいと思われる文章ではあるが、祖母の生の声ということで、原文のままを、お許し願う。




 8月6日。

 解除のサイレンが鳴り、仕事をしていた祖母。




――――仕事をしていると、ひこうきの音がきこえてきたので私は戸外に出、空を見ると東北の所にギン色のヒコウキが二機、私ははっきりと見る事ができました。

(遺品ノートより)




 この内、一機が原子爆弾を積んだエノラ・ゲイである。

 もう一機については詳細を現在調べているが、当日用意されたB29の内、観測用があったので、それではないかと考えている。

 こうやってこの作品を書いていると、いかに自分が無知であるか思い知らされる。学生時代、毎年平和学習という名の授業があり、原爆について教わっていたはずなのに。真面目に聞いていなかった頃もあり、つくづく己の残念さに嫌気がさす。またどこから、どう調べていいのか手探りで、この題材を扱うことの難しさを痛感している。

 だがいつまでも私自身の卑下を嘆きを書く訳にもいかないので、先へ進める。


 当日、広島、小倉、長崎の気候情報が偵察により送られた。広島と長崎の上空は良好と言われ、広島への原爆投下に問題なしと判断された。




――――友達もヒコウキを見るため、食堂にメガネを取りに行くと云って、戸外に出られたと思うとたんに、とつぜん稲光の光が空全体に光り、あっと思ったら大きな音がして、広島の町空が夜の様に眞暗になり、その友達がどうしようと大きな声でさけび、私も思はづ大きな声であっと言って手で目をおい、背中を外にむけ家の中にむき、じっとしていました。その時の事、その時間の長い事。するとだんだんほのぐらくなり、家の中では他の人が助けて、助けてと叫んでいました。私は入口近くにいたので背中を少しやけどしただけです。その位いのやけどは、やけどの中には入りません。

(遺品ノートより)




 『家の中』というのは、おそらく会社のことだろう。

 そして祖母の背中に火傷の痕があるという話は、幼いころから聞かされ知っていた。ただそれがどんな大きさで、実際にどんな状態の痕だったのか、私は知らない。幼いながらも、人に傷痕を見せてくれとは言えなかった。


 祖母は人前で、着替えをほとんど行わなかった印象がある。

 祖母と一緒に、お風呂に入ったこともない。

 火傷の痕を見られたくなかったのか、見せたくなかったのか。

 亡くなった今では、知ることはできない。




 被爆者の火傷について、私の脳に、ある写真に写った一人が強く残っている。


 それまでも毎年学校で行われる平和学習で、被爆された方々の写真を多く見ていた。

 脳内に残っているその写真は、生徒の目から隠されるよう、ある部屋の奥に……。他の教材の後ろ、そのまた後ろに置かれていた。


 あの日、友人が先生に頼まれ、準備室へ教材を取りに行くと言うので、何人か滅多に入れない場所だから一緒に行くと言い、私も加わった。普段は立ち入れない部屋は珍しく、授業で使われる大きなコンパス等を見つけては、はしゃいでいた。

 あんなのがある。こんなのがある。そう言っては部屋の中を探検のように動き回っていると……。


「あっ、毎年平和学習で見せられるパネル(写真)があるよ!」


 一人、隠されていたパネルを偶然見つけ叫び、皆が集まった。


「これって、ここにあったんだ」

「毎年見せられるけれど、気持ち悪いよね」


 幼い頃から見せられていたからか、案外耐性があるのか、『気持ち悪い』と言いながらも笑い、余裕を見せていた。


 今思えば『気持ち悪い』とは失礼な発言である。だが当時の私にとって白黒写真は、現代と違い遠い過去であり、現実とは思えなかった。


 広島市とはいえ、学校や世代で異なるが、私の母校はパネルを見せ、直接当日を知る人たちから毎年体験談を聞かされていた。

 正直、特に小学生の頃は楽しくない話に、またこれか……。と、飽き飽きしていた。今となっては貴重な体験で、真面目に聞かなかったことが悔やまれる。


 子どもにとって戦争の話など遠い過去であり退屈で、初めてパネルで被爆された方の姿を見た時などは、叫んだり、『化け物!』、『気持ち悪い!』と言ったりし、思い返せば……。酷い子どもたちだった。

 それでも興味はあり、手で顔を覆い、指の隙間からチラチラ見る同級生も多かった。私もその一人だ。

 年々、先生がパネルを取り出せば、くるぞ、くるぞ。となり、まるでお化け屋敷やホラー映画のように、わざとキャーキャー言うことさえ恒例となっていたように思える。

 こうやって書くと、とんだ子どもたちであったことは否定しない。だが中には本気で怖がり、真剣に向き合っていた子どもがいたことは、本人たちの名誉を傷つけたくないので、記しておく。


 なお学校によっては、パネルを見せられた記憶がない。体験談も直接聞いた覚えはないと言われた。そのため被爆者の写真を初めて見たのは、いつどこか、よく分からない人もいる。

 確かに様々な場所で展示されたりし、私も平和学習で見たのが初めてだったのかは、記憶が定かではない。ただ自分より年配の方と話すと、最近は残酷な写真が展示されることはなくなったね。昔はもっと、すごい写真が当たり前だったのに。それとも自分たちが慣れてきたんかね。そういう会話を交わすことは多い。


 学生時代。当時は遠い過去のことで、自分たちには無関係で、なぜ平和学習が行われ、原爆反対と言われるのか。それを根本的に理解していなかった。だからそうやって平気に、遊び感覚で授業を受けていたのかもしれない。そして平気で、気持ち悪いと言えていた。


 準備室で見つけたパネルの数は多く、見たことがあるものから始まり、めくるたび、覚えがない写真ばかりになった。


「これ、見たことがないね」


 最初は余裕があった。

 でもめくるたび、続く悲惨な写真に皆黙り始め、ついには泣いて逃げ出した子まで出た。


 なんだかんだ言いながら、原爆に関する写真は見慣れていると思いこんでいた。しかし隠されていたパネルは、それまで目にした内容の比ではなかった。あまりに酷く、段々と誰もなにも言わなくなった。



 その中で一枚、忘れられない写真がある。


 そこに写っていたのは、一人の女の子。



 まだ幼く丸い顔。小学生にもなっていない年令かもしれない。当時の私より、ずっと、ずっと幼い女の子。


 フィルターを見つめる目、表情には感情がなく、なにを考えているのか、感じているのか伝わってこない。分からなかった。


 それより衝撃だったのは、顔が、全て火傷で覆われていた。

 白黒写真でも分かった。顔中がブツブツと水泡のように盛り上がったりし、凹凸のある黒い火傷だと。顔面全体がそれで、酷いとか気持ち悪いと思う前に、あまりの衝撃に目が離せなかった。

 もうこの頃には多くの友が逃げていた。残っていた面子も、誰かの「もう出よう」の一言で、逃げるよう部屋を去った。


 準備室を後にし、廊下を歩いていた時、誰かが言い出した。


「……なんで先生たちが原爆を使ったらいけん(駄目)って言うんか、分かった」

「うん、あんなん、使っちゃいけんよね」


 結局私たちは幼い頃から原爆について教わりながらも、よく理解していなかったと思い知らされた。そして先生たちがあまりに残酷で、きっと私たちが衝撃を受けるからと隠していたパネルたちにより、考えが一変させられた。

 なぜ二度と使用してはならないと繰り返し言われるのか、ようやく理解したのは、授業ではなく、偶然見つけたパネルたちから教わった。それでもそこに至るまで、毎年受けていた授業で見せられたパネルと比較できたからこそ、姿勢を改めることができた。

 退屈と思っていた学習時間も、無意味ではなかった。




 あれ以来、あの写真、あの女の子を見たことはない。

 だけど今もあの女の子が忘れられない。あの顔が焼きついている。

 私の考えを変えた、名も知らぬ女性である。




 衝撃的な写真が人に与える影響は大きいだろう。

 だがあまりに衝撃すぎると、それを見せる相手の年令等を考慮し、伏せる必要があると判断するのも当然だろう。

 私も自分を変えたあの写真を手に入れたら、誰かに見せるかと問われると、否である。

 だがそういう写真が、なぜ核兵器を廃絶させるという考えに結びつくのかが分かるのも、また否定できない。

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