表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
熱い日  作者: 村岡みのり
2/11

偶然

「なにか書いてあったのは、全部燃やしたよ」


 それを聞き、私は崩れた。


 祖母が亡くなった頃、コロナにより県外移動が自粛されていた。加えて見慣れぬ顔を見かけたら近所の人が不安になるからと、我が家は葬儀に参列できなかった。

 四十九日の法要にも参列できず、やっと祖母の元へ行けた時は全て終わっていた。


 それでもまだ祖母の荷物は全て片付けていないと聞き、ノートの山を見つけ、飛びつき内容を確認しようと開いた。

 が、どのノートにもなにも書かれていない。

 近所に住む親戚に尋ねると、なにか書いてある部分は、すでに破って燃やしたと言われた。それが冒頭である。


「その書いてある部分が読みたかったのに……」


 崩れ、ぼやく。

 それというのも、あの時の電話で祖母が言っていたのだ。



「あの時のことはおばあちゃん、ノートに書いとるけえ。じゃけえ、おばあちゃんが亡くなった時、みんさい(読みなさい)



 それを伝えると、親戚は知らなかったと驚いていた。

 その様子に、しまった、亡くなった時に伝え保管しておいてもらうべきだったと後悔した。だけどまさか知らないとは思わなかった。皆知っていると思いこんでいた。


 祖母がノートについて伝えたのは私だけだったのかは、分からない。過去に教えてもらっていたのに、忘れた人もいるのかもしれない。ただ亡くなった当時、ノートの存在を知っており覚えていたのは、どうやら私だけだったようだ。そしてその内容を読みたいと思っていたのも。

 読みたいと思っていたのなら、きちんと伝えるべきだった。捨てられることはないと勝手に決めつけ、なぜ行動しなかったのか。激しい後悔に凹んだ。


「人の書いたもん、じろじろみるもんじゃないし。ぱらっとしか見とらんけど、多分、書いてなかったと思う。書いてあったかもしれんけど、(原爆)手帳も返却したし……」


 その通りである。人の日記とか、他人が読んで良いものではない。その通りではあるが……。しばらく机にうつ伏せた。


 なにも語らず逝った祖母が残していたはずの言葉は、失われた。



 と、ここまで書けば思われるだろう。



 だが一冊だけノートが遺っており、それは今、私の手元にある。


 私が探していたのは、他にもノートがなかったのか。本当にこの一冊だけなのかを知りたかったから。なにしろ電話では一冊だけとは言われなかった。複数冊ある可能性もあったので、一冊だけか否か、それを知りたかった。


 この唯一のノートが現在も遺っているのは、本当に偶然である。

 あの電話からしばらくし、病に罹った祖母に関する書類を持って親が帰宅した。その中に一冊の古いノートがあった。各保険等の書類の中にあるノート。なんだろうと思い開くと、そこにはあの日の体験談が書かれていた。



「これっ、おばあちゃんが言っていたノート!」



 こうして偶然にもノートは存命中に祖母の手元から離れ、私の親の元へ渡った。だから当時親に、絶対に捨てないでくれと頼んだ。

 ただあの頃は、亡くなってからみんさいと言われていたので、読んでしまったと言い辛く、目を通したことを黙っていた。だからノートがこれ一冊なのか、他にもあったのかは、結局分からない。


 唯一遺ったノート。


 そこに記された内容の引用、参考については現所有者から許可を頂けた。

 ただし実名を伏せる等、条件を出された。これがタグの一つが『基本ノンフィクション』となっている理由である。

 名前が必要な部分は仮名とすることが遺族の意思なので、読まれる皆様はその点を了解して頂きたい。



 何も語らず他界した被爆者の体験談。

 それは他の被爆者の体験談と大きく異なる内容ではない。だが『私』という人間の親族、そしてルーツとなる話。話さないと決めつつ、ノートに記し残していたということは、なにか祖母の中で葛藤があったのかもしれない。



 誰も知らない、ある一人の女性被爆者の体験談。

 それは私の知らない祖母の過去でもある。

 生前語らなかったので、祖母がどれだけ身内を亡くしたのかも知らなかった。ノートには片鱗しか書かれていない。それでもやはりあの日、私は顔も名前も、存在すら知らなかった身内を亡くしていたと知れた。


 ノートが遺っていなければ……。


 偶然ノートを入手していなければ。


 そもそも祖母が書いていなければ。


 祖母の身に……。身内になにが起きたのか、私は一生知ることができなかった。


 改めて条件付きとはいえ、ノートの使用に対し許可を出してくれた親に感謝を述べる。

 ノートについては資料館への寄贈も身内で話し合われたが、結果、寄贈しないことで決まった。それが現在存命している遺族の意思という点も、ご理解頂きたい。



 ノートだけではない。もしあの日祖母が命を落としていたら。

 私は産まれておらず、『村岡みのり』として書いた作品も生まれなかっただろう。だからあの日は惨劇だけでなく、『私』という人間のルーツにもなっている。



挿絵(By みてみん)



 写真のノートが現物です。表紙に書かれた筆跡から故人が特定されることを防ぐため、文字が書かれている部分は意図的に隠しております。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ