偶然
「なにか書いてあったのは、全部燃やしたよ」
それを聞き、私は崩れた。
祖母が亡くなった頃、コロナにより県外移動が自粛されていた。加えて見慣れぬ顔を見かけたら近所の人が不安になるからと、我が家は葬儀に参列できなかった。
四十九日の法要にも参列できず、やっと祖母の元へ行けた時は全て終わっていた。
それでもまだ祖母の荷物は全て片付けていないと聞き、ノートの山を見つけ、飛びつき内容を確認しようと開いた。
が、どのノートにもなにも書かれていない。
近所に住む親戚に尋ねると、なにか書いてある部分は、すでに破って燃やしたと言われた。それが冒頭である。
「その書いてある部分が読みたかったのに……」
崩れ、ぼやく。
それというのも、あの時の電話で祖母が言っていたのだ。
「あの時のことはおばあちゃん、ノートに書いとるけえ。じゃけえ、おばあちゃんが亡くなった時、みんさい」
それを伝えると、親戚は知らなかったと驚いていた。
その様子に、しまった、亡くなった時に伝え保管しておいてもらうべきだったと後悔した。だけどまさか知らないとは思わなかった。皆知っていると思いこんでいた。
祖母がノートについて伝えたのは私だけだったのかは、分からない。過去に教えてもらっていたのに、忘れた人もいるのかもしれない。ただ亡くなった当時、ノートの存在を知っており覚えていたのは、どうやら私だけだったようだ。そしてその内容を読みたいと思っていたのも。
読みたいと思っていたのなら、きちんと伝えるべきだった。捨てられることはないと勝手に決めつけ、なぜ行動しなかったのか。激しい後悔に凹んだ。
「人の書いたもん、じろじろみるもんじゃないし。ぱらっとしか見とらんけど、多分、書いてなかったと思う。書いてあったかもしれんけど、(原爆)手帳も返却したし……」
その通りである。人の日記とか、他人が読んで良いものではない。その通りではあるが……。しばらく机にうつ伏せた。
なにも語らず逝った祖母が残していたはずの言葉は、失われた。
と、ここまで書けば思われるだろう。
だが一冊だけノートが遺っており、それは今、私の手元にある。
私が探していたのは、他にもノートがなかったのか。本当にこの一冊だけなのかを知りたかったから。なにしろ電話では一冊だけとは言われなかった。複数冊ある可能性もあったので、一冊だけか否か、それを知りたかった。
この唯一のノートが現在も遺っているのは、本当に偶然である。
あの電話からしばらくし、病に罹った祖母に関する書類を持って親が帰宅した。その中に一冊の古いノートがあった。各保険等の書類の中にあるノート。なんだろうと思い開くと、そこにはあの日の体験談が書かれていた。
「これっ、おばあちゃんが言っていたノート!」
こうして偶然にもノートは存命中に祖母の手元から離れ、私の親の元へ渡った。だから当時親に、絶対に捨てないでくれと頼んだ。
ただあの頃は、亡くなってからみんさいと言われていたので、読んでしまったと言い辛く、目を通したことを黙っていた。だからノートがこれ一冊なのか、他にもあったのかは、結局分からない。
唯一遺ったノート。
そこに記された内容の引用、参考については現所有者から許可を頂けた。
ただし実名を伏せる等、条件を出された。これがタグの一つが『基本ノンフィクション』となっている理由である。
名前が必要な部分は仮名とすることが遺族の意思なので、読まれる皆様はその点を了解して頂きたい。
何も語らず他界した被爆者の体験談。
それは他の被爆者の体験談と大きく異なる内容ではない。だが『私』という人間の親族、そしてルーツとなる話。話さないと決めつつ、ノートに記し残していたということは、なにか祖母の中で葛藤があったのかもしれない。
誰も知らない、ある一人の女性被爆者の体験談。
それは私の知らない祖母の過去でもある。
生前語らなかったので、祖母がどれだけ身内を亡くしたのかも知らなかった。ノートには片鱗しか書かれていない。それでもやはりあの日、私は顔も名前も、存在すら知らなかった身内を亡くしていたと知れた。
ノートが遺っていなければ……。
偶然ノートを入手していなければ。
そもそも祖母が書いていなければ。
祖母の身に……。身内になにが起きたのか、私は一生知ることができなかった。
改めて条件付きとはいえ、ノートの使用に対し許可を出してくれた親に感謝を述べる。
ノートについては資料館への寄贈も身内で話し合われたが、結果、寄贈しないことで決まった。それが現在存命している遺族の意思という点も、ご理解頂きたい。
ノートだけではない。もしあの日祖母が命を落としていたら。
私は産まれておらず、『村岡みのり』として書いた作品も生まれなかっただろう。だからあの日は惨劇だけでなく、『私』という人間のルーツにもなっている。
写真のノートが現物です。表紙に書かれた筆跡から故人が特定されることを防ぐため、文字が書かれている部分は意図的に隠しております。