太陽を西から昇らせる方法
長屋ばかりが並んでいる中、その中心には場違いなほどに巨大な広告塔が一本立ち尽くしていた。彼の顔であるその大きな液晶パネルは四方に取り付けられており、すべての方角に向かって自らの存在を誇示している。だが、それでもまだ足りないかのように、その広告塔はきらきらと輝く電飾たちでどこもが飾り立てられていた。しかしそれは煌びやかというよりは、物々しさばかりを思わせる。
何より、その画面の中では男が一人、威風堂々と声を張り上げているのだ。
「完璧である我が国は、昨日またしても天気予報の的中記録を更新致しました。これは究極の域に到達している我が国の科学技術でこそ為せる業であり、そしてこれが為に我が国は今なお永遠の経済的発展を遂げ続けているのです。我が国の日々は、毎日が人類未踏の地への到達に他なりません。私は毎日、報道官としてこの喜びを皆様と分かち合えていることが嬉しくてたまりません。万歳! 万歳! 万歳!」
彼は感極まって溢れ出て来た涙で顔をくしゃくしゃにしながら、諸手を挙げて絶叫していた。しばらくの間、彼の嗚咽が響いていたが、何とか顔を上げると最後に一言だけ付け加えた。
「それでは、最後に本日の天気予報をお伝えします。東から南へと太陽が昇り、最後は西へと沈むでしょう。」
ぶつん、という音を最後に、その液晶画面は真っ暗になった。広告塔の電源が切られたらしい。
「あはははは」
井戸の周りから、梅雨のこの時期には珍しい晴天の青空に、からからと響く三人の笑い声が上がった。
「いやあ、今日もテンさんは絶好調ね」
と、例の報道官を揶揄するレイ。
「あんまり笑い過ぎちゃっても悪いとは思うんだけれど、さすがにこれはね」
隠しきれない笑みと共に答えるのはイチコ。
「あはははは」
最後の一人の女の子、そして二人よりも少し年下のニナは、まだお腹を抱えてころころと笑っていた。
『愚かであることは、賢くあることと同様に難しい』。以前レイがどこかで読んだ小説に書かれていた一文だ。こう実例を見てしまうと、なかなかに的を射ている言葉だとレイは思う。私はどう頑張ったって、あの報道官のようにはなれない。さっきはつい馬鹿にするような台詞を吐いてしまったが、天気予報として大真面目な調子であんな内容を堂々と伝えられるなんて一種の才能だ。
――少しあの人を見習って、自分にも出来ないか試してみよう。
「『最後に本日の天気予報をお伝えします。東から』、ふふっ、『東から南へと』、くふふっ――」
「あはははは。レイちゃんやめてよー。うー、笑い過ぎてくるしい」
声を低くし、背筋を伸ばし、真面目くさった調子で続けようとしたのだが、漏れ出してくる笑い声に邪魔されて、とても最後まで言葉が続かない。ニナは今の物まねで、またより一層笑い出した。
どれだけ飽きっぽく、いい加減な人間ばかりが集められているのか、お上はやること為すことどれもが的外れだ。「行政効率化のため」という名目で、新生児たちには名前ではなく番号を付けることと定めたのだが、あちらこちらで数字が被ってしまい、結局すべては中途半端なままで放り出されてしまっている。三人の、そして例の報道官の名前は、その時に割り振られた番号から自然に馴染んで行ったあだ名みたいなものだ。結局こちらの方が一般的なものになってしまい、もとの自分の番号なんて三人のうちの誰も分かっていない。だが、そんなの同年代の誰もが同じだろう。男なら一郎、次郎、三郎ばかりだ。先進的を標榜して出て来た話だったはずだったのに、一周回って随分とのどかな名前ばかりが増える結果となってしまった。
ただ、破綻した経済を開き直ることでここまでやって来た時代だし、こんな風に昔っぽさを感じてしまうのんびりした空気も悪くないんじゃないかな、とレイは思う。
「あー、すっごい面白かった。また天気予報してくれないかな」
ツボにはまっていたらしいニナもやっと落ち着いたようだ。
「ニナは笑い過ぎだって。ふふっ」
イチコはそう口にしたが、当の本人が隠しきれない笑みを零していた。
「まあ確かにイチコの言う通り、テンさんがぶっ飛んでいるのはいつものことではあるんだけどね」
レイも笑いながらそう答えていたのだが、その時同時に、勝気な感情が自分の中から変な考えを掘り起こして来た。
「――でも、あんなお馬鹿なことを堂々と叫びながら、当人はインテリのつもりで気持ちよくなっているのを見せられるとなんだか腹が立ってくるわね。だってきっと、作っている側の人間は高尚なつもりであんなもの垂れ流しているのよ?」
「…本当にキッツいなあ…。」
イチコがぼそっと呟いた。自分だって似たようなもののくせに、という言葉がレイの中を横切ったのだが、それを口にするより早く、ピンという音を立てて頭の中で何かが閃いた。
「そうだ! じゃあ、明日はあのふざけた天気予報を外させてやりましょう! それであいつらの鼻をあかしてやるの!」
「…え、どういうこと?」
疑問符を頭に浮かべながら尋ねて来るイチコに、名案に対する自負からレイは笑顔で答えた。
「つまり、明日は太陽を西から昇らせてやるのよ!」
「レイちゃんすっごーい!」
ニナは目をきらきらと輝かせながら歓声を上げてくれた。
「そんなこと、絶対にレイちゃんしか思いつかないよ!」
「ふふん、そうでしょう?」
彼女の嬉しそうな表情もあって、レイはさらにご満悦だ。
「よし、イチコ。どうすれば良いと思う?」
「…え、丸投げなの?」
イチコは目を点にしている。
だが、期待で輝いているのニナの視線がそのままイチコの方へと向けられると、むしろ気圧されるように頭を回し始めてくれた。
「え、えっと、じゃあ、まずは大きな鏡を二枚用意するでしょ? それで、片方は青空を映しながらその後ろに太陽を隠しておいて、もう一枚は西側において太陽を映させておくとか…。よくある消失マジックみたいな感じで…。鏡はドローンから吊り下げておくような形にでもしておいて…。」
「うーん…! 種を知っちゃったマジックなんて見てても面白くないし、却下! ――いったい!」
イチコから額を小突かれた。少しわがまま過ぎたらしい。でも、イチコもニナには甘いくせに、私には厳しすぎると思う。
「じゃあその方法探しに、久しぶりに闇市行こうよ!」
イチコがこれ以上本格的に不機嫌にならない内に先手を打ってということなのか、ニナが話の向きを変えるようにそう提案してくれた。
「うん、そうね。たくさんのお店でも見ていればレイだって、また別のことに気が移って大人しくなるだろうし」
「もー、イチコごめんってー。そんな怒んないでよー」
まだイチコの矛先はレイに向けられていたのだが、ここはご機嫌取りで甘えた声を出してみた。ただ、イチコの表情からするに、あんまり効果は無かったらしい。
「じゃあ早速広告塔に行こうよ! ポータル使えばすぐだもの!」
しかし、またさらにニナがイチコの手を引っ張りながら言ってくれた。三人の中で一番幼く、いつもころころ笑う子なのだが、本当はどんな時も彼女はみんなの気持ちに気を遣ってくれている。
「わ、分かったから…。」
イチコもその無邪気な笑顔に根負けしたように、足を動かしてくれた。
広告塔の地下には、遠く離れた地点を直接結んでくれるポータルというものがある。その渦巻く青い光を通り抜けると、なぜだか距離に関係なく別の場所へと出ることが出来るのだ。原理は不明。しかし便利。どうやらかつてはお上の人間だけが独占にしていたようなのだが、給料が支払われなくなったのか管理の人間ももういない。そういうわけで、今は村の人たちでこの有り難い置き土産を自由に使わせてもらっていた。
レイたちはそのポータルを通り抜け、闇市通りにまでやって来た。
そこは数えきれないほどの多くの人々と、彼らの発するいつもの熱気と活気に包まれていた。商品を巡っての値引き交渉なのか、店主と客たちの取り交わす無数の怒鳴るような声があちらこちらから集って、辺りは喧騒に満ち満ちている。初めてレイが来たときはあまりの人の多さに驚くと共に、人の波に酔ってしまった覚えさえある。さすがに今はもうそんなことにはならないが、それでもこれだけの人々を見ているだけで、レイの胸にはわくわくとした楽しさが込み上げて来るのだ。
「うわあ…。ほんと、相変わらずすごい人の数ね」
「どこ行く? どこ行く?」
イチコとニナの言葉にレイはにんまりと笑顔を浮かべながら振り返った。
「実は、もう目的地は決めてあるのよ」
「え、レイちゃんほんとう?」
ニナがまた、いつもの期待を込めた視線をこちらに向けてくれた。
「え、まだあのバカな話諦めていなかったの?」
冷たいイチコとはまるで違う。
「こういう困ったときは、行くべき道を示してくれる賢者に出会う、っていうのが物語の筋ってものよ?」
しかしレイは、そのイチコの視線に一切負けること無く口にした。
「つまり、まずは占い師のハナさんのところ!」
「それって結局いつものところじゃない…。」
イチコはつまらないことばかりを言う。
「うん! 私も行きたい! なんか久しぶりだもんね!」
やっぱりニナは素直でかわいい。
お目当ての占い師は表通りから少しだけ路地に入ったところ、つまりはいつもの場所にいてくれたのですぐに見つかった。
「げっ、三人娘…。」
机、紫のテーブルクロス、水晶玉、薄暗い路地裏で、本人はローブ姿。そして、彼女自身にはどこか大人っぽい色っぽさまである。ミステリアスな占い師として、これ以上ないほどに完璧な雰囲気づくりに成功している。むしろ、こてこてとさえ言って良いくらいだ。ただし、私たちを見てからの開口一番の台詞を除く。
「ハナさんこんにちは!」
たった今の彼女の反応など気にも留めず、ニナが駆け寄って元気にあいさつした。
「うん、こんにちは…。…な、なによ、あんまり居座らないでよ?」
彼女はニナにはあいさつを返したものの、なぜかこちらを見て戦々恐々としている。
「あっ! なんであろうと、とにかく料金は先払いだからね!」
こちらが何か言うよりも早く、先手まで打って来る。
「もー、やめてくださいよ、ハナさん。料金だったらいつも払っているじゃないですか」
「今日もちゃんと持ってきたよ? はい」
レイが言いながら近づくと、ニナが懐から卵を一個取り出した。
「ぐ、ぐ、ぐ…!」
「う…。じゃあ、もう一個あげる…。」
「じゃあ、私からも一個出すから。これで丁度三つだし、三人分ってことね」
不満そうなハナに気圧されて、ニナはさらに卵をもう一個、レイはじゃがいもを一個テーブルの上に置いた。
「だからそうじゃなくて…! なんでお金じゃないのよ! いっつも野菜とか豆とかそのまま置いて行って…!」
「だって、お金なんて私たちの村じゃ見ないんだもん」
「でも、お金って結局食べ物と交換するものなんでしょ? それなら最初から食べ物貰った方が手間も省けるじゃん。それに、その辺のお店で買うよりもずっと美味しいと思うよ? うちの村産なんだから」
「そういう話をしているんじゃないの!」
いよいよハナが怒り出した。
イチコはさっきから少し後ろで、恥ずかしそうにそっぽを向いている。
「…それで、何を占って欲しいの」
しばらくして、いよいよ根負けしたらしいハナがそう言ってくれた。
「太陽を西から昇らせる方法を教えて」
レイはそのまま口にした。せっかくみんなで並んで椅子に座ったイチコなのに、また顔を赤くして俯いている。
「あら。なんだ、思ったより詩的でロマンチックな言い回しじゃないの」
「え? えへへ、そ、そうかな…?」
声には出さずとも、ハナの言葉にイチコは驚くと共に今度は顔を上げていた。なんだか忙しない。しかしレイ自身もまさかそんなことを言われるとは思っていなかったので、変な照れくささを覚えて、ちょっとまごついてしまった。
「まず、太陽って言うのは繁栄の象徴でしょ。そして、西って言うのは仏教では極楽浄土のある方角。つまり『太陽を西から昇らせる』っていうのは、極楽の光で世界をあまねく照らす、くらいの意味になるのかしら」
「へ、へえー…。」
さすがに本職だ。なかなかにそれっぽいことを言ってくれる。
「…なに、そういう意味じゃないの?」
こちらの頷き切れない表情に気付いたのか、ハナは怪訝そうな顔で口にした。
「さっきの天気予報が気に入らないから外れさせてやろうって、レイが負けん気から言い出しただけです。」
「あー、うん。その方がレイっぽいわ…。」
イチコが勝手に言葉を引き取って告げ口すると、ハナにはしみじみとそう言われてしまった。いったいどういうイメージを持たれているのか。
「と、とにかく、なんでも良いからその方法を教えてよ!」
なんだか今度はこっちが気恥ずかしくなって来てしまったのだが、そんな思いを振り払うためにもレイは声を張り上げた。
「いや、さすがにその方法となると私にもちょっと分からないし…。というか、イチコちゃんの話からすると、あんたこういう比喩的な意味での話をしに来たんじゃないんでしょ? 本当に太陽を西から昇らせたいんじゃないの? 地動説ってちゃんと知ってる?」
今度は馬鹿にされている気がする。しかし、悔しいのだが何も言い返せない。
その時、なぜだか急に大通りの方で人が慌ただしく動き始めた。この細い路地裏からだと向こうの様子なんて、窮屈そうに向かい合った建物の隙間から少し覗ける程度にしか分からないのだが、それでもはっきりと見て取れるほどに、突然多くの人が忙しなく行き交い始めたのだ。その上、聞き慣れない機械音声まで聞こえて来る。
「みなさん、税金納付の時期となりました。未納の方は私のところまでお越しください。」
変なことを言いながら、大通りをふよふよと飛んで行く、真ん丸の黄色いボールがレイの目に少しだけ映った。
「なにいまの?」
「あー、タマちゃんね。えっと、確か今回の当番は私だから――」
まるで訳の分からないことを言うと、ハナはこちらに背を向けて、ごそごそと自分の荷物を調べ始めてしまった。
どうやら彼女自身もこの件で何かやることがあるらしい。
だがハナの様子からすると、騒ぎになっていてもあまり危険な話ではなさそうだ。レイがイチコとニナに目配せすると、彼女たちも頷いた。同じようなことを思ったらしい。三人は席を立って、大通りの方を少し覗いてみることにした。
「お金ください!」
「そ、その、確か俺はちょっと前に払った気がするから――」
するとすぐ目の前で、間と運の悪い男がそのボールに話しかけられていた。そのボールは声も話し方も、さっきまでと比べると随分直接的で子供っぽい。どうやら先ほどの放送は、誰かに録音してもらった音声をそのまま流していただけらしい。こちらがこの子の素のAIのようだ。
「…ねえレイ。あの子が欲しがっているお金も、太陽と同じ繁栄の象徴と言えるんじゃない? あの子丸いし、黄色いし、太陽っぽくて丁度良いじゃん」
そのボールの方を見ながらも、こんな時でもさっさとレイの願いを片付けたいイチコが変なことを言い出した。
「え、えー…。あのタマちゃんとか言う子が飛んでいることで満足しろって言うの…? なんかそれはちょっと――」
レイとしては当然不満なのだが、よくよく考えてみれば筋が通っているような気もしてしまって、なかなか切り返しにくい。
「えへへ。呼びました?」
しかし今のレイの言葉はタマにも届いてしまったらしい。タマはこちらへと振り返ると、点のような目をにこにこさせながら今度は三人の元へとやって来てしまった。その隙をつくように、タマに捕まっていた男もそそくさと逃げて行ってしまった。
「う、え、えっと…。」
「い、いや、私は別に――」
「あなたはなあに?」
イチコはうろたえて何も言えず、不意を突かれたレイも口をもごつかせていると、代わりにニナが言葉を引き取ってくれた。少し情けない気もするのだが、一番年下の彼女がこの三人の中で一番社交的だ。
「はじめまして! 私はタマです! みんなからお金を貰うのが仕事です!」
「よろしくね、私はニナ」
「よろしくニナ!」
タマは自己紹介が出来たことだけで嬉しそうに弾んだ。結構かわいいかもしれない。
「ニナ達はタマにお金をくれますか?」
やっぱりそうでもないかもしれない。
「うーん…。卵だったらあるよ?」
「タマは卵を食べられないのでいりません!」
それでもなぜか二人の会話は普通に成立しているようだ。なんとなく似ている所のある二人だからなのかも知れないが、普通に返せるニナは結構すごいとレイは思う。
「タマちゃんこっちよ。今回は私がみんなのお金預かっていたの」
そこに、どこから引っ張り出して来たのか、中身のぎっしり詰まっている袋を抱えたハナがやって来てくれた。
「あっ! ハナさん!」
タマも嬉しそうに彼女の方へと振り向くと、名前を呼びながらまた弾むように向かって行ってくれた。まるでお年玉をせがむ子供が向こうに行ってくれたように思えて、レイは少しほっとしてしまった。
「タマちゃんは今日も頑張ってるね?」
「そうです! タマはとても優秀なのです! 優秀だから電子マネーだけではなく、現金も受け付けられるのです!」
タマはハナに褒められて自慢げだ。点のような目しか無いのだが、不思議なことにしっかり表情が見える気がする。
「じゃあ、いつも通りこのお金結わってあげるから、こっちに来てね?」
「分かりました! タマは優秀なのでどんなアタッチメントにも対応できるのです!」
次に三人の前に戻って来たタマは、スイカ玉のように縛ってもらったロープからさっきの袋を吊り下げていた。ハナもなかなか器用だ。ただ、アタッチメントなんて洗練された言葉はとても似合わない。
「ハナさんありがとうございます!」
しかしタマはこれで十分満足らしい。そのまま嬉しそうに言葉を続けた。
「ハナさんのおかげで、タマはもう運び切れないほどのお金を集めることが出来ました! だからもう帰らなければなりません! だけど、これだけ持って帰ればタマはまた褒められてしまうに違いありません!」
「ふふっ、良いのよ。ただ、あんまり高く飛んじゃ駄目よ? 危ないからね。それと、ロープが緩んできたら誰かに結い直してもらってね?」
「分かりました! ニナもさようなら!」
「ばいばいタマちゃん」
ニナと並んで、ハナもにこにこ笑いながら手を振った。タマは上機嫌だ。どんどん離れて行くというのに、その楽しげな独り言が聞こえてしまうほどに。
「こんなに重いものを運べるタマは本当に優秀です! これだけ働けるタマは、もっともっとパワフルに働くためアップグレードされるべきなのです! やっぱり必要経費として、もう一度核融合炉を申請してみるのです! きっと今度こそ許可されるはずなのです!」
「…なんか危ないこと言ってない?」
もうタマにも聞こえないだろうと、レイはハナの方へと振り返って口にした。
「いや、さすがに通らないでしょ。…たぶん」
ぼそっと嫌な一言を付け加えないで欲しい。
「それより良いの? あんなにお金渡しちゃって」
「ああ、良いの良いの。どうせ小銭ばっかりだしね。全然大した金額なんかじゃないのよ」
レイはぽかんとすると同時に、なんだか腑に落ちてしまった。どうも気前が良すぎると思ったのだ。
「え、じゃあタマちゃんは、重さだけで満足して意気揚々と帰って行ったの?」
「うん、そう。かわいいでしょ」
レイは何も言えなかった。まあ、どうも口ぶりからしていつものことのようだし、タマも含めてあれでみんな納得しているのだから別に良いのだろう。
「あっ」
ハナがふと、何かに気が付いたように声を上げた。
「レイ。タマちゃんは太陽と同じ繁栄の象徴を持ったまま、空へと昇って行っているわよ?」
「え、ええー…。」
何を言うのかと思ったら、ハナもまたイチコと同じようなことを言い出した。
「だって、なんか俗っぽ過ぎない? タマちゃんはかわいいと私も思うけれどさ…。」
「まったく執着せずに手放したお金なんだから、俗っぽさとは正反対のところのものよ。」
また口のうまいプロっぽいことを言う。なんかズルい。
「だってハナさん、ケチって小銭ばっかり入れたのをタマちゃんに渡したんじゃん…。」
「細かいことを気にするんじゃないの。天下の回りものを天に返したには違いないんだから。こういうことの意味は金額の大小で変わったりするものじゃないの」
しかし、やっぱりまた言い返せない。一応とはいえ、それなりの回答になってしまっているのだ。ケチをつけるのも難しい。
だが、レイはまだ納得し切れない。ハナのところに居座って、もっと良い方法がある気がするからもう少し一緒に考えて、と邪魔していたのだが、タマの件で納得しなさいと諭されるだけだった。それでも諦め切れず、せめてヒントになるものくらいは見つからないかと闇市も回ってみたのだが、時間ばかりが経つだけで、ついには日まで低くなり始めてしまった。さすがにもう帰らなければ。
「うー…。なんか悔しい…。あれじゃあ物足りない…。」
村へと帰るため、ポータルのある闇市街の広告塔地下までやって来たのだが、レイは名残惜しさと共にぼやいた。
「良いじゃないの。あのくらいがちょうど良い落としどころだって。タマちゃん面白かったし。ね、ニナ?」
「うん! 久しぶりのお出かけ楽しかったね!」
イチコとニナは対照的に明るく元気だ。二人はタマの件で十分に目的を達成できたように感じているらしい。ハナの所を後にしてからは、普通に店の冷やかしとして楽しむことが出来たようだ。うまくいった気のしないレイとは疲れ方がだいぶ違う。
それでもみんなでわいわいと喋りながらポータルの前まで来たのだが、三人はそこでぴたりと足を止めた。
村まで通じるポータルの様子がなんだかおかしい。いつもは青い光の渦巻きなのに、今は赤い。
「え、どうしたんだろ。使えなくなっちゃったのかな…?」
「うーん…。…まあ、平気じゃない?」
とりあえず試してみれば分かるだろう。適当な考えと共に、レイは光の中へと足を踏み入れた。
「あ、ちょっと!」
後ろからイチコの声が聞こえて来たのだが、目の前には外へと繋がるいつもの階段がある。しっかり別の場所に出ることが出来たようだ。調子が悪いのは見た目だけで、どうやら普通に接続されているらしい。――まあ、広告塔なんてどこも似たような造りをしているから、ここがどこなのか区別なんて付かないのだけれども。
「大丈夫ー! ちゃんと繋がっているみたーい! ――わっ!」
最後まで言い切れるか切れない内にニナが、そして置いて行かれまいと慌てたイチコがポータルから飛び出して来た。
「よ、良かった…。ちゃんと通り抜けられて…。」
一番最後にやって来たというのにイチコはぺたりと座り込み、青い顔で胸に手を当てている。
「私が大丈夫って言ったのに怖がり過ぎだって。ほら、立てる?」
「いや、だって…。どうも信用できないのよ、これ…。――あれ?」
レイが手を伸ばし、イチコもその手を取ったのだが、彼女はまたぺたりと座り込んでしまった。
「イチコちゃん大丈夫?」
ニナが心配そうに彼女の近くへ駆け寄った。
「…まさかイチコ、腰が抜けちゃったの?」
「ち、違うし!」
イチコは赤い顔をしてムキになって言うが、何度立ち上がろうとしても彼女はぺたりと尻もちをつくだけだ。
ちょっとかわいいのだが、生まれたての小鹿よりも残念だ。
「じゃあお水でも持って来てあげるから、少し休んでなさいよ。ニナもイチコの傍にいてあげて?」
「うん、分かった」
レイは笑ってしまいそうになったのだが、さすがにかわいそうなので真面目な顔を取り繕ってニナに頼んだ。
「ちょっと待って! もうすぐ立てるから!」
「危ないって、イチコちゃん」
後ろから聞こえて来る二人の声を後に、レイは階段を上って地上へと繋がる扉を開けた。
「おいモモ! 楽器もカメラも十兵衛も、みんな準備出来てるんだからな! あとはお前待ちなんだぞ!」
「ちーちゃんうるさい! そんなに言うなら手伝ってよ!」
「逆に俺がクラッキングの手伝いなんか出来ると思うのかよ!」
見知らぬ男が三人いる。ちーちゃんと呼ばれた肩からギターを下げている男、モモと呼ばれたノートパソコンとにらめっこしながら激しくキーボードを打ち続ける男の子。そしてドラムセットの前で微動だにしない、恐らく十兵衛と思しき岩のような大男。
…よし、撤収だな。やっぱりポータルは不調らしい。
レイは踵を返すことにした。彼らが何を企んでいるのかは知らないが、少なくとも自分たちの村ではない。とても似つかぬ天を衝かんばかりのビルが何本も建ち並んでいる。確かに彼ら以外には誰もいなくて閑散としているのだが、そんなのうるさい上につまらないことばかりを言う広告塔の周りならどこだって似たようなものなのだ。イチコには悪いが、もう一度あのポータルをくぐる必要がありそうだ。
「お? お、おおおっ!」
しかしレイが彼らに背中を向けた途端、驚きと感激を含んだ声が上がった。
彼らの中で何かしらの成果が上がったらしい。パソコンと必死に向かい合っていたようだし、いったい何をしていたのだろう? そんなごく素朴な疑問が浮かぶと少し気に掛かってしまい、レイは振り返った。
誰よりも一番うるさかったギターの男が、目をキラキラと輝かせながら自分の方を見つめている。
レイは自分が完全にしくじってしまったことを悟った。
もう駄目だ。目が合ってしまった。絶対この騒ぎに巻き込まれる。
「モモ! お前ほんとすごいな! なんか広告塔の精霊さんみたいなのが出て来てるぞ!」
「ちーちゃん何意味の分からないこと言ってるのさ! 今佳境なの! ツッコんであげられる余裕なんてないんだから!」
ギターの男が大声を出したのだが、モモはノートパソコンから顔も上げずに口早に怒鳴り返している。
「え、接続はまだ出来ていないのか? ――あ、待って精霊さん!」
彼の目が逸れた隙にレイは逃げ出そうとしたのだが、しかしあっさりと腕を掴まれてしまった。
「な、なんですか! 私はただの迷子ですし! 関係ありませんし!」
レイは泡を食って叫んだ。今まで自分だってそれなりにトラブルを巻き起こして来たが、どう見たって彼らのぶっ飛び方の方が数段上だ。日常に少しだけ刺激を加える、程度の話では絶対に済みそうにない。本当に関わりたくない。
「そんなこと言わないでよ! 少しだけ力を貸して?」
しかし、このちーちゃんと言う彼はまるで話を聞かないタイプらしい。レイはそのままずるずると、抵抗空しく外にまで引きずり出されてしまった。
「精霊さん、俺たち今、そのカメラの映像をあなたの広告塔に映したいんです! 精霊さんの力で助けてください!」
ちーちゃんは三脚の上のカメラを指さしている。何を言われているのかはまるで意味が分からない。
「よーし、できた!」
レイはただ困り果ておろおろしていると、モモが大きな声を上げてエンターキーを打刻した。
ぶんっ、という音が鳴ると、何も映っていなかった広告塔のモニターに、レイたちの姿が映った。
「おおっ! 最高だ精霊さん! ありがとう!」
「ちょっと近い近い近い!」
テンションの振り切れたちーちゃんに抱き着かれそうになったが、レイは慌てて押しのけた。
胸がどきどきする。ただし、ときめきなんてまるでない。ただ普通に心臓に悪い。
「さっきからちーちゃんは何を騒いで――だ、誰その人!」
モモがやっと顔を上げて、こちらの姿に気付いてくれた。
レイもすぐさま視線だけでも彼に助けを求めた。彼の方がまだまともそうに見える。
「ちーちゃんさっきからその人に迷惑ばっかり掛けていたんでしょ! 女の子相手に掴みかかって、いったいなにしてたの!」
彼も視線の意味を理解してくれたらしい。期待にも応えてくれて、こちらに向かって来てくれている。
「な、なんだよ! 精霊さんは渡さないぞ! さっき手伝ってくれたんだから! 広告塔にちゃんと映るようになったのだって精霊さんのおかげで――!」
また飽きもせず、ギターの彼は引き続き訳の分からないことを言い出した。
「もー! ほんとうに馬鹿なんだから! 十兵衛お願い!」
いよいよ痺れを切らしたらしいモモがそう言うと、さっきまで微動だにしなかった十兵衛がぬっと立ち上がった。座っている時でさえ巨体に見えたというのに、実際に立ち上がるとまるで熊のような体格だ。
そして彼は、そのままずんずんとこちらにやって来る。
「お、おい! 十兵衛出すのはずるいっ――きゅう」
ちーちゃんは叫んだが結局抵抗することも出来ず、十兵衛に服の襟を掴まれそのまま摘み上げられてしまった。自身の体重で首が締まったらしく、さすがに彼も大人しくなった。
「ごめんなさい、この人が迷惑ばっかり掛けちゃったみたいで…。」
ギターだけはしっかり取り上げて十兵衛が手を放し、そのまま地面に放り出されてしまったちーちゃんを指さしてモモは言う。
「い、いえ…。じゃあ、私はもう帰りますので…。」
モモはとてもさっきの彼と友人とは思えないほど真面目に頭を下げてくれたのだが、レイはもう早く逃げ出したくて広告塔の方をちらちら見ながら口早に言った。彼が目覚める前に立ち去った方が絶対良い。
「あー! レイちゃんが知らない男の子と話してる!」
しかし、折り悪くというべきなのか、広告塔の中からニナ達が出て来てしまった。
「ち、違うって! もう戻ろうとしてたところなんだから! あっ、イチコももう大丈夫なんだね! よかった、よかった! さあ戻ろう! さあ帰ろう!」
イチコも目を点にしていたが、レイは足止めされないようにと慌てて口にした。
「あ、いや、ありがとう…。でも、ポータルまだ赤いし…。」
イチコはなぜかふと我に返ったような反応を見せると、どぎまぎしながら口にした。そしてなお、引き留めるようなことまで言う。
「大丈夫だって! とりあえず戻ってみれば、いつかは村に着くはずだから! さあ早く早く!」
「あ、ごめんなさい。それ、僕たちのせいかもしれません…。」
レイは無理やりにでも二人を歩かせようと急かしていたのだが、モモにイチコの言葉を引き取られてしまった。
「たった今の話なんですけれど、ちょっと広告塔のシステムに侵入していたのでその影響が出ちゃったのかもしれなくて…。」
「え…。」
イチコがまた目を点にして、彼のことを見つめている。
ほら、もー! だから関わらない方が絶対良かったのに! 一番まともそうな人でさえこうなんだから!
「あっ、大丈夫ですよ! すぐにもう一度接続し直しますから! ちゃんと帰れるようにしますので!」
イチコの表情からなのか、それともこちらの心の叫びが聞こえてしまったのか、モモは慌てて口にした。
「え、そんなこと出来るんですか?」
「あ、はい。こういうことは少し得意なので」
イチコが尋ねると、モモは再び小さなノートパソコンを取り出した。
「…ちょっと覗かせて貰っても良いです?」
「え? ええ、もちろん。ただ、見ていてもあんまり面白くないかもしれませんよ?」
「…わあ…。ほんと、何書いてあるのか全然分からない…。」
「あはは、慣れると簡単なんですけれどね?」
なんだかイチコの様子がおかしい。初対面の人、それも男の子が相手だというのに、積極的に話そうとするなんて…。
少し気にしてみてレイもやっと気が付いたのだが、モモは結構かわいい顔立ちをしている。そして、イチコの表情は珍しいほどに柔らかい。モモとの距離も必要以上に近い気がする。
「あ、あの、お名前教えて貰っても良いですか?」とイチコ。
「あ、ごめんなさい、気付きもしないで。僕はモモって言います。あなたは?」答えるモモ。
「わ、私はイチコです。よ、よろしくお願いします、モモさん」モモの爽やかな笑顔にちょっと恥ずかしそうにしながら、でも嬉しそうにイチコは答えていた。
ぐっ…! イチコのやつ、こんな時に…!
レイは独りごちた。もう間違いない。イチコは年下系が好きらしい。
イチコはもう駄目だとしても、それでも味方を増やそうと、レイはニナの方へと目を向けた。
彼女はいつの間にかレイたちの下を離れ、十兵衛のことを見上げていた。そして十兵衛は地面のちーちゃんを見下ろしている。ニナの目も時々彼に釣られるようにちーちゃんの方に向いては、また問い直すように十兵衛の方へと向けられる。しかし、彼は何も答えない。
そんな無言のやり取りに飽きてしまったのか、ニナは屈み、寝ているのだろうかとちーちゃんの頬を突っつき始めた。
レイの目がニナを捉えたのは、ちょうどその時だった。
「ああっ! 駄目だってニナ! その人起こしちゃ!」
レイの制止空しく、ちーちゃんは飛び跳ねるように身を起こした。
「よーし! 俺ふっかーつ!」
たった今目が覚めたとは思えないほどに早速やかましい。
「お! さらにお客さんも来ているんじゃないか! じゃあ準備も出来ていることだし、もう始めるとするか!」
彼は十兵衛からギターを再び受け取ると、ニナやイチコの方にも目を奔らせて口にした。どうやらやっと人間だとは認めてくれたようだ。ただ、今更過ぎて不信感が消えるわけでは無い。
「なにするの?」
彼の勢いに臆することなく聞けるニナは本当にすごいとレイは思う。だけど、別にわざわざ聞かなくて良かったとも思う。
「俺たちはバンドを組んでいるんだ! 今朝、人に感動を無理やり押し付けるようなくだらない番組をその広告塔が垂れ流しやがったからな! 本当に湧き上がる感動ってものがどういうものか、俺たちが世界に向かって伝えてやるんだ!」
彼は広告塔に向かって、まるで宣戦布告でもするかのように叫んだ。
「…ふふっ、レイそっくりじゃん」
すっかり自分の指定席にしたモモの隣からイチコがぼそっと、だけど絶対に聞き流せないことを呟いた。レイはすぐさまぎっと睨んだ。彼に聞こえてしまったらどうするつもりだ。
「おっ! もしかしてお前らもバンドやるのか!」
しかしすべて手遅れで、ちーちゃんの耳はしっかりイチコの声を拾ってしまったらしい。
「ううん。でもね、あの天気予報の話でしょ? レイちゃんも気に入らないからって、太陽を西から昇らせてやるんだって意気込んでいたの。どうにかして、あの天気予報を外させてやるんだって」
ニナまで裏切って彼に告げ口した。
「おいおい、なんてこった…! それこそが本物のロックってものじゃないか…!」
彼は大きな衝撃と、そして強烈な感動にも打たれたような顔でそう口にすると、なぜか今度は祈るような表情でレイの方へと向き直った。
「…もしかして、あの天気予報に一泡吹かせちゃった後なのか?」
「い、いや、それはまだなんだけれど…。」
今度は急に話の向きが自分の方へ向けられたことで、レイはつい言葉に詰まってしまった。
だが同時に、レイは自分で口にしながらも、余計なことを答えているような気がしてしまった。この答えは彼を勢いづかせてしまうだけではないだろうか。とはいえ、まるで流れ星に願いを掛ける少年のような、けなげとさえ言って良い彼のその表情を前にして、嘘を吐いてまで誤魔化すなんてレイにはとても出来なかった。
「よっしゃあ!」
懸念通り、レイの答えを聞いた彼はこぶしを振り上げ、雄叫びまで上げた。
そしてすぐさますさまじい勢いでモモへと振り返った。
「モモ! やっぱりステージ変えるぞ! いったん撤収!」
「え、ええ!」
モモは目を丸くしている。
「なんで! せっかくここまで準備したのに! ここで良いじゃん!」
「もっと良い場所が見つかったんだよ! ほら、十兵衛はもう片付け終わるぞ! あとはもうお前待ちなんだからな!」
「だから速過ぎだって!」
レイも驚いて見てみれば、十兵衛はドラムセットをどんどん大きな車の中へと詰め込んで行く。どうやらあれが彼らの拠点らしい。
「お前らも来てくれよ! あのふざけた天気予報、一緒にひっくり返してやろうぜ!」
「え…!」
当たり前のように手を伸ばすちーちゃんに、レイは息を呑んだ。さっきの闇市の時とは違い、彼の今の言葉の中には比喩的な意味などまるで入っていないのだと、その目ははっきりと告げていたのだ。
モモが広告塔から奪い取った権限で、車ごと通り抜けられる新しい巨大なポータルを生み出した。ちーちゃん一行は当然としても、レイたちも乗り掛かった舟ということなのか、流れでその車に同乗することになってしまった。そして、ちーちゃんの運転する車は広告塔を後ろへと残し、青い光の中へとアクセル全開で突っ込んだ。
「どこ、ここ…。」
目も眩むような光も超え、停止した車から降りたレイは呟いた。
辺り一面、どこを向いても地平の果てまで見渡せる白銀の世界が広がっていた。冷え切った風が吹くと、地面から舞い上がる粉雪が風の足跡を空中に残していく。十兵衛が何も言わずにみんなの分のダウンを出してくれたのだが、それでもまだ肌を刺すほどの寒さ感じる。太陽も低い。水平線のすぐ上から世界の境界を赤く染めている。見上げる空はまだ青いが、きっと夜が来て暗くなったら本当に凍えてしまうだろう。
「北の果て」
ちーちゃんが大きなヒーターを車の中から引っ張り出しながら、何でもないようにこの極寒の地について口にした。
「え、どういうこと? ここだと何であの天気予報が外れるの?」
レイはとにかく話の続きを求めた。ニナもさっきから訳も分からずきょろきょろしている。イチコはずっとモモの方を見てぽーっとしているので心配無さそうだし、何でも出て来る車の荷室がどうなっているのかも気になったのだが、それらは一旦後回しだ。
しかし今の質問を待ち構えていたのか、尋ねるとちーちゃんは嬉しそうににんまりと笑った。
「では問題です。あっちの方角はなんでしょう?」
彼は先生ぶってそう言うと、今にも沈みそうな太陽を指さした。
「…西」
こちらの質問には答えてくれない上に、何を聞かれているのかもよく分からず、レイは少しむすっとしながら答えた。
「ぶっぶー! 正解は北でした!」
彼は両手で大きな×を作ってとても嬉しそうに言う。控え目に言ってもかなり憎たらしい。
「なんでよ。太陽が北に来るわけないじゃないの」
レイは引き続き不機嫌なまま口にした。いつもはどこにでも向かって行く明るい心を自負しているのだが、さっきから彼に引きずり回されてばかりいるせいで今は固くなっている。彼が悪い。
「ふふん。それがここだと来るんだなー。よーく太陽見てみろ。沈んで行かないぞ、あいつ」
彼はそんなこちらの気持ちになど、まるで気付いてもいないらしい。今度は得意げにサングラスを手渡された。つい受け取ってしまったので、レイもしぶしぶそれを掛けると太陽の方へと目を向けた。
太陽は沈むことなく、水平線の上を滑るようにただ右へ行く。
「えっ! なんで!」
「白夜っていうやつだ。この時期のここでは、太陽は夜でも沈まない」
驚きからサングラスを外して慌ててレイが尋ねると、彼は答えてくれた。彼もまた目を細めて、太陽を見つめている。
「今の俺たちにはこれが精一杯だけどな。いつか、本当に西から昇らせてやるさ」
彼はこちらへと振り返ると、自信満々に笑いながら口にした。
確かにこの瞬間、あの天気予報は外れたのだ。
「なあ、モモ。太陽を西から昇らせるにはどうすれば良いと思う?」
「えー? …うーん、地球ごとポータルくぐらせて、上下ひっくり返しちゃえば良いんじゃない?」
モモはベースギターを肩に掛けながらおざなりに答えている。
「おおっ! やっぱりお前すごいな! 本当に天才だ!」
ちーちゃんは笑っている。
レイもそれを見て、ついに彼の前で笑ってしまった。
さっきイチコがぼそっと口にした言葉を、結局のところ私は否定なんて出来ないのかも知れない。私だって、あの天気予報が気に入らなかったのは事実なのだから。
「…ねえ。私、まだあなたの名前ちゃんと聞いてない」
レイはちーちゃんに尋ねた。
「お? そうだったか? 俺は千歳。あっちはモモ。あれが十兵衛」
「私はレイ。そっちがイチコ。その子がニナ」
十兵衛がドラムセットを叩き、ビートを刻み始めた。モモもベースの弦を弾き出した。準備はすべて終わったらしい。千歳もギターを引っ張り出すと、肩から引っ提げて彼らの下へと向かった。
日が照る中でのナイトライブが始まる。
「よーし! じゃあレイ! イチコ! ニナ! 最高のステージを用意してくれたお前らのために、最高の音楽を届けてやるぜ!」
千歳が叫んだ。
太陽は北の水平線上を右へと飛んで行く。