融解
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楽しんで頂けたら幸いです。
イノシシを解体したソフィーは、小さなリュックから鍋を取りだした。
このリュックは不思議なもので、小さな見た目とは裏腹に、とても多くの物が入る。大きい物も入ったりするので、狩りに出かける時は重宝した。
ソフィーはまな板の横に、リュックから取りだした野菜類――人参、ゴボウ、大根、長葱、白菜――を並べる。また、昼に森でとってきたキノコも取り出した。エノキダケという。
汁にするために家の台所からこっそり拝借した味噌等の調味料も並べた。
クリスには野菜を洗ってもらい、ソフィーは手際よく野菜を切っていく。白菜はざっくりと切り、長葱はおおよそ二センチ間隔で切っていった。
エノキダケの石づきを切り落とし、適度に解しておく。
野菜を洗い終えたクリスには、薪を組んで火を着ける作業を頼んだ。そこに味噌や他の調味料で作った汁と野菜、茸、そして解体したイノシシの肉を突っ込んだ鉄鍋を置く。
グツグツ煮えるまで待つ。
「すごくいい匂いがする」
キラキラとした目でクリスは鍋を見下ろした。心做しか口の端が濡れている気がするとソフィーは思った。
「もう少し我慢してくださいね」
「うん」
クリスは普段からは考えられない程に柔和な笑みを浮かべて頷いた。ふにゃふにゃ加減が猫の腹のようだとソフィーは思う。
ふつふつと鍋の中が煮立ってきたところでソフィーは火を弱く調節する。薪を何本か取り除いた。
じっくり煮込んだら完成だ。お味噌のいい香りが二人の鼻孔と空腹のお腹を刺激する。
ソフィーは片手で持てるくらいの大きさの木製の深皿を取り出すと、おたまで鍋を軽く混ぜてから、零さぬよう丁寧によそる。
「どうぞ」
「ありがとう」
まずクリスに渡す。次に自分の分を取った。
「では」
「うん」
二人は手を合わせて祈る。
「世界の創造主アレディン神に感謝して――いただきます」
クリスはスプーンでまずは猪肉を掬う。ふうふうと息をかけて冷まし、口へと運ぶ。モグモグと味わうように咀嚼すると、栗色の瞳をカッと見開かせて見せた。じわじわと頬を赤く火照らせ、ゴクンと嚥下した後、堰を切ったように目から大粒の涙をボロボロと流し始めた。
「え、ど、どうしました!? お口に合いませんでしたか?」
「ぐす、ちがっ、違う……おい、美味しくて………凄く温かくて、こんなの、初めて食べたっ……」
クリスは乱暴に裾で涙を拭うと、今度はガツガツと皿の中の物を口の中へかっこみ始めた。その間、延々と両目からは涙がポロポロ流れている。おそらく拭うのも惜しいのだろう。
あんまりにもいい食べっぷりなので、ソフィーは安心した。
「まだおかわり沢山ありますから遠慮しないでくださいね」
言ってからソフィーはゆっくりと食べ始めた。
(こんなに喜んでくれるなら、もっと丁寧に作れば良かったかなぁ)
早く食べたいだろうと思って、手間のかかるアク抜き等の工程を少々すっ飛ばしたのだ。ソフィーはちょっぴり後悔した。
(今回の狩りは結果的にうまくはいったけど、全部ただ運が良かっただけ……山犬の長ルーヴが寛大な心を見せたのと、クリスのお父様の過去の功績のおかげ……)
ふと、ソフィーは気になった。クリスのどちらの父親が助けたのだろうかと。
横ではふはふと美味しそうに、味の染み込んだトロトロの野菜を食べるクリスを見やる。
「クリス、尋ねてもよろしいですか?」
「はふ……何かな?」
「ルーヴ助けたのは、どちらのお父様か分かりますか?」
「んー……多分俺の生みの親だと思う。リズの父親には無理だ」
クリスの皿が空になると、彼は鍋からおかわりをよそる。
「クリスは自分の父親の顔を知っていますか?」
「朧気だけど、知ってるよ」
「そう、ですか……いいなぁ」
「え、オズウェンさんがお父さんじゃないのか?」
「本当の父様は違いますよ。私は母様のお腹の中にいた時にコルチリー村に来たので、父様の顔は知らないんです。だから、クリス、貴方が少しだけ羨ましい」
「どこにいるとかは、知ってるの?」
「ミンガイル王国の外だと聞いてます。ただ、詳しい場所は教えてくれませんでした。母が言うには、父と私は、髪と目の色がそっくりなのだそうです」
いつもオリヴィアが褒めてくれる髪と目の色が、ソフィーは気に入っていた。くるくると指先に髪の先を巻き付ける。
「会いに行こうとは思わないのか?」
「行けるなら行きたいですけど……無理です。母様は足が悪いんです。それに村どころか国の外だなんて……」
不安だった。会いに行きたい気持ちはある。けれど、母親と自分のふたりで村を出て、国を出て、父親を探しに行くなど不可能ではないかと思うのだ。
村を出るならば、義父や義兄の目を盗んで母を連れ出さなければならないだろう。夜に行動する事になる。昼間は人目が多すぎる。
かと言って、夜に村を出たとしても、ソフィーにはお金がなかった。お金がなければ馬車にも乗れないし、宿をとることも出来ない。野宿では女二人旅は厳しいだろう。
世界は危険に満ちている事は、夜の森を経て改めて思い知らされた。この森よりももっとずっと、恐ろしい場所だってあるだろう。
(私が男の子だったら……無属性以外の魔術を使えれば……)
無い物ねだりなのはソフィーも分かっていた。自分は女の子で無属性魔術しか使えない。
ソフィーは肩を落とす。諦めるように首を振った。
「ソフィー」
クリスに呼ばれて顔を上げる。彼は少し言いにくそうに、体を揺すっていた。猪鍋はいつの間にか空になっていた。
「凄く美味しかった。ありがとう」
「どういたしまして。フフッ、泣くほど美味しかったですか」
「なっ、あ、あれは忘れてくれ!」
「クリスって意外と泣き虫です?」
「そんな事ない!」
「え〜ホントかなぁ」
ソフィーはちょっとだけ意地悪な顔になる。
クリスは誤魔化すようにオホンと咳払いする。
「そのルーヴに言われた事だけど」
「〈魔力〉をキチンと制御する、ということですね」
「うん。迷惑じゃなければ、ソフィーの家に通わせて欲しいんだ。もちろん、ソフィーの仕事とか手伝うよ」
「なるほど。私の方も、私が仕事をしてる時に母様の事を看てくれる人がいると助かります。結構看護には力が必要なんです。母様と一緒にいる時に〈魔力〉の制御のやり方を教わるといいですよ」
ソフィーはヘラりとクリスに笑いかける。それに答えるようにクリスも微笑む。
「さて、では片付けて帰りましょうか」
「そうだね」
軽く鍋と食器を洗ってリュックにしまう。二人は、心細さを互いの体温で慰め合う様に手を繋いで村に帰った。
ソフィーは、嫌いだったクリスの事をちょっとだけ好きになれた気がした。
翌日から、クリスは自分の家での仕事を終えるとソフィーとオリヴィアのもとにやってくるようになった。
〈魔力〉の制御についてはオリヴィアに一任して、ソフィーは自分の仕事の専念する。クリスも合間を縫って手伝いに出てくれるので、早めに仕事を終えることが出来た。森での狩猟もクリスと二人で手分けして行うので一人でやるよりも沢山の物を集めることが出来た。
日を追う事にクリスの身体は肉をつけてゆき、今では健康優良児と太鼓判を押されること間違いなしとなるほぢになった。かつての愛らしい顔が最近では凛々しい顔つきになってきており、怠惰な頃に無くした人気を回復させつつあった。
オリヴィアが仕事の時は、部屋のベッドの上にクリスと二人で寝そべって共に本を読んだ。クリス始め文字を読めなかった。
文字を読めるのは町に仕事を持っている者か、村長、魔術師ダンくらいだ。村の中で過ごす者ではオリヴィアとソフィーくらいしかいない。
ソフィーは勿論オリヴィアに本を音読してもらいながら文字を学んだ。今度は自分がクリスに教えるとお姉さんぶって嬉々としてお気に入りの勇者の物語を音読したものだ。
本日は楽しげな家族の物語をクリスと共に読む。枕を使って本を立てて、二人仲良く寝そべりながら読んでいた。
「私、母様みたいなお母さんになって、こんな素敵な人と家族になりたいなぁ」
朗らかな笑顔が素敵な男性の挿絵を見ながらソフィーは言う。
「ソフィーは、その、どんな男の子が好き?」
「んー……父様?」
「会ったことないのに?」
「母様がどんな人かいっぱいお話してくれるから分かりますもん」
「どんな人?」
「んーと、意地っ張りで偏屈で天邪鬼で、好きなことに一生懸命で、優しい人……だったかな……?」
「前半なんかおかしくないか……?」
クリスはひくりと口端を引き攣らせた。
「素敵な旦那様と可愛い子供に囲まれて暮らす……いいなぁ。ご飯いっぱい食べてくれるとなおいいなぁ」
ふわふわと頭の中で理想の家族を空想する。ソフィーはよくご飯の支度をする事から、美味しそうにたくさん食べてくれる人が好きだった。
オリヴィアは栄養が必要なもののあまりに一度に多くは食べれないし、義父と義兄は好き嫌いが激しいのか文句ばかり言う。義父と義兄に対しては悔しいので、とにかく試行錯誤をして美味しい物を出せるよう努力することで囁かな反抗をしていた。いつかは二人を唸らせるような美味しい料理を叩きつけてやるのが密かな野望だ。
「クリスはどんな家族が欲しい?」
「えっ」
突飛な質問ではなかったものの、クリスは驚いたのか頬を少し赤らめて言葉を詰まらせる。
「俺は、料理の上手な子が……」
「へぇ。いいですね」
クリスは気持ちのいい食べっぷりを見せてくれるので、作る側からしたら嬉しいだろう。
リズは料理を頑張ればクリスの胃袋と心をゲットできるのではないかな、とボンヤリ思った。
――――☆――――
頬を赤らめキラキラと黒橡色の瞳を輝かせて沢山の家族が欲しいと語ったソフィーは、喋り疲れたのか、飽きたのか、組んだ腕の上に頭をのせてくうくうと眠ってしまった。そんな彼女の寝顔を、頬杖をついてクリスは眺める。
ソフィーのおかげで、ガリガリだった彼の身体は太り、彼女と共に森を駆け回る様になって筋肉もついていった。〈魔力〉の制御にも慣れてきてまたガリガリに逆戻りする事も無くなった。
(無属性魔術の出来の有無が、〈魔力〉の制御に関係するとは思わなかったな……)
オリヴィア曰く、基本中の基本、誰にでも使用出来るからこそ重要なのだと言う。まずは無属性魔術の扱いになれることで、身体に無理なく〈魔力〉の使い方を覚えさせるのだそうだ。そうしてから他の属性の鍛錬に移る。
無属性魔術を嘲笑うものは無属性魔術に泣くという。
ソフィーは村一番の無属性魔術使いだろうとクリスは思った。どうしてそんなに上手なのかを聞いたら、彼女は一言。
「悔しくて沢山練習したんです」
彼女は努力家でしっかり者だなとクリスは尊敬していた。
「ソフィー」
大事な宝物のように彼女の名を呼ぶ。けれどもソフィーは眠ったままで答えない。
クリスは手を伸ばし、彼女の自慢である黒髪に触れる。次に頬、そしてするっと指を滑らせて桃色の唇に触れた。
「っ……」
慌てて指を離し、起き上がる。なんだかいけないことをしてしまったかのような罪悪感を抱いた。
バクバクと心臓が宙返りしてるのではないかと激しく鼓動する胸を手で押さえ、ソフィーの様子を見る。彼女は起きない。
ほっと胸をなでおろした――のも束の間、扉を開けていつの間にかオリヴィアが帰って来ていた。
「あ、そのこれはその……」
「ふふふ……」
オリヴィアは優雅に微笑む。その顔が何となく怖いと感じた。魔術の師匠であるからか、身体が弱いと言われていても何となく威圧感をクリスは日々感じていた。
「クリスは――」
何を言われるのやら、ゴクリと唾を飲んでクリスは次の言葉を待った。
このタイトルにしたのは、ソフィーのクリスに対する警戒心がほんの少しとけた事を伝えようと思ってしました。あとは、二人の間にある壁が溶けたとか……(氷かなんかだったんです)
ちょっとほのぼのしていただけたらなって思います。( *¯ ꒳¯*)