飢餓と夜の森
前回までのあらすじ
・お母さんであるオリヴィアに庇われて火傷を免れる
・しかしオリヴィアが重傷
・回復薬もらおうと魔術師ダンを尋ねる前にクリスに貰う
・クリスなんか様子が変わる
・クリスがまともになる
・急激な変化にソフィー戸惑う
オリヴィアのお腹が破裂してしまうのではないかと不安になるほど大きく膨らんだ頃――ソフィーは自分の体を拭う時、己の臍の下に黒っぽい痣の様なものがあることに気づく。押しても痛みは感じなかった為、汚れなのかと拭ってみたが黒は取れない。
オリヴィアのお腹のことも気になっているのに、自分のお腹にも妙な現象が起こっており、余計に不安になった。
しかし、そんな彼女の不安も杞憂に終わる。ある日を境に萎んでいたのだ。良かったとほっとしたのもつかの間、ソフィーのお腹の黒い痣はまた少し範囲が広がっていたのだった。オリヴィアに相談したが、気にしなくて大丈夫だとしか言われない。ソフィーは己の体の変化に不安を覚えつつも、出来うる限り気にしないように振舞った。
一方、村では恒例として農作物の収穫が始まるという時期になっていた。とれた作物は村長と魔術師ダンへと一部献上する決まりだ。彼らに納めたものの一部は国への献上になる。
しかし、今年は雨少なく日照りが多かった影響か、作物がうまく育たなかった。これは、コルチリー村だけでなく、他の町や村も同様だった。国や領主からの援助でなんとか村の人間が餓死することは免れたものの、一人一日一食まで、水などの節約をするようにとの制限がなされた。
空腹で気力のない表情を浮かべる子供たちが、ぼうっと空を眺めていることが増えた。そんな、覇気のない村人を見て、ソフィーは考えた。
(毛皮のために狩っていた動物のお肉は保存食として干し肉にしてあるし……食べれば少しは元気になるかな)
ソフィーは、オリヴィアに村の皆に干し肉を分け与えたいと伝えた。それをオリヴィアは少々心配しつつも了承した。
ソフィーは村の子供たち全員に、干し肉を渡した。家族と分けるようにと言って。嬉しそうな笑顔を見て、ソフィーはやってよかったと思った。
しかし、翌日になるとなんとソフィーが食料を故意に独占していたと村中に広まっているではないか。大人たちは彼女を見つけると「卑怯者」と罵り、食料を寄越さねば殴ると恫喝する。ソフィーは既に干し肉をみんなに配ってしまったので「食べ物は無い」と言うと今度は「嘘つき」だと責められた。
「お肉が欲しいなら皆、森に行って狩りをすればいいんです。畑を持たない私はそうしています」
グレイ家は畑を持っていない。町に仕事があり、野菜は主に買ってくるものだった。他の村人たちが畑で取れた作物を納税するのに対して、グレイ家は働いて得た賃金の何割かを税として納めていた。
取れたお肉の一部は毛皮と共にオズウェンに渡し、残りは身体の弱いオリヴィアに少しでも精のつくものを食べさせたいが為に保存していたものだった。
税に関しても、きちんとオズウェンがオリヴィアとソフィーの分を納税している。
今回干し肉を提供したのは、緊急事態と判断したソフィーが皆で分けて飢饉を共に乗り越えようと考えた結果の事だった。多く備蓄なんてしていない。
(もう二度とご飯を分ける事はしない!)
延々と責められるこの状況の中、ソフィーは思った。領主から村長を仲介して物資は村人全員に配られているのだ。一日一食という制限はあるが、何も食べれない訳じゃない。だったらいくら無気力そうで痩せこけていても大丈夫だろう。
ソフィーは自分の家の事だけを考えることにしたのだった。
飢饉を乗り越えた翌年は、例年通りに農作物が取れた。ゆっくりだがかつての気力を取り戻しつつある村人たちをソフィーは、森に向かいながら眺めていた。本日も彼女は薬草等を取りに行った。
その日の帰り、道端に座り込むひとつの影があった。ソフィーにはその人物の影に見覚えがあった。
「トール、こんな所で何してるんです」
「うわ、お前かよ」
憎まれ口を叩くのはトールと呼ばれた少年だった。彼もコルチリー村の子供である。
ぺたんこな鼻に、頬のそばかす、細い目が特徴だ。彼はいつもはクリスと一緒に行動している。クリスが憧れなのだそうだ。
「腹減って動けねーんだよ。あ、それ野いちご? ちょうだい」
「……いいですけど」
嫌だと言いかけた口を閉じて、代わりに了承の言葉を嫌々吐き出した。さすがに空腹の子に対して何もやらないというのは、彼女にはできなかった。ご飯は分けないと誓ったのだが、野いちごはご飯ではなくほんのちょっぴりのデザートという扱いだったので、渋々ソフィーはあげた。
「なあなあ、最近クリスのやつ変じゃないか?」
「……なぜ?」
クリスは酷いことをしなくなったので以前よりまともになったと感じていたソフィーは、トールに言う「変」が分からなかった。
「だってよー、お前の肩を持つようになったし、ここの所ボーッとしてる事が増えたし、全然遊ばなくなったし。つまんねー。良いのは顔だけだ」
(確かに最近ぼんやりしている所を見るな……)
飢饉の影響からまだ抜け出せないのか、クリスはガリガリになり、無気力そうに、日々を怠惰に過ごしているようだったとソフィーは思い直した。
「おばさんはちゃーんとご飯食べさせてるのに、クリスってば食いしん坊なのかずーっと腹空かせてるんだぜー? 今の俺の方が腹ぺこだよ」
「ふーん」
言う割にはトールはふっくらしているように見えた。顔が元々肉厚だからだろうかとソフィーは思う。
ソフィーはトールの話が面倒くさくなり、さっさと帰ろうと歩き出す。するとトールも着いてきた。その間、延々とクリスがいかに怠惰なやつなのかを語られる。正直ソフィーには誰がどう一日を過ごそうかかどうでもよかった為、トールの話を適当に聞き流す。
「あ、クリスだ」
トールが言う。ソフィーは彼が見る方向へと目を向けた。
(クリス……)
彼はぼうっと寝そべって空を眺めていた。彼の体は、以前の健康そうな体とは比べ物にならないほど痩せていた。栄養が、足りていないのだろう。いくら食べても一向に痩せぎすなオリヴィアの姿と重なった。
ソフィーは走って家に帰る。トールの声が聞こえたが無視した。
帰宅すると、捕った動物の肉を捌いて食べやすい大きさにした。それを簡単に焼いた。それを経木で包む。
ソフィーは包んだ肉をもって再び外へと飛び出した。
クリスがいた場所にもどると、トールは既に居なくなっていた。そちらの方が好都合だったので、ソフィーはクリスに遠慮なく近づく。
近づく足音に気づいたのか、クリスが体を起こした。彼の栗色の瞳と目が合った。
「ソフィー?」
「……ん」
「え?」
「ん!」
ずずいと持ってきた肉入り経木をクリスに差し出す。目を白黒させるクリスに痺れを切らしたソフィーは彼の片手をとると、その手のひらの上に経木を乗せた。
「あげる」
「え……」
「あと、明日、夜、うちに集合」
「……ソフィーの、家?」
「そう」
「な、なんで」
「窓を叩いてね。約束。じゃ」
何か言いたげなクリスを置いてソフィーは言いたいことだけ言うとすぐさま踵を返して元来た道を戻った。
翌日、日中はいつものように過ごしたソフィー。夕方頃、トントンと家の窓を叩く音がして振り向くとクリスが立っていた。家の扉の前ではオズウェンやその息子と鉢合わせするので窓を指定したが、きちんと約束を守ってくれたようだ。
「待ってて」
外にいるクリスにそう声をかけた後、ソフィーは出る準備を始めた。弓と、昼間に追加しておいた幾本かの矢を持つ。
「本当に行くのね、ソフィー」
「はい」
腰にナイフをさしながら頷いた。その後小さめのリュックを背負う。
「夜の森はとても危険なの、どうしてそこまでする必要があるの?」
「それは……」
ソフィーは母から外のクリスへと視線を向けた後、再びオリヴィアへと戻す。
「私は、クリスも、他の子達も、正直嫌いです」
「ええ、そうでしょうとも」
「ですが、別に死んで欲しいとまでは思っていません。あのまま行けばクリスは栄養不足で死んでしまうかもしれません。それは、嫌だと思いました」
「……そう。ねえソフィー」
「はい」
「夜の森は何があるのか分からないわ。思いがけないことで突然危険に晒される事があるでしょう。でも、そんな時こそ冷静になって。命を優先することを忘れないで」
「勿論です。では、行ってきます」
ソフィーは外に出た。クリスに歩み寄ると一言。
「いくよ」
「どこに行くの」
「森」
「も、森に……!?」
夜の森は、大きな肉食動物が活発になる時間だった。もちろんクリスもソフィーもそのことは知っている。
「足りないなら他から取ってくるしかないでしょうに」
「……どうして、そこまでしてくれるんだ」
「どうして、って……」
ソフィーはちらりとクリスを見る。相も変わらず彼は痩せっぽちだった。
「そんなガリガリじゃまともに動けそうにないからですよ」
「でも、俺はちゃんと食べさせて貰ってるんだ。本当に」
「足りてない事は事実じゃないですか。なら食べなくては。今にも貴方は死んでしまいそうで……見て、いられない」
「ソフィー」
「私に構われるのが迷惑なら、さっさと狩の仕方を覚えて自分でお肉をとってこれるようになってください」
ソフィーは早口に言うと今度は黙ってずんずんと足を動かし始めた。置いていかれまいとクリスも歩調を速くする。
夜の森は昼間と違って見えた。鳥の声は聴こえない代わりに、木々が擦れる音が大きくなったように感じる。闇の中に吸い込まれてしまいそうで、全く先が見えない。
森に入ったことのないクリスは怯えているのか、顔が真っ青だった。ソフィーだって、夜の森に入るのは初めてだった。夜の森は恐ろしい。それでもソフィーは森に入る先輩として、頼もしくあろうと、ちょっと語気を強めにして「行くよ」とクリスの手を引いた。
「〈マジックアップ〉〈フィジカルアップ〉〈プロテクション〉」
ソフィーはいつもの様に森に入る前に魔術を自分に重ねがけする。すると、クリスは驚いたような表情になった。
「なんです」
「それ、無属性魔術? だいぶ使い慣れてるけど」
「ええ。便利ですから。クリスもかけてくださいね。森は何も用意しないで入れるほど甘くないです」
「……できない」
「え、でもあんなに火属性魔術を」
「無属性魔術を使ったことがないんだ」
誰にでも扱える故におざなりな扱いをされる無属性魔術。ソフィーは勿体ないとクリスに熱弁し出した。
「いいですか! 先程の無属性魔術は魔術効果向上と身体能力の向上と物理的な攻撃耐性向上の効果があるのです!」
「う、うん」
「それ即ち、素早い異変察知、危険からの回避、素早く獲物をとらえる等という事も可能なのです! 狩りをする者にとってとっても便利な魔術なのです!」
「そう、だね」
「クリスも練習する事をおすすめするのです! 日々の生活が少し楽になりますよ!」
「……うん、そうするよ」
詰め寄らんばかりに興奮して語るソフィーにクリスはたじたじだ。困惑する彼の様子に気づいたのか、ソフィーは我に返って誤魔化すように咳払いをした。
「こ、今回は私がクリスにかけましょう。〈マジックアップ〉〈フィジカルアップ〉〈プロテクション〉」
魔術をかけて準備は整ったとばかりに、ソフィーは勇み足で森へはいる。自分の手の震えは気づかない振りをして、クリスの手を引いた。
「着きました」
「ここは?」
「昼に罠をしかけておいたポイントです。クリス、木には登れますか?」
「勿論。木登りくらい村の子ならできるよ」
村での娯楽は少ない。木登りは数少ない子供たちの遊びのひとつだ。当然、クリスだって他の子たちと同様に登れる。
「いえ、その万全でない状態で登れそうか、ということです」
「……が、頑張るよ」
クリスは結局ソフィーの手を借り、ヒーヒー悲鳴にも似た荒い呼吸をしながらようやく登れたのだった。
思っていた以上に文が長くなってしまいました。
おかしい、あともう幾つかの場面を入れるはずだったのに。
トールは別段太ってはいないですが顔が他の子よりふっくらしている子です。ちなみにとても食いしん坊です。
次回の更新も未定です。