無茶振り上等
雨戸の開け放たれた縁を行く途中、北の空を見上げる。
神の御領へと伸びる柱木の行く先は、今日も雲によって地上の民から隠されていた。
あの先に、彩花たちのあずかり知らない世界があるのだ。
いかな星宿の巡りあわせか、そこから転がり落ちてきた子供を保護したのは、既に七日ほど前のことになる。
おとぎ話でいうところの天女。神の娘。呼び名は多々あれど、地上で生活する分にはまず出会うはずのない、光り輝く尊い女人。それが世の人々の想像する斎子だ。
しかし現実は、たしかに顔の造作こそ整っているものの、羽が生えているわけでも後光がさしているわけでもない、ごく普通の少女である。
父親とけんかをして家出をし、枝から落ちて腰を抜かす。泣きもすれば……いや、笑ったところはまだ見たことはないけれど、とにかく彩花たち徒人となにも変わらない。
家出の原因となった父神への誤解が解け、ひとまずの逗留先として女巫に引き取られたあと、子葉には会っていなかった。というより、まず彩花が都にいなかった。
白崔国で与えられている彩花の身分は、領軍将。兵部には属さない、国王が個人で抱える遊軍のようなものだ。
通常、軍を率いる将は正四位以上の官位が必要とされる。その将に、彩花は無官のまま任命された。
軍とは呼ばれるものの、部隊の規模もあまり大きくはないので、正規の兵である宮軍の連中からは、王の犬と陰で揶揄されている。
表立って特異な抜擢を非難できない理由も、また立場をややこしくしており、彩花はすでにそういった厄介ごとを無視するすべを身につけていた。
ともかく、一応なりとも王のお抱え部隊である彩花は、王の扇子のひと振りであちこちを駆けまわる身なのだ。迷子の一人や二人、しかるべきところへあずけたなら、あとの面倒を見る義務はない。通常であれば。
けれども、どうも厄介事というのは、彩花の人生においてそばから離れないものらしい。
佳了から、「迷子について話がある」と呼び出しがあったのは、東の城壁にある孤久門から戻った直後だった。
「楊彩花、参りました」
「早かったな」
通された房には佳了の他にもう一人、地味な色の襦を着た少女がいて、気負いのない態度で趙鳴と名乗った。柱木の森で、女巫に仕える侍女だという。
彩花を前にしても不自然に視線をそらさない姿勢は、白妙と共通するものがあった。
王宮にある侍女など、そばを歩いただけで悪いものがうつると言わんばかりに彩花を避けるのだ。
神に近しい者は度量が大きくなるのか、それとも、もとより度量が大きいから神に近しいのだろうか。
「子葉どのは?」
「白妙にあずけてある」
「さようですか」
了解した彩花に茶と干菓子をすすめて、佳了はまず別件についてたずねた。
「東はどうだった」
「いつもの小競り合いでした。しかし念のため、景長郡に胡貴阿を残してあります」
「黒府の公もこりないな。いい加減、我が国の領土はあきらめてほしいものだ。こちらも、そう余裕があるわけではないというのに」
東で国境を接している白崔国と黒府は、柱木を持つ六国の中でどちらも小規模の国という、あまりありがたくない部類で肩をならべている。国力にもほとんど差がないためか、歴史上いさかいの絶えない間柄でもあった。しかしかの国の政治体制は、白崔国とは大きく異なる。
黒府はいくつかの部族がより集まり、連合制をとっていた。柱木を中央として、部族間で領土を分け合っているのだが、連合をまとめる公の権力が弱いと、抑えがきかずに好戦的な部族が自分たちの土地を広げようとする。
白崔国としては完全なとばっちり。
そちらの事情はそちらで解決をと、再三要請はしているけれど、もとを断つために黒府とことを構えるまでには至っていない。
結果、民兵だけでは対処できないが、宮軍を派遣するほどでもないという、微妙な規模の戦闘が起こるのだ。
そして、厄介ごとの対応に立たされるのが、王の犬こと領軍の将、彩花であった。
「宮軍から、中師を景長郡に派遣しよう。お前も右腕がいないと不便だろう」
「陛下のお心遣いに感謝します」
低頭する彩花から一時目をそらして、佳了は茶をすすった。
しばし、房に沈黙が落ちる。
佳了が無言で見つめてくるのを受け止めつつ、彩花は鳴が手際よくならべた菓子と茶を楽しむ。
こういう沈黙には慣れている。人の顔を見ながら思案にふけるのは、昔から佳了のくせだった。
「彩花、わたしは暴君であって愚王ではないつもりだ」
「もちろんです」
二杯目の茶を飲み干して、彩花は膝の上に手をそろえた。
「お前に一つ役目を与える」
「なんなりと」
「子葉の主人になれ」
次話→佳了の真意は?