謁見
はからずも己の交友関係の希薄さが露呈したほかは、大きな不都合もなく寒山宮に子葉を迎えたあと、彩花はひとりで正殿の縁を歩いていた。
夕餉までに宮の中も案内してやりたい気持ちはあったのだが、それは果果に任せてきた。
寒山宮のことは主人である彩花より果果のほうが把握しているだろうし、どうしても外せない用件が控えている。
これから始まるのが楽しくない時間だと分かっていても、それが気にならないていどに彩花の気分は上むいていた。
寒山宮に住んで四年ほど、初めて居間でのんびり茶を飲んだのだ。子葉は姦しいほどのおしゃべりではなかったけれど、鳴が差し出す菓子をめずらしそうに見てはひと口かじり、目を輝かせて次々口に入れるさまは何より雄弁で、横で胡桃をかじる小望にそっくりだった。
時間が迫り、彩花が席を立ったときは少しだけ不安そうにしていたが、鳴と一緒に門まで見送りに出た。
頻繁に呼び出される彩花は宮への出入りが多く、普段から果果や下男に出迎えや見送りはさせていない。だから当たり前のように「行ってらっしゃいませ」といわれたときには、「行ってきます」とひと言返すのにも、慣れない言葉で舌をかみそうだった。
唐突に彩花の領域へ飛びこんできた子供には、まったく調子を狂わされる。
指定された堂に近づき、彩花は意識して口のはしを引きしめた。
世の中には、彩花が人なみに笑うだけで大罪に値すると、本気で信じている者たちがいる。特に朝廷には。しかし一方では、彩花がどんな表情でいようと、無冠のくせに一人前に武人の格好をして、王宮内で常に帯剣を許されていることに陰口を叩く者もいるのだから、もはや人の世とはどうしようもなかった。
とくに今日は公式の謁見ということで、正装の袍にくわえ帯から玉章をさげている。領軍将の働きの褒美として拝領したものだが、これも無官の者にはすぎた品だ。
扉の両わきに控えた衛兵にうなずくと、彼らはたずさえた槍を石の床に打ちつけ内部へ知らせる。
「領軍将、楊彩花どの」
内側から扉が開き、しんと静まり返った堂内からたくさんの視線が突き刺さった。
彩花は表情を変えず、正面を見すえて足をすすめる。
今日呼ばれた喜聞堂は、正殿の中でも比較的小さな堂だ。王が臣下と面会する場所のひとつであり、北側の壁を背に玉座がすえられている。
中央の通路をはさんで、左右にならぶのは総勢三十人。全員が武官の胡服に身をつつみ、横柄な顔つきで立っている。
小師一隊が十五人。その小師が二隊で編成されるのが中師である。
彼らより玉座に近いところには、さらに二人の男がいた。ひとりは老将といっていい白髪男。もうひとりは五十がらみの狐顔で、ほかの三十人と同じく彩花を忌々しげに睨んでいた。
白髪男をのぞけば、総じて彩花の腰に吊られている剣と玉章に敵愾心をむき出しにする部類の人間たち。つまりは宮軍の兵だ。彼らは彩花自身より、武人としての待遇に嫉妬しているだけなので、実のところ大した害はない。
どれほど態度で威嚇しようと、剣で打ち合えば負けると分かっている者たちばかりだ。
彩花は前に出た二人より、数歩分だけ余計に玉座から遠い位置に立つと、腰の後ろで手をくんだ。
いくら空でも玉座の前でもめごとを起こすばかはいないと見えて、兵たちはより強く睨むか、舌打ちして視線をそらすかで彩花に反感を示した。
「楊将、ご機嫌いかがですかな」
そんなぴりつく空気などまるで意に介さず、彩花に話しかけてきたのは好々爺とした白髪頭の老将だ。
「おかげさまで。呂将監もお変わりなく」
彩花は生真面目にうなずく。
「まだまだ、老骨に鞭打って陛下にお仕えしたく思いますのでな」
「呂将監。私語は慎まれよ」
隣の男に窘められ、呂が意味ありげに目くばせをした。
「これは失礼」
この老将だけは、互いによく知る人物だった。彼がいるのであれば、いくぶん気が楽だ。とはいえ、この場でそれ以上の会話をするわけにもいかず、彩花はあごに力を入れて笑うのをこらえる。