勘違いと親心
この身が厄介事を背負い込むのは、生まれからして定められた理のひとつだと、彩花は思っている。
おもに佳了を通して持ちこまれる数多の事案を、根回しと、ときに武力で片付けるのが日々の仕事。
しきたりと身分でがんじがらめの王宮において、役所や官位のしがらみのない彩花は、正攻法で解決できない相手にぶつけるには効果的な存在だ。
毒をもって毒を制すとはよくいったもので、佳了は彩花の使いかたを心得ている。それゆえに、朝廷に関わる者はみな、無冠の将と嘲笑しながらも心の内では彩花を恐れているのだ。
顔に走る傷跡は忌避する理由の一端でしかなく、この身にかぶった毒が強すぎた。
佳了が手を差しのべなければ、とうにどこかの戦場で果てていただろう。
「それにしても、借りにたいする対価が大きすぎないか……」
領軍将拝命とともに与えられた宮へと足を運びながら、彩花はがりがり頭をかいた。
国を質にとられての、神の娘の逗留。本人に悪意も企みもないのだからたちが悪い。
そして帰りぎわに佳了が告げた、暗雲のきざし。
百歩ゆずって、前者はこちらが刺激せずあるていど自由にさせておけば、おとなしく生活してくれるかもしれない。しかし後者は、おそらくむこうから仕掛けてくる。とにかく、この数年で佳了がかためた守りを強固にしておく必要があった。
なさなければならないことを指折り数えながら、深いため息をつく。
とんだ暴君に命を捧げてしまったものだ。
住まいである寒山宮へ戻ったとき、家事を取りしきる果果が、ちょうど桶を抱えて中庭に出てくるところだった。
「まぁ、若さま。お早いお帰りで」
水を張った桶を下ろしてお辞儀をする果果は、老境に差し掛かってもなお衰えない気概に満ちていた。若い頃は王に仕えていたといい、白いものが混じり始めた髪をきっちり髷に結って、いつもきびきびと働いている。
幼い頃から男所帯で育った彩花にとって、佳了を除けば身近に接する唯一の女人で、母や祖母に近い存在だ。
付き合いが長く、ときどき人のいうことを聞かないのが玉に瑕だが、寒山宮は果果によって回っているといっても過言ではない。
「果果、ちょうどいいところにいた。急で悪いが明日、この宮に姫を迎えることになった。正房の東が空いているだろう?準備を頼む。侍女が一人ともにくるから、そのつもりで……」
取り急ぎ、果果に動いてもらわなければならない用件を伝えた彩花は、すぐに自分が言葉をまちがえたと気付いた。
「まあまあまあ!なんということでしょう。若さまが姫をお迎えになるなんて!」
果果は胸の前で両手を握りしめたかと思えば、次の瞬間には丸い体でがばっと彩花に抱きついた。
「待て果果、勘違いだ」
中庭を中心にして東西南北に一棟ずつ建物を配した四合院というつくりの宮において、北側に位置する正房は一般的に主人夫妻の住まいとされている。
彩花は単純に、自分より身分の高い斎子を、格の下がる東や西の棟に置くわけにはいかないと正房をあてがったのだ。けれどもはたから見て、正房に姫をとなれば、それは妻を迎えるといっているも同然だった。
何とか引き離そうとするも、しわを刻んだ頬を上気させて目を輝かせる果果には全く勝てない。それどころか、彩花の態度を照れだと解釈し、ますます興奮し鼻息まで荒くなってくる。
「まあまあ若さま、恥ずかしがらずともよいのですよ。それで、どのような姫なのです?お年は?どのお家の姫で?」
「頼むから落ち着いてくれ。陛下のごり押しで、断れなかったのだ。年は……聞いていないが、おそらく十二か三くらいだ」
「陛下がお選びになった姫なら、間違いございませんわ。ずいぶんお若くていらっしゃるのですねぇ。可愛い盛りじゃございませんか」
「果果!聞いてくれ。姫は迎えるが、わけあってあずかるだけだ」
「はいはい。承知しておりますとも。親もとを離れておいでになるのですから、おさびしい思いなどなさらないよう、心から歓迎いたしますとも」
「うん、まぁ……頼む」
ようやく解放された彩花は、さっさと退散したほうがよさそうだと、地面に置かれた桶を手に取る。周りが見えなくなった果果が蹴飛ばさないうちに、片付けておいたほうがよさそうだ。
この水は庭の草木にまくのか、とたずねようと顔を上げた彩花は、ぎょっと目を見開いた。
果果が、腰に巻いた前掛けで目頭を押さえている。
「か、果果?どうした?」
「果果は嬉しゅうございます。若さまが、もしやこのままお一人でいらっしゃるのではないかと……長年、胸が痛うございました」
とんでもない勘違いなのだが、果果の想いには素直に胸をうたれた。
ずっと親身に面倒を見てくれた彼女の真心を疑ったことはない。しかし彩花の行くすえまで、我がことのように心配しているとは思いもよらなかったのだ。
「前王のなさりようは、あまりに非道です。お優しい若君にお育ちになりましたのに、いまだ冠も許されず、このような古い宮にお住まいになって……」
彩花は空いている方の手をのばし、果果の肩をなでる。気づけば、記憶よりずいぶん低いところにあった。
「果果、わたしは冠も宮も望んでいないんだ」
この世に生れ落ちたときから、彩花は佳了の母である前王に憎まれていた。前王――蔡徐佳は世を去るまで彩花を憎み続け、果ては遺言により、成人を迎える男子に後見人が冠を被せる儀式、「加冠の儀」を禁じることまでした。
そのために彩花は、出仕する年齢である十五歳になっても成人と認められず官位に就けなかったし、十九になろうといういまも子供のように髷を晒したまま王宮を歩いている。
成人男子として恥ずべきことだが、それについてはあきらめているのだ。
いま生きている者はだれも悪くなく、死者に恨みごとなど意味がないなら、この問題は時間が解決するのを待つしかない。
彩花はそれよりも、子葉の話しで果果の気をそらした。
「それに、迎える姫君は柱木の社に関わる方だから、このような小さな宮の方が落ち着かれる」
「まあ。女巫の?それとも神官さまのご関係で?確かに、お社に関わる方は謙虚で清廉だとお聞きしますわね」
「あぁ、だから華美に飾り立てる必要はない。いいな?」
「はい、若さま」
触れた果果の肩に力が戻り、彩花はほっと胸をなでおろした。
さいごまで勘違いを正せなかったばかりか、余計なことをいってしまった気もするが、自分のことで果果が悲しむよりはましだった。
次話→あの森には因縁もあるようで?