カメラに残った
映像処理が終わった。
ユノーやアーヴィンなどの本職に見てほしい箇所だけ切り取って、記録媒体に落としていく作業が一先ず終了した。取っていたメモを頼りに最終確認も済ませて、葵は静かに何度か万歳すると、USBを持ってOA室を出た。
最近ではドーラ号の数名も顔を見せる賑わいのある大部屋には、人が居なかった。
時刻は16時になろうとしているところだ。忘れていた昼食をドーラ号へ取りに行こうと思ったが、なんとなく移動するのも煩わしく、大部屋に常備されているインスタントを広い部屋で一人きりで済ませた。窓の外に走る飛行機の音が開いた窓から聞こえてくる。
飛行機のエンジン音、誘導する人の声、貨物の乗り降りする機械音、幼い子の泣き声………
「ん?」
外からの音ばかりかと思い込んでいたが、船内からも声がする。
喚くようなけたたましさではないが、確かに泣き声を聞いた。
ろくに片付けもせずに大部屋を飛び出して、心当たりのある部屋に走って行った。
目的地に到着すると扉に耳を当てて中の様子を盗み聞く。
やっぱりこの中から、少年の声が聞こえる。しくしくと押し殺すような声だ。
小さくノックをして、静かに声をかけて、三秒ほどおいてから、葵はゆっくりと扉を開いた。
「こんにちは…」
そう広くもないベッドの上で、少年が布団をひっつかんで縮まっていた。
なるべく葵から距離を取るように、壁まで下がってなるべく小さくなろうとしているようだった。
「大丈夫? どうかした?」
視線を下げようと床に膝を付けるほどしゃがみこんでみて、すぐに気付いた。
シーツが汚れていた。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」
「おお、しゃべっ」
葵の視線がベッドに向いたのを見て、少年はか細い声で謝罪をした。
言語を解する姿を初めて目の当たりにした葵は驚いて喋れるのねと言いそうになったが、すぐにそれは失礼だと思って口を塞いだ。
「掃除すれば大丈夫だよ。お布団は汚れてない? 一回全部洗おうか」
この船には毛布や布団を洗濯できるような立派な洗濯機はなかったが、幸いにしてすぐ隣にドーラ号が止まっている。団員30人分の布団をまとめて洗えるレベルの巨大洗濯機が装備されている。それを知っていた葵は、さくさくとシーツを剥がして下の敷き布団も畳んで廊下にぽいっと投げていった。少年は葵の動きに合わせてベッドを降り、最初に見た時のように棚と壁の隙間に隠れにいった。
少年にこのことが大した事件でもないと教えるために善し悪しを考慮している場合ではないと思い、アーヴィンのプライベートルームと知りながら葵は収納棚を遠慮なく開けた。女性部屋にも備えられているのと同じように、 替えの布団やシーツが一式揃えられてたので、それを設置して、 手でぽんぽんと叩いて「ここに居ていいよ」 と少年に声をかけた。
「……ごめんなさい…」
少年はおそるおそるといった様子でベッドの上に上ってきた。
もう頭に付いていた動物の耳がなくなっている。 代わりにガーゼのようなものが貼られていた。アーヴィンが腐敗処理を施されていがそれでも腐敗が進んでいると言っていたので、取り除いたのだろう。
葵の視線に気付いたのか、少年は耳のあった辺りを手で覆った。
不躾なことをしたと謝ると、少年は抱えた枕にロ元を隠して、蚊の鳴くような小さな声でぼそぼそと喋った。
「いたく、なかった」
「ん?…あ、頭?」
「付ける時は、すごく、痛い。でも、取る時、起きと、たら、取れてた」
たどたどしかったが、それは言葉を知らないと言うよりも、発音に慣れていないという感じだった。
犬の耳を付ける時の映像は葵も見た。
針の一刺し一刺しが悲鳴と共に髪の間に埋もれていくあまりに恐ろしい映像だった。
「そう……、そう。もう痛くない?」
「ずきずき」
「ずきずきする?」
「前、していた。今、しない」
少年はどこか斜め下の方を見ていた。目を合わせるのが怖いのかもしれない。葵はベッドの脇の床に正座して、 彼よりも低い位置にいるようにした。
最後に彼を見たのは、おかゆを持って入ったあの日だ。
あの時のような威嚇するような態度はなくなっている。少し怯えは見えるが、少なくとも犬らしくはなくなった。まだ歩く時は前屈みだが、腰が曲がってしまっているだけで手を床に付いているわけではないし、怖がっても唸りはしない。リネやアーヴィンから聞いはいたが、この目で違いを見ると実に感慨深い。
「食べ物おいしい」
「ほんと? よかった」
「おとこのひと、やさしい」
「男の人…」
あれから毎日世話をするのはリネの仕事だ。 食事の時や水の交換、それ以外でも、用がなくても度々見に行っているのを葵も知っている。
「やさしい。ありがとう」
「…うん」
なんだか晴れやかな気分だ。
空は夕暮れがもうはや始まりそうな色模様なのに、この部屋は明るくて白い。
画面の向こうで泣いていた幼い子は、もういないんだ。
***
恭しくジャックに抱えられて戻ってきたアーヴィンは大部屋で葵の姿を見るやいなや開口ー番、「忘れていました」と言った。
「男の子のご飯ならドーラ号のおばちゃんに定食を作ってもらって一緒に食べたわ」
「珍しく気が利くじゃないですか」
「こら、アーヴィン。ありがとう、葵。彼の様子はどうだった」
リーダはこつん、とアーヴィンの頭に拳を落とした。
こういうことを諌めるのはユノーの役割だったが、彼は不在のようなので、リーダが代打を勤めているんだろう。
「病院が決まりました」
アーヴィンは薄い冊子を葵に渡した。病院の紹介パンフレットのようだった。
「この国の警察を見ていて身にしみました。この国には置いておけません。彼と彼の夫婦が今後生活をする他国の病院に入れてしまいます。重要参考人ではありますが、もうこの国で病院探しはしたくありません。こんな国の空気を吸っていたら私まで犬になりそうです」
口調はあくまでいつも通りの平坦な物言いだったが、なんとなくアーヴィンが苛ついているのが葵に伝わってきた。
清潔そうなベッドや温かそうな看護師たちの写真に何度もページをめくったあとが付いていて、アーヴィンがどれだけ吟味して病院探しをしたのか手に取るように分かる。横から覗き込んできたリーダも何も言わずとも領いているし、葵も異論はなかった。
「リネ、この間のことだけど、殴った上に疑って、ごめんなさい」
この国の警察のエンブレムがついたつなぎのような作業服を着たリネが帰ってくるなり、葵は深々と頭を下げた。
ずっと謝る機会を逸していた。
というかどこかでまだリネを疑う気持ちが残っていたのだろう。
でも、少年の言葉を聞いてから、そのことを後悔していた。
「えっ! いえっ! そんな! いいんです! うわあ! やめてください! いや、やっぱやめないで…、いや! やめてください! むしろ叩かれて嬉しかったって、いやいやいや! 俺こそすみませんでした! 姉さまを不快にさせてすみませんでした! どうぞ気が済むまで殴って蹴ってください!」
汚れた服を脱ごうとしていたリネは半裸の状態で床に土下座した。
下げられた姉の頭より自身を低くしなければならないと考えた結果だった。
情重に脱いでいた土まみれの服が土を床中に散らかして、後に続いてきたマリアンヌを激怒させた。彼は望み通り蹴られたが、それは姉ではなくマリアンヌだった。
***
少々わざとらしかったがユノーが拳で壁をぶち抜いてその先のコンクリートも壊して、段取り通り土の下の地下室は発見された。議員一家が鬼の形相で怒り地元警察が泣いてやめてくれというのをジャックが必死で止めて、ユノーとマリアンヌは淡々と地下室を検証していった。その際に議員一家がぼろぼろと出した発言もリネが忍ばせた録音機に保存して警察より偉い厄介連中が来る前に引き上げていった。
アーヴィンの裏工作でこの事件の話題は国内外を問わず広まっていったが、警察は捜査の進捗をあまり公にはしなかった。
「ふっ、もっと燃え上がれ」
「アーヴィン、放火犯みたいよ」
「なんです、なんです。警察が捜査内容を公開しないのを良しとするのですか。へ~、そうですか。葵は悪徳組織のお味方ですか」
拗ねた。
宥めるのも面倒だったので何を言われても無視を決め込んでみると背中を平手で何度も叩かれた。が、無視を続行した。
もう間もなくリーダとユノーが帰ってくるのを知っていたので、二人にまとめて叱られてしまえと悪事を企んだ。
瞬く間に広まったスキャンダルは、地元警察の緩慢な動きに対する批判によって更に炎上していき、渦中の議員一族はアーヴィン好みの阿鼻叫喚ぶりだった。
「あ、こら、アーヴィン」
「駄目だろう、アーヴィン」
狙い通り大部屋に入ってきて早々にリーダとユノーはアーヴィンを叱り始めた。
リーダは葵への暴力そのものを叱っていたが、ユノーは端からアーヴィンが悪いのだろうと決めつけていた。何があったか聞かずに責め立てるなんて酷いというアーヴィンの抗議を受けて何があったか双方から話を聞いてから、ユノーはもう一度アーヴィンを叱った。
影に隠れてほくそ笑む葵に机をだんだん叩いて怒りを顕わにしたが、それも叱られた。
『…被害者の身元については捜査の結果待ちで現在申し上げられることはありません』
パソコンの画面に付きっぱなしになっているテレビから聞き覚えのある声がした。
特待の船にあってドーラ号にない魅力の一つがネット回線と繋がっているとごろだろう。ドーラ号ではテレビもラジオもなくインターネットもなかったが、特待は常に生きた情報を吸収し続けられる。玉石混淆だが。
「えっ」
「え、トントですか?」
着替えて帰ってきたリネも足早に大部屋の奥までやってきて、葵の横に陣取ってテレビに向かった。
髪の色も違うし目の色も違う。雰囲気もまるで違うし、話し方もひょうきんではないが、間違いなく画面いっぱいに映っているのはトントだった。多くのマイクや録音機を向けられてカメラのシャッターを切られている男の顔の横には、「弁護人」の文字が浮かんでいた。
「弁護士の一人として潜り込んでもらっています」
「何でトントが?!」
「出来ると言われたので。実際、事前に私とマリアンヌで法廷での遣り取りを再現してみましたが、彼はのらりくらりと躱すのが上手ですね」
胸に光る小さなバッジが顔とミスマッチしているように見えるのは、本来の彼を知っている先入観からだろうか。
「警察も、検察も、容疑者の味方です。であれば、あちらの懐にこちらの味方を忍ばせるしかありません」
「弁護士資格持ってるの?」
「驚いたでしょう。私も驚きました。捏造しようとしたのに、彼は持っていました」
もちろん、働ける国は違うのでそこはアーヴィンの裏工作が入ったらしい。
しかし彼はある国では弁護士としての資格を持っていたのだ。愛のために取ったというのが彼の言い分だそうだが、解けない謎に陥りそうだったので深くは聞かなかったとユノーが教えてくれた。
「最近姿を見ないと思ったら…。彼は…、本当に多才ね」
「お、俺だって、やろうと思えば弁護士くらい…」
隣のリネが張り合おうとしてすぐにその勢いは収束していった。
弁護士にはなれまい。
「葵、ゴミを捨ててきてくれないか」
ユノーの頼みに葵は二つ返事で快諾した。
せっかく着陸しているので、船に備わっているゴミ処理部屋ではなく、許可をもらって空港のゴミ捨て場に捨てさせてもらっていた。
大きなゴミ袋を二つほど持って少し離れた建物の裏に向かう。リネには代わると言われたが、数少ない外の空気を吸える機会だ。それも隣に着陸しているドーラ号までとは違い、懐かしいコンクリートをそれなりに長い間歩いて行ける。二日に一度程度の、気晴らしには適した仕事なのだ。
ゴミ捨て場ですれ違う作業服の人と挨拶を交わすのも、マンションの人と挨拶するような感覚で懐かしいようで楽しい。
分別通りのカゴにそれぞれの袋を入れて、ゴミ捨て場を出てから体を伸ばして深呼吸した。
あまりいい思い出になりそうにない国だが、その空気は澄んでいて心地よい。日本で言うところの春に似た気候が続く時期らしく、半袖だと少し肌寒いけれど空の高さが気持ちを軽くする爽やかさだ。
葵は少しだけその空気を堪能してから、意味もなくぱんぱんと軽く膝を払って、再び船に向かって歩き始め―――、
***
「葵が戻ってこない」
「リネに聞かれたらユノーが殺される」
「物騒なこと言わないでください、リーダ」
「姉さまが居ないってどういうことですか! どうしてゴミ捨てなんて下等な下働きを姉さまに! ユノー、そこに正座してください。あなたには世話になりました。苦しませたくない」
「脳回路がいかれてやがる」
果たしてゴミ捨てが葵失院の根拠かとも分からない状況なのにそこに直結するとは、なるほど頭がおかしいとジャックは改めて戦慄した。何か事件があった際に加害者そのものよりも被害者の行動の原因となった第三者に手軽に恨みの対象を曲げてしまう心理はままあることだが、それに至るまでにはもうちょっと考えたり葛藤があったりするべきなのに、リネときたらユノーに即効一直線だ。しかももうはや殺す気だ。
しかしゴミ捨てに行って以来葵を見ていないのは確かだ。
アーヴィンはすぐに空港警備隊に要請を入れてゴミ捨て場周辺の監視カメラ映像を提供してもらった。
ゴミ捨て場そのものを映すカメラはなかったが、近くの整備所と停泊所には固定カメラが仕掛けてあった。ドーラ号の影からゴミ袋を持って歩く葵の姿に、リネは画面を抱え込んで「姉さま」と連呼した。邪魔だ。
そしてゴミ捨て場の方から帰ってくる葵はない。
周辺の映像にもそれらしい影はなかった。
「ゴミ捨て場で何かあったのか」
「逃げたのかも」
「姉さまは逃げたりしない! 絶対に絶対に絶対に何かに巻き込まれたんです!」
「ゴミ捨て場の方は見てきたけど葵らしい姿はなかったよ」
葵がいなくなったことを受けて、特段の指示はなかったのにドーラ号の団員たちは空港内の捜索に向かっていた。
逃げたのであればまだ分かりやすい。攫われたことを考慮して、人間が入れそうな荷物にも注意したが、ここは空港だ。大きな荷物など珍しくもない。
真っ先にゴミ捨て場を確認しに走った梁はカゴの底までゴミを擢って葵が沈んでないか探したが、痕跡は一つもなかった。
「空港の全てのカメラ映像を要求する」
「優先してゴミの回収をするトラックの映像を出してください。乗せるまでの動線が映っているものが好ましい」
「承知した」
「ありますわよ。勝手に取りました」
先ほどから輪から外れて高速でキーボードを叩いていると思ったら、マリアンヌは空港の監視カメラをハッキングしていたらしい。
一定の速度で左右に首振りしているカメラを勝手にぎゅんぎゅん回したりして葵を探していたらしいが、その裏で録画された映像を盗み取っていた。
「すごいな。ヤットラーにも出来る技術かどうか分からない」
「よくやりました、マリアンヌ。迅速な捜査に必要だったとしてあとで謝罪しておきます」
「普通に犯罪だ」
「大義名分があれば多少の無理は許されます。傷つく人間も出ていない。ごめんなさいの一言で赦される犯罪は犯罪に足りません。ボーナスです」
リーダの言葉に返しながらも、アーヴィンは三倍速で映像を確認していた。やはりゴミ捨て場そのものの映像はないが、ゴミを集積したカゴを大型トラックに載せていく駐車場の映像と、その道中の一部は撮られていた。
「袋が一つ減っています」
「どれだ?」
「これです。このカゴ、この道では49個の袋が積まれているのに、トラックに着いた時には48個です」
アーヴィンはニつの映像をパソコン上で並べて見せて、押されているカゴの中身を指で指し示した。
梁が細目でいち、に…と数を数えていったが正確な袋の数はよく分からない。しかし確かに、かさが減っている、気がする。
「マリアンヌ」
「ええ、別角度の映像はこちらで見ていますわ」
「黒い袋、持っている人居るわ! こいつだわ!」
マリアンヌの画面を後ろから見ていたかにゃんはアーヴィンの言葉を受けて黒いゴミ袋を目印に映像をさらっていた。
キャリーケースを引く人が多い中で、その姿は目立っていた。重たげに引きずって台車に乗せると、足早にどこかへ向かっていく男がしっかりと映っている。
「身元の割り出しを」
「映像を高精度化しますわ」
「この国の顔照合の範囲は」
「前科持ち、それからパスポート及び運転免許証所有者」
ジャックが慌てて廊下の奥の方から大型の端末を運び込んできた。今時珍しい、古くさいパソコンだ。箱のような本体に強く叩かなければ沈まないキーボード、他の端末は無線なのに床に伸びていく太い導線。
てきぱきとした特待メンバーの動きに、リーダは関心と同時に無力を知った。自分たちでは監視力メラを追うことすらまごつく。後で勝手に映像を盗み見たことを謝罪する機会もない。
やることを失ったかにゃんは手持ち無沙汰を紛らわすように高いヒールを鳴らしながらマリアンヌの背後を右へ左へりうろついていた。
ゴミ袋を抱える葵の姿を、いつまでも無言で見つめるリネが、心配だった。
もしかしたら、葵が自発的に逃げている方が、この話は平和に解決できた、かもしれない。




