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企み

 夜になって、葵は部屋を出た。

 マリアンヌはまだ帰ってこない。

 一人の部屋で何故か深夜に目が覚めてしまって、水でも飲もうと大部屋に足を伸ばした。

 珍しくもなく、アーヴィンがいた

 最近はちゃんと電気を付けたままにしているようだ。


「こんばんは」

「飲み物持ってきてください」


 アーヴィンは葵に目もくれず命だけを出してきた。

 72度より少し熱めのミルクを入れてアーヴィンに持って行くと、彼の頬を引っ張り上げて挨拶とお礼を言うよう申し立てた。


「乱暴です!」

「そう、私ちょっと暴力的になってきたかも」

「朱に交われば赤く、ですね。ドーラ号の団員たちもさぞかし乱暴なのでしょう」


 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 これだけ驚くようなことがたくさん起きていて、身の危険もたくさんあって、本性が現れてきただけなのかも。

 葵は椅子に腰掛けて机に置いた両手に頬を乗せたときにようやく、左腕を怪我していたことを思い出した。重圧を感じた傷痕が刺さるように痛んだからだ。


「あの子、いつ病院に入れるの?」


 腕の痛みが少年のことも呼び起こしてきて、葵は包帯をさすりながらアーヴィンに聞いた。


「病院を探しています。信頼に値するところがなかなか見つかりません」

「この国は医学が発展していないの?」

「いいえ。権力に弱いのです。病院に限った話ではありません」


 珍しくアーヴィンは天井を見上げて息を長く吐いた。昼間は楽しげだったけれど、愉快ではない仕事も当然あるようだ。


「精神的な病については私の専門外です」

「うん…。あんな目にあうなんて、本当に可哀想。あの子のことについて明らかにするのが彼のためとは限らないとは分かるけど、加害者がどんなことをしたのか、世間に知られないのはやっぱりちょっと納得いかないわね」


 机の上にぐっと伸ばされた葵の左腕を、アーヴィンが唐突に持ち上げてがこんっと落とした。

 あんまりいきなりだったので、空中で止めることも出来ず、葵の左手は机に打ち付けられてそこから骨を伝うようなしびれが穴に向かって走ってきた。


「いっ、たあああ!」

「私の同郷者とかいうのが作った薬はまだ服用していますか?」

「してるよ! いっぱいくれたから! でもね! 刺激を与えたら痛いの!」


 強めに傷周辺を握りしめながら葵は七転八倒した。

 意味もなく椅子をくるくる回して蹲ったり天井を仰いだりしながら声を出して痛みを霧散する努力をした。

 そんな彼女を机の上のアーヴィンは黙って目で追っていた。


「あなたを撃ったこともなかったことにされます」

「あっ、そう、そうなんだ。そう。でも今は撃ってきた奴よりアーヴィンが憎い」


 葵は額を机に押しつけながら右手でばんばんと机を叩いた。

 左腕を宙にぶらぶらと振っていると冷たい空気が包帯越しに伝わってきて、いくらか痛みが誤魔化せてきたように思う。


「傷害、うまくいけば殺人未遂にできるところを、ちんけな窃盗と誘拐で彼の罪状は留められます。悔しくはありませんが」

「ええ…、うーん、なんか、議員さんが酷すぎてあんま考えていなかったわ」


 いつか教えてもらった万病に効くというツボを押しつつ緩く揉んでいると、今度こそ痛みが消えていった気がする。

 次は肘を置いて手の平をマッサージしてみた。


「私は緑のない国の人間が憎いです」


 葵は手を止めてアーヴィンを見た。

 彼は葵の左手をじっと見つめていた。

 緑のない国は、エルロイも生まれ育った、子供を実験道具にして医療を研究している謎に満ちた孤立都市だ。


「軒並み憎いです。施設の人間だけではなく、あそこで生活している大人が全部です」

「…」


 もちろんそうだろう、と葵は同意しようと一瞬口を開いたが、すぐにやめた。

 ほんの少しばかり話を聞いた程度の自分では、薄っぺらい同情にしかならないという考えが浮かんでしまって、相槌さえ出てこなかった。


「あの国に近付くのも嫌ですし、実情を暴露する力も訴える根拠もありません。なので、他の犯罪者を断罪することでストレスを発散することにしました。被疑者は全員あの国で私の脳みそを開いていた人間に見えます。とっても楽しいです」


 アーヴィンはコップを置くふりをしてその底を葵の腕に叩き付けてきた。

 葵は悲鳴を上げて足で床を蹴り、キャスターを転がして椅子ごと彼から遠ざかった。


「私は被疑者じゃありませんけど!」

「憎いでしょう? 分かります。私も憎いです。彼らを逃げ場のない天秤の上に置いてその首が落ちるのを見るのは最高の瞬間です」


 当たった場所は傷痕そのものではなかったのに、全身の熱が集中し傷そのものが鼓動しているかのようだ。

 葵は左腕を天にかざしながら体を縮めてぶるぶると震えた。


「ドーラ号もそういう人の集まりなんでしょう。捕まえる気になりません」


 痛みでいっぱいの頭に「戻ってきなさい」と命令が聞こえたので、葵は一生懸命足を動かして椅子を元の位置に滑らせた。アーヴィンは細い紐で傷痕を挟むように二カ所結ぶと、包帯を取り除いて何かの軟膏を塗った。そして再び新しい包帯をまき直して紐を取り外した。

 傷から少し離れたところをむにむにとつままれて、もう痛くないことが確認できた。


「痛くない」

「私の薬です。すごいでしょう」

「すごい」

「飲み薬で特定箇所のみの痛みを取り除ける方がすごいのですがね。軟膏は効き目は強いですし副作用も少ないですが、持続性が弱いです」

「でもすごい!」

「ふふん」


 痛みが全くなくなった左腕を振り回していると本当に不自由がなくなったように感じる。先ほどまでは痛みはないけれど指先が痺れたり腕全体が重たく感じたりしていたが、それもなくなった。


「ドーラ号の団員の内十数名は身元が分かっています。みな、スラムや貧困街からの出身です。苦役を担う貧困労働者でもなく乞食でもなく自殺もせず、その日の糊口を凌ぐだけの犯罪を繰り返すわけでもなく、自分なりの正義感を持って行動を起こしたことは、まあまあ、まあ、簡単なことではなかったでしょう」


 前の引き出しへ包帯や軟膏をしまいながら、アーヴィンは話を続けていた。

 苦しみを失った左腕に感動するあまり、葵は腕を曲げたり伸ばしたりぐるぐる回してみたりしていたが、ちゃんと話は聞いていた。


「じゃあ、ドーラ号の人たちを認めてあげればいいじゃない」

「犯罪行為を以て粛正としている以上否定意見が出るのは避けられません。彼らは犯罪者です」

「法律とかそういうの知らないから強硬手段に出るのよ。アーヴィンがコントロールしてあげればいい」


 紫の瞳が髪の毛の下で見開かれてぱちぱちと瞬きしたが、左腕の快適さを未だに堪能している葵は隣の彼の変化には気付かなかった。


「コントロール?」

「どうすればいいか、教えてあげればいいじゃない。人手不足の特待と、知識不足のドーラ号でちょうどいいわ」


 葵は両腕を上に大きく伸ばして屈伸運動をした。

 痛くない! 

 それに重くない。

 とっても自由だ。


「…しかし彼らは国際的に犯罪組織として手配されている存在ですよ」

「ジャックとかは犯罪者だったけどここで恩赦のために働いているんでしょ? 能力が高いからとか何か理由を付けて傘下に入れればいいじゃない」

「…傘下」

「そーだ! 特待って大きな組織の一部署じゃなくて、アーヴィンがボスのチームにしちゃえばいいじゃない。隠れた犯罪者を捕まえちゃうの。かっこいいよ~。報酬だってアーヴィンが決めていいのよ!」


 葵は空想を楽しむつもりでありもしない未来を描いていたつもりだったが、ようやく隣の顔を見て、はっとした。

 こんなに輝いた紫の瞳を見たのは初めてだ。

 いつも死んでいるようだったのに、照明の影響ばかりではなく瞳が色を持って光を映している。


「いいかもしれません」

「アーヴィン、冗談よ」

「いいかもしれません!」

「えええ~、無理でしょ。30人くらい居るんだよ? ドーラ号って。お給料とかさあ」

「食い扶持も稼げない無能は排除します」

「うわあ…」


 葵はわざと椅子の脚が鳴るように体重を傾けて動かした。

 きゅっと床を擦る音が、静かな大部屋に響いた。


「正当な方法の下でもドーラ号の人間たちが役立てることを証明すればいいのです」

「どうやって?」

「前例を作ります」

「どうやって」

「都合のいいのがちょうどいるじゃありませんか」


 机にのっているいくつかの端末の内の一つを手で叩いて、アーヴィンはその存在を示した。

 そこには髭を生やした色の濃い男性が笑顔で写っていた。見たことのない人物だ。恰幅が良い。斜めに構えたポーズが写真慣れしていることを表している。


「誰これ」

「議員です」

「ヘえ」


 悪いことをしたと分かって改めて見るとあくどい顔をしている。気がする。


「作戦はこうです」


 いつになく声が弾んでいる。

 机の端に投げ捨てられていたノートとペンを膝に乗せて、アーヴィンは葵に話しかけているのか独り言を言っているのかも分からないように目を宙に向けながら生き生きと話し出した。


「スナッフフィルムが次男の手によって作られたことを告発します。当然、被害者と撮影場所及び関係者について捜査がなされることになります。それを私たちが一手に引き受けます。そこで議員の家を捜素する令状が出せるので、地下室を発見します。ドーラ号の人間には告訴から捜索までの間、証拠隠滅が出来ないように議員の周辺をフォローしてもらえばいいんです」

「フォローって何?」

「地下室を自分で潰すわけがないので、業者に頼むでしょう。業者をドーラ号の人間にやってもらうのです! 人手があると言うことはそういうことができるということです!」

「それでどうするの」

「潰したと言いつつ出入り口を塞いだだけで、ちょっと押せば見つかるようにしておけばいいのです。それで後から議員が業者をどうにかしてやろうとしても、ありもしない業者なのでどうにもならないというわけです」

「それは犯罪に当たりませんか」

「どんな犯罪になるのです? 議員は金持ちらしい吝嗇な人間です。やっすい金で業者を探すでしょう。やっすい金に見合う仕事をすればいいのです」


 どんどん何が正しくて何が間違っているのか、葵は分からなくなってきた。

 一つ前の問題を脳内で審議している内にアーヴィンの作戦はどんどん先へ進んでいって、彼の脳内ではもう議員が死刑宣告までされていた。

 果たして子供を八年監禁し虐待していた罪が死刑に値するのか分からないが、アーヴィンの笑顔を見ているとそれは些末な問題に思えた。とっても楽しそうだ。


「このねえ、やってはいけないことがあるという制限の下で断罪するというのが、それがいいのですよ。どろぼうしていい、火を付けてもいいでは面白くないでしょう」


 クズの本音が見え隠れしている。

 特待とドーラ号はやり方が違うだけで、志は同じくしているようだ。


「不在中に侵入して間取りを把握するのは犯罪かな…? 衛星から透析するのはセーフ? どう思います?」

「聞かないでほしい。どっちも訴えられたら負けると私は思う」

「あっ、訪問販売と言うことで中に入れてもらえばいいのです。あー、素晴らしい! これで合法です」


 もう駄目だ。

 聞いていない。

 そういえばドーラ号の団員は当然のように目測で平米を測れるようなことを言っていた憶えがある。そのことをついするっと言った途端、アーヴィンの目は輝きを増して、葵の手を取って喜びを顕わにした。

 葵は急激に眠くなった。

 拒絶反応に違いない。

 とってもにこやかなアーヴィンに見送られながらふらふらと廊下に進み出ると、曲がり角にトントが立っていた。


「お面、取ったんだねえ」

「今の、聞いてた?」

「お面取った方が素敵だよ! あー、この黒い瞳、唇、さいっこー!」


 アーヴィンの悪巧みがこの耳の良い詐欺師に知られなかったか不安になったが、彼はそれどころではないらしい。

 トントの目の下は真っ黒だった。ユノーが帰ってきて眠れていないのかもしれない。それか日がな一日リネの顔も葵の顔も見れていなかったストレスの表れかもしれない。

 骨張った両手が顔を両サイドから挟み込んで潰すように撫で回した。


「リィネくん、眠るときまでアレを付けてるんだ…。取ろうとすると寝ているはずなのにナイフが飛んでくる」

「そう。喜んで貰えてお姉ちゃんとっても嬉しい」


 葵はトントの手を払いのけながら両手でぐーを作って満面の笑みを作った。


「そんなこと露ほども思ってないくせに! 気持ち悪いって言いなよ! 目をもっと釣り上げて! 口はもっと歪めないと! 自分の美しい表情をもっと理解して!」


 作り笑みのまま鼻歌を歌いスキップをして葵は部屋に戻った。

 隣の部屋からは地響きのようないびきが鳴り響いていたが、今夜も心地よい安眠を得ることが出来るだろう。

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