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たったひとりと呼んでくれ

 姉さまは誰にでも優しい。いい人にも、悪い人にも。

 仲間の皆と仲良くなってくれるのは嬉しいけど、それ以外の人とは関わらないでほしい。

 姉さまからの親切を受けるのに相応しくない人だってたくさんいる。姉さまが微笑みかけるだけの価値がある人なんてそんなにいない。

 俺だって…、滅多に見られないのに。

 誰にでも親切で、優しい優しい、優しい姉さま。誰にでも優しい姉さま、素敵です。


 でも、そいつには優しくしなくていい。




「おねえちゃん、ご本読んで」

「うん! いいよぉ」


 でれでれだった。ここに来てから、こんなに頬の筋肉を失った葵を誰が見ただろうか。

 舌っ足らずで葵に絵本を差し出すのは、男とも女とも付かない美少年、ミューシだった。


 彼の父親が貧しい家から若い娘をメイドとして雇い入れ、妻子に秘密で用意した別宅でハーレム三昧。娘を売ったお金を耳を揃えて買い戻しに来た両親を娘の目の前で惨殺した悪逆非道の徒。

 そんな男でもたった一人の見目麗しい跡取り息子は可愛いらしい。

 女性たちの解放を条件に人質にとっているところだった。

 慌てふためき金を積んできたが、条件と違うと言って突っぱねた。

 少年は父親の正体を知ってか知らずか、見知らぬ人に囲まれた見知らぬ場所で、牢屋に閉じ込められてめそめそと泣いていた声を、よりにもよって葵が嗅ぎつけ、立ち入りを禁じられていた階下に侵入し、同じ境遇に同情し、牢屋に入れはしないが鉄格子越しに会話を重ねる内、少年は彼女を「おねえちゃん」と慕い始めたのだ。


 葵は蔵書室から絵本を借り入れて何度か読み聞かせをしていたため、蔵書室の主たるエルロイがまずそのことに気づいた。

 そこからするするとリーダまで話が入り、危機を感じたリーダがリネには間違っても言うなと箝口令を敷いたが、リネはあっさり自分の力でそれを発見した。毎日毎日部屋から抜け出す葵を、彼がストーカーしないはずもない。


「おねえちゃん…?」


 瞳孔を見開いたりネが左半身を壁から出してこちらを見つめていた。

 窓の少ない薄暗い中でもはっきりとわかるほど、握り締めた拳はわなわなと震えている。


「な、なんですか、そいつ…」

「え、…なにかの交渉に攫ってきた子なんじゃないの? ミューシくんって」

「ちがう! それは分かっています! 女性を傷つける性犯罪者の息子! そうじゃなくて! 何でそんな酷い奴の息子が姉さまのことをおねえちゃんなんて呼んでるのかって聞いてるんです!」


 ガンッと何かを叩きつける音がした。

 鈍感な葵でもさすがに気づいた。これまでにないほど怒っている。

 今までも何度か声を荒げられたが、許しを請うものでも懇願するものでもなく、ただただ怒りが含まれただけの叫びに思わず身が竦む。


「どうしてって、私のことを慕ってくれて」

「慕う? 何言ってるんですか? そいつは悪い奴なんですよ。悪い人の子供で、悪い血を受け継いだ鬼の子なんです」


 鉄格子の奥でミューシが怯えている気配がした。そっとリネから目線をそらして少年を見やる。


「今は僕と話してるんです!」


 また大きな音が響いた。鉄どうしが激しくぶつかり合う音だ。

 勢い余って壁の向こう側にあったパイプ椅子か何かを倒してしまったらしい。

 リネはハッとして死角となっている方を確認し、傷ついたような顔をした。


(そんな顔をしたいのはこっちなんだけど)


 心の中だけで毒づいた。

 しかし怒鳴りつけられることにも、大きな音にも決して慣れてはいない葵は正直怯えていた。

 今に倒れた椅子を持ち上げて投げつけてくるんじゃないか、とうとう「言うこと聞かない姉なんていらない」と処分されるのではないか。

 リネは小さく舌打ちするとずんずんと近づいてきて葵の腕を思いっきりつかみあげた。


「痛っ」

「帰りましょう。こんなところにいちゃいけない。汚いし臭いし姉さまには相応しくない」

「き、来たくて来たの」


 語尾が震えているのが自分でもわかる。

 唇をきゅっと締め切って歯が噛み合わないのを必死で隠す。


「…鬼に誑かされたんですね。小さいけど女性を傷つける悪い血なんです。お優しいからって、鬼にまで近づいちゃいけません」


 リネがミューシを冷たく一瞥する。

 ミューシも随分怖がって震えているが、奥に逃げようとせず、大粒の涙を一粒ずつ、ほろ、ほろ、と零しながら葵を見上げている。


「い、いかないで…、おねえちゃん…」


 ミューシの小さな手が添えられた鉄格子を、リネが全身をかけて蹴りつけた。


「何するの!」

「姉さまは! 姉さまの! 姉さまの、弟は、俺だけだ! お前なんかが! お、お、お、おね、…っなんて! 二度と呼ぶな!」


 ミューシは四つん這いのまま慌てて奥へ逃げていった。引き攣りながら泣く姿があまりにも可哀想に映った。


「やめてよ! 怖がってるじゃない」


 目の前で暴れ狂う足をなんとか捉えて両手で押し飛ばし、リネと鉄格子の間に割って入った。

 怒っているのか、泣き喚きたいのか、葵にはリネの表情から何も読み取れなかった。


「……ね、姉さまはお優しいなあ…本当に………」


 リネはなんとか笑顔を備えようとしていた。


「小さく見えるけど、もう心の内で悪巧みができる年なんです。見た目より子供はずっと大人なんです。お願いだから騙されないで。僕を信じてください」


 リネは指を大きく開いて恐る恐る鉄格子を背にする葵に手を差し伸べてきた。

 嫌われないように、慎重に、でも確実に、悪から姉さまを救わないと。

 言葉を選んで話す姿が、葵の目には弱々しく映ったらしい。生来の気性の強さを後押しする誤解だった。


「リネより良い子よ」


 火に油。虎の尾を文鎮で叩きつけるような真似をしたことを葵は自覚できない。

 みるみる蒼白になり、繕っていた不器用な笑みはがらがらと崩れ、喉から空気が失われていく。


「は…、は、なに、どういうことですか…?」

「言葉のままよ」

「お、俺は女性をお金で買って好き勝手したりしな、」

「あの子だってしていない。父親の話でしょ」

「で、でも、でもでも、ね、姉さまを騙そうとしている。そうだ、詐欺師だ。悪い子です。俺より悪い子だ」

「あんたの誤解よ。それを言うならあんただって泥棒じゃない」

「な、なにそれ」

「ミューシは巻き込まれただけよ」


 歪む顔を恐れて目を逸らしていなければ、リネがどれだけ追い詰められているか葵も気づけただろう。


「だから、あんたのしていることは―――」

「リネです」


 唐突に噛み合わなくなった会話にほぼ反射的に顔を上げた。感情がもう一つも残っていないような瞳と目が合う。


「リネです。なまえ、あいつのことは名前で呼ぶのに、俺ばっかり」

「な、何の話」

「俺はこんなに姉さまを思っているのに、俺よりあいつを可愛がるんだ。弟の俺のことは一度も可愛がってくれたことないのに」

「だ、だってそれは…」


 "弟じゃないし"


 葵は言葉を飲み込んだ。

 今まで何度と言おうと思った言葉だ。だが、なんとなく、この言葉が決定的なトドメとなってリネの何かを壊してしまいそうな、ぼんやりとした予感が口を塞いでくる。日を重ねるごとに、その予感ははっきりと形を成してくるように感じていた。


「あいつのせいで、姉さまは俺に構ってくれないんだ」


 リネはおもむろに鉄格子の端をがちゃがちゃといじくったかと思うと、低い扉がすんなり開き、中に入っていった。

 鍵を持っていたのだろうか。葵も背を追いかけて中に入る。

 リネは奥で縮こまるミューシに近づくと、腰元から小さなナイフのようなものを取り出して、頭上に掲げた。


「な! ななな、何するの!」


 葵は思いっきりリネを突き飛ばした。思っていたよりもあっさりとリネは横に吹き飛ばされていき、体重を込めた突進に寄り葵もミューシの前に倒れ込んだ。

 遠くから複数の甲高い足音が聞こえてくる。違和感を感じとった団員が入ってきたらしい。


「だ、誰か来て!」


 葵が声を上げた。足音が近付いてくる。

 気づくと目前に腕が迫ってきていた。肩を押されて除けられる。リネが無表情で切っ先をこちらへ向けていた。いや、自分の後ろの、小さな少年に。焦点の合わない目が完全に見開かれている。


「俺から姉さまを奪おうとする狼藉者。泥棒は手を落とさないといけないんだ」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません、もうしません」


 ミューシはできる限り体を壁に寄せて、必死に謝っている。


「もうやめて、リネ、もうやめて。私が勝手にしたの。私がこの子に近付いたの」

「姉さまはそんなことしない。俺の姉さまは本当の弟を差し置いて他の弟を作ろうとする尻軽じゃない」


 こいつは何を言っているんだ。

 だがミューシを見つめる瞳が心からの本音をただ口から吐き出していることを物語っている。

 その横顔を見ている内に、背筋を冷たいものがぞーっと駆け上がっていくのを感じた。


「何してるんだ!」


 義賊集団を取りまとめる、我らがドーラ号の船長・リーダが牢屋に駆け込んできた。背後では同じく団員のかにゃんが葵の姿を認め、鉄格子の向こうで心配そうに見つめている。

 リーダはリネの背後から組み付き、背を反らして格子の方へ投げると、葵たちの前に立ち塞がった。

 軽くふらついた後、緩慢な動きでリーダと目が合ったリネは、悲しんでいるに相応しい表情に顔を歪ませた。涙が堰を切ったように溢れてくる。


「リーダ、どいて。泥棒なんです。俺は悪いことしてないのに、姉さまを盗もうとしている。許せない、許せない許せない」


 覚束無い足取りでリーダに向き合うが力が入っていないらしい。あっさりと両腕を抑えられる。


「お、おねえちゃん…」


 ミューシが壁から体を離し、葵のスカートの裾をギュッと掴む。


「ほら! ほら聞いた?! リーダ、見て! あいつ、あの目、泥棒猫の目だ! 姉さまに取り入ろうとしている! 姉さまを騙そうとしている!」


 突如として強くなった腕の力に、リーダも足を踏ん張って応戦する。

 リーダが顔だけをこちらに向けて、目だけで「ミューシから離れろ、ほんと離れてお願い」と葵に訴えてくるが、先のことを考えれば(いとけな)い手を振り解く方が良策だと思いつけるほど葵は冷静じゃなかった。というか、どれだけ小さな藁でもいいから自分も何かに縋りつきたい思いだった。二人の男の鬼気迫る形相に、気がついたら小さな肩に手を回していた。


「あー! あああー! いけない! 姉さま! 思惑に乗ってはいけない!」


 もはや腕のみならず体全体をばたつかせてリーダから逃れようとしている。

 狭い鉄格子の入口へ、大きな体躯の団員・ダンをかにゃんが押し入れて、リーダを手助けするよう指示を飛ばす。

 後ろからも羽交い絞めにされたリネは、それでも足を振り上げたり、どこから取り出しているのか無数のナイフを飛ばしてきたり(幸いリーダが全て弾いてくれた)、ダンの腕に噛み付いたりもしたが、なんとか鉄格子の外へ引きずり出した。

 リーダが即座に続いて鉄格子の扉を閉じる。


「暗号を変える」


 リーダが鉄格子の箸に何か細工を始めた。かにゃんが慌ててその横に立ち、リネから死角を作る。


「何するの、なんで、まだ姉さまが中にいる。二人きりにさせないで。何されるか分からない。ひどいことされる。あいつの父親がいろんな女の人にやってたようなことを。ねえ、かにゃん、かにゃん、姉さまを助けないと」


 腹元に膝立ちのリネが手を回してくる。縋り付いているようにも見えるが、かにゃんには自分を退かそうとしていることくらい丸分かりだ。


「ちょっとダン! リネを捕まえといてよ!」


 鉄格子に手やら足やらを絡ませて絶対にリーダの手元を見せないように奮闘するが、力では敵わない。

 ヒールで肩をげしげしと刺すがちっとも効いていない。


「ところで何でリネを止めてたんだ? 自分の女に手を出したんだから、殺させてやってもいいだろ」

「本当にお前は馬鹿だな!」

「姉さまを女呼ばわりするな!」


 かにゃんとリネがほぼ同時にダンを怒鳴りつけた。

 「終わったぞ」リーダが立ち上がり、かにゃんの頭を撫でて労った。


「リーダ、姉さまを出して。姉さまは関係ない」

「そうだな。葵、お前はもう上に戻れ。そもそも一階には立ち入るなと言っていただろう」


 ドーラ号の生活圏は二階と三階であり、一階は備蓄室や整備室、そしてこの牢屋が並んでおり、更には出入口もあるため、リーダとリネで示し合わせてここへの出入りを禁止していた。


「リネがもうこの子に危害を加えないと言うなら」


 必死に葵の腰にしがみつく小さな子を置いて立ち去ろうとはとても思えなかった。


「何言ってるの! 姉さま、そいつが姉さまに危害を加えようとしているのに」

「大丈夫だ。もうリネは中に入れない。ちゃんと見張りも付ける」


 リーダが手でリネを制す。


「……私が見張りになる」

「葵」


 かにゃんが困ったような顔を鉄格子の隙間から覗かせる。


「私も、ここで過ごす。この子がちゃんとおうちに戻るまで動かないから」




 リネは荒れた。

 ありとあらゆるものを投げ飛ばし、厚さ30cmにも及ぶ防弾性の窓に体当たりでヒビを入れ、椅子の足という足を折り、夕飯のスープに顔を押し付けて自殺を図った。

 蔵書室の前で奇声をあげたことにより、エルロイから脳天にマーク号を叩きつけられようやく静かになった。

 その功績は、リーダから全団員へ借りっぱなしになっている本を確実に速やかに返却するよう厳命が下されるほどだった。

 リネは昼夜を問わず姉のベッドで泣き暮らし、解放された女性の働き口を探す仕事さえ満足にこなせなかった。


 ―――ということを、牢屋に遊びに来るかにゃんから食事の度にぐちぐちと葵は聞かされた。


「リーダがここには近づくなというから、リネはちゃんと守ってるわよ。その子をどうにかしたい云々はもう二の次で、本当はあんたに会いにここに通いたいのに、リーダの命令だからちゃんと守ってる。もうその子は心配ないから出てきなさいよ。こっちが迷惑してるのよ」

「まあまあ、かにゃん。好きなところに居させてあげればいいじゃないか」


 今日はマーロが付いてきていた。義賊たちの「仕事」には関わっていないが、リーダに拾われて以来このドーラ号で過ごす仲間の一人だ。物珍しそうに牢屋を眺めて、「こんなところあったんだ~、冒険だね」と笑っていた。


「不便はない? 葵、ミューシ」


 いつも通りの穏やかな語り口で二人に食事を差し出す。

 葵が牢屋に同居し、かにゃんが食事を一緒に摂りだすようになってから、ミューシもこの質素な食卓を楽しみにするようになった。家で食べているものとはまるで違うだろうし、そもそも床にトレーを置いて食べなければならないはずなので、不便はあるはずだ。それでもいつの間にかかにゃんへの警戒も解いてよく笑うようになった。


「あの子、結構可愛いじゃない。あのデブたぬきの血なんて本当は一滴も入ってないんじゃないの」


 ミューシの父親のことらしい。かにゃんの滞在時間も随分長くなった。

 お腹いっぱいで微睡んでいるとエルロイが本を持ってきてくれる。

 何冊変え本を読み終えた頃にリーダが様子を見に来る。

 夜も更けてくるとダンがやって来て自分の国の国家を熱唱し始める。


「おねえちゃんのおかげで、ここも怖くない」


 二人で布団を並べていると、ミューシが呟いた。


「ママもパパもあんまり家にいなくて、召使はぜんぜん喋ってくれないし、お休みの日は一日誰とも喋らない日もあるんだ。でもここにはいっぱい人がいて、楽しい」


 複雑な気持ちになった。

 どんな大義名分があったとしても、この子にとってあの者たちは誘拐犯で、恐怖を与える犯罪者だ。

 親の因果が子に報い、など、この子を見ていると納得のいく言葉ではない。

 同意もできないまま、葵は寝たふりを決め込んだ。




「ミューシ、もう帰れるぞ」


 牢屋で共に過ごすようになって、四日目になろうかという朝だった。

 珍しくリーダが朝食を運んできて、牢屋を開けて入り込んできた。


「食事が済んだら着陸して引き渡す。君の父さんはきっちり約束を守ってくれた」


 後で葵が聞くところによると、ただ女性を手放すだけでなく、身元の硬い嫁ぎ先や職場を用意して、各自の親にも贖罪の手紙を送ったらしい。

 後記は団員の一人が脅迫まがいに詰め寄ってやらせたもののようだが、前記は真相を知った彼の妻がせめてもの償いに夫婦で協力して探し回ったらしい。自分の息子の解放よりも、女性たちの行く末を優先させた。団員たちが用意した働き口が無駄になったとリーダは笑っていた。


「パパは何したの?」


 小さな人質は理由を聞かされずにただ拘束されただけだ。

 葵も詳しいことは聞かされておらず、リネの言動から予想はついていたものの、ミューシに何度問われても答えを濁していた。


「それはお父さんから聞きなさい」


 食べ終えたトレーを持ち上げると、リーダは鉄格子を軽く叩いた。

 何名かの団員が鉄格子の先に現れて、ミューシを連れて行った。何度か振り返り、最後に、「おねえちゃん、ありがとう」と声を張り上げた。


「安心してくれ、安全な方法で引き渡すから」


 心配そうな葵の肩にリーダが手を添える。


(騙されちゃいけない。これは鬼の手なんだ)


 何も言わずリーダから距離をとった。肩に置かれた手がするりと落ちていく。顔はとても見れなかったが、リーダは何も言わなかった。


「あ、そうだ」


 思い出したようにリーダが葵の前に立つ。


「階段を上がる前にこれを…。かにゃんから預かった」


 見た目ほどは重くないが、随分と打つところの大きい杵のようなものを渡された。




「姉さま!姉さま姉さま姉さま!」


 牢屋から二階に続く階段を登りきり、久しぶりに大きな窓から太陽を目一杯浴びた時、眩しさを遮るように男が飛び込んできた。


「毎日毎日、あんたのベッドの上かこの階段のところで、ねえさま~ねえさま~って言ってんのよ。もう妖怪よ」


 思わず杵を叩きつけ、ファイティングポーズで距離を取り睨み合っていたところに、かにゃんが現れた。


「持ってて良かったでしょ、それ」


 対峙する二人を満面の笑みで観戦する彼女は、光を受けてきらきらと輝いていた。




「姉さま、もう弟を持たないでくださいね」


 二人きりになった部屋の中で、リネは葵の手を愛おしそうに何度も撫でながら、頬を染め上げた。


「帰ってきてくれてよかった…。リーダは必ず僕のところに戻るんだからどっしり構えて待ってろって言ってくれたんだけど、姉さまの大切な時間をあんな泥棒猫に捧げなきゃいけないなんて…。一秒だって渡したくないのに」

「姉さまを姉さまにしていいのは僕だけで、姉さまと呼んでいいのも僕だけで、僕だけの姉さまなんだ」

「世界で二人きりのきょうだいなんだ」

「同じ部屋で寝たんですよね? 僕も同じ部屋で寝たいです」

「ね、姉さま。あの猫とどんな話をしたの? 全部教えてください」


 肯定も否定も、同調も反発も差し込めない。そもそもそんなものを求めていないのかもしれない。

 息つく暇なくよく滔々と話せるものだ。


「姉さまの弟は、僕だけですよね?」


 葵は貝よりも固く口を閉ざした。

 この言葉に反応したら、もう二度と地上の家には戻れないと知っている。

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