騒がしい夜に
重複があったようで、失礼しました!
山の麗の住民たちによると、落ちた先は住民たちが使っている移動通路らしい。
アーヴィンの言っていた通りだ。
とてつもなく広く山の端々まで続いているので、捜索には時間がかかると言う。ユノーの努力でなんとか友好的になってきたが、そ
れは攻撃的ではなくなったというだけで、さすがに仲間の捜索にはそこまで協力的ではなさそうだ。
『ユノー、位置が把握できました。ジャックもいます』
「何故ジャックも?」
『さあ。それより私は彼らの場所を特定するのにとても努力しました。とてもです』
「よくやったな、アーヴィン」
『とてもです』
「ああ、犯罪者相手なのに、とてもよく頑張った。誇らしいぞ。自慢の上司だ」
しばらく無線機の向こうから小さく『とてもです』が繰り返されていたが、ユノーは飽きず絶えず朗らかな声で賞賛を以て応じた。
概ねの場所を伝えると、住民たちが案内してくれると申し出てくれたので、ユノーはありがたく彼らの後に続いた。
そうして辿り着いた部屋の中は阿鼻叫喚の様相だった。
赤ん坊は泣くものだがジャックの泣き声の方が大きい。そりゃトントとリネの間に押し込まれれば誰しも泣きたくはなるだろう。しかし何故葵がジャックの腹をリネの顔に押し付けているのか分からない。窒息死させようとしているのか? そのジャックの背中に鼻ごと唇を押し付けているトントの真意も不明だ。食べるつもりだろうか。
泣いている赤子を抱いた女性がー一服装を見るに麓の住民の仲間だろうー一ユノーと共に入ってきた住民を見て駆け寄ってきて、事のあらましを説明しているようだった。
住民は彼女を助けてくれたことをしきりに感謝し、ユノーはとにかく騒動の原因はトントであると目星を付けて彼を肩に担いで自由を奪い、なんとか他の人間たちと共に脱出した。
葵もジャックも助けに来るのが遅いと泣いた。何故か葉っぱを目に巻き付けたリネは早すぎると罵った。ユノーに手足を纏めて掴まれて肩に背負われたトントは今までの奇声とは全く別の、それは爽やかな声で実に楽しそうに笑っていた。混乱の中で、ユノーは一先ず、「姉さまのお腹は世界で一番甘くて美味しいです!」と叫ぶりネの声を聞いて泣くジャックを慰めなければならないという義務感に襲われた。
「ユノーは私の部下である前に、人命の忠臣なんだそうです」
「………………」
「ユノーは私の部下である前に、人命の忠臣です」
「もう良いだろう! その話は!!」
「ありがとうございます、ユノーさん。助かりました」
顔を真っ赤にして俯く屈強な男に、葵は心から感謝した。深々と頭を下げてその意を示すと、ユノーは咳払いをして「いいんだ」と応えた。彼は尊敬すべき存在だ。
結局麓の住民たちに、墜落したグライダーの乗員の仲間ではないと言った手前、遺体を引き上げることも出来ず、アーヴィンは「神隠しに遭ったということにしましょう」と適当に言った提案が住民たちに絶賛されて、ユノーは後ろ髪を引かれる思いだったがその場を去る結果となった。彼らは遺体を全て山の奥探くに持っていって何かに捧げるらしい。それ以上のことや後処理については、ユノーが退席しろと命じた為、葵たちは知る由がなかった。
***
空に帰ってからはあっという間に日が暮れて、泣き叫ぶリネを剥いで男女別々の部屋に戻ることになった。右腕が麻庫したような状況から回復していなかったので、そう難しいことではなかった。しかし部屋が隣り合っていると分かるや否やリネはひたすら壁を叩き存在をアピールし、とうとう病人だというにも関わらずユノーに背負い投げをされていた。
「熱烈ですわね」
「困っています…」
同室のマリアンヌは隣室の喧燥はさほど気にしない様子で眠りについた。
この騒がしい中でよく眠れるなと思ったが、なるほどすぐに得心がいった。夜が更ければ更けるほど隣室の騒ぎは大きくなった。いびきや歯ぎしりが聞こえてきて、葵はベッドの中で頭を抱えた。牢屋ではそんなことはなかったので、ジャックかユノーだろう。その上同室のマリアンヌはベッドのスプリングをぎしぎし言わせながら壁や柱を蹴ったり殴ったりしている。ベッドが離れていたことだけが幸いだ。
今日は本当に疲れた一日だった。
その終わりがこれでは残酷だ。
ふらつきながら葵は枕を抱きかかえて部屋を出た。安眠を求めて。
真っ暗な廊下の端に明かりが見えて、葵は惹かれるようにそちらに向かった。
いつも特対の四人が集まっている、大きな窓を備える大部屋に置かれたディスプレイのいくつかが、暗い部屋で鋭い光を放っていた。
その中央に、小さな少年が昼間とまるっきり変わらない姿で座っていた。机の上に。
「休まないの?」
「……葵ですか。こちらの台詞です」
「ちょっと………………、………………寝付きが悪くて」
「煩くて」
同僚をよそ者に悪く言われるのは良い気分はいないだろうと気を遣ったのに、無用だと言わんばかりだ。
アーヴィンは葵にはあまり興味がなさそうで、すぐに画面を見る作業に戻った。
好奇心が高じて、葵は部屋の明かりを点けて近付いてみた。
「暗い中で見ると目を悪くするよ」
「電気代というのがかかるそうで」
「…目の治療費の方が高くつくということで」
葵を見上げていた紫色の瞳が宙を見回すように動いて、その後小さく「ふむ」と聞こえた。
彼の足元に並ベられた三つのディスプレイには、人の顔とプロフィールらしきもの、年表のようなもの、円グラフや表が書かれたものがそれぞれ映し出されていた。葵はそれを少し覗き込んでみて、手配書…のようだと察した。
「こう空を飛んでいると、身が軽いと思われて、逃亡被疑者の捕獲指令が飛んでくることがあるんです。直近ではトントを捕らえました。素晴らしい功績です。特別賞与が振り込まれます。いつその連絡が来ても良いようになるべく頭に入れるようにしているんです」
「すごい数なんじゃないの?」
「当然です。ですから時間がかかります」
このように、とアーヴィンは壁に掛けられた時計を示してみせた。
寝る時間を割くことはないのに、と葵は思ったが、それを察したかのように彼はすぐ「ショートスリーバーなのです」と誇らしげに言った。
それにしても…、金銭を得るために最小限の努力しかしていないと思っていたのだが、夜更けまで年相応の遊びもせずに仕事をしているなんて、ちょっと意外だった。横にいる葵なんていないみたいに、画面を見つめる彼の視線は真剣そのものだ。
「行方不明者の私を帰したら日本から賞与がもらえるんじゃない?」
ここに来たばかりの頃に言われたことを忘れてはいないという意味を込めて、葵は少し意地悪く言ってみた。
「日本のお礼はしょっぱいです」
「そ、そんな」
「とても丁寧な感謝の言葉、それだけです。彼らは私たちの上層部が私たちの働きに対し相当の賞与を当然与えていると信じています。なまじ自分の国がそうですので、国際捜査への協力に対して過剰なほどの謝辞を贈りますが、金品による賛辞は失礼とすら捉えています。やりづらい相手です」
自国を褒められているのか貶されているのか微妙な発言だ。
しかしアーヴィンの下心を擽っての帰国は難しそうだ。葵は昼の疲れもあって手近な椅子にどさっと腰を下ろした。
「居座るつもりなら飲み物くらい煎れる気遣いをしたらどうですか」
「ざーんねん。72度のミルクは日が昇らないと作れませーん」
「そうなのですか?」
あまり抑揚のないアーヴィンの言葉が驚いたように跳ねたので、葵もついつられて驚いてしまった。
誰にでも分かる冗談のつもりが、彼はとても真面目に受け取ったようだ。嘘と言い辛くなって、あと、不機嫌になられたりじゃあ作れと言われたりするのが面倒だと思って、葵は本当だと応えた。彼は顎を膝の上に置いて、小さく「ふうん」と言っただけだった。
「何でそんなに私を帰さないことに頑ななの? もう絶対あなたたちのことは話さないって約束するから。指切りするから」
「指切りにどれだけの意味があるのですか? 日本は恵まれた国です。満たされた人間は秘密に時効があると考え始めます。余裕ができた心がもうこれだけ経ったのだから言っても良いだろうという考えを導きます。そして自分が言ったことが対象に漏洩することなどないと根拠のない自信を持ち始め、やがて酒などのせいにしてあることないこと付与して自慢気に話します。あなたがそれを暴露するのがたとえ明日でも10年後でも100年後でも、とにかく私は困るんです」
彼の言っていることを100パーセント理解できたとは言いがたいが、葵は反論せずに椅子の背もたれに身体を預けて文字にならない言葉を喘いだ。
信用を得る方法なんてまるで思い付かない。リネを説得した方が早いんじゃないかと思えるくらいだ。
「……あなたは私の名前を知っていた」
しばらく眉をしかめてうーう一唸っていたら、アーヴィンが足の指先を見つめながら小さな声でぽつりと言った。
すぐに気が付いて、葵は体勢を整えて、「イルイン」という名前のことだと記憶を集約し始めた。
「私は…あの国に戻るのだけは絶対に避けたいんです」
「あの…黒い、緑のない国?」
「脳の手術をした何度目からか、施設の子供たちを見る度に、窓から黒い街並みを見る度に、こんなことがしたかったのではないと私のどこかで誰かが泣くのです。手術を受けた後の脳が引き裂かれるような痛みは堪えられますが、あの苦しみは耐えがたい。戻る可能性の芽は痕跡を残さず摘まなければいけません」
「それなら、心配ない。ドーラ号にもあの国から逃げ出した子がいて、逃亡した子の情報を盗んだの。あなたもいた。回収したものをどうしたか分からないけど、お願いすれば必ず他の誰の目にも残らないように処分してくれると思う。私たちは誰もあなたをあの国に帰そうとはしない」
「そんな言葉は信用なりません」
アーヴィンは空っぽになったコップを指で弾いた。
コップは少し傾いたがすぐに元通りの位置まで戻ってきて、何度かカタカタと音を立てて前後に揺れた。
「逃げ出した後に警察の仕事を選んだのも、こういった秘匿性の高い組織に入れば政府ぐるみで身元を隠してもらえるからです。この位置に居続けなければいけない。私はこの通りの見た目ですから、この位置を確立するまでにずいぶん努力しました。だからこれからは努力しないんです」
「手配書を覚えるのは努力のいることだと思うけど」
「立場を守るための必要投資です。そのために金銭と労力を貯蓄しているのです。ここで使わなければ本末転倒です」
彼の行動理念を全て理解できたわけではないし、そのために自分が拘束を強いられていることを納得もしていないが、なんとなく腑に落ちるような感覚があって、葵はなんとなく返す言葉を失った。彼の座っている椅子に肘を乗せて体重を預けて、なんとなく一緒に画面を見始めた。
かちかちとマウスを打つ音とキーボードを叩く音が下で働いていた頃を思い起こすようだ。
先ほどのアーヴィンの言葉をよくよく噛み砕いてみると、なんだ彼も可哀相な被害者の一人じゃないか。エルロイと同じ立場だったのだ。サイズ的にはエルロイよりは大きいけれど、膝を抱えて机の上に座るところなんてあの子にそっくりだ。なんだか可愛くなってきた。
「覚えるの協力してあげようか?」
「あなたに覚えて頂いたところで私の実になりません」
「そうじゃなくて、ほら、テストみたいにすると覚えるじゃない? 反復…、学習? っていうの? 私がこの人の罪状はーとか質問するから、それに応える、みたいなさ」
「なるほど。私の記憶力を試験することで私の教師的立ち位置を確立し、無意識下で私を支配したいと」
「そんなことは言っていない」
大体、教師は生徒を支配するものじゃない。
学校に通ったことがないと言うから、偏った知識というか、認識が植え付けられているようだ。
しかしそんな憎まれ口もなんとなくエルロイに似ていると思え始めて、夢は小僧たらしいと思うと同時に、親戚の幼い子を相手にしているような気持ちになってきた。
「ミシェル…ブライン、じゃあ、えーと罪状を」
「殺人、強盗、住居侵入、逮捕監禁、強姦、強制猥褻、業務妨害、恐喝」
「多い多い多い。ゆっくり喋って」
「耳と脳が直結していないんですか? 蝸牛に疾病を抱えているんですね」
「君は本当にむかつくな」
葵のテストは明け方まで続いた。
流暢な言葉がたまに詰まったり、疑問符がついたりすると、とっても楽しい気分になった。彼の成績は素晴らしいものだったが、結果としては満点とはいかず、ふて腐れる彼の顔に葵の溜飲はずいぶん下がったのだった。
***
「腕が治りました!! うわああああ、姉さま! もう離しません!」
「おはよう、リネ! 聞いてよ、アーヴィンったら583人中三人の罪名と身長を間違えたのよ!」
「少し勘違いをしただけです! 人の失敗を笑うなんて葵は大人気ない大人です」
「そうだね~~~、580人答えられてエライ!」
「馬鹿にしていますね」
すっかり回復したリネに腕をぶんぶん振り回されながら、異様に輝く瞳でアーヴィンをからかう葵は信じがたい光景だ。ユノーは我が目を疑い何度か強く瞼を擦った。よく見てみると葵の目の下にクマが見える。徹夜のテンションと化しているということか。目にもとまらぬスピードでアーヴィンのふわふわの頭をぽふぽふと軽く叩き続けている。何という強靭な手首だろう。
「葵、日が昇りました」
「そうだね」
「ミルク」
「くださいまで言いましょう」
「72度でない場合、あなたの刑期は20年延期されます」
「くださいまで言いましょう!」
彼女は頑なだった。ユノーは初めてアーヴィンが根気負けするところを見た。
何があったかは想像の及ぶところではないが、葵とアーヴィンは一晩でとても睦まじくなったようだ。若い二人のじゃれ合いは微笑ましい。納得しないものもいるようだが。
「姉さま! こんな人間に姉さまの尊い心を分けてやる必要はありません! こいつはドーラ号を馬鹿にしたし傲慢だし横柄だし小さいし動かないし愛を受けるに足る人間ではありません!」
「あ! それは私のミルクです!」
「こんなぬるいミルクを飲むお子様なんて姉さまに相応しくありません! もちろんこのミルクは世界で最も美味しいミルクでした!」
「あー! それ、絶対72度だったのに! 自信あったのに!」
リネが葵の手からアーヴィン専用のマグカップを奪って一気飲みしてから、三人は実にどうでもいいことできゃんきゃん騒いでいた。
全員かみあっているようで他方向を向いている気がする。
アーヴィンのミルクを入れ直しに戻ってきた葵はユノーに気付くと、朝の挨拶をしてすぐにコーヒーを淹れてユノーに渡した。彼女をお茶汲み係とは思わないが、そういった仕事が身に染み付いているのだなとしみじみ感心した。少し遅れてやってきたマリアンヌにも彼女はコーヒーを渡していて、マリアンヌはそれは嬉しそうだった。
「あー、そいつらに飲み物をいれるなんていけません!」
「は? 何で?」
「僕以外には給仕しないと言いました!」
「言ってない」
「言いました!」
「じゃあいつ言ったのか言ってみなさいよ!」
「昨日、目を温めてくださって手を握ってくださって二人きりになった時に言ってくださいました!」
「トント、ちょっとここに降りてきて正座しなさい!」
葵は何故か矛先をトントに変えた。
本日の彼は少しばかり背の高いキャビネットに猫のように飛び乗って、その上で仰向けになって膝を抱えていた。頭だけ落ちていて伸びた首が苦しくないのか不思議に思う。いつも奇妙な声で笑っている彼は、今日ばかりはなんだか苦しげに眉をしかめていた。
「ゴメンネ…、ネエサマちゃん…ボクったら寝不足で……。昨日は素敵なユノーくんの寝息とジャックちゃんの音色に夢中でさ…とても夢に行く気にならなかったんだ……」
「可哀相に。じゃあ寝不足が解消してから殴ってあげるね」
心底優しい声で葵はトントを許した。トントはか弱い声でお礼を言った。
葵の言わんとしていることをユノーはよく理解できなかったが、枕が合わなかったのだとしたら確かに可哀相だと同情した。
「無理もない。トントもリネも葵も、その内牢屋に戻りたがるかもしれません」
「まあ、あんな狭くて息苦しいお部屋、わたくしなら嫌ですわ」
「三人とも自分の発する騒音のあまり鍋牛に疾病を抱えていて哀れです。幸福とも言えます」
72度のミルクを待ち侘びて、アーヴィンは踵で机をげしげし叩いていた。
本日の空に、ドーラの号の影は映りそうもない。




