横取りならず
その身を案じて自分の立場を放り出して助けに出たというのに、無事に帰ってきた相手ときたらエルロイにベったりで自室に戻ってきやしない。一目見ようと二人の会合に邪魔してみたら下着一枚で、でろんと床に溶けていた。いや、溶けるように寝そべっていた。
自分を見ていつもの笑みで「助けてくれてありがとー」と言ったが、その後はエルロイとの秘密の話に戻ると言って追い出された。
いや、無事だったのだから良いのだが。
エルロイと仲が良いのは良いことなのだが。
今まで俺に秘密ごとなんて一つも無かったのに、マーロにしては、珍しい。
「ダン、エルロイとマーロと帰ってくる時、二人は何か話してたか?」
「ああ! 話してたぜ。腹が減った時はうどんだよなって」
「それはお前の話だろう」
「エルロイがそばの方が良いって言うから、うどんの方が腹に溜まるぞって」
「やっぱりお前の話なんだな?」
ダンは頭をがしがし掻きながら、昨日の夜にエルロイとマーロを両肩に乗っけて船に帰ってきた時のことを思い返していた。
「あー、そういえば」
「! 何か思い出したか?」
「コーラ、帰ってくるかなあって言ってたな」
「は?」
「コーラが船に帰るかどうか気にしてた」
「えっ、何で?」
「さあ」
「帰ってくるなってことだよな? エルロイはコーラは嫌いそうだし」
「マーロは帰ってきたら良いね! って言ってたぞ」
下手くそにマーロの口調を真似るダンを見て、リーダはがくんと肩を落とした。
訳が分からない。
コーラが船に居た頃、努めてマーロには彼女を会わせないようにしていたのに、何故帰ってきて欲しいと思うんだろう。かつて船の仲間だったことなどを聞いて、戻ってきたら賑やかになる程度の軽い考えなのだろか。それにしても、その意見に対して、あの毒吉家のエルロイが黙っているとは思えないが。
どうにも気になって蔵書室の扉にぴったりと耳を付けて中の声を拾おうと努力していたら、葵がやってきた。
腰にリネがまとわりついているが、気にしている様子がない。昨日からずっとあの調子なので、もう慣れたか諦めたのだろう。リネの足をかにゃんが抱えてくれているので、床を引き摺る心配はなさそうだ。
「何しているのよ、リーダ」
「おはようございます、リーダ」
「葵、調子はどうだ。体調が悪ければ休んでいて良いんだぞ」
「大丈夫。おかげさまで」
90度に腰を曲げて頭を下げた葵の尻がリネの胸を持ち上げて重たそうだ。
くぐもった声が葵の腰の方から聞こえて、かにゃんが無言でリネの尻を叩いた。いつもならひっぱがしているところだが、昨日のことがあってこれでも許してやっているつもりなのだろう。
「マーロの様子がおかしい?」
「あの人はいつもおかしいです」
扉に耳を立てていた理由を説明してみると、リネの声でずいぶん失礼な言葉が聞こえた。
かにゃんが重たいと喚くので、仕方なく冷たい床に座って輪になってみたが、リネは輪に加わろうとはせずひたすら葵の腰にへばりついて体をだらんと床に横たわらせ続けている。
葵がちょっと手を外そうとしてみると「俺の姉さまなんでしょォオ?!」と叫んで這い上がってくるので、恐怖のあまりこのまま放置しているらしい。どうにかしてやらないといけない。この船の船長として。
「何かあったのかな」
地面に正座したまま、葵は上半身を横に斜めにして扉に耳を添えた。
扉のすぐ向こうでエルロイとマーロが話しているはずだ。ドーラ号の壁は薄い。途切れ途切れかもしれないが、ぼんやりと声が拾えてくるはずだ。
「………コーラは僕たちのもの」
「は?」
「そう言ってる」
「ばかばかばか、ありえないわよ。どきなさいよ」
二人の声に耳を澄ませていた葵がとんでもないことを言い出した。かにゃんが葵を引っぺがして扉の隙間に耳を添えたが、険しい顔をしたまま固まったかと思うと、途端に震える声で言った。
「コーラが戻ってきたらリーダは要らないって言ってるわ!」
「えっ」
「………………」
あまりの言葉に絶句していると、無残な顔色をしていたのか、葵がかにゃんの腹の下から潜って近付いてきて、ぼんぽんと肩を叩いてきた。
気持ちはありがたいがなんの慰めにもならない。
確かに彼女は人心掌握に長けていて、残っている団員の中でも未だその存在を慕っている者はいるだろう。ヒステリックな本性が見えれば大抵の人間は離れたが、そう言った一面こそが自分が彼女に必要だと思わせる要因になってしまうこともある。うまくやれば団員を巧みに誘導して統率するボスになれただろう。
だが、まさかエルロイが。
マーロがそう思っているとは。
体重を支えていた片膝がずるっと滑って、床に手をついてしまった。頭を垂れる船長を遠目に見た団員がざわざわと近付いてきて、蔵書室の前はにわかに騒がしくなった。
船長として教然としなければ。
たった一人の友人と団員の戯言に左右されてはならない。
頭の奥でそう警鐘が鳴っているのに、手足は床からー向に上がっては来なかった。
***
「コーラが帰ってきたら、葵は僕たちのものだったのに、残念だなあ」
「エルロイはリネがコーラのところに行って葵だけ帰ってくるのが理想だった」
「コーラが戻ってきたら、リーダは喜ぶかなあ」
「リーダはいらないって言うと思う」
「そっかあ」
蔵書室の絨毯の上でマーロはごろごろと寝そベりながら床を移動していた。
リネが本当の姉と合流すれば、葵を手放すと思ったのに、そうなればマーロとエルロイで葵をもらってしまおうと思っていたのに、コーラは船に帰ってこず、リネもコーラの元へは行かなかった。それが残念ではあるが、そんなことはとても他の人には言えない。こんな悪い心を持っていたことは、二人だけの秘密なのだ。
「でも、リネがコーラを連れて戻らなかっただけじゃなくて、あんなに葵にベったりになるってことは、リネはコーラのこと、もう好きじゃないんだね」
「リネは支配されていただけ。元々好きじゃない」
「それなら良かった! 帰ってこなくて落ち込んでるかと思ったけど、違うんだね! リーダもコーラのこと嫌いだったのかな」
「リーダは嫌い」
「そっか! リーダは嫌いなんだね!」
「リーダのことを嫌いって言ったわ!!」
突如扉の向こうから聞こえたかにゃんの叫び声に、二人は目を見合わせた。
扉に何かがあたるような音や軌みが起こり、マーロは床から立ち上がってそっと扉を開いた。エルロイもマーロの下からその隙間を覗き込んだ。
真っ先に葵の腰にしがみつくリネが見えて、その奥にたくさんの団員が見えた。
少しずつ視線をあげていくと、廊下の天井に設置された電灯に縄をかけているリーダが見える。団員たちはこぞってリーダにしがみついたり物を投げたりしてその行為を止めようとしている様子だ。
騒動の手前にある階段からタールマギが駆け下りてきて、団員たちの団子の中に飛び込んでいってたちまちリーダを持ち上げた。
「死なせてくれ! もう生きてはいられない」
「リーダ、」
「リーダあ! 死なないで! 死んじゃやだあ!」
「リーダ! 落ち着け! 何があったんだ、言ってみろ」
「言えば死ぬ。もう死ぬ。俺は死んだ」
タールマギのリーダへの声かけは他の団員によって消え去った。
いつもなら長考の末に言葉を絞り出すタールマギをリーダは待ってくれるのだが、その余裕は彼にはない。
ぶら下がる縄を輪にして頭を突っ込もうとするリーダの足を、団員たちが持ち上げて落ちないように支えている。
「思慮深いエルロイに、あろうことか、あの女の方が船長に相応しいと思われていて、一番の友人だと思っていたマーロに、嫌われていたなんて…、俺は、俺はもう」
「落ち着きなさいよ、リーダ! あんたよりあの男に尻尾振るしか能の無いくそ女の方が船長に向いているなんて」
「かにゃんもそう思っているんだな! よおし、死ぬぞお!」
「きゃあああ、違うのよ、違うのよ!」
「リーダの人格が変わっている…」
まるっと人間一人分の荷物を腰に抱えて動けず、輪から一歩外れたところでその光景を眺める葵の口から、ぼろっと言葉が零れた。
エルロイが扉を押し開けて外に出て、葵の横に山座りしてその喧騒の観察を始めた。
「なにあれ」
「エルロイ…、リーダは傷付いているの」
「なんで」
「エルロイとマーロの会話を聞いてしまって」
「ええっ、さっきの、リーダに聞かれちゃったの?」
マーロも蔵書室から飛び出してきた。
沈痛な面持ちの葵を見て、マーロは一先ずエルロイとは逆の葵の横に座ると、頭を引っ掴んで胸に抱え、よしよしと撫でた。リーダにやってあげてほしい、と葵は心から思った。
「葵も聞いちゃった?」
「うん」
「違うんだよ、あのね、僕、リネが帰ってきて嬉しいって思ってるよ。それとこれとは別っていうか、葵がもし僕のお部屋に住んだら楽しいだろうなーって思っちゃっただけなんだよ」
「姉さまは僕と同じ部屋に住むんです。他の部屋には行きません。ありえません」
背中にぴったりとくっついたロがもごもごと動く度に、スカートにしまったブラウスが上がって出てきてしまうのが鬱陶しい。
でもかにゃんに今は刺激するなと言われているので、葵にはどうにもできなかった。
言うまいとしていた「私がリネの姉だ」発言も、リネの為ではなく女王様への下克上の為だったなんて、今更誰にも言えない。
「私もマーロと同じ部屋だったら楽しいと思うよ」
「ほんと!」
「嘘です!」
ぐるりと腰に回っていた腕が服のそこかしこを掴みながら這い上がってきて、肩まで到違すると同時に背中にぐっと重しが乗った。
気が付くと顔の真横に男の顔があり、髪がだらんと落ちているので表情は窺えないが、葵の上半身を前に前に押し倒すようにのし掛かってきた。
落ちていく葵の顔に合わせて、マーロも腰を曲げて顔の位置を下げていった。マーロには目を合わさずに話す思考がない。
「嘘ですよね、ね、姉さま。僕と同じ部屋が良いに決まっています。僕の姉さまなんだから! 弟と同じ部屋が良いに決まっています」
「そうなの? 葵」
「重い」
「僕と同じ部屋が良いって言っています!」
「うーん、じゃあ、僕が葵の部屋に行くよ! リネ、仲良くしてね」
「マーロ…」
ふと顔を上げてみると、群がる団員より一段高いところで輪になった縄を握りしめるリーダが青ざめた顔で見下ろしていた。
いつもさらさらで風に凪いでいる金髪は汗を吸って顔に貼り付き、血色の良かった白い肌は蒼白だ。その顔を、マーロは床に手をついたままきょとんと見上げた。
「も、もう、俺と同じ部屋にいるのも嫌なんだな…」
「どうしたの、リーダ。何か悲しいことでもあったの?」
「どうしたの、リーダ。死ぬの?」
両手で頬を支えたエルロイが、マーロの口調を真似て続いた。
かにゃんがエルロイの名前を呼んで叱ったのを聞いて、葵は手でエルロイのロがあるだろうと思われる場所を抑えて塞いだ。相変わらずリネが背中にのし掛かっているので、葵の顔は今にも床とキスしそうなほど下がっている。そこから手を伸ばす無理な姿勢に、エルロイはさすがに葵を哀れんだのか、はたまた愉快に思ったのか、頭を葵の方へ傾けて近付いてやった。
「マーロが悪いのよ! マーロがリーダよりあの豚女の方が良いとか言うから!」
「ぶた? うん、僕、豚好きだよ!」
「死ぬ」
「リーダ、」
「リーダあああ! 死なないで! 俺は豚よりリーダの方が好き!」
「豚の好きなところは肉だから! リーダは全部好き!」
タールマギの声はやはり喧騒に消えた。
かにゃんは床からマーロを剥がしてリーダのまで連れて行き、この悲痛な姿を見て何とも思わないのか、あの毒気に当てられて気が狂ったのかと泣いてマーロのぺらぺらの胸を叩いた。
当のマーロはさっぱり状況が分からないようで、かにゃんの頭を撫でながら左右を見回したが、団員たちは怒ったり悲しんだりしているような表情でこちらを見るばかりで、説明をしてくれそうな人はいなかった。
「よく分からないけれど、リーダ、命を粗末にしてはいけないよ。せめて子供を残してからじゃないと」
「分かっている。俺とて船長に相応しくないと言われただけならこの船を去るのみだった。しかしそれに、お前から嫌われているなんて出来事が重なるなんて、とても堪えられず」
「えっ! 誰がリーダが船長に相応しくないなんて言ったの? もう、ひどい人だね! 僕が叱ってあげるよ!」
「あんたよ!」
かにゃんがマーロの胸からがばっと顔を上げて、マーロのふにゃふにやゃの横っ腹を殴った。
その腹は拳を返さず、腕が肉に沈んで言った感覚にかにゃんはひゅっと息を呑んだ。このまま反対側へ貫通してしまいそうな感触だった。しかし、マーロにとっては腹よりも、突如上がってきたかにゃんの頭に打ち抜かれた顎の方が深刻なダメージだった。
「リーダに船長やめろって言ったのは本当か!」
「ひどいぞ、マーロ! 確かにリーダはまだ若いし、ちょっと優柔不断だし、いちいち皆の小競り合いに首突っ込みすぎて自分自分の首絞めてるし、正直忙しそうすぎて声かけづらいっていうのはあるけど、良い船長だろうがよ!」
「そうだ! エイプリルフールに俺、この船やめるって言った時に引き留められなくてめちゃくちゃ悲しかったけど、去る者を追わない主義も大抵にしろって思ったけど、良い船長だぞ!」
「そうだ! コーヒー飲むふりしてココア飲んでるからって船長になれないわけじゃないんだぞ!」
「何で知ってるんだ? 死ねってことか?」
「皆ちょっと黙りなさい!」
四方八方から聞こえてくる声に、リーダは縄を再び顔の前まで持って来た。
どう振り絞っても言葉が出てこないタールマギが、沈黙の中でもその縄を遠ざけようと攻防を繰り返し、ダンは指示を受けるままにリーダの体を持ち上げて落ちないように支えていた。暴れるリーダの足に蹴られて梁は椅子の下敷きになっていた。
「そうだよ! 皆、ひどいよ。リーダは世界一の船長さんだよ! 僕、船長しているリーダ、格好良くて好きだよ!」
リーダはぴたりと動きを止めて縄を持ったままの手をぷるぷると震わせた。
そしてゆっくりと椅子から降りて、梁を足で蹴飛ばしてどかし、かにゃんを退け、マーロの前に立ち、自分より少しだけ高い位置にある肩にそっと手を置いた。
「本当にそう思うか?」
「思うよ!」
「俺より相応しい人間がいると思っているんじゃないのか」
「うーん、相応しい人はいるのかもしれないけど…」
マーロは長い腰を豊んで、怖くリーダの顔を下から見上げるように顔を潜らせた。
「リーダ船長の船が、僕は世界でー番好きだよ」
「マーロォ!」
ガッと抱き合う二人を見て団員は拍手をあげた。
口笛を鳴らして祝福をし、シェリマニマーニは今日はパーティだと食堂のおばちゃんに告げに走った。
歓喜に包まれる廊下の中で、タールマギはリーダが見ていない内に天井から下がった縄を回収して椅子を破壊した。
「コーラは僕たちのものっていうのは何だったの?」
「は? なにそれ。気持ち悪いこと言わないで」
エルロイの心底軽蔑した眼差しに、葵はそれ以上の追求をやめた。
「コーラ、可愛かった?」
「んえ?」
「見た目と声は可愛いって皆言う」
ローブの中で山座りでもしているんだろう。隣に座るエルロイはぱっと見ただけでは黒い三角形の置物のようだ。
「どうだったかな。造形はよく見てなかったな」
さほど考えることもなく、葵はあっさり嘘を吐いた。
出会ったばかりに可愛い人だと思ったことを忘れたいし認めたくない。
「どんどん黒ずんでいっちゃった。ああいう人は、可愛くないし、美しくもない。かにゃんの方がよっぽど美人さんだよ」
「そういうもの?」
「エルロイの方が可愛いよ」
あまり動きのない細い瞳が二、三度ぱちぱちとまばたきして、その後エルロイはちょっと頭をローブの中に沈めた。
三角形の頂点がほんのり丸さを増した。
「エルロイは賢いし、本の趣味も良いし、マイペースなところが魅力的だし」
「ふうん」
「お世辞です。調子に乗らないように。姉さまはリネの方が可愛いと思っています」
葵の腰の辺りで何か声がしたようだが、二人は無視した。
秘めごとの苦手なマーロはあっさりエルロイとの密会の内容を明かしてしまい、リーダにこってり叱られたが、マーロが葵の部屋にやってくることはなかった。
「マーロと半分こなら、実質独り占めだと思ったけど、うまくいかなかった」
これ幸いと枕を持って葵の部屋にやってきたエルロイの大きな独り言に、リネは暴れに暴れ、破壊された葵の部屋では眠るどころではなく、リネのシングルベッドでぎゅうぎゅう詰めの川の字で寝ることになった。
エルロイの方へ寝返りを打つ度にリネが泣きわめくので十分な睡眠は取れなかったが、我関せず寝続ける小さな寝顔に、葵はずいぶん癒やされたのだった。




