表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/76

食事の誘い

 姉さまは下の世界に居る間に少し背が伸びたようで、今まで持っていた服は丈が合わないらしい。


「スカートがミニ過ぎる」

「姉さまの美しい脚が眩しいです! 俺…僕は好きです!」

「胸元が開きすぎている」

「姉さまは胸まで慎ましい…大好きです!」


 追い出された。

 いくらきょうだいとはいえ、女性の着替え中に度々入室すべきではなかった。

 扉越しに何度も謝ったが、返事はなかった。

 姉さまの声や姿が確認できないとどうしても不安になる。この数年間、何度も何度も共に過ごした日々を思い出して、優しかった瞬間を思い出して、姉さまのお姿を思い描いていた。

 優しくて綺麗で賢い、僕だけの理想の姉さま。

 昔から友達が多くて、部屋に帰ってこない日もあったけれど、でもここが姉さまの家なのだからとどんなに夜が更けても待ち続けていた。

 それなのに、ある日突然に居なくなってしまった。

 次こそは間違えないようにしないと。飽きられないように細心の注意を払わないと。


「うーん、これも、ちょっと袖が短い」

「なんて細い手首…守って差し上げたい」


 追い出された。

 完全に気配は消していたはずだから、声を出さなければ気付かれなかったかもしれないけれど、つい心の内を漏らしてしまった。

 だってどうしても伝えたい。あなたは俺が心から誇れる世界一の姉さまだって。


「私の服をあげるわよ」


 次に着陸したら姉さまの服を新調してあげたいと零したら、団員仲間のかにゃんが顔を綻ばせて言った。


「何度か喋ったけど、身長は同じくらいだし、まあスタイルはね~私の方がいいけど」

「姉さまが着たらぶかぶかになっちゃうよ」


 目にも止まらぬニードロップ。彼女は足癖が悪い。


「ともかく一度、私のところに連れてきなさいよ。いいわね?」


 …そう言っていたのに、行動派なかにゃんはこちらを待たずにやってきた。


「葵~! 私、かにゃんよ。覚えてるでしょうね」


 腕の装飾を鈴のように鳴らしてドアをノックいた。

 扉が開いた。

 たった一度きりのノックで。


「覚えてるわ。こんにちは」


 細く開いた隙間から折り目正しく挨拶すると、また扉を閉めた。


「…」


 笑顔のまま固まったかにゃんから冷たい空気が発せられている。触れてはいけないと団員たちがこぞって距離をとる時のかにゃんだ。

 こんこん、とまたノックする。

 また、一度きりで開く。

 即座にかにゃんが膝を曲げて脚を差し込んだ。勢いの良さに姉さまに膝蹴りをかましたのかと焦る。


「こんにちは! ごはん! ごいっしょ! しましょ!」

「けっこうです! 何しに来たの! 何しに来たの―――!」


 扉が前に後ろにガタガタ揺れてかにゃんの足を遠慮なく挟み込む。

 姉さまの顔が見たくてついかにゃんに手助けすると扉はあっさり開いた。今日は初めて正面から姉さまが見れた。ちょっと乱れた髪と肩で息をする姿が可愛らしい。


「ごはん、ごいっしょしましょ」


 かにゃんが息を整えて仕切り直した。


「ここで?」

「食堂よ! 決まってるでしょ。言っとくけどあなた、部屋で食べるなんて特別待遇だったのよ。改めてもらうわ」


 姉さまの細い腕を引っ掴んで引っ張っていく。


「やめて。折れる、折れちゃう。姉さまの腕細いんだから」

「私ほどじゃないわよ」

「かにゃんより細いよ。僕は見たんだ。かにゃんの半分くらいしかないんだから」


 かにゃんのヒールが足の甲を襲う。仕込まれている刃を出さなかっただけ冷静なんだろう。


「失礼だよ。私より彼女の方が細いよ」


 姉さまがかにゃんをフォローした。

 自分を貶めてまでこんな乱暴な人を庇ってあげることないのに。なんて優しいんだ。女神か。


「ふふん、わかってるじゃない」


 かにゃんは満足そうに食堂への道を先導した。


「あれ、葵」

「あ、エルロイくん」

「エルロイの名前はエルロイ。二度と間違えないで」


 食堂の前でエルロイと鉢合わせた。蔵書室の小さくて黒い主だ。


「エルロイの名前にくんとかちゃんとか付けちゃ駄目なの。敬称っていうのが分からないのよ」


 かにゃんが小さく耳打ちする。


「ごめんなさい、エルロイ」

「許してあげる。もう間違えないで」


 こんなに小さいのになんて上から目線なんだ。姉さまは謝っているのに、失礼だ。


「エルロイ、姉さまにそんな態度とらないで」


 そうしてここが嫌いになってしまったら、またここから出て行ってしまうかもしれない。

 エルロイはちょっとこちらを見たけど、何も言わずに食事を受け取る列に並んだ。かにゃんもそれに続く。

 姉さまには先に座っておいてもらって、僕が食事を運ぶと言ったけど、かにゃんがお大臣様みたいねって言ったせいで断られた。せめてお姫様って言ってくれればいいのに。そうしたら喜んでもらえたかもしれないのに。

 腰のひん曲がった食堂のおばちゃんから食事を一式預かると、適当な席に腰掛けた。


(姉さまと食事ができる…!)


 向かい合って座って、今更その実感が湧いてきた。

 今までお部屋で篭られていたから食事されている姿を見るの初めてだ。

 姉さまの隣に座ったかにゃんがわざと肩を当てて「ここの料理は絶品でしょ」なんて話しかけている。

 姉さまの肩に、薄布一枚挟んではいるけれど、僕だって数えるくらいしか触れたことないのに。押しの強さは仕事中背中を押してくれることもあるけれど、今は図々しいという感想しか浮かばない。


(仲間と仲良くなるのは嬉しいけど、まさか僕より仲がいいなんてことは…)


 ありえないありえない。

 僕たちの間には誰にも立ちきれない特別な絆があるんだ。きょうだいなんだから。


「手が進んでない」


 隣のエルロイがこちらの手元を見つめてきた。

 気が付くと姉さまも不思議そうにこちらを見つめている。


「あ、ね、姉さまが、ぼ、僕を見ている」

「それがなんなの。さっさと食べなさいよ。私たちは終わっちゃうわよ」


 かにゃんの言葉に姉さまの手元を見ると、もう半分くらい済ませていた。

 しまった、貴重な食事を召し上がる姿が。見逃した。


「ねえ、このあと私の部屋に来てくれるわね。余ってる洋服なんて沢山あるんだから」


 随分楽しそうだ。ここは女性が少ないっていつもぼやいていたから、歳の近い女性が増えたのが嬉しいんだろう。


「うん、…ありがとう」

(お、お、お、お礼を言った…!?)


 今まで何回食事を運んでも、居ない内に掃除を済ませておいても、夜中に聞きに陥ってないか確認してあげても、この懐かしい船に連れ帰ってきた時ですらお礼なんて言ってくれたことないのに…!


「洋服なんて新しいのをいくらでも買ってあげます!」


 姉さまが僅かに肩をはねらせて身を引いた。


「人のお古なんて、あなたには似つかわしくありません」


 それにかにゃんの服装ときたら、派手で原色で露出過多で、とても姉さま好みとは思えない。いや、絶対に好みじゃない。


「随分ご執心だなあ」


 後ろからくすくすと笑い声が聞こえた。


「可愛い飼い犬じゃねえか」


 団員たちだ。

 いつもリーダのやり方に反対してばかりだからあまり絡まないようにしているチーム。仲間だから悪く言いたくはないが、理由をつけては暴力を振るう乱暴者の集まりだ。

 でも義賊という誇りは高い。悪者に対する怒りが大きい分、感情が行動に反映されてしまうだけだ。


「首輪つけて閉じ込めておかなくていいのかよ。()()逃げられちゃうぜ」


 だけど、やっぱり嫌いだ。

 頭に続々と姉さまがいなくなった日の記憶が蘇る。何故あの日のことを、こうしてたまに、執拗に言ってくるのかわからない。

 全身が震えて思考も行動もままならなくなる。だが…、


「もう大丈夫。帰ってきてくれたから」


 汗はだくだくと流れてきていたが、気分はだいぶ落ち着いている。姉さまが傍にいるから。やっぱり姉さまはすごい。


「なんなのよ、あんたたち。彼女はマーロと同じ扱いよ。粗末にしたらリーダが怒るんだからね」

「へえ、そうなのか」


 団員たちはにやにやと姉さまを見下ろしている。

 そんないやらしい顔で近づいて、姉さまがここを嫌になったらどうするんだ。

 もうここに居たくないってなったら、またいなくなってしまうかもしれない。


「やめて、姉さまをそんな目で見ないで」

「ねえ、"さま"ぁ?」

「ははっ、聞いたか、皆! こいつ、すっかりこの女の手下になっちまったぜ」


 手を叩いて笑い出した。食事をとっていた他の人々の注目が集まる。

 駄目だ、これ以上ここにいたら姉さまはこの船を嫌ってしまう。

 団員の前に割って入り、姉さまに立つように促す。食事は少し残ってるようだが仕方ない。


「なあ、待てよ」


 首筋に冷たい空気を感じた。

 覚えのある、鋭い気配。銃口が向けられる感覚だ。


「"団員の間に貴賎を付けるべからず"、だったよな? お前のわんちゃんだけ特別扱いにはならないんだろう?」

「そうだ。団員を貶めた団員は処罰だ。安心しろよ、ここの処罰は優しい。頭を撃たれる。それだけだ」


 まさか、ふざけるな。そんなことをして、もし姉さまがここを嫌ったら、また俺は一人に―――


「やめなさいよ! 葵が怖がってるでしょ」


 かにゃんが姉さまの肩を引き寄せる。


「おう、共犯者も同罪だよな」

「かにゃ~ん、俺は好きだったぜ。いい女だよ。残念だなあ」


 大きな音を立てて椅子を倒し、かにゃんが立ち上がる。

 女性への侮辱を決して許さない性質(たち)だ。

 しかし、彼女の目の前に小さな背中が立ちはだかった。


「いいわよ、殺しなさいよ」


 おもむろに銃を握る腕を下から掴むと、持ち上げながら立ち上がり、わざわざ額に合わせた。

 背筋が凍る。


「義賊だなんだ言っておいてもやっぱりこの程度なのね。何もしてない一般人を撃って遊ぶ犯罪集団。品性の欠片もない最下層の集まり」


 スカートの裏に隠された左手が震えている。


「んだと? 気取りやがって…! 下の奴らはどいつもこいつも俺たちを馬鹿にしてやがる! こっちはお可哀想なあんたたちを助けてやってるのによ!」

「へえ? ここのどこに"お可哀想なあなた"がいるわけ? 私を撃つのにどんな麗しい御託を並べるの? 死んじゃったら聞けないのが残念だわ。今教えてよ。お涙頂戴の茶番劇は嫌いじゃないわよ」

「ふざけるな! 俺たちの誇りを侮辱しておいて、それが理由だ」

「じゃあまず私に撃たせなさいよ! 人を犬呼ばわりしてよくもそんなことが言えたものね!」


 姉さまの手が恐怖で震えているのか、怒りで震えているのか分からない。


「この恥知らず」

「こっこっこっこの、跳ねっ返り!」

「暴力野郎」

「ちび!」

「こそどろ」

「ぶす!」


 横から手が出た。

 女性への侮辱を決して許さない。

 驚きのあまり手の震えがすっかり止まった姉さまが倒れた団員に戦く。何度かかにゃんと見比べて、は~と長い息を吐いた。


「ね、姉さま、こちらへ」


 慌てて姉さまの手を引いて後ろに隠す。


「彼女の言う通りだと思う」


 興味なさそうに静観していたエルロイが口を開いた。


「ここで彼女を傷つけたら、君はもうここにはいられない」


 "信義にもとる犯罪行為は行うべからず"。即追放、または極刑。リーダはこの手のことに容赦がない。


「ど、どっ、どうせ数ヶ月で捨てられるんだからな!」


 僕と姉さまのどっちに言ったのか分からないが、捨て台詞を吐いて彼らは消えていった。

 まばらにこちらを見ていた他の者たちも各々の会話に戻っていく。


「やっぱり部屋に戻る」


 姉さまが胸の下で両手を握りしめて震えていた。いつもよりその肩が頼りなく小さく見える。


「待ちなさいよ。私の部屋に来る約束よ」

「…ごめんなさい、けど、戻る」

「ま、待って姉さま。ごめんなさい。うちの団員がごめんなさい。怖い思いをさせて。その、あの、待って。き、嫌いになりましたか? 船のこと。嫌いにならないでください。こんなことは滅多にないんです。ごめんなさい、ごめんなさい」


 色々なことを伝えた過ぎて、姉さまの反応を待たずに捲し立ててしまう。

 よく「対話をしろ」とリーダに言われるが、それで相手の反応を待って、もし否定的でマイナスな言葉が出てきたらと思うと、いっそ自分の言葉で塞いでしまえばいいと思ってしまう。


「今はそんな話をする時じゃないでしょ」


 軽やかな鈴の音が頭の上をよぎる。走った衝撃は決して軽くなかった。


「いいわ、でもあの部屋に一人きりでいたって退屈でしょ。暇になったら私の部屋に来なさいよ。いいわね? 返事は?」


 姉さまはまるで誰かに操られているように、こくん、と頭を下げた。かにゃんを見つめる上目遣いが可愛らしい。


「よろしい」


 かにゃんは満足そうに二人分の食事トレーを持ち上げると、返却所へ腰をくねらせながら去っていった。


「蔵書室の鍵もいつも開いてるよ。夜でも」


 エルロイもそう言うと、小さな手には余るトレーを懸命に支えながら、かにゃんの後を追っていった。

 姉さまはしばらく二人を見送っていたが、ちらりとこちらを見上げると、足早に部屋へと帰っていった。




「姉さまを侮辱するような真似をしてすみませんでした」

「侮辱したのは別の人だったと思うけど」

「でも団員の行いは連帯責任だってリーダが」


 閉めようとする扉を無理矢理せき止めて部屋に入れてもらい、改めて謝罪した

 やっぱり食堂じゃなくてここで食事をとり続けてもらったほうがいいかもしれない。そうすればお守りできる。


「失礼なことを言ってきたのはここの団員だけど、守ってくれたのもここの団員だから、相殺だわ。かにゃんのおかげね」


 ―――この部屋なら、僕ひとりでお守りできるし。


「姉さま、次からはやっぱりこちらのお部屋で、」

「邪魔するわ」


 開きっぱなしだった扉を申し訳程度に二、三回叩いて無遠慮にかにゃんが入ってきた。


「ブランチのお誘いよ。ご一緒しましょ」

「え、さっき食べたばっかり」

「朝食と昼食の間にとる軽食のことよ。ふふん、ご存知ないのね。教えてあげるわ」


 鼻高々にかにゃんが椅子に座る姉さまに近づく。


「えっと、ブランチは朝食と昼食をいっしょくたにした食事のことで…」

「今日のブランチはミニパンケーキよ! いつも甘いものなの」


 10時のおやつのことか。姉さまが小さく呟いて立ち上がった。

 僕の話が途中なのに。


「特別扱いされてたらまた目をつけられちゃう。食事はちゃんと食堂で食べるから」


 足早に部屋を出て行ったかにゃんから距離を開けて、振り向きざまにそう言った。

 ああ、姉さまはちゃんと僕の話を聞いていてくれたんだ。当然だ。僕だって姉さまの言葉を一つだって聞き逃したことはない。

 今まではさして興味を持たなかったブランチタイムに、今日はお邪魔してみよう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ