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ぶすぶす

「なあに?! そのかっこう、リネったら、 ほんっと一へんなの! あはは、しんじられない。ぴちぴちじゃない!」

「は……………」


 確かに女性の服装をしているリネときたら恥ずかしい。心底、今同じ服を来てなくて良かったと葵は安堵した。

 サイズは合っているが、女性の柔らかい曲線を表現するための服だ。上半身はぴちぴちと言って差し支えない。ぽわん袖がぽわんとしていない。

 しかし言葉で辱められているはずのリネは、赤くならずに青くなっている。むしろ茶色くなっている。


「そんなことないよ。似合っているよ。僕は好きだよ」


 マーロが細い腕でぎゅっとリネを抱きしめた。

 されるがままリネはマーロの腕におさまり、両手は構えていたナイフを落としてスカートの裾を強く握りしめて震えていた。葵の目にも明らかに、彼は異常な様子だった。

 少し、疑問に思った。

 彼は姉の帰還を待ち望んでいたはずだ。待ちきれずに変わりの姉を据え置いたと思っていた。喜びにうちひしがれすぎると、人間はああなるのだろか。現実は、泣いて縋って抱きしめ合うものではないのだろか。


「なんだ、アリスとあんたたち、知り合いだったの?」


 女王様は四人と葵を見比べて、とっても興味深そうに聞いた。

 一人、状況を掴めているのかいないのか分からないダンが爽やかに大きな声で肯定した。毒気を抜かれる清々しさだ。


「なんだよ、コーラ、おめえ、こいつの名前知らないのか? 葵ってんだ。相っ変わらず人との距離の詰め方がおかしいやつだよなあ!」


 豪快に笑うダンの頭上で、エルロイが小さく「ダンには言われたくない」と弦いた。

 葵には聞こえた。

 ばっとエルロイを見てみると、その細い瞳をつつつと横に逸らした。


「ちょっと、軽々しくわたしの名前を呼ばないで。選ばれた人しか呼べないのよ」


 先ほどまで上機嫌だった女王様は眉を潜めて声を落とした。

 腕を組み爪先を床に何度も叩き付けて、苛立ちを隠す様子もない。


「何でだよ。コーラはコーラだよなあ。なんだっけ? ローカルハウスのおじょうさん?」

「"ローベンハイツのお嬢さん"よ!」

「なげえよ。覚えらんねえよ。コーラで良いだろ」


 女王様は机を蹴飛ばして立ち上がった。いや、立ち上がって机を蹴飛ばした。吹っ飛んだ机は硬い音を立てて床を転がり、男たちがそのままにしていたパイプ椅子を床に散らした。

 高貴な人にあるまじき振る舞いだ。女王様はまた足をがつがつ床に叩き付けて、何事か喚いていた。

 ダンは確か腕っぷしが自慢の戦闘要員と聞いていたはずだが、先ほどまで葵が望んでいた言葉での暴力に長けている。心中でもっとやれと応援する自分を自覚して、葵は咳払いを一つした。


「こいつらは皆、売り物よ! 売り飛ばして良いわ!」


 女王様の号令を聞いて、男たちは戸惑ったように顔を見合わせていた。

 高い肩からエルロイがひょいっと飛び降りてきて、リネの腕を引っ張って近寄ってきたかと思うと、いつの間にやら手に持っていた手錠で葵とリネの手を繋いだ。

 じゃらん、とした音に、葵ばかりかリネも驚いて「ヒエッ」と小さな声を上げた。

 息が空洞を走るような音がリネの喉から鳴っている。ここに来てからの彼の様子も相まってさすがの葵も心配になった。


「だ、大丈夫…?」


 荒い呼吸は治まる気配はなく、リネは眼球だけをこちらに向けた。

 この倉庫で再会して初めて目が合った。

 だがリネはすぐに目を逸らして、自分の腕についた手錠をがちゃがちゃといじりはじめた。もちろん取れるわけもなく、葵はエルロイに鍵を要求したが、エルロイは「食べた」とだけ言ってそっぽを向いた。

 こんなことをしている内にダンは男たちに散々襲われていて、既に何人かの男をなぎ倒し吹っ飛ばしていた。女王様はチェバたちに命じて三人のスーツの男たちも参戦した。頑丈と暴れ者が看板の彼も、背中にマーロが抱きついている状態では不利なようだ。マーロはトカゲのようにダンの背中を這い上がり、肩まで到達して、「乱暴はやめて」と懇願しながらダンの頭に絡みつき、視界を塞いでいた。とっても邪魔そうだ。


「こっちはこっちで逃げるから、そっちはそっちで頑張って逃げてね」

「エルロイ、この子も」


 手錠の先の男が頼りにならなさそうなことを本能で察知した葵は、桜をエルロイに渡した。

 エルロイは自分より少しだけ背の低い、縄で腕を縛られて、泣きそうな顔をした少女を少しの間じっと見つめると、「オーケー」と言って桜の服の背中部分を掴んでさっさとダンの方へ走っていった。器用に男たちの隙間を縫って、暴れるダンの足を捕まえて左肩に登り、ダンの右肩に座るマーロに桜を預けると、ダンの短い髪を鷲掴んだ。


「はいよー」


 まるっきり棒読みでダンの頭をぐいっと右に傾けて、リネと葵とは真逆の方向ヘダンを走らせた。優秀なジョッキーだ、暴れ馬の方は誰かから奪い取った鉄パイプを持って雄叫びを上げていたが、エルロイに操作されるまま顔の向いた方へ足を走らせた。男たちの熱気は凄まじく、彼らは悪態をつきながらダンを追いかけた。

 一方、血気盛んな男たちの周囲をただディフェンスしていただけのチェバたちは女王様の一喝で葵たちへ向き直り、気が付いたように向かってきた。葵は慌てて逃げようとしたが、リネときたらただただ謝りながら手錠を無理矢理外そうとしているだけで、顔はもう色を失い汗だくで瞳孔はぐるぐるしている。

 こいつを置いて逃げようと一瞬思ったが、もちろん手錠のおかげで別つことはできない。

 葵はリネの薄いぽわん袖を引っ掴んで逃げ出した。


「リネ! しっかりして! 売られちゃうよ!」

「すみません、すみません、すみません。すぐ外しますから。手を、手を落とします。すみません」

「あっ、それ、いいわね! 貸して!」


 リネが自分の腕に押し当てたナイフを奪い取ると、積み荷を結んでいる紐を切って追っ手の道を塞いだ。

 オレンジ色のサングラスがぎらぎらと闇に光って近付いてくる。倉庫は広いが範囲は限られている。積み荷やトラックの死角を利用して逃げたところで捕まるのは時間の問題だ。

 エルロイたちはダンの持ち前の腕力を利用してシャッターを押し上げて外へ逃げたらしい。

 シャッターは人が支えていなければすぐに降りてしまう仕組みだ。男二人がかりで開けているのを見たので、リネの協力を得られなければ、葵一人では開けようとしている内に捕まってしまうだろう。

 チェバたちから距離を取れたのを幸いに、葵はさび付いたトラックの後ろ扉が薄く開いているのを見て、その荷台に入り込んだ。中は狭かったが挨の積もった積み荷で満杯で、奥ヘリネを引っ張っていき、隙間を作ってしゃがみ、姿を隠した。時間稼ぎにしかならないだろうが、これしか思いつかなかった。


「すみません。すぐ、外しますから」

「もういいから。静かにして」


 未だ手錠の鎖をいじり回そうとするリネの手を止めて、葵は彼にぴったりとくっついた。

 リネの呼吸は荒いままだったが、とりあえず忙しない手の動きは止まった。

 トラックの中では外の音はくぐもって聞こえるが、女王様の「中にいるはずなんだから徹底的に探しなさい!」と命じる叫声が聞こえる。葵たちを見失ったチェバたちは積み荷を崩したり大きなコンテナを一つずつ覗いたりしているようだ。リネから奪い取ったナイフを見ながら、葵は自分に落ち着くよう繰り返した。


(見つかっても、刺すわけにはいかない。でも逃げるためなら、いや、でもでも)


 ナイフを握る自分の手が細かく震えているのが分かる。


(落ち着いて、お願い。考えるのよ、何とかなる。見つかった時の交渉の仕方を考えてみるのよ。必ず何とかなるから)


 どこからか根拠のない自信は湧いてこないものかと、ぐるぐるぐるぐる考えている内に、震える手に男の手が重なった。

 手鉄をしたその手は葵の指を一本一本丁寧にナイフから外して、それをするりと抜き取った。その先を目で追ってみると、もう通常の呼吸に―――いや、通常よりもずっと静かな呼吸になっていた。

 リネはナイフの持ち手の端を中指と人差し指だけで支えて、親指で角度を付けていた。そのナイフの切っ先越しに遠くを見ているような瞳で、まるで葵のことなど目に入っていないようだった。


「大丈夫です。あなたのことは、必ず助けますから」


 声は小さいけれど凛としていた。でも何故かその言葉はこちらに向いたものではない気がして、息もかかってしまいそうな距離なのに、とても遠いところにリネがいるような気がして、葵は思わずリネの肩に手を置いた。汗の匂いがする。相手が今まで自分にどういう行為をしていたかなどまるで頭から抜けてしまい、先ほどまで桜を見ていた時のような気分に陥った。彼が前線にあって頼りになる、戦力である、ということは、リーダやかにゃんからよく聞いているし、なんなら自分が彼に攫われてきた時だって、彼が最前線にいたことはよく知っている。

 それなのに、桜のようにか弱い存在に見えた。


「リネ、しっかりして」

「大丈夫です。俺はしっかりしています。大丈夫です。あなたのことは、助けますから。あそこにやったりしませんから」

「リネ」

「大丈夫です。心配しないで。大丈夫です」


 指の先のナイフが僅かに震えだしたのを見て、これは大丈夫ではないと葵は確信した。

 リネが大丈夫でないと、自分も大丈夫でない可能性も高い。それよりも桜レベルで頼りなく見えるこいつを放ってはおけない、現れれば必ず自分の助けになると信じていた彼が、敵になるかもしれないと思わせた挙げ句、こんな庇護対象になるとは。


 どうするべきなのか、考えあぐねている内に、ふと横を見ると、リネがナイフの切っ先を自分の目に向けていた。


(どわ――――――!!!)


 悲鳴を心の中に留めた自分を褒めたい。

 しかし褒めている暇もない。葵はリネの腕を両手で押さえつけて照準をずらした。リネは抵抗したが、狭い中、音を出すのもまずい。

 すぐに葵の手に従ってナイフを降ろした。リネの呼吸は荒く戻っていた。


「なにしてんの!」

「お、お、俺は、あの人を、あの人を見ると駄目なんです」


 呼吸に合わせるように手も声も震えている。葵の手の中でがくがくと鼓動する手は、それでも力を失わずにがっちりとナイフを握りしめている。


「あの目であなたを、こ、こ、こ、ここ、殺せと命じられたら、やってしまう。あの声で、ああ、お、俺は駄目なんです。だから、目を潰して、鼓膜を潰せば、まだ何とかなると思います。あなたのことは必ず助けますから。大丈夫ですから。そのために必要なことなんです」

「いやいやいや、お、お、落ち着いて。見えないし聞こえないじゃどうやって逃げるってのよ」

「大丈夫です。あなたは助けます。間違いなく。すみません。すみませんでした。ね、ねえさ、あね、なんて言って。すみませんでした。許してください。あなたのことは助けますから」


 葵の手の下でリネの手は尚も上に上がろうとしてくるので、全身をかけて止めた。最終的に膝を乗せてリネの手を靴で踏み付けて抵抗した。猟奇的な厚底がリネの手首を抑え付けたが彼は決して怯まなかった。


「あなたに見られたくない。あなたにだけは、あなたにだけは、嫌だ、あ、あ、あんな俺を見ないで」

「オーケー、オーケー、落ちくんだ。リネ、オーケー、良い案がある。とんでもないナイスアイディアだ。落ち着くんだ」


 何故か翻訳された外国人みたいな喋り方になった。葵は混乱していた。

 目の前の男が言っている意味はさっぱり分からないし、何故瞳孔かっぴらいて泣きそうなのかも分からない。反射的に引っ張って逃げてしまったが、もしや本物の姉のところに帰りたいのかもしれない。いや、そうは見えないけれど、もしかしたら自分に遠慮しているのかも、いや、それにしても反応が尋常じゃない。

 硬いリネの指を一つずつナイフから離して奪い取った。リネはすかさずスカートの中からもう一つナイフを取りだしたが、葵はそれを見ていち早く自分の服を引き裂いた。


「わー!! なっ、何をしているんですか! ねえさ、いやっ、わっ、わっ、わ一つ!」

「うっさいわね! ほら、これを耳に詰めればいいでしょ。目は瞑っていればいい。それで抉らなくて済むでしょ!」


 服といっても、エプロンドレスのエプロン部分だけだ。葵は更にそれを細かくして丸めてリネに差し出した。耳栓代わりだ。


「こ、こんなの、む…………、無駄です。俺は、あなたを殺してしまうかもしれない。やりたくないんです、本当です、本当にやりたくないんです」

「リネ、やりたくないことはやらなくていい」


 葵はリネの手からもう一つのナイフも奪い取り、それぞれを両手で構えた。

 トラックの壁の向こうに、リネの悲鳴を聞きつけた男たちの足音が近付いてくるのが分かる。


「やれって言われたら、それより大きい声で私がそう言ってあげるから、私の声を聞いていれば良い。分かった?」

「……………ぁ、あの、でも」

「それに、ナイフがあればリネなんかけちょんけちょんだわ。他に持っているなら捨てていって。そうしたらとりあえず私を殺せないわよ」

「ね………。あ、なたなら、素手でも、殺せます」

「怖いことを言うのをやめなさい。これはやりたくなくないでしょ」

「……俺は…」

「リネ、どうすれば良いのか教えて」


 葵は立ち上がって目の前の積み荷をどかした。

 トラックの扉は開かれて、もう三人のチェバたちがすぐそこにいる。四の五の言っている余裕がない。

 混乱しながらも、ナイフを二本手に入れたことでちょっと気が大きくなってきた。リネを司令塔に据え置けば自分でも何とかなる。気がする。


(なんかよく分からないけど、この男は思ったより頼りにならない)


 分かっていたことだ。逃げ道は自分で見つけなければいけない。


「俺は、姉さんを…………、傷つけられない」

「私がやってあげる」


 トラックの中は挨っぽくて薄暗く、明かりなんて一つもない。

 倉庫の裸電球の光が扉の隙間から差し込むのみだ。

 立ち上がった姉はその細い光を受けて、暗間の中でリネを見下ろしていた。


 きらきら、きらきら。


 昔の姉さんもきらきらしてふわふわして、誰からも愛されて、そういう人だった。姉、さまは、ふわふわはしていないし、たまにぶすぶすしているけれど、何かの折に、本当にたまに、とってもきらきらする。今がまさにその時だ。


「リネが出来ないことは、私がしてあげる」


 両手にナイフを構えたまま、ぐっと握り拳を作って、今までで一番いい笑顔を向けてくれた。

 開ききって乾ききった瞳が、奥の方からじわじわと潤んできて、姉の姿をどんどんぼんやりさせていく。こんなにきらきら輝いた姉さまを、もっとしっかり見ておきたいのに、自分の意志とは関係なく瞳は水を溜めて視界を阻んだ。


(一発段るくらいなら、正当防衛よね! うん!)


 混乱を通り越し、悟りの境地をすっ飛ばし、葵の心はパーティ気分だった。抑え付けられていたありとあらゆる感情をナイフが導いてくれたように現れ出てきて、もう難しいことは考えずにばーんしてぎゃーんしてごーんしてやろう程度に思考力が低下していた。扱い慣れないナイフでどれだけ男三人に対抗できるか、それがどれだけ危険なことか、考える力を失っている。


 葵の心は、今が春とばかりにきらきら輝き澄み切っていた。


 ***


 わたしの弟はとっても使えない子で、とってもかわいそうな子。

 だからわたしがめんどうを見てやらなきゃいけないの。わたしがいないとなあんにもできない子だから。

 いいわね? おまえはわたしがいないと、なにもできない、なんの役にも立たない、やくたたずなのよ、わたしはおまえがあんまりかわいそうだから、親切でめんどうを見てやっているの。わたしがお姉さんでよかったわね。もっとひどい、わるい人だったら、おまえみたいなブスなんかお腹を開かれて中身を全部売られて、今頃皮だけになって海にぷかぷか浮いていたのよ。

 だからわたしに感謝して生きないといけないの。

 あれを殺してきてって言ったら殺してこないといけないし、盗んできてって言ったら人だって盗んでこないといけないの。

 あはは! 犬の真似までするのね! そういうのが好きな金持ちを知っているわ。連れて行ってあげる。おまえの汚い芸がお金になるのよ。お父さんもお母さんもよろこぶわ。おまえを殴りすぎてまちがって殺さないようにわたしがたのんであげる。

 リネみたいな汚い子、誰も愛していないんだから。お父さんとお母さんだってわたしだけを愛しているでしょ? わたしだけがリネの味方なのよ。わたしにはわたしを愛している人がたくさんいて、愛する相手には困っていないけど、わたしはお姉さんだから、弟のおまえは特別に、なんの取り柄もなくても愛してあげる。わたしのビータにしてあげる。家畜として、きちんと、わたしの言うことを聞いて、地べたを這っていなさいよね? 

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