じゃらん
本日のドーラ号は雲一つない晴天広がる高い空を遊泳中。
ある宗教の総本山があることで有名な大国の上空、黄金の山に黄金の寺が建ち、そこに備わる黄金の塔の頂上からは国が一望できるばかりか、その心に世界も臨めると謂われている。亡き祖先からの恩恵も受けられ生涯の安寧も約束されるおまけつき。
それはともかく、歴代国王の遺骨も納められているという歴史ある豪奢な建造物には心が踊る。
その国の上空を飛んでいると聞いて飛び出していった梁を見て、ちょっと羨ましげな表情をする姉を、弟は見逃さなかった。何せ指示を出す船長には目もくれず、ひたすら姉ばかり凝視していたのだから。
「観光をしましょう」
「えっ、いいの?」
「いいわね!」
「いいねえ」
「二人は呼んでないです」
リーダが団員をまとめて現状を話す朝の小さな会議が終わってすぐ、リネからそんな提案があった。気が付くと葵の左右にはマーロとかにゃんが立っていて、さも当然のように会話に加わっていた。
「いいね。エルロイは寺院にある大きな図書館に行きたい」
「だから呼んでないってば!」
すぐにリネの足の間からエルロイが入り込んで四人の輪の中心に鎮座した。
あれよという間に市内の地図が現れて三人の行きたい場所をどんどんポイントして、どう行くかどれだけ滞在するかプランを立て始めた。
「僕は姉さまと二人で行くんですから、勝手に決めないでください」
「そこは僕と姉さまだけで入るんですから! 三人は時間をずらしてよ!」
「どうしてエルロイの言うことばかり聞くんですか! 僕がもっと楽しい場所にお連れしますから!」
自分を差し置いてヒートアップしていく仲間たちに、リネはきゃんきゃんと吠えていた。いつの間にか五人で街を回る計画がしっかりと立っていて、沸き立つ四人に対してリネの顔はみるみる青ざめていった。
「別行動は無しですよ、全部僕と一緒です。いいですね? 絶対に無しです」
「えー、私と下着屋に行くわよね? その間男子は余所行ってなさい」
「僕も駄目? 将来、女性種になるよ。約束する」
「そんな大事なこと、簡単に決めないの! マーロは女性用の下着要らないでしょ? 男子組に入ってなさい」
ちょっと特殊な種族であるマーロは番う相手が決まるまで性別は定まらない。
「エルロイは女子組に入る。リネと一緒は嫌」
「エルロイって男の子なの? 女の子なの?」
蔵書室の黒い妖精はいつ見ても真っ黒なローブを頭から被っていて、その性別は謎に包まれている。
「エルロイはエルロイ」
「無駄よ、葵。エルロイは賢いのねって言ってもエルロイはエルロイって返ってくるわ」
かにゃんはリネのわめき声なんてまるで無視して、「じゃあ30分後に階段に集合ね!」と言って風のように消え去った。
葵も身なりを整えるため、リネと共に部屋に戻った。
この部屋には来た頃から、おそらく葵の前の住人の私物であろうたくさんの服が置かれていた。どうにも葵よりサイズの小さな人だったらしく、丈が足りなかったりちょっと可愛すぎるデザインだったりして葵が着用できそうなものはごく一部だった。
趣味の合わない服を着るのはとても苦しい。
葵は自分が攫われてきた時に着用していた一張羅以外は、背丈の似ているかにゃんの服を借りていた。それ以外にももう一着―――。
(そういえば、この間のおでかけで服を買ってもらったんだった)
かにゃんに誘われて、当日リネが着いてきて、三人でパンケーキを食べた日、三人で同じ服を買ったのだった。
何故リネまで女物の服を買ったのかは分からない。葵は考えないようにしたので。
にっくきリネに買ってもらったというのは癪だが、きちんと自分の趣味に合わせて選べたワンピースだ。もう人の建味の服を着るのもうんざりだ。新しい洋服には心躍るし、物に罪はない。
扉の外で待つ男が自分が贈った服を着る姉を見て、どんな反応をするか、考えただけで溜息が出てきた。しかしちょっと騒がれた程度ではもう動じない程度に心も強くなった。思いつく限りのリネの騒ぎぶりを想像して、覚悟を決めてから、葵は左手で扉を引いた。
じゃらん。
体よりちょっと先に部屋を出た右手に、重い輪が掛かった。
固い物がこすれる音を立ててその輪はするすると肘の辺りまで落ちた。皮膚を引きずる冷たい感触。鉄の匂い。見た目よりもずっと重い、鉄の輪っかだ。
「手錠じゃねえか」
心に浮かんだままの言葉がそのまま口を突いてきた。さほど口は悪い方じゃなかったのだが、ここにきてから語尾が荒くなってきた。
「警察を特集した番組を見て」
「はあ」
「いい案だと」
細い鎖が続いていく先には、案の定男の腕が繋がれていた。
姉の腕にかかる輪と自分の腕にかかる輪を見比べて、恍惚の溜息を吐いた。
手錠というものを、葵も知っている。しかし知識にあるより幾分鎖は長く、腕を伸ばして目一杯離れれば二、三メートルくらいは距離を取れそうだ。その分じゃらじゃらと下で動き回って肌を擽るので、この存在に違和感を感じざるを得ない。
「僕も昔は縄に繋がれていたんですけど、あれは痛いので、鎖に変えてもらったことがあります。姉さまにそんな思いはさせたくなくて」
「そのまま繋がれていれば良かったのにな」
「あはは、姉さまが繋いでくださるなら僕は縄でもいいですよ」
色々聞きたいポイントはあったが、心を殺した葵には微塵も興味が湧かず、リネの言葉はぽろぽろと記憶から零れていった。
こんな船に乗って世界を遊泳しながら犯罪行為で食いつないでいる人々なんて、ろくな過去がないに決まっている。リネも何かしら不幸を背負っていそうだ。葵はそう考えることが何度かあったが、自分を傷付ける言い訳にはならないと思い、同情の余地無しと早々に切り捨てていた。
ちょっとワケありな過去が言葉の端に匂っていても、葵は気にしない。というよりも、興味がない。
「こんなの付けて外行けない!」
「付けなかったら外には出しません!」
「かにゃん! かにゃ――ん! 私の人権が侵害されています!」
「していません! 僕は誰よりも姉さまを尊重しています!」
「よくも臆面もなくそんなことを。第三者に判断してもらいましょう。リーダとかにゃんとマーロとエルロイに」
「いいですよ! 普通のことだって言うに決まってますから。姉さまを安全にお守りする為と僕の心の安らぎの為に必要不司欠だと認めるに違いありませんから」
もちろんそうはならなかった。
リーダは呆れ、かにゃんは怒り、マーロは羨ましがり、エルロイはリネを罵倒した。
鎖を褒めそやすマーロを見て葵は人選を少しばかり後悔した。味方は増えたが敵も増えた。
かにゃんが刃物を取り出して鎖を切り離し、なんとが連行状態は解かれた。リネの懐にじゃらじゃらと鳴る予備をエルロイは見ていたが、このまま火種を与え続けていてはいつまで経っても出掛けられないと思い、黙っておくこととした。
***
空を映す透き通る川に細いボートが草のように流れていく。
鮮やかな果物に萌える草花、魚に野菜、様々な物を乗せて川を下る商売舟が盛んに行き交う光景も、この国の観光スポットの一つだ。
「エルロイ、暑くない?」
「エルロイは暑くない」
真っ黒なローブを頭から被りその下は真っ黒な装いで頭のてっぺんから足の爪先まで真っ黒尽くしのエルロイは、熱い日差しの中でも足取りが軽い。ここしばらく空調の整った空間で過ごしていたせいで、大きな太陽が照りつける影のない道を歩き続けるのは、葵には少ししんどかった。
目眩を堪える葵に気付いたリネが自分の上着を影代わりにと葵の頭にかぶせたが、すぐさまかにゃんに取り除かれ、水を買ってくるよう指示を出されていた。マーロがそこらの店で見つけたという日傘を差してくれて、寒いほどに冷房の行き届いたデパートに入るまで、弱々しい者同士寄り添って歩いた。
「葵がその服着てくるなら私も着てくれば良かったわ」
「僕も着てくれば良かったです」
「リネ、同じ服持っているの? エルロイは引いている」
「ヘー、お揃い! いいなあ。僕とも何か買おう、ねっ、葵、いいよね?」
「私、お金を持っていないから…」
「僕が買ってあげる」
「姉さまの分は僕が買います! 僕が買ってあげます! 僕も同じ物を買います!」
「いいね。リーダにも買ってあげよう。四人でお揃い! うふふ、何がいいかなあ」
マイペースなマーロに翻弄されてリネは右に左にと忙しかった。いつマーロが自分の目を盗んで姉に特別なプレゼントをするか分かったもんじゃない。エルロイが葵の手を引いて別の店に入り込むのにも気付かないほどだった。
「この花の種ほしい。茎の部分が薬の材料になる」
「エルロイは草花にも造詣が深いんだね」
「葵、この花も持って。あとこれとこれとこれと…」
「うん、いいよ」
「エルロイ! 姉さまを荷物持ちにしないで!」
「葵~! こっちいらっしゃいよ! この服試着してみて! 絶対似合うんだから」
「もう! 姉さまをあっちこっち引きずり回さないでください!」
五人が一緒に行動するなどどだい無理な話だったのか、彼らはデパートの中でみるみるうちに散り散りになり、そこかしこで互いを呼んだり捜し回ったりして好き勝手行動していた。葵は常に誰かに着いていくように見回っていたが、気が付くとぐるっと見回す視界に見慣れた顔がいなくなっていた。
「えっ、うそ、はぐれた」
慌ててすぐにさっきまでいた店に戻ってかにゃんを探してみたが、見当たらなかった。
また通路に出て辺りをぐるぐると見回している内に、ふと気付いた。
(あれ? 今、逃げられるのでは?)
葵は唐突に自分の立場を思い出した。
もはや先ほどまでの一人きりの不安は消え失せ、自由への扉が見えた喜びに変わっていた。
エスカレーターを駆け下り広いロビーを颯爽と駆け抜け高い空の下へ諸手を挙げて飛び出した。
スキップでもしたくなるような晴れ晴れとした気分で街を走っていて、途中で気が付いた。
この街には日陰がない。
「あ、あっつい…」
ただできえ体力がないのに炎天下を全力族走。
葵は息をついて小さな公園のベンチに座り込んだ。
街の中心部は先ほどのデパートやレストランなど高い建物がいくつかあったが、ちょっと外れると小さな民家や屋台が並ぶだけの低い街並みに変わってしまう。日傘はマーロが持っていて、水はリネが持っている。公園に備えられていた水飲み場は吐き出す水がうっすら茶色くて葵はそっとその口を閉めた。
木陰があるだけマシだと言い間かせて、葵はベンチで呼吸を整えて一息ついた。
さっさと保護してくれる人を探して身を隠さないと。
浮かれすぎて街の人に助けを求めることをすっかり忘れていた。距離を取っただけではすぐに見つかってしまう。
呼吸が整ったらすぐにここも離れようと心を決めて空を仰いだ時、葵の顔に影が差した。
「あの、あなた、大丈夫?」
頬の横でくるんと巻かれた髪の毛が風にぽふぽふと揺れる、大きな瞳の回りにラメが光る、それは可愛い女の子が、葵を覗き込んでいた。
***
デパートの中は荒れていた。
商品棚をひっくり返して悪れる暴徒と、その横でさめざめと泣くひょろ長い人、この大きな建物の隅々まで響き渡る高い声で叫ぶ女、エスカレーターの手すりの上でバランス良く山座りしながら階下へ降りていく黒い子供。
店をめちゃくちゃにするばかりか、警備員も跳ね飛ばす。とうとう警察沙汰になろうかというところで、かにゃんは葵を諦めてリネとマーロを引っ掴み、転がるようにデパートを逃げ出した。
「どうして誰も姉さまと一緒にいないんですか!」
「こっちのセリフよ! あんたがべったりくっついてるからはぐれる心配なんてないと思っていたわ!」
「ああ、葵。一人きりで泣いてないかな。可哀相に。手を繋いでいれば良かった」
「エスカレーター、素晴らしい。船にほしい」
「あんたね、このストーカーくそ野郎。発信器かなんか付けてないわけ?」
「付けていいならとっくに付けてますよ! でも、でも姉さまが嫌がると思って、きっ、きらっ、嫌われる、と思ってええ、ああ、付けておけば良かった、腹に埋め込んでおけば良かったああ」
「リネ、うるさい。エルロイはうるさい人は嫌い」
「うるさくもなりますよ!!」
ゴミ集積所に積まれたゴミ袋に顔を埋めてリネは泣きはらした。中身のぱんぱんに詰まったゴミ袋の山は包容力がある。
「とにかく、一家船に帰りましょう。ヤットラーにデパートを中心に市内の監視カメラを確認してもらうって、足取りを追うのよ。日本大使館の出入り情報も見てもらいましょう」
「は? 何で日本大使館なんです? 姉さまが大使館に行ったって言いたいんですか? 逃げたって言いたいんですか?」
「ん、まあ、うん。そういうわけじゃないけど、念のためよ」
「ありえませんからね! 姉さまは逃げたりしない! 僕を愛しているんだから! きっとまだデパートの中ではぐれて泣いているに決まっているんです! やっぱり戻ります。僕から離れようとしているわけないんですから!」
「うっさいわね! あんだけ暴れて戻れるわけないでしょ!」
「リネ、うるさい。エルロイは」
「ああ、葵、大丈夫かなあ。大丈夫かなあ、僕心配だよ」
「エルロイはうるさいのはきらい」
手近にあったエルロイのフードを掴み取ってぶんぶんと上下に振り回すマーロの腕を、エルロイは小さな手で掴んで止めようとしていた。止められようはずもなく全身の上下運動を余儀なくされているエルロイを見て、かにゃんはすっと冷静になった。
一先ず船にいるリーダに連絡を入れると、手分けして探すこととした。
とは言えこれ以上の混乱を避けるため、動揺しているリネとマーロにはかにゃんとエルロイがそれぞれつくこととし、ニチームに分かれて東と西へ散っていった。
「エルロイ、葵が見つかったら図書館に行きましょうね」
「うん。葵も気に入るはず。葵も一緒じゃないと」
「リネとかにゃんも気をつけてね、絶対だよ。またね」
姉さま以外の単語を喋らないリネを引っ張って、かにゃんは立ち去っていった。
走り去る二人の背中をちらちらと気にするマーロを引っ張って、エルロイもさっさと走り出したのだった。
***
短いスカートから覗くたわわな太腿がぴったりと隣に寄り添って、葵の居場所を縮めている。べンチの手すりに体を食い込んで失礼のないように距離を取ろうとしても、すかさずその距離を詰めてくる。心配そうにこちらを見上げる瞳は零れそうなほど大きくて輝いている。潤んで揺れる瞳は舐めたら甘い飴のようだ。
「もう、気分はヘいき?」
「はい。どうもありがとうございます」
「そんな畏まらないで。わたしたち、きっと同じくらいの歳だとおもうの」
「そうかもしれません」
彼女は喋る度に顔を右に傾けたり左に傾けたり、笑う時は必ず口元に手を添えて顔を揺らして笑う。その度にふわふわの髪が風に揺れるように跳ねて、その毛先を目で追ってしまう。
自分と年の頃は同じかもしれないが、自分よりもずっと幼くて可愛い―――葵はそういう印象を受けた。
身長だけではなく全体的に葵よりも小柄で、華奢な印象だ。その割に頬はまあるく子供のようで、大きなリボンで隠された胸は重みがある。太腿も細すぎず太すぎず、そう、触り心地の良さそうなつるつるの足だ。惜しみない生足に葵は水を飲むふりをして生唾を飲み込んだ。
「こちらには観光?」
「ええ、まあ、そんな感じ」
「何でいらしたの? 船? 飛行機?」
「えーと、そう、飛行機かな」
「そう! 私も飛行機で来たの、どちらから?」
「日本、から、そうなの、来たのはいいけど、帰り道が分からなくて」
「まあ」
葵は帰る方法を探していたのだと思い出して、目の前の女性に助けを求めようと思った。
へたっている自分に声をかけるばかりか、近くの自動販売機に水を買いに走ってくれた親切な被女こそ、帰り道を示す灯火に見えたのだ。
「アリスみたい」
小さく笑う彼女こそ物語の人物のようだ。
彼女は立ち上がり、葵の前に立つと、右足を後ろに下げてスカートの端を摘まみ、腰を落として、まるで貴族のように挨拶をした。
「こんにちは、アリス。ご案内できて光栄よ。わたしのことは、うさぎさんって呼ばないとダメよ」
そう言うと座る葵の手を両手で引っ張り上げて、笑いながら走り始めた。
葵は戸惑いながらも、きっと大使館なり警察なりに案内してくれるのだと信じて、その手に従った。
その光景を、公園に入ってきたばかりの二人組が視界の端に捕らえていた。
「あれ、エルロイ! あれ、葵じゃない? ねえ」
「………………コーラ……」
「えっ、誰?」
「コーラだ」
「あっ、一緒にいる人? あ、船の仲間なの? よかったあ、早く追いかけよ」
「コーラ。リネの本当の姉」
まるで土にその尖った足の先が刺さったかのように立ち尽くすエルロイを、マーロもこれ以上引っ張れなかった。
黒い装いの僅かな隙間に覗く細い小さな瞳が、いつもより鋭く吊り上がって冷たく見えた。
じゃらん。
あの頃のリネはいつもそんな音を鳴らしていた。




