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閑話休題

 出会った頃は、ぼっさぼさのぱっりぱりだった。前髪は顔を覆うくらいの長さで、全体的にベタ付いて固まったり散らかったり見苦しく、お風呂に投げ入れて無理失理ばっさり切って以来、自分でも気を遣い始めて、さっぱりと男性らしい短さだった。

 日が経つにつれて髪が伸びるのは当然のことだが、以前なら自分でばさばさと切ってしまっていたはずなのに、ここしばらくもっさりと伸ばしている。前髪は目にかかって鬱陶しいようだし、後ろの髪も襟足辺りは結んでしまえそうだ。


 リネったら、どうして髪を切らないのかしら。


「かにゃん、ちょっといい?」


 長い付き合いの弟分を眺めていたら、その横で腕をぎりぎりと掴まれていた葵が話しかけてきた。

 ここに来たばかりで、船の仲間たちにもようやくその存在を認められ出したばかりの彼女だが、かにゃんにとってはとっても珍しい女友達だ。この船にそもそも女性が少ないというのもあるが、かつてこの船に乗り合わせた女性ともウマが合わなかった。貴重な存在なのだ。


「何よ、どうしたのよ」

「小きな鋏を持っていない? 前髪が伸びてきて、目が悪くなってしまいそうで」

「あるわよ! 私が切ってあげるわ。ふふん、私の腕前はプロ級よ。感謝なさい」


 我の強いかにゃんは育ちが悪くて口が悪い。足癖も悪い。気の強い言い回しが上から目線に捕らえられることもあり、人の気を悪くすることもあり、なまじ自分の発言が間違っていないと信じるあまり、反省はしてもなかなか改善はされない。

 その点、葵はかにゃんの言葉遣いや言い回しを、親切の表れと受け取ってくれるので、かにゃんも素直に世話を焼きたくなってしまう。


「結構です。姉さま、僕が切って差し上げます」


 それを阻む不届き者が、長年修羅場を共にしてきた気の合う仲間であることは皮肉なことだ。


「リネ、あんたも切りなさいよ。ぐずぐず伸ばして」

「僕はいいんです。伸ばしているんです」

「あら。何よ、珍しい。どういう心境の変化なのよ」

「………かにゃんには関係ないです」


 途端に顔をしかめて黙り込んだリネを無視して、葵は「かにゃんに切ってもらえるなら安心ね」と素直にかにゃんの部屋に足を向けた。

 追いすがるリネよりも自分を選んでくれたことが信用を得たようで嬉しく、でも彼女に反してかにゃんの言葉の端々はなかなかその喜びを表現してはくれず、道中何度もリネから増まれ口を叩かれたのだった。


 ***


「本当に上手ね」

「ま、まあね、当然でしょう? 自分の髪だって毎朝セットしてるんだし?」


 かにゃんはいつも栗毛色のボリュームのあるふわふわな髪を持ち上げてバレッタや宝石で豪華に飾っていた。編み込んだり巻いたり固めたり、不器用な葵には考えられないくらいいつもきちんと整っている。


「リネも切ってもらったら?」


 二人の様子をじっと横から観察していたリネに、葵が声をかけた。椅子の上で膝を抱えていたリネは、姉からの言葉に姿勢を正し、注目を浴びる前髪を手櫛で梳かしながらしどろもどろに応えた。


「僕はいいんです。それに、切るなら自分で切れますから。本当は姉さまの髪だって切れるくらい器用なんです」

「嘘よ。あいつナイフでざくざく切るのよ」

「わあ」

「しません! ちゃんと鋏で切ります! 切れます!」


 顔を真っ赤にして、かにゃんから鋏を奪おうと思いかかったリネは彼女の足により敢えなく地面に沈んだ。

 姉の前で醜態を晒したと思い、リネはすぐに立ち上がり、必死に弁明を始めた。自分はそんなずぼらではないと。


「前髪だけでも切った方が良いんじゃない? 陰気に見えるよ」

「い、陰気」

「ぷ、陰気ですって、実際そうだもんね」

「かにゃんは失礼です!」

「うるさいわね。伸ばしてるんなら後ろは切らなくていいから、前だけでも切りなさい。任務にも支障が出るわよ」


 褐色の腕に胸ぐらを掴まれてリネは無理に椅子に腰掛けさせられた。

 流れるように首元に布を巻かれて、小さな鋏が目の上の方でしゃきしゃきと音を立てて髪を切っていった。

 久しぶりに開けた視界に、リネは落ち着かなさそうに頭を掻いて、小さくかにゃんにお礼を言った。


「姉さまがよく見えます…」

「そういうの気持ち悪いわよ」

「はい………」


 頬を染めて蕩けた目でこちらを見下ろす男ときたら肌ものだ。

 でもさっぱりした姿を隣のかにゃんがしきりに褒めるので、葵も空気を読んで同意しておいた。リネはめちゃくちゃに顔を赤くして、一生前髪の長さを変えないと誓った。定規で一本ー本の長さを測ろうとしたので、かにゃんが蹴飛ばして止めたが、彼のあまりの真剣な表情に、葵は笑いを堪えきれなかった。


「姉さまが笑っている、俺を見て笑ってる。あ、はあ、撮っておかないと、この喜びを何かに閉じ込めておかないと」

「あの程度、いつも笑っているわよ」

「うるさいうるさい! 俺以外を見て笑ってるわけない! この間だって梁を虫を見るような目で見ていました!」

「お土産~って言ってゴム渡されたらそりゃ虫ケラ同然の扱いになるわ。どんな間違い方してんのよ、あいつ」


 リネはぴゃっと飛び出してすぐにシェリマニマーニを連れて戻ってきた、姉をスケッチしろと指示していたみたいだが、彼は何の興味も満かないとぶちぶち文句を垂れていた。文句を垂れながらそれでも凄まじいスピードで懐から取り出したノートに鉛筆を走らせた。

 あっという間に葵と隣に立つかにゃんのデッサンが出来上がって、そのリアルな描写に葵も感嘆の声を上げた。

 その絵はしばらくの間リネとかにゃんの取り合いの的となり騒動となったが、その様子をシェリマニマーニは満足げに見ていた。


「あのね、シェリマニマーニ、もう一つお願いがあって」

「あん? 誰だって?」

「あ、シェリー、お願いがあるんだ」

「おう、いいぜ。言ってみろよ。金は取るけどな」


 いつも陽気で気の良い男は自分の名前が大嫌い。名前をそのままに呼ばれると途端に機嫌を悪くするが、愛称で呼ばれると途端に機嫌を良くする。

 カメラの発光を嫌うこの船の重要な作図担当だ。彼の現実をデフォルメしない忠実な絵の恩恵を、この船に住めば様々な場面で受けることが出来る。

 リネは彼の言い値を貢いでその権利を手に入れた。

 シェリマニマーニは仕事が早い。早速蔵書室に行ってリネの言っていた本を机に置くと、さくさくと写生し始めた。


「何してるの、シェリマニマーニ」

「教えてやんな一い」

「そう」

「うそ、うそ。聞いてよ、エルロイ」


 蔵書室の主は端っこで楽しげにお絵かきを始めた男に興味を持ちつつも、無理強いするほどではない。

 しかし男は立ち去ろうとするエルロイを引き留めて快く絵を差し出した。彼が持っている小説の表紙に描かれているお姫様と騎士の絵を模写したようだ、顔が少し違うが―――。


「これ、もしかして葵とリネ?」

「そう! 可愛いだろ、リネのやつ。この小説の騎士を姉さまが好きだから、こうなりたいんだってさ」


 葵がこの船に着たばかりの頃にエルロイが進めた小説だ。

 姫とその横の騎士は実は姉弟で、深い絆で結ばれている。弟は姉を敬愛し、姉は弟を信頼している。リネはこの弟こそ、葵の望む理想の弟と信じ込んでいるのだ。

 白銀の鎧に王家の紋章を掲げるスレンダーな騎士は、その長い髪を風にたなびかせて先を行く姉を一心に見つめている。


「はあん」


 いつの間にか二人の後ろにいたかにゃんがその絵を見て得心したように顎をしゃくった。

 外に出ない日は風呂なんて考えもしなかった男が、毎日きちんと風呂に入るようになった。

 歯磨きだって言われなくても毎日きちんとやる。

 洋服だって毎日きちんと取り替える。

 食事も毎日きちんと時間通り。

 用事がなくても適度にきちんと部屋から出て、関心がなくてもきちんと本を読んで、きちんと生活をして………。


「形から入るタイプ」


 普段表情の見えないエルロイが鼻で笑うのがはっきりと分かった。

 しかしかにゃんは彼のフォローに回った。いいことだと、とても素晴らしい変化だと。


「真似していればいつか本物になるかもしれないわ」

「髪がこれほど伸びる頃には、葵もリネにめろめろかも」

「あり得ないね」


 リネの髪はようやく肩についた辺り。この騎士まではまだ20cmも足りないだろう。

 かにゃんは彼の髪を梳いて整えてやることに決めた。メンテナンスのやり方を教示してやればきっときれいな髪になる。エルロイは否定したが、髪が風に乗って宙を舞う頃には、葵の心も少しばかり解れていることを期待したい。

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