それではまた明日
国の約九割を砂漠が占める砂の国、ポルトハーバード·モート。
唯一、人が暮らせる狭い範囲に国民を集め、こじんまりとした城下町で古き良き文化を守って暮らしている。世界有数の富格国家で、鎖国的。空港もなければ波止場もない。領空を通過することはどの航空会社にも許可していない。人工的な機器をほとんど使用しない古き良き生活をしているのに、国家を守る軍備は最新鋭。
外から来るものは徹底的に排除する。好戦的で厳重な国。その一方、内部の警備はないに等しい。
夜など、葵がうろうろと好き勝手歩き回っても誰にも見つからなかった。
「毎晩、城内の散歩を?」
「ええ、えーと、珍しい場所で、楽しくなってしまって」
「では見取り図を描けるな? このチラシの裏を使ってくれ。何枚でもある」
リーダに確実な侵入経路と捕獲方法を提示するため、細かいところを詰め始めたリネたちだったが、頭が足りないと思い至り、タールマギに何とか助力を得ることができた。
しかしこの男の要求レベルの高さに葵は渡された鉛筆をたたき折りたくなるところだった。
「出来ないでしょう。建築家じゃあるまいし」
「建物に入ったらます内部の構造を理解し図面化するだろう」
「しませんよ」
「……………………………………」
葵から自線を外すことなく、タールマギはじっと押しった。
机を囲う他の団員からも「えっ、しないの?」というざわつきが聞こえる。この業界では基礎技術なのか、葵の無能さを嘲笑する声まで聞こえた。
「誰ですか、今、笑ったのは! 絵心がないなんて可愛らしいじゃないですか!」
「葵、気にしないのよ。あそこは広かったし仕方ないわ」
リネとかにゃんからフォローらしきものが入ったが葵の心の凍て付きは溶けなかった。
誰もが彼もがいずれどろぼうするために建物の構造を把握しておこうと努めているわけではないと知ってほしい。
「…じゃあ、覚えているように言葉で説明を。俺が描く」
「は、はい」
一人席についてチラシの裏にペンを向けるタールマギに、少しの申し訳なさを感じて、葵は姿勢を正した。
しかしすぐに不要な感情だと思い直し頭を振った。
「建物はカタカナのウのような形で、この一筆目の部分が全て王子の居室でした。三階建てで、一階が娯楽や面会に使う仕切りのない広間で、二階が食事などをとるプライベート空間らしく、三階は全て寝室とのことでした」
「部屋の広さは何メートル×何メートルだ」
「え。分かりません」
「………………平米なら言えるか」
「いえ。ちょっと」
「………………………………日本人だったな。畳なら」
「いや、無理ですよ。広いしちょっとしか見てませんもの」
周囲から小さく残念そうなざわめきが聞こえる。
こんな扱いを受けるのは心外だ。隣から「人を倒した状態で何人並べられるか考えると分かりやすいですよ!」と助言がかかったが、今後も特に役立ちそうにはないので無視することにした。
「インターネット情報とか航空衛星の映像から作ろ。ヤットラーに出してもらった」
機内整備を行うモグラたちは機械の扱いにおいて右に出る者はおらず、衛生のハッキングもなんのそのだ。
そういった情報をかき集めようと団員たちが定規やら端末やらを取り出して机に迫ってきた辺りで、葵はちょっと輪から離れて一歩退いた。
決して自分のカ不足とは思わないが、そう思われているようで納得がいかない。
壁の方でぶすっとしていると、空から折りたたまれた紙が頭に落ちてきた。
尖った角っこが頭部に刺さって目の前に落ちてきて、葵は慌ててそれを手に取った。頭上を確認してみると、天板の境目が少し開いていて、真っ暗闇が広がる空洞が少しだけ覗いていた。
「わーからってのは秘密ね」
小さくそれだけ聞こえた後、天板は元通り隙間なく穴を閉じた。
開いてみると、王宮の見取り図のようだった。
人の間を縫ってタールマギにそれを渡すと、驚いたように固まっていた。彼の大きな背を乗り越えられなかったかにゃんが、彼の脇の下から顔を出してその紙を確認した。
「あら、あるんじゃない」
「私が作ったんじゃないの。貰い物」
「ヘえ、誰から」
「えーと」
葵はちょっとだけ天井を見て、あの小さな声を思い出した。
「友達から」
タールマギを突き飛ばして近付いてきたかにゃんに「私以外に友達が居たの?!」と詰め寄られる騒動もあったが、小さいけれど細かい平面図のおかげで作戦は早々に形を成していった。
梁の潜入ルートは隣の国から地面を掘り進めて入り込むモグラの道手法で、戻る際に穴は埋めてしまったらしいが、一度通った場所は土が柔らかくなっているので難なく潜入できるという。そこからリネが王宮に入り込んで王子を連れ去ろうという算段。葵の言葉から日が落ちたら王宮どころか国中が就寝することは分かっている。
どろぼうたちの活発な意見が飛び交う作戦会議を見ていると、自分がここに居ることがまるで夢の中のように感じられて、葵はぼんやりと彼らを見守るばかりだった。
***
道案内に、と何度も梁が葵を王宮に連れて行こうと腕を引いたが、リネが腕を落とす勢いで反対したため、船内待機となった。
日が落ちてから日が昇るまでの間に、攫って、治療して、返却する、突貫作業だ。ぐずぐずしてはいられない。
日が傾き始めた19時に船を飛び出していったリネと梁とかにゃんは、22時には難なく王子を連れて戻った。
「内部はがばがばって聞いてたけど、一応警備兵らしさ人とカメラらしきものはあったわ。王子の居室周辺だけだけど」
「腕を取られた対応策だろーな~。付け焼き刃って感じ。警備兵は立ったまま寝てたし、カメラは扉のとこだけ。窓から入る分には問題なし」
「ベッドの周辺で寝ていた四人の女性の方がよっぼど怖かったですね、起こさず連れ出されてラッキーでした」
「一応エルロイからもらった睡眠効果のある香は置いてきたけど、朝まで起きないよう見張りも置いてきても良かったわね」
エルロイの睡眠薬を打たれたハーメドはぐったりとしていて、呼吸もしていないようにびくりともしなかった。
王子はすぐに医務室に連ばれて、待ち侘びて鋏をカチカチと鳴らしていた船医のハムの元へ連行された。
「こっ、こっ、これだけのっ、大怪我っ! よくぞしてくれました!」
ハムはベッドに眠るハーメドを膝を付いて何度も拝むと、エルロイに促されてようやく治療が始まった。
医務室の外で成り行きを見守っていた葵は、気が付くと廊下の長椅子の端でうたた寝をしてしまったようだ。ふと目を覚ますと男が目前で地べたにあぐらをかいていて、ノートに向かってしきりに筆を走らせていた。見たことのある男だ。さほど長くもない髪を後ろでぐっときつく結い上げて、むき出しの耳には小さなピアスがいくつもついている、猫のような目をした―――陽気なシェルマニマー二だ。彼の表情はとても楽しそうで、鉛筆の動きを見るに絵を描いているようだ。
何をしているのだろうと思った葵は傾いていた体を持ち上げなから口を開いたが、すぐに彼にそれを咎められて、咄嗟に元通りの傾きに体を戻した。不自然に斜めになっているのに、さほど苦しくない。どうやら頭を文えてくれる土台があるようだ。土台? 葵はどうも寒気がして、シャリマニマーニが怒るのも介さず隣を見た。
耳から首から白目から、見えるところは何もかも真っ赤に染め上げられたリネが、石像のように固まって隣に座っていた。
「にぎゃあ!」
「なに! どうしたの?!」
「ちょっと! 動くなよな!」
葵は椅子から飛び跳ねて遠ざかり、かにゃんは蛙の潰されたような声を聞いて廊下の角から走り寄ってきた。
湯気でも立てそうなほど赤いリネと壁に貼り付く葵を見て、かにゃんは何事もないことを察して立ち去った。シャリマニマーニは不服そうな声を上げて立ち上がり、リネの膝にノートを置いた。
「でも、よく描けた」
「はっ………、あっ、うわあ…………………、こ、これ」
「ヘへっ、しょうがねえなあ。仲間だからな。特別だぞ」
シェリマニマーニはノートを一枚ピリッと破り取ると、得意げな表情でリネに渡した。腕が目にも止まらぬスピードでガクガク震えているせいか、リネはしばらくそれを受け取れずにいたが、何度か服の端で手を拭ったり探呼吸を繰り返したりしてようやくそれを手に入れることが出来た。鼻先がくっつきそうな距離でそれを眺めるリネを見ていると、何が書いてあるかは葵にも想像がついた。
いつかあれを取り上げなければならない―――
葵は自分に新たなミッンョンが課されたことを本能で感じ取ったのだった。
そんなことをしている間にエルロイが医務室から出てきて施術の終了を伝えた。
廊下でたむろしていた団員の一人がリーダを呼んできた。彼に続いて入ろうと、深夜にもかかわらずどこからか大量の団員が医務室におし寄せたが、ほとんどかエルロイに払われて外から様子を伺うだけだった。
「見ていると火を付けてしまいそうだ」
「マーロに嫌われるわよ」
「……うーん、分かってる」
医務室から戻ってきたリーダの第ー声はそれだった。
かにゃんが鋭く短く苦言を呈すると、リーダは首をうんうん唸らせてから頷いた。ハーメドはマーロの故郷を燃やして強襲した一味だ。確国たる証拠はないとリーダは考えているか、葵はその事実を確かなものと分かっている。教えてやりたいがこれは田中との秘密だ。葵は唇を噛んで黙り込んだ。
「リネ、二時間後には縫合の糸を外す。そうしたらかにゃんに傷跡が見えないように化粧してもらって、それから戻す。戻すのもお前の役目だ、今のうちに休んでおけ」
「はい、リーダ」
リーダの背後の扉がからからと薄く聞いた。我らの船長に注視していた団員たちが視線を落とすと、低い位置に黒い小人が覗いている。エルロイだ。
「ちょっと相談。いくらかにゃんのドーランが擦ったり濡らしたりした程度では消えないとは言え、塗り直しは必要と思う。塗り直す前に化膿させないため及び治癒を促進するために日毎に薬を塗る必要もある。別に縫合に気付かれても良いならしなくてもいいんだけど。そもそもの切った事実をなるべく隠したいというならやるべきとエルロイは思う。以上」
一方的にまくし立てると、黒い小人はびしゃんと扉を閉じた。
「………だそうだ」
団員と共に視線を落としていたリーダは皆に向き直るとそれだけ言った。
彼らはリーダからあからさまに目を反らして小さくざわついた。
「毎日忍び込むのはさすがに無理だよ」
「付き合ってられない」
「いつまでもこの空に停泊していられないし」
「次の任務にはいつ移行できるんだよ」
「リネがあの国に入り込んでしばらく滞在するしかないな」
「それはあまりにリネが危険だろう」
「姉さまと離れるのはごめんです」
「お前はそれしか考えられねえのか」
「本当に」
どこからか飛んできた野次に葵は深くうんうんと顔いた。
リネを案じた団員すら悲しげにリネを見つめる始末。
―――シャフィーカにお願いしてみたらどうだろう。
葵はそんな言葉が喉まで出かかったが、睡と一緒にごくんと呑み込んだ。
何故彼女が協力してくれると思うのか、説明を求められれば、王子の悪行を察しているからだと答えなければならない。それはつまり、葵もその行動を知っていると明かすようなものだ。葵はリーダの腕に光るリストバンドを見つめながら自戒した。あそこでの出来事は秘密なのだと。
医務室前の話し合いはさほど長引かず、放置で良いだろうということでまとまった。
リーダがその場を離れてから解散となり、団員たちは自分の時間へとそぞろに戻っていった。
「姉さま、姉さまはもうお休み頂いた方が」
「ちょっと、ハーメドの様子を見てくる」
「お優しいのは結構ですが、あんなのに温情を与えなくても。一緒に部屋に戻りましょう。ね」
「私のせいで腕を失くしたのだから気になるの」
「姉さまのせいではありません! 元々は、あいつが…」
「リネ、あなたはまた彼を送っていかなければならないのだし、よく休んでね」
葵はリネの肩を軽く叩くと、なるべく素早く医務室に入り扉を閉めた。
外から呻くような喘ぐような言葉が呪詛のように響いていたが、無視して奥へ進んでみる。いくつか並んだベッドの一つに、男が寝ている。その隣にも人が一人、座っていた。
「やあ、葵」
「マーロ」
人だかりに紛れていたが、リーダと共に医務室に来ていたらしい。
ベッドの隣に置かれた安っぽいパイプ椅子に腰掛けて、横たわる男を見つめていた。
振り返った顔はいつも通りのアルカイックスマイルだ。
「エルロイとハムは奥の施術室を片付けているみたい」
近くに置かれていたパイプ椅子を一つ開いて、マーロは自分の隣りに置いた。葵もそれが当然のことのように、一つお例を言って腰掛けた。
「こんな人、襲撃の時にいたかなあ」
「襲撃したのは下っ端の人で、彼が指示していたんじゃないかしら」
「あ、なるほどね。じゃあ悪い人じゃないんだ」
「いや、実行犯じゃなくても指示していたなら悪い人だよ」
「でも彼が火をつけたわけじゃないんだ」
「いや、でもさ」
「うーん、でもさあ」
それから何度かハーメドの悪さを説いてみたがマーロはあまり理解できていないようだった。
葵は途中でこの話を切り上げて、ハーメドを眺めることにした。彼女の視線が外れたのを見てマーロも男の観察に移行した。
上半身に纏っていた服は全て取り外されて、頭に巻かれていたターバンもなくなっていた。清流のような長い黒髪を散らして眠る姿は、とても凶悪な男には見えない。思い出せるハーメドの顔はいつも溌剌として少年のようだったが、こうして見ると美しく淑やかな青年に見える。
静かな部屋でしばらく黙って彼を見ていたら、男が眉をしかめ、ほんの少しだけ瞼を開いた。
意識が戻ってはマズいと思った葵はすぐに立ち上がり、奥の部屋へエルロイを呼びに走った。その横で、マーロは男を眺めていた。
細く開いた瞼の間から、真っ黒な瞳がゆっくりこちらに傾いてくる。
黒曜石のような黒い瞳が、マーロを見つけて止まった。
新月の夜のような黒い瞳。
マーロも覗き込むように見つめ返して微笑んでみると、男は口を薄く開いて、吐息のような声を出した。
「………………シュトー………」
葵がエルロイを連れて戻るまでに一分と経たなかったはずだが、その間にハーメドは意識を失っていた。
念のためにともうー本薬を打って、エルロイはまた奥に引っ込んでいった。
一定のリズムで呼吸を繰り返すハーメドを見て、葵はほっと胸をなで下ろした。
「見ていて良かったね」
葵はマーロに同意を求めるつもりで声をかけたが、マーロは男をじっと見つめたまま、答えなかった。
不思議に思って名前を呼んでみると、珍しく真一文字に結ばれた唇がゆっくりとこちらを向いて、一息置いてからいつも通りの微笑みに戻った。
「葵」
マーロは椅子から立ち上がり、葵と自分、二人分の椅子を折り畳んで壁に戻すと、葵の手を取った。
「彼は悪い人だね」
そう言って、少し強い力で葵の腕を引くと、医務室を出てきっちりと扉を閉めた。
この行動に、葵はどことなく違和感を覚えたが、先ほどまでハーメドの悪人ぶりを伝えていた手前、発言を否定するわけにもいかず、行動を止める明確な理由もなく、マーロに腕を引かれるまま自室に戻ることとなった。
「おやすみ、葵。また明日ね」
そう言って、扉を閉めようとする葵に向けてマーロは手を振って見送っていた。
閉まりきるまで葵はなんだか不穏な…、不思議な…、放っておけないような気持ちになっていたが、自分自身でも理解できず、心が靄に包まれていた。隙間のなくなった扉を見ていると今度は途端にここから立ち去りたくなって、すぐに自室に向けて足を動かしたが、葵が動き出すのを待っていたとばかりにまさにその時、扉がばーんと勢いよく音を立てて開いた。
葵はあんまり驚いて裏返った声で悲鳴を上げた。
部屋の奥から転がるようにリネが現れた。
仮眠を取っていたところに姉の悲鳴。机や椅子にぶつかる痛そうな音と「どうしました?!」と叫ぶ声が背後から聞こえてくる中、葵はすぐ近くに佇むマーロを見ていた。理由は分からないが何故か恐怖が涙を誘ってきて、葵は潤む視界の中で薄ら微笑む謎の生命体との対峙を余儀なくされた。
「葵、また明日」
まるっきりいつも通りの声色で、いつも通りの微笑みで、手を振るマーロに、葵はひくつきながらも手を振り返した。
「みゃっ…、ま、た、あした」
じんわりと笑みを深くする顔を、葵は久しぶりにお面のようだと思った。
真っ白で皺のない肌はつるんとして鉱物のようだ。
彫刻刀で丁寧にくり抜いたような半円を描く口で、「そう、また明日会えるね」と言うと扉も閉めず立ち去った。
後ろからやってきたリネも葵の後ろから一部を見ていたようで、廊下を歩いて行くマーロの背中をしばらく見ていたかと思うと、何も言わずにバタンと扉を閉めて何故か体を叩いて何かを払い始めた。
「あれは何です」
「分からない…」
「夢に見そうです。仮眠は止めます」
リネは葵の体も何度かぱんぱんと叩いて、何かを取り除くように肩や頭も払った。
理解不能な行動であるし、意味も不可解だが、何故か必要である気がして、葵は黙ってそれを受け入れた。
「あ―――、のさ」
「はい」
「次、私も行く」
シャフィーカに助力を願えるかどうか、いや、そもそも会えるかどうかも分からないが、行かねばなるまいと思った。
田中からもらった地図を差し出した程度では、何の贖罪にもなっていない。
何度説得しても、懇願しても、考えを改めない姉に、弟は憂慮を募らせるばかりだった。




