ふたりでおでかけ
その日のかにゃんは悪女の気分だった。
小狡いことを思いついたのだ。
リネと葵の仲を深めさせて葵をここに留めようと、暗黙の内に一部の団員が協力する中、自分だけちょっとした手柄を立てて葵からの信用を横取りしてしまう良い計画を思いついてしまったのだ。別に葵がここに自らの意思で残るなら、その理由がリネだろうがかにゃんだろうが一先ずは構わないはずだ。何より自分は性別といった点でリネより既に勝ち点を得ている。
彼女は思い立ったことはすぐに実行しなければ収まらない性質だ。噛み砕いて吟味したり綿密な計画を立てる方ではない。
この日が吉日とばかりに揚々と葵の部屋をノックした。
「おでかけ?」
「そうそ! リーダに頼んで、ちょっと下で買い物する許可を取ろうと思うのよ。それに葵を同行させたいって言ってみようと思って」
「嬉しいけど、そんなことできるの?」
「言ってみないと分からないわ。でも言ってみないと実現しないでしょ?」
どこかで読んだ台詞を使ってみて、かにゃんは鼻高々に胸を張った。
「リネを―――仲間を看病をしてくれたお礼がしたいのよね。日本に帰すって言うのは、やっぱりちょっと無理だけど、外出くらいなら良いと思うのよ。 リーダだってあんたに感謝しているはずよ。悪くしないと思うわ」
「充分よ。 もし叶ったら、本当に嬉しい」
胸に手を重ねる葵を見て、かにゃんは自分が高揚していくのがよく分かった。なんだかわくわくして落ちかない。
リネが「姉さまに看病のお礼をしたい」と言っていたのを聞いて思いついたのだが、それをリネに提案して彼の手柄にさせることも出来たはずなのに、買い物は女同士の方がとか、リネはうまく誘えないかもとか、色々自分自身に言い訳をしてここまで持ってきたのだ。 彼にバレる前に形にしてしまいたい。
「じゃあ、早速リーダに言ってくるわ! 期待して待っててちょうだい」
部屋に来たばかりなのに、かにゃんはすぐに立ち上がって飛び立とうとした。葵は慌てて扉まで付いていき、彼女を見送ることにした。
「待って、かにゃん」
「なによ」
「あのね、もしリーダが許可しなくても、かにゃんがそうやって考えてくれたことが嬉しいわ。ありがとう」
扉の隙間から見えた微笑みに、かにゃんは何故か酷く動揺してしまって、自分でもよく分からない言葉をごちゃごちゃと喋った後、兎のようぴゃっと姿をくらました。その様子が伝わって、葵もほんの少し照れた調子で笑いながら部屋の奥へと戻っていった。彼女はとても可愛い、と葵は思った。
良い案だ、とリーダは最初こそ笑ったが、すぐに眉を歪めて、「だがリネがどう思うだろう」と言った。彼が良しとしなければ実現しないだろうが、可能性は低そうだ。しかし、部屋に篭もりきりを葵は喜んではいまい。
団員は一人乗りの空飛ぶ円盤"マーク号"を用いてある程度自由に外出しているが、葵はその使い方も知らないし、教えるつもりもない。彼女が不平を抱くのも当然のことだ。少しでも不満を取り払いたいが、一番の味方であるはずのリネが一番の障害だ。
「リネに許可を…取らずには行けないだろうな」
「私から、説得するわ」
かにゃんは足の爪先を見つめながらぐっと挙を握った。
「俺も立ち会う。タールマギ、リネを呼んでくれ」
部屋の隅で存在を消していたタールマギが、無駄のない動きで船内連絡電話を立ち上げた。かにゃんは今になってようやく、リーダの右腕が部屋の中にいたことに気付いた。
居るならもうちょっと声だしたりしなさいよ、とタールマギを指でつつくかにゃんを見ながら、リーダは人知れず深呼吸を繰り返した。
「……は…? かにゃんとお出かけ…?」
想像していたよりずっとひどい顔色に変色した。
皆で協力して葵にここを好きにさせようと話したはずだった。その時、リネも姉が残ってくれるならその理由が自分でなくても構わないとまで言っていたはずだった。
その言葉を信用するべきじゃなかった。人間は一つ欲が満たされると新しい欲が産まれるものだ。
「や、やだやだやだやだ。絶対やだ。に、逃がすつもりだ。かにゃん、姉さま攫うつもりなんでしょう」
「違うわよ。ちゃんと連れて帰ってくるわよ」
「嘘だ。嘘。リーダ、信じないで、かにゃんは嘘を吐いている。味方だと思ったのに」
リネはリーダからかにゃんを隠すように間に入った。肩が怒って震えている。リーダはその背中を見ながら二人に気付かれないように天を仰いだ。
「嘘じゃないってば。ここにずっと居たらまたここが嫌いになっちゃう。適度にガス抜きさせてあげるだけ」
「うそ。嘘。嘘、嘘! 嘘!! 自分しか知らない場所に姉さまを連れ込む気だ! 俺から姉さまを奪うつもりだ!」
「んなわけないでしょ! あんたじゃあるまいし!」
「前から思ってたんだ! 同じ性別だからって姉さまに取り入って! もう姉さまを見ないで! 姉さまのこと好きにならないで! 俺より姉さまと仲良くならないで!」
「ンンはあああ??? 私や葵が誰とどう仲良くなろうが、あんたには関係ないでしょオ??!」
辛うじて二人とも刃物は出していないが、 今にも殴り合いそうなほど手を振り回し地団駄を踏みながら言い合いを始めた。
こうなると思った―――。
リーダは空を映すガラスの天井を眺めながら、ヒートアップする目前の闘争を耳だけで聞いていた。
リネは葵のこととなると盲目の難聴になるし、かにゃんは火のないところで燃えられるチャッカマンだ。概ね想定内の流れだ。気持ちの良い展開か否かは別として。
「リネ、お前にも悪い話じゃないはずだ」
「は?! これのどこが! 姉さまがいなくなっちゃう!」
両手を広げてリネが上体を後ろへ倒すようにひねった。
演劇でも見ないような身体の動きに、リーダは思わずー歩退いた。乱れた髪が汗まみれの顔に貼り付いて、 見開いた目を強調する。
「外出はきっと滅多にない楽しいイベントとしての心に残る。そしたら、今後きっと外出したいと頼んでくる」
「かにゃんと出かけたいなんて言われたら俺は死にます! ああ、もう死にます。今死にます。かにゃん、姉さまにもうこの話はしたの? どんな様子だった? 喜んでた? 笑っていた? 俺には滅多に笑いかけないのに、かにゃんには笑ったんだ? 俺は滅多に姉さまを喜ばせられないのに、かにゃんは、かにゃんが、かにゃんばっかりが!」
強く地面を蹴る姿に、かにゃんの火は少しばかり鎮火した。ちょっとばかり葵と仲良くなりたいと欲を出しただけで、決してリネを傷付けたかったわけではないし、ましてや仲違いしたかったわけでもない。この提案もいやがるかもしれないという予態はあったが、まさか自分が葵を奪うだなんて発想をするとまでは思わなかった。「自分も一緒に行きたい」と強請ってくる程度だろうと、そしたら年上らしく大らかに迎えてやるうと思っていただけだ。
「よーしよしよし、どうどうどう」
リーダはぽふぽふと優しくリネの肩を叩きながら、上からゆっくり押していき、リネを床にしゃがませた、自分も肩を並べて片膝をつく。リネは荒くなった動悸を押さえるように胸を抱えてうずくまった。
「頼むにしたって、まず最初に誰に頼む? 部屋を出て最初にいるのはお前だろう?」
「俺にかにゃんと外出したいって言うんだ。そういう残酷なことを強いるんだ」
「まさか。葵がそんなことをするはずがない。葵はひどいことをする人なのか?」
「違う! 姉さまは神様より優しくて、天使より美して、誰よりも人の心がわかる人で」
「じゃあ、きっとリネと行きたいって言うに違いない。どうだ? 葵にー緒に外出しようと言われたらどう思う?」
びりっと何かが破ける替がした。胸と膝の間で重ねていた手が、もう片方の手の手袋を破ったらしい。
超至近距離で膝を見つめていたリネは見る見るうちに耳から首まで真っ赤にして、がつんと額を膝に打ち付けて停止した。
リネを挟んで向かい側にしゃがんでいたかにゃんが暗号代わりにしている指文字で「心拍数がやばい」と言っている。リーダは一つ頷いて、もう一押しだと返した。
「それだけじゃないぞ。もっと良いこともある。葵はたまの外出を楽しみにするが、自由には出て行けないだろう。そんな時にリネが声をかけてやれば、それはもう凄まじくリネに感謝するぞ。 かにゃんが今までしてきたことよりもずっと葵を喜ばせられる」
「う゛ぁ…」
とてもとても小さい声を口から漏らすと、もう赤くなりようがないと思っていた耳が更に深い赤色に染まっていった。
「脳溢血で死ぬのでは」
膝に埋もれた顔を現き込むかにゃんが独り言のように呟く。
「葵は女性だし、男性と出かけるには躊躇する奥ゆかしい人物に違いない。だから、初めはかにゃんと出掛けさせて、それにリネも加わるようにして、いずれ弟と二人なら安心して出掛けられると思うようになる。そうなったら何度でも二人きりで出街けられるぞ」
「ふ、ふ、ふたりきひ」
「船の中でもリネと二人で過ごすのを拒絶したりしなくなる。リネが隣にいることが自然になるに違いない」
「そっ、そっ、そっ、そうかなあっ」
リネはがばっと顔を上げてリーダを見た。勢いのあまり鼻がぶつかったが、リーダは身をひくことはせず、むしろ一層身体を近づけて、膝においたリネの手に己のそれを重ねた。当たった鼻も熱かったが手はそれ以上に熱い。今なら火を通さなくても焼き肉に出来そうだ。
「そうだとも。かにゃんはそう提案しに来てくれたんだぞ」
「えっ、そこまでは考えてなかっ」
「素直じゃないからなかなか言い出せていなかったが、かにゃんはいつもお前を想っているんだ。葵のことも。 お前たち姉弟の味方だ」
「そ、そうだったんだね。俺、それなのに、頭から否定しちゃって ごめんね、 かにゃん。ごめんなさい」
「………うん、まあ、いいのよ」
リーダとは反対側から、かにゃんはリネの肩を抱いて手を重ねた。リネは涙目でかにゃんの手を握り返して、震えた声で感謝を返してくる。真っ赤な耳の向こう側から、真顔のリーダが「うまくやれよ」と指文字を示した。
楽しい外出にしなければならない。
許可をもらったはずなのに、かにゃんは少しばかり、その日を恐ろしく思い始めた。
***
「どうしても、一緒に行きたいってうるさくて…」
「うん、まあ、そんなこったろうと思った」
「よ、よ、よ、よ、よ、よ、よろしくおねが、しまっ、姉さま!」
来る日、かにゃんの後ろから望まぬ同伴者も付いてきた。
女友達とショッピング。なんだか随分久しぶりだ。 何を着ていこう、何を買おう、何を食べよう。そんな特別な日に友達の彼氏が勝手についてきたようなものだ。楽しい気分をハンマーで叩き割ってくれる。何故が真っ赤になって高揚し、誰よりもはりきっている男を、葵は冷め切った目で見つめ返した。
「かにゃんとふたりでおでかけしたかったなあ…」
「えっ、や、やーねー、何言ってるのよお、葵ったら」
かにゃんはかにゃんで初めてのデートくらい赤面している。
(外出というのは、もしかしたらこの二人にとってもそれくらい珍しく特別なのかも…)
そう考えると、二人のこの態度も微笑ましい。葵はすっかり二人の保護者のような気分になった。
「こっ、この次は、姉さまとふたりでおでかけに」
「気が早いわよ」
今しばらく、ふたりでおでかけは叶いそうにない。
浮き足立つ三人のおでかけ模様については、また次の回にて。




