最低の男
「リネ、それは何?」
「金庫の鍵」
「うん、そうね。知ってる。そうじゃなくて、どうして鍵にリボンを付けているの?」
「どうしてって、プレゼントにはリボンを付けるものなんだよね?」
「金庫の鍵をプレゼントするの?」
「そう。姉さま、喜んでくれると良いけど」
「待て持て待て、やめなさい、やめなさい」
かにゃんはリネの手から鍵を奪い取ろうと手を伸ばしたが、すんでの所で躱されて、何とか掴めたリボンをするりと抜き取っただけになってしまった。
「何するの! せっかく頑張って結んだのに!」
さっとかにゃんの手からピンク色のリボンを取り返すと、椅子に座り直してまた鍵を飾り始めた。そんなリネの向かいに腰を下ろしていたマーロは、机に上半身を乗り出してその手元をニコニコと見つめていた。
「葵に贈り物をするんだね」
「そう! 僕のお給料とかを入れている金庫の鍵を渡して、自由に使ってくださいって言うつもり。報酬で貰った宝石とかも入っているから、気に入ってくれるに遅いないよ」
リネは随分上機嫌だ。大怪我から復帰して、看病してくれた姉へのお礼を考えることに忙しい。
「それって通帳を渡すようなもんでしょ? 葵が喜ぶとは思えないけど」
かにゃんはリネの背後からその手元を覗き込み、不器用に曲がった々蝶々結びを眺めた。彼はナイフの扱いは鮮やかだし、器用な性質だと思っていたが、慣れていない細々した作業は苦手らしい。“リボンの結び方”と題されたチラシを見ながら、先ほどから何度もリボンを結び直している。なかなか納得のいく出来にならないらしい。
「ねーえ、プレゼントが現金なんて、可愛げがないわよ。女の子はそんなのよりさー、もっとこう、アクセサリーとかさ」
「じゃあ、かにゃん。姉さまの喜びそうなアクセサリーを知ってるの?」
「うーん」
葵はここに来た時もアクセサリーの類いは付けていなかったし、かにゃんから服を借りるとなった時も装飾品は持って行かなかった。
似合いそうなもの、と言われればぽんぽん出てくるが、好きなもの、と言われても参考になる情報が少なすぎる。
「大丈夫。昔、姉さんにお給料をまるっと渡した時はとっても喜んでもらえたし、今回も喜んでもらえる。間違いない」
「でも、昔のお姉さんと葵は違うんでしょう」
マーロが首を傾げて下からリネを見やると、彼は手からリボンを離してバンッと勢いよく机を叩いた。
「違いません。姉さまは俺の姉さまです。産まれた時から」
先ほどまでの笑みとはまるで別人の様相に、マーロは上体を退いた。リネは不機嫌そうに頼を膨らませて、目を下に反らして形を崩したリボンの端をくるくると指先で遊んでいる。
「下に行って、とっても気性が柔らかくなっただけ、別人みたいな言い方はやめて」
「あー…ごめんね、僕はリネのお姉さんのことよく知らないから」
「もうよく知ってるでしょ。姉さまと仲良しなんだから」
「えっ、僕って葵と仲良しかなあ? ええ、そうかなあ。えへへ」
「別に仲良しじゃないし。僕と姉さまの方が仲良いし」
ため息を吐いてまた細かな作業に戻ったリネを、一瞬の緊迫から解き放たれて安堵したかにゃんが見下ろしていた。満面の笑みで頬を赤らめるマーロの切替えの早さがちょっとばかり恨めしい。
かにゃんはふと思いついて部屋を飛び出すと、小さなエルロイの背中を押しながら戻ってきた。黒い髪と黒いローブの原間から細く覗く瞳が不満を訴えている。しかし連れてきたかにゃんは意にも介さず、リネの手元を指さしながら事のあらましを説明した。
「うける。物質主義的な愛を喜ぶと思っているなんてお子様」
一通りの状況を知ると、エルロイは少しも面白くなさそうな口ぶりでわざとらしくぷすーっと鼻で笑った。
リネはちょっとむっとして、座っている自分とほぼ同じ背丈のエルロイに目を向けた。
「じゃあエルロイは女性に物を贈ったことがあるわけ」
「ないけど、それが悪手な事くらい分かる」
「どうして分かるのさ」
「そういうことする男は大体当て馬だから」
はい、どうぞ。と言って黒いローブのどこかから本を一冊取り出してリネに差し出した。恋愛小説のようだ。かにゃんがその表紙を見て「あー、それね」と得心がいったように頷いている。
「お金を貰って喜ぶと思っているなら、それは葵を見下しているって事だよ」
「みっ?! そんなわけない! 俺は姉さまを尊敬しているし、すごい、すごい、なんていうの、すごい人だって思ってるし!」
「もう少し語彙力を付けるためにも本を読んだら?」
膝にどさどさどさっと降ってきた本の山に、リネは目を白黒させた。薄かったり厚かったり、色とりどりの花が描かれていたり、はたまた白と黒のシックな色合いの表紙だったり、様々な種類の本が視界を履い尽くす。
「どれも葵が読んだことある本だよ。 相手の好きな物を知るところから始めたらどうだろう」
「な、なるほど…」
リネは試しに目に付いた本を開いてみた。小さな文字に目がくらみ、すぐにばたんと閉じてそっと机に置いた。
「無理みたい」
「早すぎるわ。私も活字は嫌いだけど、 ストーリーがある小説なら先が気になるから読めるわよ」
「とりあえずこれを頑張って読んで勉強して、これに出てくる"トミー"って登場人物のことを、葵はサイテーって言ってたよ」
姉さまが。姉さまが最低と表現する人物。いったいどんな人間だろう。あの姉さまに嫌われるなんて、よっぽど酷い男に違いない。
きっと人も殺しているし、女性を辱めて、子供にも手をかけて、あまつさえ忠義を誓っていたボスや血の繋がった家族を裏切っているに違いない。
姉さまに嫌われないよう、反面教師にしよう。
そう心に決めて、ちかちかする目をなんとか鼓舞しながらリネは本と向き合うこととした。
***
両親を亡くしたアーシャは医者を目指す弟のために日夜を問わず働き続けていた。
熱心な努力と勤勉の甲斐あって弟は医大に合格する。姉弟は抱き合って喜び、姉は引き続き学費のために労働を、弟は良い成績を以て必ず医師になることを誓い合う。そんな二人きりの家族の間に、男がニ人現れる。
一人はユフィ、アーシャと同じコンビニでバイトする一つ下の若者で、生意気でどうも突っかかってくる。しかしこうして働いているのは病気の母のためと知ってアーシャは可愛い弟を見るように親切に接する。
もう一人はトミー。大病院の院長の息子でアーシャより5つ年上、弟の通う医大の卒業生でもあり、ひょんなことから親しくなる。
そうしてやがて、二人はアーシャが夜の仕事もしていることを知ることとなる。
ユフィは何度もアーシャを問い詰めた。彼女は咎められているように感じ、バイトのシフトを無理矢理ずらしたり、連絡を無視したりして、彼から距離を取るようになった。一方トミーは彼女の働くクラブに赴くと大金を叩いて彼女を買い占め、太客となってたちまち彼女を店のナンバーワンに登らせた。
「そういうことなら、言ってくれれば良かった。君のためならこれくらい、借しくないのに」
(ありがたいことのはす…。でもどうして胸にしこりが残るのだろう)
輝くネオンの下、男と女が集う店の前でトミーと向かい合っていると、ユフィが現れた。握りしめられた手にくしゃくしゃになったチラシを持っている。そんな彼に向かってトミーは「今日は僕が彼女を買ったんだよ。そして明日の朝まで、このまま僕のものなんだ」と鼻で笑ってみせた。アーシャが引き止めるのも関わらず、ユフィは何も言わずに走り去った。
その帰り道、トミーの車がホテルの前に止まった時、アーシャは彼の手を振り切って逃げ出し、家に走って帰った。
慌ただしく帰った家では弟が挟いリビングで勉強しているところだった。
「ついさっき、ドアのボストにこれが投げ込まれたんだけど」
弟に差し出されたのは、くしゃくしゃになったチラシだった。
家でもできる内職や、夜でもできるホームメイドのバイトが紹介されていた。
「ずいぶん乱暴な配達員だね。でも、俺もキャバクラより、こういう仕事の方が良いと思う。内職なら俺も手伝えるしさ」
アーシャはチラシを胸に抱いてぼろぼろと泣いた。
次の日、店に来たトミーは開ロー番「贈り物が足りなかったか?」と言ってゴールドカードを机に投げた。ヘルプに付いていた同僚の女の子たちが沸き立つ中、アーシャは後先を考えず机をひっくり返し、派手なドレスを翻して店を飛び出した。高いヒールに何度も足が滑ってスカートの裾を踏んで肩紐が滑り落ちたが、足を止めなかった。気が付いたら、いつも働くコンビニに来ていた。 肩で息をするアーシャを見つけて、ユフィが驚いたように出てきた。
「どうしたんだよ、そんな恰好で! 」
「わ、私、お礼を言わなきゃと思って、あなたに、あの、チラシ、あのね」
「ちょっと落ち着けよ。奥で水でも飲むか?」
「ありがとう。私、夜の仕事変えようと思って、あのね、ありがとう」
しばらく息を整えるアーシャを目を真ん丸にして見つめていたユフィだったが、やがてふっと表情を崩して、いつものように悪戯な笑い声を上げた。
「そのためにそんな急いで来たのかよ。馬鹿だな」
「ええ、本当にね。でも言わなきゃって思って」
「そうかよ………、馬鹿だなあ……」
ユフィは俯いて何復か鼻を掻いた後、意を決したようにズボンのポケットから小さな袋を差し出した。中には可愛らしい小さなキーホルダーが入っていた。このコンビニで働き始めたばかりの頃、アーシャが好きだと話したキャラクターの物だった。
「ごめん。俺、あんたにあげられるもの、チラシとか、それくらいしかなくて…。でもよ、俺、年齢は追いつけないし、たぶん医者にもなれねえし、いい男じゃねえけどよ…。もうちょっとだけ頑張るからよ。母さんのために頑張れたんだし、お前一人くらい増えたってどうってことないっつーか。そのー、 俺なりに、もうちょい頑張るからよ、だからよ」
「ユフィ。 その想いが、何よりの贈り物だわ」
破れた服を着て、安物の贈り物を握りしめて、それでもアーシャは今までで一番幸福な笑顔を彼に贈ってみせたのだった―――
***
「トミーはいい男だと思う」
「その感想しか持たなかったんならその程度だな。葵の弟を名乗る資格はねえ」
いつにない乱暴な口調でかにゃんはリネを一刀両断した。リネは慌てて手を振り回し、それだけではないと主張した。
「こ、この弟は悪い弟です。お姉さんにおんぶに抱っこで」
「言いたいことはそれだけ?」
「アーシャさんはいいお姉さんです! 姉さまのような」
「浅い…」
腕を組むかにゃんの横でエルロイがつまらなそうに長い息を吐いた。
「リネにはちょっと興味を持てないお話だったのかもしれないよ。活学初心者に探い感想を求めるのは可哀相だよ」
縮こまるリネの肩に手を添えて、 マーロが擁した。
「じゃあ、ユフィについては? ユフィについてはどう思ったのよ。アーシャは結局トミーよりこいつを選んだのよ」
「おかしな話だと思う。まだ働けと押しつけるユフィより仕事を辞められるくらいお金を用意してくれたトミーの方に感謝すべきなのに、そう考えると、アーシャは姉さまとは全然違うね。失礼を言ってしまった。反省」
リネは机の上にあった小さな花瓶を手に取ると顔をがしゃんと叩き付けた。罰のつもりらしい。幸い割れずにまた元の場所へ戻されたが、かにやんは花瓶を不憫に思ってさりげなくリネの手が届かないところへ遠ざけた。
「でも僕はユフィの方が好きだなあ」
ずっとリネの隣から本を覗き込み、一緒に読み進めていたマーロがぺらぺらと本を捲りながら乾燥を述べた。
「健気で一生懸命じゃない。自分に出来る範囲で精一杯主人公のことを考えたところが好ましいよ」
「トミーだってそうだよ、その出来る範囲がとっても広いだけで」
「でも、彼のお金はほとんど親のお金のようだし、彼女のことを想っている時間はきっとユフィの方が長いよ」
「そりゃ、そうかもしれないけど、結果的にトミーの方が彼女の為になったんじゃないの」
お互いの意見を主張し合う二人を見てかにゃんはやれやれと大仰に手を広げて首を振ってみせた。
「アーシャはお金よりその想ってくれる時間を選んだわけでしょ」
「なるほど」
ぽすん、とリネが手を打った。
「つまり姉さまのことを一日中想って、 お金も差し出す僕であれば、姉さまに選ばれるってことだね!」
満点の感想文が出来上がった、と言わんばかりにきらきらの笑みでリネは人差し指をビッと突き上げた。
誘導を間違えた。
かにゃんは頭を抱えて膝に埋めた。どこからかマーロの「そうかも!」という晴れやかな声が響いてくる。
エルロイはしばし沈黙すると、 椅子からひょいっと飛び降りてマーロの手から小説を奪い取り、部屋の出口へ向かった。
「葵にどうしてトミーが最低と思ったのか聞きに行こう」
黒い小さな手で皆を誘うように本を小さく振りながら、部屋を出て行った。残された三人はちょっとだけ目を見合わせた後、その後を追っていった。
「エルロイ、どうしてわざわざ姉さまに聞きに行くの? 俺が答えを出したじゃん」
「謎が出来ちゃったから」
「謎ってなんなの?」
短い足で飛ぶように進むエルロイを、足早に追いかけながらリネとかにゃんが代わる代わる質問した。エルロイはぴたっと足を止めて長いローブをふんわりと風に乗せて振り返った。後を追っていた三人は数歩足踏みして立ち止まり、小さな仲間を見下ろす形となった。
「確かにユフィを選んだとも取れるけど、それなら葵がトミーを最低とまで評価する必要はないのに、どうしてそう言ったんだろうと思って」
「ユフィと比べて、自分のことを考えてないから、最低、なんじゃないの?」
目線を合わせようと、マーロは長い足を畳んで膝を抱えるようにしてしゃがみ込んだ。それを見てかにゃんもリネも同じように腰を曲げて床に膝を付く。決して広くない廊下の一角で小さな会議が始まった。
「他にもヒロインを取り合う男の話はいくつかあったけど、最低とまでは評価していなかった。どうしてそこまで言ったのか、エルロイには分からないから、教えてもらう」
「確かに、トミーは人も殺してないし、女性も辱めてないし、子供に手をかけていないし、ボスや家族を裏切っていないのに、言いすぎだよね」
「何よ、それ。そんな奴が出てくる小説ごめんよ」
「じゃあ、かにゃんは何でそう言ったか分かるの?」
「そりゃあ。もう、 当然、あれよ―――」
かにゃんはしたり誰で天井を指しながら口を開けたが、天使が輪の上を通ったように静まっただけだった。
「ほ、ほら、いきなりホテルなんて連れて行くから。最低よ」
「あ、それはあるね。うんうん。結婚もしてないのに。最低だね」
マーロの頷きに、かにゃんはほっとして頷き返した。リネは腕を組んでそうかなあと呟いただけだったが、エルロイは間髪入れずに「違うと思う」と両断した。
「何でそう思うのよ」
「葵はその手のことについては拘らない。親に阻まれる恋愛小説を読んで『さっさと既成事実作れ』って嘯いていたくらいだから」
「姉さまはそんなこと言わない」
リネが真っ黒な表情でエルロイを見た。
「リネの言うとおり、トミーがお金持ちで、尚目つアーシャのことを一生懸命考えていたら、葵だったらトミーを選ぶかどうか聞いてみたい」
それだけ言うと、エルロイは三人に背を向けてさっさと駆け足で葵の部屋を目指していった。
「ええ。トミーは絶対にいや」
「どうして!」
リネが激しく慟哭した。もう大声程度では驚かない胆力を手に入れていた葵は、床に這いつくばり唸る男を冷めた目で見ていた
「なに?もしかしてトミーみたいな男が理想なの」
「いいえ! 決して! そういうわけではありません!」
床から顔を上げたリネはさっと青ざめて四つん違いのままに近付き、足下で平伏した。土下座の体をなす背骨の曲線は、上から見下ろすと足蹴にしたいほど美しい。
「どんだけ考えたか知らないけど、お金で好きな女を買う結論に至る男なんてごめんよ」
「うんうん、そうだよね、そうだとも。女性との時間をお金で買って、ホテルまで連れて行くなんて、この男は最低だよ」
まるで葵がその主人公だとでも言うように、マーロが葵の肩を勢いよく引き寄せて頬をぐりぐりと頭に押し当てた。葵は足下から凄まじい視線を感じていた。血の気が失せるような殺気だ。
「女を買うのが最低なの?」
「や、それで生活している女性もいるし、そういうわけじゃなくて…」
マーロの腕に囲われた葵をエルロイが見上げる。
その横でかにゃんがリネの襟を引っ張って「いい加減に立ちなさい」と促していた。持ち上げられるリネの瞳が一向にマーロから離れないのがちょっと恐ろしい。当のマーロは気付きもせずに葵の頭を枕にしているのだが。
「そんな仕事は辞めろとか、君に相応しくない汚らしい職業だ、とか言っておきながら、そのお店に大枚はたいてドヤ顔でアーシャを買っているところが…、何だろう、嫌悪感があるのよ。生理的に無理」
納得がいかない風にエルロイが首を傾けた。かにゃんは頷いているので、なんとなくだが理解したようだ。
「ところで、葵」
かにゃんが立ち上がったリネの首元からばっと手を離して葵に問いかけた。
「自分の全財産が入った金庫の鍵をプレゼントしてくる男ってどう思う?」
「頭が悪そう」
「もう良いでしょう。皆して姉さまの部屋に押しかけて! 迷惑ですよ! さっさと出て行くべきです! マーロも難れてよ!」
地団駄を踏みながら、リネが皆の背を押して部屋の外へと追いやった。
首元に微かな余韻を残してマーロも離れた、触れられている時はとても冷たい腕だと感じていたのに、なんだか不思議な感覚だ。
全員を扉の外へ押しやった後、リネはこちら側に残って扉を閉めたが、しばらく扉と睨めっこしていたかと思うと、また勢いよく扉を開いて「お邪魔しました」と小さく呟いて去って行った。葵は今の嵐はいったい何だったんだろうと疑問を残しながらも、退屈な一人部屋の微睡に戻っていった。
「頭が悪そうですって」
「嫌悪感があるって」
「生理的に無理はひどいよね」
「俺のことを言ったんじゃないし。トミーのことだし」
あれは最低の男です。と、リネは小さな声で呟きながら、鍵に取り付けたリボンを力任せにバラバラに千切り始めた。
「葵が言っていたのは、好きじゃない女を買うのは良くて好きな女を買うのは駄目って事?」
「というより、見知らぬ何でもない男に買われるのは良いけど、自分を好きだって公言してる男に買われるのは嫌ってことじゃない?」
エルロイの疑問に、かにゃんは我ながら適切に答えられたと思ったが、質問者はローブの下で腕を組んでまだ首を右に左に傾けていた。小説で沢山の追体験を重ねているはずなのに、それは感情を伴わない記憶に過ぎないようだ。経験というより、記録の積み重ね。
「………俺には、他に差し上げられる物は何もないのに…」
バラバラになったリボンの欠片に埋もれる金庫の鍵を見つめながら、リネがまた小さく呟いた。横に座っていたマーロが「葵に何が欲しいか聞いてみよう」と提案したが、リネはそれを拒絶した。
本当は何を求められるかなんて分かりきっているのだ。
「リネにしかあげられないもの、きっとたくさんあるよ」
一緒に探そう、と、 マーロは先ほど葵にしていたようにリネを引き寄せて胸に抱いた。
ぺらっぺらの胸元は冷気が出ているかのように冷えていて、それでいて柔らかい。そこから僅かに姉の部屋の香りが漂ってくる。
"姉さまを奪う極悪人"の腕の中で小さくなる仲間を見て、かにゃんはとりあえず頭の悪いことをしなくて良かったと嘆息した。




