いいわけ3
とんでもない一夜だった。
銃を突きつけられて、死にそうな人を見せつけられて、 挙げ句死に損ないに骨が砕けるんじゃないかと思うくらい強く腕を握られて、いろいろ詰め込まれた夜だった。
しかしようやく落ち着いたらしい。
怪我人は自室に戻されて、彼を連れてきたリーダに「ちゃんと休んだ方が良い」と言われ、早朝の明るい日差しがカーテンを透き通ってくる部屋の中でぐっすりと体んだ。とは言え、ほんの数時間で目は覚めた。隣の部屋からさわさわと人の気配を感じる。怪我人に見舞いが来ているらしい。
「葵!」
「姉さま!」
がちゃん、と、手元のコップを倒してかにゃんが立ち上がった。 リネも目覚めていたらしい。上体を起こそうとして失敗していた。痛みにうちひしがれている。
かにゃんはコップなどまったく息に介さず慌ててこちらに寄ってくると、床に這いつくばって頭を下げた。
「えっ」
「葵! ごめんなさい!」
「えっ」
「ひどいことを言ったわ! 許してもらえるとは思っていないけど、でも謝っておきたいの! ごめんなさい」
「えっ、なんだっけ」
土下座の体をなすかにゃんをとりあえず抱き起こし、しどろもどろにまとまらない説明を受けて、何とか記憶を呼び戻した。そういえばリネの見舞に行ってほしいとお願いされた時、色々と言われた気がする。
「あれはしょうがないよ。私は何とも思っていないから」
「嘘! 私だったら階段から三回は落とすくらい怒るわ!」
「そ、そう。でも私は怒ってないから」
「嘘よ! 葵の国は感情を表に出さない風習なのでしょ、だからでしょ、殴って良いわよ! 階段から落としたいなら今すぐ行きましょ」
「嘘じゃねっつってんの、怒るわよ」
かにゃんはちょっとしゅんとして、改めて小さく謝った。手を重ねる彼女の両肘を葵がぽふぽふと叩いて、「仲間思いなのね」と声をかけると、彼女は泣きながら葵に抱きついた。謝罪と謝意を込めた言葉が絶え間なく降ってくる。葵は少しも怒る気になれなかった。
「ね、姉さま、姉さま、姉さま」
ベッドの中のリネが懸命に起き上がり、何度も葵を呼んでいた。
その姿にようやく気づいたかにゃんが慌てて戻り、その体を押して無理矢理横にした。葵はちょっと迷ったが、かにゃんがあまりにも当然のように椅子を用意して手招きするので、仕方なく近寄って腰を下ろした。
「姉さま、会いたかった。あの、俺、あ…僕、失敗しちゃって、その、罰してもらえたらって、あ、でも任務はちゃんとやったので、その後でよかったら褒めてほしいとも思ってて、あ、でもそれは、姉さまのお好きなように、それで、怪我はもうよくって、ええっと」
リネは顔を真っ赤にして手をもじもじさせながら必死に言葉を探していた。話したいことが渋滞しているようだ。
「とにかく!」
ぶつぶつと咳いていた声が唐突に大きくはっきりとなった。このいきなりの叫び声、何度か体験しているが慣れない。
「お見舞い、きてくれて、看病してくれたって! ありがとうございました! 僕、うれしいです。すごくうれしいです。おかげでよくなりました。全郎姉さまのおかげです!」
「いや、お医者さんのおかげだと思うよ」
隣からどすっと腹を突かれた。
「ハムもびっくりしてたわよ! 驚異的回復カって!」
「リネの身体能力じゃないかしら」
「葵の看病がきいたのねえ!」
「そうです!」
この二人は結託している。示し合わせたのかどうかは分からないが、とにかく今は結託している。二対一は卑怯だ。
ちょっと話した後、葵は食事に行こうと席を立った。かにゃんも同行すると言って二人分の椅子を元通りの位置に直した。
「僕も行きますっ、ぐ」
「無茶言わない。まだ立てないでしょ。それに点滴しているから、食事はしなくても大丈夫」
「立てます、行きます、行きたい。姉さま。ご一緒させてください」
「いや、寝てた方が良いと思うよ」
「嫌です!」
「リーネ」
かにゃんがぱこんっとリネの頭を叩いた。
「安静にしていないと、もっと悪くなって、もう一生葵と食事を一緒に出来ないかもよ」
「は、な、なんてこと、なんてこと言うの、信じられない」
「本当のことよ、 ねえ? 葵」
「一生は言い過ぎだけど…今は大事を取らないと。この状態が長引くだけじゃないかな」
「で、でも、そうだ、約束。約束しました。部屋を出るときは一緒じゃないとだめって。リーダに確認してください。約束しました」
そういえば、そんな約束をしていた。リネを伴うことを条件に最低限の外出のみが認められる。すっかり忘れていた。任務中はマーロが見張りを代行したし、当のリネは帰ってくるなり管まみれだったわけだから。
「うーん…。今は―――例外よね?」
「例外だね」
「例外ってなんですか! そんなものないです!」
ぎゃんぎゃん喚いている途中で傷が痛んで苦しみ始めたところで、この話は切り上げとなった。かにゃんへの恨み節を呟きながら泣きはらす怪我人をなんとかベッドに置き去りにして、二人は食事のために部屋を出た。
「でも、本当にありがとう」
道中、かにゃんは改まって葵に礼を言った。彼女の笑顔を見ていると、まあ、悪くないことをした、と葵は昨夜の自分を褒めるよう努めた。
「それにしても、リーダはひどいことをしたわね。ごめんなさい。彼の性格を考えたら謝らなさそうだけど、私たちは皆あんたに申し訳なかったって思ってるわ。怖い思いをさせて、本当にごめんなさい。リーダにはあんなこと、二度とさせないから」
そうだ。
彼には一言もの申しておかなければならない。そうしなければ、自分の気持ちが収まらない。
***
葵は食事を済ませると、その足でリーダの部屋を訪ねた。思い立ったが吉日だ。
「…葵か。マーロなら、」
「あ一、えーと、今日はあなたに用があってですね。入って良いですか」
「俺に? まあ、じゃあ…、どうぞ」
生憎おもてなしの作法は知らない。リーダは手で自分の周囲を示したのみで、葵に椅子もお茶も用意しようとはしなかったが、被女にとっては逆に好都合だった。
ずかずかと遠慮なしに部屋の主に近づいていき、気合いを込めて肩幅程度に足を開いて向き合った。仁王立ちの様相をなしている。
「リーダ、さん。あのね」
「リーダでいい。なんだ、葵」
この船で一番偉い人だと思うと、なんとなく身構えてしまう。他の団員と比べて身なりもきちんとしているし、粗野な振る舞いもない。偉ぶった態度をとっているわけではないが、こうして1対1で向き合うと緊張感が漂う。
「あー、その、えーと」
「………」
彼は忙しいと聞いていたが、 話し出すのに言葉がまとまらない上に未だに言おうか言うまいか迷っている葵を、辛抱強く待ってくれている。その態度が余計に葵を圧迫した。こんなことをうのは印象を悪くするかもしれない。しかし言わなければもやもやが残る。
そして、葵は言うと決めたことはさっさと言わなければ済まない質だ。
「変なことを言うんだけど」
「ああ」
「その、昨日、脅してくれて、まあまあ助かりました」
「は?」
形の良い眉をひそめてリーダが葵に顔を近づけた。
金色の瞳が訝しむようにまじまじと見下ろしてくる。言外に説明を求めている。
「め、目の前で知人が死んだら気持ちが良いものじゃないじゃない」
「まあ、そうだな」
「でも、私にとってリネは悪い人だから、そんな人を労るようなことしたくないじゃない」
「まあ、そうかもな」
「良い、理由になったなあと思って」
「理由?」
「脅されて仕方なく、親切にしたのよ。そうでしょ?」
真ん丸く瞳を瞬かせて、リーダは身を引いた。何か言われると思ったが、返ってきたのは沈黙だった。 気まずい空気は好きじゃない。
「ま、まあ、そういうことだから、なんだか人を脅しただなんだと言われて気にしているようだったから、当人はむしろちょっとだけありがたく思ってるのよって言っておかないと私の気分が悪いから。そういうことだから。そういうことで」
葵はそんなことを言いながら後退し、 扉に背がぶち当たったところでノブを探して出て行った。リーダは終始その様子をぽかんとして見つめていた。
ギイィと軋んだ音を立てて別の扉がゆっくりと開いた。リーダの部屋にだけ特別に備えられている、バスルームへの扉だ。中から葵の出て行った扉に視線を向けたマーロが出てきた。この部屋の同居人。
細い瞳がするりと横滑りしてきて、リーダは思わず目を反らした。ニ、三咳払いをすると近場にあった書類を手にとってマーロに背を向け忙しさを演出する。特別付き合いが長いわけではないが、波長が合うのか、マーロはリーダのことはある程度知っている。取り繕っていることくらい丸わかりだ。
その背に向かって突撃していき、自分より逞しいけれどちょっと低い肩にがばりと抱きついた。
緩い抵抗を受けたが、相手はすぐに諦めて、抱擁を受け入れたようだった。リーダはマーロのことに関しては大抵何でも許してしまう。そんな二人の様子を、部屋の壁よりも存在感のないタールマギが堪能していたことに、しばらく誰も気づかなかった。
***
「あっ、おかえりなさい、姉さま!今日はちょっとゆったりとお食事されていたんですね」
「あ、ああ、そうかしら」
「はい!いつも部屋を出てから平均で40分ほどで戻るのに、今日は43分でした。何かありましたか?」
誤差の範囲では? ていうか平均40分なら43分の日が普通に存在するのでは? ていうかいつ統計したんだ??
葵の疑間は尽きなかったがそれを聞く勇気は沸いてこなかった。リネは不自由な体を無理に動かして離れたところにあった軽い椅子をベッドの脇に引き寄せた。まるで姉が座るのが当然のような行いだ。もちろん葵にその気はなかった。廊下から続く扉と、自室に繋がる扉への動線はベッドからちょっと離れている。
あわよくば気づかれずに引っ込んでしまおうと思っていたのだが、入室と同時に目が合ったのでその策略は泡と消えた。
「あー。部屋に戻るわ」
きらきらした笑みがすっと悲しみに変わる。この人は実に表情が豊かだ。感情が謙虚という言葉を知らない。
「姉さまとお話がしたい。少しだけ、ね、お願いします」
土のような色だった昨夜に比べれば、大分色が戻ってきたが、相変わらず顔色は悪い。そんな人に弱々しく懇願されて揺るがない心を葵は持ち合わせていなかった。
大きな怪我をして起き上がっているのも辛いのに、再びの対話を期待して43分間時計を見つめて必死で意識を保って、挙げ句望み叶わず放置されるなんて。
―――可哀相だ。
(でも今は適切ないいわけがないから)
誰かに泣いてお願いされたわけでも、銃を向けられているわけでもない。 相手は点滴に繋がれていて、下半身を負傷して麻酔の影響が残る怪我人だ。追いかけてきたとしても扉を閉める前に追いつけるとは思えない。このまま逃げ切れる相手だ。
「ね、姉さま……、お願いします。少しだけ。お話だけ」
声が震えている。泣き出しそうだ。自分の望みが叶わないことを確信したものの、 受け入れられないといったところだろう。
「姉さまに手を握ってもらえて嬉しかった。あのおかげで戻ってこれました。もう一度姉さまの手に触れたい。お願いします。一度だけ、ちょっと握ったらすぐ離します。本当にちょっとだけです。あ…、そうだ、握ってもらえたら寝ます。ほら、起き上がってるとよくないってハムが言っていました。縫合が歪んで傷が開いちゃうかもって、姉さまが握ってくれなかったら開きます。糸を外します。また危険な状態に戻りますからね!」
話だけと言っていた条件は消えたらしい。交渉が脅迫に変貌した。しかも人質は自分自身だ。こいつは何を考えているんだろう。
「姉さま。僕を心配してくれたんですよね! 心配、また心配してくれますか? 危なくなったら、また僕のこと気にかけてくれますか」
気にかけていない。私自身の命をるために取り繕っただけだ。
「命の危険が迫ったら、また手を握って、汗を拭いたり ふふ、優しく叩いたり、あれ、あれ最高でした。しあわせでした。またしてくれるなら、苦しい思いをしたって僕は構わないんですよ」
してやったり、と言わんばかりの顔つきに苛立ちが募る。情緒が上がったり下がったり不安定な人間だ、言うことを聞かないと、どんな恐ろしい理不尽をしでかすか分からない。そう、どんなひどいことをされるか分からないから―――
「仕方ないわね、仕方なくだからね」
「姉さま! ああ、嬉しいです。て、手を、手を貸してください。ふわああ」
リネはベッドから落ちるんじゃないかと言うほどぎりぎりまで体を寄せて、椅子に腰掛ける葵の手を両手で掴んだ。
それはそれは大事そうに抱きかかえて頬をその手の中に擦りつけては荒い息を吐きかけた。 葵はすぐに同情した過去の自分を責めた。
「姉さまの手、手だ、ああ、ああ、幸せだなあ。怪我なんてすぐ治っちゃいそうです。あ、でも、それじゃあお見舞いしてもらえないから…。でも良いです。何でも良い。姉さまの手だ」
軽く握ったり高速でこすったり指を絡めたり、この手で出来ることは思いつく限り全部やる気概を感じた。
彼は何を崇拝しているんだろう。自分の手とは思えない。なんだか手首の辺りですぽんっと取れて、ああ、やっぱり違うものだった、という展開が見えるようだ。しかし葵の手の感触は途切れることなく、当然手首から外れることもなかった。
少し熱くて見た目よりもごつごつとした指が休みなく手を這いずり回っている。葵は堪えきれず強く手を引いた。「あっ」と小さな叫びが思こえて、葵の左手は何とか自由の身となった。
「あ、あの、もうちょっと」
「すぐ離すって言ってたけど」
「あれは、あの、もう少しだけ」
「言ったわよね?」
リネはへなへなと両手を降ろした。布団を握りしめてカタカタと震えている。それに併せて点滴も震動している。
「……………………お、おなか痛いです」
「は?」
「おなが痛いです。薬が切れました。姉さまがさすってくれれば治ります」
決して目が合わないように頭ごと葵から反らして、リネがもごもごと喋り始めた。
だんだん彼のことも分かってきた。あまり分かりたくもないことだが。
「………エルロイを呼んでくる」
「薬じゃ治りません! 姉さまがさすってくれないと」
「私でも無駄よ!」
「どうして!昨日はわざわざ見舞いに来てくれて、いろいろしてくれたのに!」
「あれはね、リーダが―――」
「おおおおお一っと、リネェ! 起きたのかァ!」
爆発音とも思えるほど大きな音を立てて扉が開かれた。廊下から数名の人間が入ってくる。一部は体制を崩して倒れ込むようにしていた。一番手は体の大きなダンだ。続いてエルロイが、もつれる人間を乗り越えてひょいひょいと進んできた。
「見舞いだ! メロン!」
ダンはかごに入ったいくつかのメロンを激しくベッドに叩き付けた。二人の間を裂くようにしておかれたメロンは衝撃を受けて飛び出し、ベッドや床にころころと転がっていった。彼は大きな手振りで葵の背を繰り返し叩き付けた。そのまま前に倒れ込んでしまいそうなほど激しい。ほぼ暴力だった。
「葵も見舞いか、昨日から優しいやつだな。葵はいい奴だ!」
「いった! 痛い!」
「ね、ね、姉さま、こここ、こちらへ」
リネが口角を振るわせながら葵の体を抱き寄せてダンから離した。背の痛みからは解放されたが、ベッドに乗り込んでリネに抱きかかえられることとなってしまい、種類の違う地獄かと目眩がした。
「葵、 リネを見舞っていたのか」
リーダが心なしか嬉しそうな顔で廊下から現れた。部屋には続々と人が入り込んできて、船中の団員が集ったのではと思えるほどだ。リネのベッドを囲う者もあれば物珍しそうに部屋を観察する者もいる。引き出しを勝手に開けている人間もいた。自由か。
リーダは葵が座っていた椅子に腰掛けると、リネに様子を聞いた。リネはそれに好急的に回答していた。
「どこか痛むか?」
「おかげさまで、全然問題なし!」
「おなか痛いって言ってたのは嘘だったわけね」
「あっ、いやっ」
「注射? あるよ。針太いの」
「大丈夫、エルロイ! 姉さまにさすってもらったら良くなりました!」
どちらかというとさすっているのはリネの方で、さすっている場所は葵の腰なのだが。腕の中で必死に抵抗し、何度も枕をばしばしとタップした。もう片方の手がちょうどリネの腹のあたりにあるのだが、そちらの手を打ち付けられないあたり自分の人の好さに辟易する。
同情している場合じゃない。
さっきもそれで後悔したじゃないか。
しかし今はその一手が致命的になるかもしれないと思うと、その方が怖かった。
しばらく二人の小競り合いを微笑ましく見ていたリーダが、ようやく葵に手を貸して引き離してくれた。エルロイが軽く診察して、部屋の団員が代わる代わるリネに声をかけて、ようやく解散の命がくだされたところで、葵も自室へ引っ込むことを許された。それまでは、ベッドから離れようとすると、近場にいる団員に道を阻まれたり腕を捕まれたりして長いこと身動きが取れなかった。さすがだ。統率力がすごい。憎たらしい。
「悪いな、葵」
扉に手をかけたあたりで、小さな声でリーダがこっそりと話しかけてきた。
「……謝らないんじゃなかったの」
嫌みを込めて睨むように背後の男を見つめた。金髪がなめらかに肩を滑って、金色の瞳が穏やかに細められている。小憎たらしい。
「そうだったか? まあ、感謝しないとは言わなかったよな。ありがとう、葵」
普段は決してしない乱雑さで扉を開けて、わざと音を立てて閉めた。小学生の頃に親に叱られたとき以来の暴挙だ。頭の整理がうまくつかないが、 とにかく憎々しい。足を地面に叩き付けたい。
扉の同こうから「何かありましたかー」と案ずるリネの声と、彼を制するような仲間たちの声がする。
(もう、どんないいわけが用意されたとしても、こんなことしてやらない!)
葵は窓に額を打ち付けながら、必ずここを出るのだと自分に言い聞かせた。




