おにごっこ
"風呂と食事を除き出歩き禁止。その代わり、リネが葵の部屋に入っていいかどうかは葵の判断に従うものとする"
そう決まりごとが立てられて、初日の夜は当然リネを追い出してかにゃんと寝床についた。
リネはしつこくかにゃんの危険性を説いたが、エルロイに注射を打たれると人形のように床にびたんと倒れた。彼女は確かに危険だった。寝返りにより降ってくる足の威力は想像を絶していた。朝になって床で薄いかけ毛布にくるまる葵を、かにゃんは心底不思議そうな目で見降ろした。
エルロイの薬はとても優秀で、眠りは深く目覚めは爽やか。覚醒したリネは早々に姉の部屋を目指した。
床から葵を起こしたかにゃんが二人で朝食のために部屋を出ようと扉を引くと、目の前にリネが立っていた。昨日に比べて大分肌つやもよくなって、健康的な色を取り戻している。瞳孔は開いているが。
「おはようございます。お部屋から出る時はご一緒できますね? そういう約束です」
目を開けて寝ていたのかと思わんばかりの血走りぶりだ。目前の男の形相に、かにゃんは思わず一歩後ろにいる葵の手を握った。葵はすっかりこの顔に慣れていたので、かにゃんの震える肩を後ろから優しく抱いた。
「めちゃめちゃに歩きづらいんだけど」
「お部屋から出る時はご一緒できる約束です。絶対に離れません」
「いや、もうちょっと離れてあげなさいよ。踏まれるわよ」
「本望です」
「本当に気持ち悪いな」
文字通り葵の真後ろを歩くリネを、横を歩くかにゃんが度々胸を押して距離を取らせていた。しかし負けじと距離を詰めるので、仕方なく葵の両肩に手を置き、二人の間に体を滑り込ませて壁になった。
「……何してるの?」
同じく食堂に向かっていたエルロイが縦に並ぶ三人を見て眉をひそめる。
「懐かしいです。昔、こういう鬼ごっこをしました」
葵は天井を見て郷愁を馳せた。
かにゃんを退かそうとリネが彼女の肩に手を置いていたので、さしずめことろことろという懐かしい鬼ごっこをしている気分になった。
「あ、でもこの場合は私がリネを守ることになるから…。なしですね、なしなし」
「なに一人で喋ってるのよ」
船の人間たちは、ことろことろどころか鬼ごっこすら通じなかったらしい。
食事中にかにゃんが再び話題に上げたので、基本的な鬼ごっこの説明をした。
「面白そうじゃない。ね、私たちも遊びましょうよ」
「でも、私は部屋から出られないから…」
「それくらいいじゃない。ね、リネ」
「駄目です。部屋にいる約束です。食事と風呂以外は僕と部屋にいるんです」
「入っていいとは言ってないからね」
リネがフォークを握り締めたまま涙目になる。
「いいわね。朝からドライアイっぽかったから潤ませときなさい」
弟分の泣き顔に葵が来たばかりの頃は動揺をしていたかにゃんも、この頃は見慣れた光景になったらしい。
「エルロイもやりたい。リネは葵と逃げればいい」
「そうよ。部屋に居たら葵も退屈するわよ。そしたらこの船を嫌いになるわよ」
「変なこと言わないで! 縁起でもない…」
リネはパスタをくるくると巻きつけている。フォークの先が皿に当たってかんかんと音を立てる。
確かに、みんなが訪ねてきてくれるとはいえ、部屋にいるだけではやれることは限られている。
「い、いやです、僕は…。姉さまが僕から逃げるような遊びごとは」
「じゃあ葵が鬼になればいいわ」
「僕は姉さまから逃げたりしない!」
「鬼ごっこにならないみたい」
フォークを握って皿に叩きつけたせいで、パスタが解けて落ちてしまった。
その光景を見て葵は頬杖をついてため息をついた。
「手繋ぎ鬼にしたらいい」
「なにそれ」
「本で読んだ。鬼に捕まると鬼と手を繋いで、鬼の仲間になるんだって」
エルロイは上の方を見ながら、何かを思い出すように喋った。葵も聞いたことがある鬼ごっこだ。
「じゃあ、僕と姉さまが最初から手を繋いだ状態で鬼役ですね。それならいいです」
「葵、それでいい? どう?」
部屋にずっといるのは退屈かもしれないが、この男はいない。
しかし鬼ごっこに参加したら、時間は潰せるがこの男と一緒だ。
葵は比べるべくもないと思った。だが、横から覗き込んでくるオレンジ色の瞳が期待に満ちている。斜め前に座る黒い妖精も、心なしか少し弾んだ気持ちでこちらを見ている気がする。犯罪集団の仲間と分かっているのに、葵はこのところ、この小さな瞳にめっきり弱い。
いつの間にか、多くの団員がわらわらと集まってきていて、エルロイから鬼ごっこのルールを聞いていた。かにゃんの声が号令をかけるやいなや、どこからともなく人が現れてきたのだ。
「隠れるのはありか?」
「葵、どうなの」
「かくれんぼじゃないし、隠れ鬼とは違うし…、なしかな」
「なしだってよ」
エルロイも初体験なので度々葵に聞いてくる。こういうのは地域差もある。適当に回答した。
「リネか葵にタッチされたら鬼の仲間入り、隠れるのはなし、一階は入らない。これでいいね」
「おおー」
野太い合唱が響いた。ドーラ号の内装の壁は薄い。僅かに揺れた気がする。
葵もこれだけの人数が集まると思ってなかったので、ちょっと震えた。ざっと見ても30人は居そうだ。マーロも参加している。頭一つ高いのですぐ見つけられる。目が合うとにこにこと手を振ってきて、隣の団員の頭部に当たっていた。
「いないのはリーダとタールマギくらいのようです」
知らない名前だ。リーダはドーラ号の船長だけあって常に忙しそうにしているので納得だ。食事も食堂でとっていないらしい。
「全員捕まえましょう。姉さまに勝利を」
繋いでいないほうの手をぐっと握って、葵に笑いかける。寝不足もすっかり解消されて、まさに楽しい時間を待ちわびる子供の顔だ。
「リネ! ゆっくり走ってくれないともつれる」
「す、すみません」
団員たちは土地勘があって足も速い。リネも負けていないが、葵の足が追い付かない。背後から変なポーズで挑発する団員もいるくらいだ。
「私が一緒だと鬼ごっこにならないかも」
「そんなことありません! 大丈夫、僕が必ず姉さまを勝たせてみせます」
鬼ごっことはこんなに魂を燃やすものだっただろうか。リネの背後に炎が見える。
「こっちへ」
リネは三階へ上がっていった。団員が部屋が整然と並んでいる二階に比べて、三階は様々な用途を持つ部屋が点在しているせいか、廊下が入り組んでいて曲がり角が多い。
リネは葵の足下にしゃがみ込むと、スリッパを脱がせて懐にしまった。自分の足音が目立たなくなったのを葵は感じた。
「あ、足音の消し方なんて知らない…」
それでもぺたぺたとした足音は鳴る。
腰を屈めて壁際を慎重に歩くリネに小さく声をかける。リネは曲がり角が近付くにつれて少しずつ歩く速度を遅めている。
「大丈夫、お静かに…」
足音が聞こえる。コツコツと近付いてくる。
リネが角を一歩踏み出すと同時にあちらも姿を現した。どこかで見た男性だ。腕を掴まれて声を上げる。彼の背後にいた数名慌てて踵を返していった。
「うわ、卑怯だぞ、リネ! 隠れるのはなしだったろー」
「たまたま飛び出すタイミングが同じだっただけだし。こっちもびっくりだし」
「嘘つけ! あー、くそ! 俺が一番かよ」
男が腕を頭の後ろで組んで悔しそうに上体を反らす。
葵が何処で見た顔か思い出そうと男をまじまじと見ていると、目が合った。
「よー、葵、葵ちゃん。覚えてる? ほら、逃げた日に階段の見張りしてた」
「あ、あの時の」
脱走を目論んだ日にドーラ号の二階の階段に腰掛けて侵入者が居ないか見張っていた団員だ。最初は葵を通さずにいたが、マーロに説得されて道を空けた、ちょっとちゃらついた感じの男。
「お前が姉さまを通したのか」
リネから低い声が響いてくる。
「俺、梁っていうの。よろしくね」
男は意に介さずに葵に手を差し出した。
右手はリネと繋がっているため、左手で応じようとしたが、リネが彼の手を叩き落とした。
「姉さまに触らないで」
「でも俺捕まっちゃったから、彼女と手を繋がざるを得ないぜ~。そういうルール」
捕まった子は鬼の仲間入りだ。
「あ、そうか。いや、駄目。駄目です。俺と手を繋ぎましょう」
「うええ、マジかよ。じゃあ俺と葵ちゃんで皆捕まえようか」
梁と名乗った男は二人の背後をグルンとまわってリネの右手を掴むと、リネ越しに葵を見た。
「いや、駄目です。姉さまに勝利を運ぶのは僕の役割で」
「えー、じゃあどうするのよ。俺を野に帰してくれるの?」
人差し指を顎に引っ掛けて、可愛らしく首を傾げた。いくつもついたピアスの内の一つが、髪の隙間からきらんと光った。
「それも駄目です。そうだ、檻に入れるのはどうでしょう。ねえ、姉さま」
リネが梁の手を振りほどいて葵の右手を両手で包み込む。ルールの追加を求めているようだ。
「ええと、鬼が四人以上になったら、手分けして探してもよいっていうルール―もあった、かも」
「いいですね! じゃあもう一人捕まえてきますので、お前はここで待ってろ」
「口調の変化よ」
廊下に立ち尽くす梁を置いて、リネは凄まじい速さで走り出した。葵を脇に抱えて突き当りまで走ると唐突に曲がり、数メートル離れたところにいた団員を一人捕まえた。
「手ェ繋いでねえじゃねえか! ただのリネじゃねえか!」
「よおし! やりました!」
リネは輝かしい笑顔で腕の中の葵を見た。
宙に浮いた足と唐突な強風を浴びた顔面に、葵は青ざめていた。
リネは急いで梁のところに戻ると、彼と手を繋ぐように団員に告げた。
「俺たちは鬼になりました!」
梁はそう叫びながらドーラ号を走り回った。「鬼の都合でルールを追加したら誰か責めるんじゃないか」という彼の懸念に、リネが提案したやり方だった。
「そう言って走らなきゃ、ただ仲良く手を繋いで逃げている者同士にしか見えないかもしれない。梁の女好きが男好きになったところで誰も驚かないから大丈夫」
梁は咽び泣いた。彼と手を繋ぐことになった団員も泣いた。
この時間を一刻も早く終わらせるために、二人は手を取り合って鬼ごとに励んだ。
「彼らより多く捕まえなければ、姉さまに勝利を運んだとは言えませんね。それに、これからは二人同時に捕まえないと。姉さまの左手が汚される」
宣言通り、リネはどんどん団員を捕えて行った。二人捕まえるごとに、梁の時と同じやり取りを繰り返した。鬼だと自称する声がそこかしこから聞こえてくる。
「あ、マーロ」
「あれ」
面白半分に葵に抱きつこうとした団員をリネが馬乗りになって殴りつけている時、マーロがいつもの調子で廊下の角を曲がってきた。
集合した中にいたはず。葵は思わず手を出してマーロにタッチした。
「あはは、捕まっちゃった」
「マーロ、ちゃんと逃げる気あった?」
「あったとも。あっちで自分たちは鬼ですって大声あげながら走ってくる人を振り切って、ちょっと疲れて歩いてたら葵に会ったんだ」
マーロは自然な動作で、自分の腹に当てられた葵の左手を取った。
「僕も鬼だね。よーし、たくさん捕まえるぞー」
長い足が歩き出す。リネがようやく気付いて駆け寄ってくる。
「マーロ! 姉さまは僕と二人で行くんです。二人で! マーロは今捕まえた人と一緒に行って」
応戦した団員に殴られたのか、左の頬が少し腫れている。
リネの下敷きになっていた団員は案外けろりとして、一緒に捕まった仲間とふざけ合いながら手を握り合っていた。
「僕は葵に捕まったから、葵と手を繋ぐのは自然な理だよ」
マーロは歩みを止めない。走ってはいないが歩幅が違いすぎる。葵もリネも早足になる。
リネが葵の空いた右手を取った。
「じゃあ、姉さまがもう一人捕まえるから! そうしたら離れて! 約束だからね」
「葵は僕たちの間にいるからもう捕まえられないよ」
「つ、捕まえられる! 姉さま、次の団員を見つけたら姉さまに譲るから! 絶対に捕まえてくださいね」
リネは念を押すように葵に向き直った。二人の足取りはどんどん速くなる。長い足と速い足。言い合う二人の間でちょっと遅れて歩く自分を、宇宙人に連行される人間のように感じていた。
「あっ、エルロイみーっけ」
壁の端に佇むエルロイをマーロが指差した。
真っ黒な小さなエルロイは、壁の模様に溶け込んで、パッと見ただけでは見逃してしまいそうなほどだ。マーロの声を受けて走り出す。
「エルロイ! 隠れるのは反則だって言ったじゃん!」
「隠れてはいない。マーロは目ざとすぎる」
足まで覆うローブがはためいている。覗く足は細く真っ黒で、つま先立ちでもしているのか、足先が細くなっていく妙な靴を履いている。ローブの中も真っ黒なので本当に浮いているようだ。
足はさほど速くない。リネが手を伸ばしてエルロイを捕まえた。
「うーん、さっきリネと葵が通り過ぎた時は気付かれなかったのに」
この道は何度か通っている。最初からいたのだとしたら大したものだ。
葵は二人に手を繋がれたまま拍手を送った。マーロとリネの四か所の中手骨骨頭同士ががつがつとぶつかる。手の甲の指の付け根、ちょっと骨が飛び出たところだ。骨同士で当たると割と衝撃がある。
「エルロイは背が低いから葵と手を繋ぐのが一番いい」
そう言って、エルロイは葵の腰元に手を伸ばしてきた。応じたかったが生憎塞がっている。
「尤もらしいことを言って僕から姉さまを奪おうという魂胆。許せない」
「僕はいいよ、エルロイ。じゃあ僕と葵の間に入ってね」
マーロがすんなり葵から手を離してエルロイを間に招き入れた。満足げに二人の間で繋がれているエルロイを見ると、こっちの方が宇宙人に捕えられた人間のようだと葵はおかしくなった。
「あのね、マーロ。四人は多いから離脱して。僕が捕まえたんだから、姉さまが捕まえたと同じだから、もう僕に決定権がある」
「エルロイは僕が捕まえたようなものだよ。ね? 葵」
「そう。エルロイはマーロに捕まった。マーロがいなかったら二人はエルロイに気付けなかったんだから。ね? 葵」
経緯を知らないはずだが、エルロイはマーロに同調した。マーロの真似までしてくる。可愛い。
「別に、そう怒らなくても、いいじゃない。リネ。楽しまなきゃ遊びとは言えないよ」
葵のちょっとした微笑みに、リネはぼっと赤らんだ。姉にはめっぽう弱い。もうそれ以上抗議することはなかった。
見かける人はほとんど誰かと手を繋いでいた。
「俺は鬼です!」という言葉が船中を木霊している。とてもうるさい。
「もういないのでは?」
「誰かー! 誰が捕まっていないとか分かるかー!」
「うおおお、ダン捕まえた! ダン捕まえっ」
「がー! 捕まった!!」
ひときわ大きな声と、何かが大きくぶつかる音と、蛙の潰れたような声がどこかからした。
ダンが逃げ回った後は植木が倒れていたり積み荷が転がっていたり酷い惨状だった。悪漢が捕まった場所へ葵たちも駆けつけた。
「かにゃんは?」
葵が辺りを見回して声を上げた。リネが鬼たちに問いかけたが、誰も捕まえていないらしい。
「二階の右翼に居た」
「いや、三階の先頭で見かけた」
「自室付近にいた」
「あいつ、足速いんだよ」
目撃証言は多かったが、全員逃げられたらしい。
「よーし、任せろ! 俺が見つけてやる!」
ダンは大声を上げて手近にいたリネの右手を取った。リネが抗議する暇も与えずに走り出す。芋づる式で葵、エルロイ、マーロも引き摺られていった。
「うわっ、ダンにリネが付いてくるの? こわあ」
ようやく見つけたかにゃんは階段の手すりに器用に乗っていた。猫のように背を丸めている。そのまま手すりの上を滑り降りて二階へ消えて行った。ダンが更に速度を上げて追いかける。
他の鬼役たちも揃ってついてくる。二階にいた鬼たちに向かって声をそろえて状況を伝えている。さすが、息が合っている。すごくうるさい。
廊下に置かれた棚に上ったり、窓枠を蹴ったりして、床も壁もなくかにゃんはうまく走り回って鬼たちを通り過ぎ、撒いていく。ダンは足を緩めずに追いかける。後ろの葵がヘロヘロだ。気付いたリネはまた葵を小脇に抱えた。軽々と持ち上げられて荷物になった気分だ。めーろもエルロイを持ち上げてついてきている。エルロイは小さな両手を懸命に伸ばして葵の手を握っている。もうここまでして五人で走る必要があるのか、葵にはわからなくなってきた。
かにゃんが伸びてくるダンの手を避けて手洗い場に飛び乗った。細いヒールが水道を強く蹴る。当たり所が悪かったらしい。蛇口が飛び出して水を噴き上げた。
濡れたフローリングはよく滑る。
ダンが転び、どたどたと後ろの四人も倒れこんだ。リネが咄嗟に体を倒して葵を強く引いたため、葵とエルロイ、マーロは引っ張り上げられてダンとリネの上に落ちた。
「わっと」
かにゃんが驚いて戻ってくる。
水が絶えずダンに降り注いでいるが、上に人が乗っているわ、下が滑るわでうまく立ち上がれない。
「あはは、何それ。大丈夫?」
かにゃんが大笑いしながら二人の上に乗る友人たちに手を差し伸べる。
ダンにはねた水を受けて葵も少し濡れてしまった。追いついた鬼たちも惨状を見て笑っている。
「今回はかにゃんの勝ちだな」
惜しみない喝采が彼女に贈られた。今度はうるさいと感じなかった。
「なにしてる…」
奥の部屋の扉が低い音を立てて、ギィィ…とゆっくり開いた。
中から長身の男が出てくる。葵は見知らぬ男だった。
途端に拍手が止み、辺りが静かになる。背後に男を感じながら、かにゃんが「やっべ」と小さく呟いた。
***
「おまえたち…、おまえたち………、……ええ…」
廊下のなれの果てを見てリーダは声もなく項垂れた。
壊れた水道。水浸しの床。倒れた積荷に植木。削られた手すり。元の形を失った扉と、足だけになった椅子のようなもの。壁にはところどころ足跡が付いている。
なんだ? 裏切り者でも出たのか? 襲撃に遭ったのか? 応戦の末か?
リーダは涙声だった。隣に立つ男に命ぜられて全員が広間で正座をしていた。葵は初めて入る、作戦会議などで集合する場所のようだ。リーダの分と思われる豪奢な椅子が一脚だけ奥の中央に備えられているが、座る部分には埃が舞っている。
「鬼ごっこをしていた」
葵の横で同じく正座をするエルロイが答えた。
皆が腰を曲げて気まずそうに俯く中、エルロイとマーロだけは背筋を伸ばしていた。マーロに限っては困ったように、しかし抑えきれない笑みが浮かんでいた。
「おにごっこって…なんだ」
「人を追いかける遊びよ。知らないなんて遅れてるぅ~」
かにゃんがリーダとは決して目を合わせずに、横を向きながら茶化した。
まずいことをした自覚はある。額に汗が浮かんでいる。
「エルロイがやりたいって言った」
「違うわ! 私がやりたいって言い出したわ」
「あ、あの、リーダ、私が、懐かしい遊びをしたいって言いました」
エルロイとかにゃんの言葉を受けて、葵は咄嗟に発言した。それを聞いたリネが勢いよく挙手する。
「違います! リーダ、僕が、姉さまの知ってる遊びをしたいとねだりました!」
「話を聞いて僕がやりたいって言い出した気がする」
リネを真似てマーロも手を挙げた。やっぱり笑っている。マーロはかにゃんの呼び声に反応したので、完全に嘘だ。
「俺が一番活躍した!」
ダンが胸を叩いて大きな声で主張した。
「あら、私の勝ちよ」
かにゃんがすかさず反論する。
「おいおい、待て待て、なんだ、皆して。知ってるか? 俺が一番最初に捕まったんだぜ。一番偉いのは俺だ」
いつの間にか正座をといて胡坐をかいている梁が、不服そうにダンを見た。ルールを勘違いしているのかふざけているのか分かりにくい態度だ。
「俺は梁と手を繋ぐという苦行を強いられました。もう罰は受けています」
「それなら俺だってお前と手を繋がされたぞ! 苦行だ!」
「俺はダンに蹴られました」
「普通に殴りあってるやつらが居たぞ。そいつらが一番悪い」
「おいおい、そういうのはやめようぜ。俺たち仲間だろ」
「あの扉はあいつが壊した」
「お前は椅子を食べただろ」
30人が一斉に喋りだした。
学級崩壊だ。
葵は心の中でそっと呟いた。
「あー! もういい! 黙れ! 全員正座だ! 梁! 姿勢を正せ! ダン! 壁に寄り掛かるな! 修繕費はお前らへの配当金から差っ引きだ! わかったな!」
ブーイングが響いた。親指を下げる仕草が頭上に見える。しかし、リーダの横に立つ男が手に持った大きな剣を床に叩きつけると、場は静まり返った。
「タールマギ、見張っておいてくれ。足を崩したら一時間…、いや、30分追加しろ。俺は破壊状況を確認してくる…」
男の肩を軽く叩くと、リーダはよろめきながら部屋を出て行った。
タールマギと呼ばれた男は瞳だけをリーダに向け、小さく頷くのみで、表情も変わらなければ声も出さない。葵は彼がさっぱりわからなかった。
一時間にわたる正座の間、足を崩そうとする度に団員たちはタールマギを見上げ、姿勢を正した。
葵も彼の顔を見ていると背筋が自然と伸びるような威圧感を感じた。
誰も時間が延長されることはなかったが、一時間を過ぎても、広間からはうめき声が漏れるのみで、部屋から出てくる団員はしばらくいなかった。




