果てのない空から限りある地へ
一応前の前の回(演技派のお姉ちゃん)から続いています。
今回の仕事は王道のものだ。
多額の賄賂と横領を重ねる政治家グループを、個別に同時に襲撃する。幾度か証拠を送りつけて謝罪を要求したがなしのつぶて。暴力的行為に反対的なリーダも、そろそろドーラ号が曰くの政治家たちがいる国の上空にさしかかるというところで、重い腰を上げたというわけだ。襲撃といっても建物を破壊して、政治家当人にナイフやら銃やら突きつけて約束を取り付けるというだけで、傷付けるつもりはない。禁じているわけではないので、激情に駆られる者はいそうだが。
複数個所に人を配置しなければならないので、空から降りていくよりもドーラ号を降ろした方がいい。個人所有の飛行船に偽装して一般の停泊地に降ろす。人目はあるが、木を隠すなら森の中。ホテルを取らずに飛行船で寝起きをしている人もいるので、頻繁に乗り降りしてもそう違和感はもたれない。
胸元に葵の声が入ったレコーダーを忍ばせて、リネは指定された配置についた。
決行は夜だが昼の内に準備を終えて合図を待つ体制だ。
「リネ、なんなのそれ」
「姉さまが僕を応援してくれた時の声です! 録音したんです」
ペアになったかにゃんは、満面の笑みでレコーダーを何度も巻き戻すリネに眉をひそめた。
おかしい。葵が。リネを応援だと。
「あんまり浮足立たないでよね」
『う、うん、そうね、本当に滑らかな肌よね、うん、私ってね』
「分かってます! 姉さまにいい報告を持ち帰らなければいけないから」
大方、リネがああ言え、こう言え、と無理に言わせたんだろうが、何を言わせているんだか。まあ、難しい仕事でもない。
幸先に不安は残ったが、かにゃんは合図を待ちながら、カフェのテラスで幸せそうなリネを眺めることとした。
***
必要な時以外は絶対に部屋を出ないで、とリネに何度も言われ、部屋に本を何冊も積まれ、部屋のカーテンをきっちり閉められ、昼間なのに暗い部屋で葵は身体チェックを始めた。
「服良し、靴良し、メモ良し」
ここがどこか分からないが、ヘルプミーと書かれたメモを持って誰かに助けを求めれば、この国の警察なりに連れて行かれて、そこから日本大使館などに行けばきっと保護してもらえる。おそらく両親などが失踪届を出しているに違いないから、それを調べてもらえれば帰国できるだろう。
漠然とした計画だったが、実行せずにはいられない。葵はもう一秒もじっとしていられなかった。
廊下をそろりと覗いてみる。今日は明らかに人が少ない。いつもどこからともなく響く話し声が少しもしないし、見える限りに人もいない。その分、たまに通りがかる団員は気を張っているように見える。いつもより少し身なりのいい服装をしていて、万が一疑われた時に観光客を装うつもりだろう。
(リネに私を部屋から出さないように、とかは言われていなさそうね…)
慎重に歩を進めていたが、すれ違う団員に咎められることはない。
あまり音をたてないように、あまり目立たないように、でも、あまり不自然でないように。はやる心に応じて早足になりすぎないように階段に向かって真っすぐ進んだ。端の階段を一つ下ればもう出口は目前だ。開ける方法も分かっている。
ようやく辿り着いた階段には一人の団員が座り込んでいた。
何をするでもなく階下を見つめている。
こちらに気付き、「あー、あんた、リネの」と葵を指差した。
「侵入者が居ないか見張り中ー」
「お疲れ様です」
なるべく平静を装って応じた。
男は手をひらひらと振って軽薄そうな笑みを見せた。退屈なのだろうとすぐ察しが付く。
「なに? お出かけ?」
「えーと」
「リネ怒っちゃうよ。『姉さまぁー、僕が居ない間に楽しんでいたんですねぇー』って」
言うかどうかは分からないが、似ている。声も喋り方もそっくりだ。葵はつい吹き出した。
「ちょっと、外の空気が吸いたくて」
「単独行動厳禁。でもあんたは違うのかな。うーん、でも俺がリネに怒られそうだからダメかな。あいつ怖ぇんだよ」
「二人行動だよ」
葵の背後から歌うような声が聞こえた。
「お待たせ、葵。さ、行こっか」
ひょろんと細長いマーロが、腰を柔らかく傾けて葵に微笑んだ。
あっさりと外に出られてしまった。
見張りの男は「マーロが良いって言うならリーダの了解は得られてるんだろう」と、簡単に道を譲ってくれた。
匂いが全く違う。久々の風。太陽も雲も遠い。重たい暑さも久しぶり。
「眩しいなあ。暖かい場所だね」
「ま、マーロ、あの、これ、怒られたりしない?」
「リーダは怒ったりしないよ。リネは分かんない」
「あの、そうなったらごめんなさい」
「どうして? 今度は僕が助けるって言ったでしょ?」
変わらない笑顔で葵の手を引いた。長い脚が大股でぐんぐんと進んで、葵は駆け足になる。
「初めての場所だなあ。迷子にならないようにしないと」
帰りは一人かもしれないしね。と、マーロは朗らかに言った。
女性とも男性ともつかない高い声が耳に優しく馴染むようだった。
そんなすぐ行っちゃわないで、ちょっとだけ遊ぼう、ね、ちょっとだけ。
マーロにそう言われて、出られた感謝もあって葵はしばしこの見知らぬ街を散策していた。
低い建物が所狭しと並んでいて、半裸の男性や裸足で歩く子供もいる。
大勢の人がぶつかり合いながら歩く通りには露店が並び、呼び込みをかける声や少し喧嘩腰な声が活気をもたらして非常に賑やかだ。
マーロはいちいち露店の前に立ち止まり、珍しいものに目を輝かせていた。
「この通りを抜けたら警察の人を探して道を聞こうと思うのだけど」
もう逃げることを隠す必要はなさそうだ。葵は正直にマーロに告げた。
「この国は警察もひどいことをするってリーダが言ってたよ。大使館を直接目指した方がいいかもね」
露店に並べられたガラス細工をしゃがみこんで見つめたまま、マーロが答えた。
「そうなのね。じゃあ大使館への道を聞いて…」
「電車とかに乗らないといけないかもだよ。お金は持ってる?」
「持ってない…」
「ふふ、じゃあ大使館までは歩いて行かないとね。付き合うよ。しばらく二人で歩こう」
マーロは再び葵の手を引いた。迷いのない歩の進みだ。
「道、分かるの?」
付いて行こうとすると少し早足になる。葵は焦りながら綺麗な坊主頭に問いかけた。
「分かんない。でも、どこかにあるよ」
駄目だ。
この人は適当な人間なんだ。
葵は確信した。
度々マーロをこちら側に引っ張って止めて、近くにいる人に訪ねて回った。
歩幅の違いを考えて、と言ったあたりから、マーロは葵の足元をじっと見ながら隣を歩くようになった。成長を感じて葵も嬉しくなった。
そんな喜びをすぐさま払拭し、気を取り直して道行く人に話しかけたが、大使館を知っている人にはなかなか出会えないまま、日が傾き始めていた。
***
腕に巻かれた小さなベルトがわずかに点滅する。
襲撃の合図だ。
リネを先頭にかにゃんが続く。対象の家に小型の爆弾を仕掛け、再びの合図を以てスイッチを入れる。
数分後、一つの街のあらゆる場所で爆発音が響いた。
大きな屋敷に窓から侵入し、対象となる政治家本人を目指す。事前調査の通り、この時間は書斎で一人きり。妻子の目には触れずに済みそうだ。
かにゃんが鍵をかけたのを見届けてリネが政治家に詰め寄る。リーダの指示通り、贖罪の要求と、約束が守られなければ今度は大きな爆発が起こることを示す。
長居するつもりはなく、言うだけ言って早々に撤退を決めた。かにゃんも異存はなさそうだ。二人が背を向けて窓を開けたところで、政治家が声を上げた。
「警備員! 警備員!」
政治家は抜けた腰を引きずって壁に掛けられた赤いボタンを押した。屋敷中が点灯し、兵にも空を貫くような明りが灯る。
「おお、大袈裟なの入れてる」
かにゃんが感心したように呟いた。
二人は特に厳重な屋敷を任されていたので、これくらいは想定内だった。
裏口に備えられた詰所から何名かの人が出てきてこちらを追ってきたが、二人は慣れた手つきで木を上り、目も眩むほどの明りが散らばる塀を乗り越えた。
その先に―――
「えっ、リネ」
「え―――」
マーロと、親愛なる姉が居た。
"逃げなきゃ"
葵は咄嗟にそう判断した。
マーロが腕を捕えようと手を伸ばしたが、その手は掠めて空を切った。
「違うんだ、僕が連れ出したんだ。今のは、リネに怒られると思って」
「姉さま! どこに行くんですか!」
仕事のこともマーロのことも見えてはいなかった。リネは声を抑えるのも忘れて葵を追った。
「マーロ、こっちへ!」
かにゃんがマーロを二人とは逆の方向へ引っ張り、暗い路地裏の奥をいくつか曲がり進んで、散乱するゴミ溜まりの奥に身を潜めた。
「ど、どうしよう。リネから逃げようとしてたんじゃないんだ。気晴らしに散歩を」
「そうね、リネにはそう言いましょう。葵が余計なことを言わなければそれで通るわ」
かにゃんは険しい表情で大通りを見つめていた。
マーロは押し黙り、かにゃんに誘導されるまま飛行船に向かうしかなかった。
***
「姉さま、姉さま、姉さま! どいて! 姉さまを見失う!」
葵は人通りの多い道を駆けていた。
街灯の少ない街並みで、昼に比べて人はまばらだ。それでもいないよりは壁になってくれる。
顔だけ振り返った先で、通りすがりの人がリネを捕えて怒鳴りつけているのが見えた。すぐに横道にそれて目を逃れようとしたが、それが間違いだった。大した足止めにはならなかったらしい。人通りのほとんどない道をリネが追ってくる。
日中歩き通しで、ここにきて全速力が続くわけがない。
葵の足はすぐにもつれて倒れこんだ。
「姉さま!」
リネが追いついて肩を持ち上げる。
向き合った顔は息一つ切れてなく、それでいて汗だくだった。
「何でこんなところにいるんですか! 何でマーロと居たんですか! な、な、何で、何で逃げたんですか!」
肩が潰されそうだ。震えてしまうのか震わせているのか、がくがくと肩が前後に揺れる。大きな声で脳まで揺らされているようだ。息を整う暇もなく答えを催促されて、酸欠の頭が苛立ちを覚える。
「っるさいな、痛い。離してよ」
「っ! なに…、何で、そんなこと。俺は姉さまを心配して」
「心配? そう、ありがと。じゃあ日本大使館まで案内してくれる?」
「大使館? 何故そんなところに行くんですか? 船に帰りましょう。部屋から出ないでって約束したのに」
「日本に帰るのよ! あの船は私の家じゃないし、あんたも家族じゃないから。家族のいる家に帰るのよ」
「………何言ってるんですか? 姉さまってば変だなあ」
リネは大きく目を見開いたまま、無理に口角を上げた。月が陰って周囲は暗い色に落ちていく。
「あー……、分かった。俺が一人きりにしたから怒ってるんだ。それでわざと俺を傷付けるようなことを…。なんだ、あはは、そっか。すみませんでした。寂しい思いをさせて」
「違う。本当に話が通じないのね。もう離して。一人で探すから。とにかく、あそこには戻らないから」
葵は立ち上がったがリネの腕は離れず、上体が傾く。掴む力はその威力を増してくる。
「俺だって怒ってます。約束を破った。でももう許してあげます。許すから、ひどいこと言わないで」
上から臨むリネの顔は真っ白で、大きな青い瞳だけが色を成しているようだった。
「本当のことを言ってるだけよ。あんたなんか弟でもなんでもない。赤の他人なんだから」
疲れ切っていて、言ってはいけないと心のどこかで思っていた言葉がすらすらと口をついて出てくる。
いや、冷静でも言っただろう。
リネが葵を連れ帰ることで頭を満たしているのと同様に、葵も家に帰れるチャンスを逃すまいとそればかりだった。
「ひどい。いくらなんでもひどすぎる! そんな嘘を言わなくてもいいじゃないですか。俺は仕事に行ってただけなのに! そんな姉さんは嫌いです!」
リネははっとして手を離した。立ち上がり、目に涙をためて慌てた様子で手と頭を大きく振った。
「ち、違うんです。今のは、今のは嘘です。ああ、すみません。そんなわけない。姉さま。大好きです。ごめんなさい。なんてことを。そんなことを言うつもりはなくて。すみません、すみません。許して。何でもします。許してください」
「………何でも?」
葵は走って逃げようかとも思ったが、暗い知らない街。人も少なくなり、治安も悪そうだ。そして彼の足からは逃れられる気もしない。作戦を変えることにした。
「何でもします。何をすればいいですか? 土下座、土下座します。そうだ、腕立て伏せ。姉さま喜んでいましたよね。前よりもたくさんします」
「大使館に連れて行って。日本に帰して」
掴まれた痕がまだ痛む。腕を庇いながら葵はリネを真っすぐ見つめた。声は少し震えていた。
「そ、れは、できません。ごめんなさい」
「何でもするって言った」
「できません。船で、そう、船に帰らないと。ここは危険です。船で喋りましょう。俺、追われていて」
「日本に帰してくれるまで許せない」
「できません。嫌だ。そうしたらもう船に戻らないでしょう? それ以外なら何でもします。欲しいもの、とか、何でも。何でもするから。ねえ、お願い、許して。嫌いにならないで」
遠くから足音が聞こえた。数名が何かを叫び合いながら駆けてくる。
よく聞き取れなかったが、その声は不穏な響きを含んでいた。
「いけない。逃げなきゃ。姉さま、船に行きましょう」
「警察? なら、保護してもらうわ」
葵はリネを押し退けて声の方へ進もうとした。
「駄目です! ここの警察は悪いやつなんです! それに、あいつらはただの雇われ警備員で、もっと悪い。あなたにひどいことをします」
「あんたほどひどいことしないでしょう」
リネは葵を抱きとめるように腕を回して進行を妨げた。
「こっちよ! 誰か助けて!」
「姉さま!」
リネは葵を持ちあげた。自分がまるで米俵にでもなったかのような軽い動作で肩に担がれ、葵は驚愕の声を上げた。
「何するの! 降ろしてよ!」
「いけません! 捕まったらひどい目に遭います。姉さまを守らなきゃ」
「今ほど悪いことないわよ! 誰かー! 助けて! 攫われる!」
「静かにしてください! お願いだから」
身軽な足取りで腰ほどの柵を越え、細い道を進み、小さな公園のようなところに着くと、小さな円盤が待ち構えていた。空に浮かぶドーラ号から出入りするときに使う一人用の空飛ぶ移動手段、マーク号だ。
リネはそれに飛び乗ると、姉を脇に抱えなおして空に飛んで行った。
遠ざかる地に、葵は計画の失敗を確信し泣き崩れた。
狭い丸の上で何度もリネを罵倒し、殴って離れようとしたが、リネは頑として抱く力を緩めず、ただ「ごめんなさい」と繰り返すばかりだった。
やがて雲の谷間から白い大きな飛行船が顔を出し、その後部についた小さな口の中へ、二人はゆっくりと吸い込まれていった。




