1話 始まりの鉄の音
カンカンカンカンッ。
とても近くで、とても耳障りな音がした。
きっと、きっかけはそれだった。
(…鉄を叩く音…避難警報か…?)
カンカンカンカンッ…カンッ…カンカンッ。
(…いや、違う。)
四連続で鳴らしたあと、一拍置いてもう一回、さらに一拍置いて2回鳴らす。
この、リズムは。
今まで第三王都で暮らしてきて、一度だけ聞いたことのあるこのリズムは。
(…大罪人の…処刑…)
法の街と呼ばれる第三王都にある天秤の城。そこで、最悪の罪である禁忌を犯した、と判断された者だけに行われる、公開魔術処刑。
それを執り行う時の合図なのだ。
そう、この合図によって、手足を魔封鎖で縛り上げられた大罪人は最高ランクである獄級の魔術によって処刑される。
(だが、最近でそんな罪を犯した者がいたか…?)
噂は聞かない。だが、天秤の城が厳重に口を封じていた可能性もある。
特に貴族のような高位の者が処刑されるとなれば国の権威に関わるだろうし。
まあ、今はそんなことはどうでもいい。
それよりも、もっと目先の問題がある。
(…ここはどこだ?)
自分の現在地が分からないのだ。
いや、正確には分からないのでは無く何も見えないのだ。
瞼は動く。だが目を開いても何も見えない。目隠しでもされているのだろうか。
それに手足も動かないし力も入らない。
声も出ないし、試しに、と魔術を使おうとしても上手くいかない。
もともと得意ではないのだが、魔力すら感じない。
大罪人を処刑する時の独特のリズムで鉄を叩く音が聞こえるため、第三王都であることは間違いないのだが、ここは一体どこなのか。
いや、そもそも俺は今どうなっているのか。
…誘拐でもされたのか?
そう考えると背筋に悪寒が走ったが、その考えが間違いであったと、すぐに気付かされる。
…いつの間にか、鉄を叩く音がしなくなっていた。
「今ここに!決して犯してはならない禁忌に触れた大罪人、センリ・ユタカの公開魔術処刑を開始することを宣言する!!」
聞きなれた大司教の声がすぐ目の前で聞こえた。
いつも遠くから聞いているその声の大きさに体がビクッと反応したが、そんなことはどうでもよかった。
そんなことが気にならないくらいには衝撃的な事が、大司教の口から告げられたから。
センリ・ユタカ。
禁忌に触れた大罪人の名として大司教が口にしたのは、俺の名前だったのだ。
(おいおいおいおいちょっと待て!!)
俺が、大罪人?処刑?ふざけるな。
「…っ!!」
必死に声を出そうとする。だが、出来たのは多少息を荒くする程度だった。
「目隠しを外せ。」
「…!」
すぐ近くで大司教の声がした。さっきとは違う、酷く冷たく落ち着いた声だった。
自分の後ろでなにかが動く気配がして、次の瞬間には視界に光が入ってきた。
(眩しいっ)
俺につけられていた目隠しが外されたのだろう。
久々の光は闇になれていた目には眩しすぎるが、これでようやく俺は自分の状況を確認できた。
(…っ!!)
時々劇団がきて演劇をする、街の中心の広場。
その円形台の端で、十字にクロスされた板に手足を魔封鎖で括りつけられ、口には魔法陣の描かれた札が貼られている。
目の前には白髪の目立つようになった中年の男性、大司教が身長大の杖を携え、こちらを見ている。
そして円形台の下には大勢の人、人、人。
目を凝らしてみてみれば、中には近所のおばさんや、よく行く飯屋の気のいい女店主、第三魔術高校の同級生までいる。
…間違いない。
俺は今、昔見た公開魔術処刑寸前の大罪人と全く同じ状況なのだ。
つまり、これから俺に待つのは…
(っどうしてこうなった?なんでこんな状況なんだ!?)
死。その文字が頭に浮かんだ途端、脳がかつてない速度で動き出した。
この状況の原因を思い出そうとする。
そこで、違和感に気づいた。
記憶が、曖昧だ。
昨日、母に連れられ、地下の魔術研究施設に赴いたところからほとんど記憶が無い。
(確か、成果を見せたいとかで連れていかれて、それで…)
…それでどうなった?
必死に記憶の糸をたぐろうとする。
しかし、どうやら処刑は俺が記憶を掘り越すのを待ってはくれないらしい。
俺の後ろに居た筋骨隆々の男に、括りつけられた木の板ごと持ち上げられる。
そうだ。
この円形台の中心に連れていかれれば、そこで処刑が始まる。
床に展開された魔法陣が起動して、一瞬で大罪人を焼き尽くす。
昔見た光景がありありと目の前に浮かび、地獄の炎に焼かれた過去の大罪人と俺の姿が重なった。
(嫌だ!死にたくない!!)
視界の端に写った大司教に必死に視線で助けを乞う。
(俺は何もしてない!やめろ、やめてくれ!!)
なんで俺が大罪人になっている?なんで昨日の記憶がない?研究施設に行って何をした?いや、何をされた?母は?そもそも、俺が触れた禁忌ってなんだ?
俺は、何も知らないまま、死ぬのか?
(嫌だ!!!)
抵抗を。なにか抵抗を。
手足は動かない。声も出ない。魔術も使えない。
目は動く。
でも、大司教は何もしてくれなかった。
なら、他に手は?何かないのか?
なにか、なにかなにかなにかなにか…
(くそっっ!!)
ダメだ。思いつかない。
円形台の中心にある、板を差し込む穴が、視界に写る。
…もう、目の前だ。
ああ、まずい。もうすぐ処刑されてしまう。だめだ。死にたくない。なにか方法は。生き延びられる術は?
ガコン。
…板を差し込む、無情な音が響いた。
(ダメだ!!やめろ!!)
俺を運んだ男が離れていく。あの男が安全圏に行ってしまえば、処刑が始まる。
ほら、もう、視界の端では5人の魔術師たちが準備している。
(嫌だ、イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ!!!!)
心の声は届かない。
足元に魔法陣が展開される。
円形台より一回り小さいそれは、もう涙でぼんやりとしか見えない。
(たすけて…)
誰にでもなく、心で呟く。
答えてくれる者は、ここにはいない。
あの男も大司教も、もう円形台の上にはいない。
つまり。
…カッ!!
魔法陣が、光る。赤く紅く、光る。
それは、俺の死の色だった。
(やめろぉぉぉぉ!!)
視界が、青い炎に包まれた。