追い込みをかけるのだ!
暫くして男が再び意識を取り戻したとき、そこにはもう何もなかった。
「・・・何だったんだ?夢だったのか・・・・・?」
不気味にも、自分の口のなかから薄笑みを浮かべて語りかけてきた女の姿は跡形もなく消え去っていた。
もちろんそんな出来事がこの世で現実に起こりうるはずがない。
男はその彼女をいつも罵倒して自分のうっぷん晴らしのために痛め続けてきていた。
あるいはそうした自分の行動に、気づかぬ間に多少の後ろめたさを持っていたのだろうか。
「フン、そんなバカな・・・」
男はこれまで自分を疑ったり否定したりしたことなどは一度もなかった。
自分が間違えることなどありえない。
間違っているのは常に他人。
消えた彼女に対してもいつも男は、お前が間違っているのだということを口やかましく怒鳴り続けた。
相手の人格までを否定し、常に自分が悪いのだと思い込ませるようにした。
それが男にとって、女に対する"正しい教育”だった。
DVでもモラハラでもストーカーでも、相手に対する執拗な干渉は相手の間違った考えや態度を改めさせる必要があるため。
ブラック企業などでも働かせる労働者に不満を抱かせないようにするため、辞めたいとか不満を洩らす相手に対しては『辞めるのは悪だ』と思い込ませる“洗脳”を施す。
辞職自体がその人にとっての挫折や失敗といったその人自身の責任問題にすり替えることによって、本人に罪悪感情を持たせるように追い込んでいく。
罪や責任をとにかく相手に相手になすりつける。
悪いのは人であって、自分たちは何も間違っていない。
間違った者が正しい者を否定することなど許さない。
「あいつはどこにも逃げられない。放っておいてもそのうち必ず戻ってくるさ」
自分を肯定できないから。
自分が間違ったこと、正しくないこと、悪いこと、ダメなことをしているから、相手に、他人に、周囲の人たちに、気分を害するようなことになってしまうのだと、そう徹底的に叩き込んだつもりだった。
酷い仕打ちをされてあいつはまるで自分が被害者のようにふるまってみせるが、そうじゃない。
人を怒らせて、不愉快にさせてその人にそうせざるをえない状況に追い込んでいるのはヤツのほうなのだ。
本当の被害者はこっちのほうで、向こうじゃない。
「いずれヤツのほうから頭を下げて帰ってくる。が、そのときは、その殊勝な態度を、褒めてやらなければならないな。ハッハッハ!」
男はそう笑い飛ばすと、消えた彼女のことはそのまま置き捨てて、再びいつもの生活へと戻っていた。
しかし女のほうはそれ以来、忽然と姿を消したまま、二度と男の前に現れることはなかった。
男は普段通りの大学生活に戻ったのだが、しかしそれ以来、男はどうにも体調の優れない日々が続くようになった。
大学の友人からも、
「・・・大丈夫か?何かすごい、やつれている様に見えるけど?」
といった指摘を受けるほど、男の目の周りは浅黒く窪みができ、頬は痩せこけ、体重もどんどんと落ち込んでいった。
「だいじょうぶだいじょうぶ。全然、最近少し疲れが溜まっているだけだから」
と、男はつとめて平気を装って答えるようにした。
が、そんなある日、大学のテニス・サークルで、男が新たに誘って簡単な付き合いを始めるようになった女友達と一緒にプレーをしていると、男は急に気分が悪くなって、とうとうその場にしゃがみ込んでしまった。
「あッ・・・!」
と、男の容態の異変に気づいた女友達が、すぐにネットの向こうから心配して駆け寄ってきた。
「ねえ、ちょっと大丈夫?やっぱどこか悪いんじゃないの・・・?」
そういうと女は男の腕を自分の肩に回し、コート横のベンチまで連れて腰掛させてやった。
「ハア、ハア・・・!」
「大丈夫?すごい息が荒いよ?」
「・・・だ、大丈夫さ。今日はかなり日差しが強くて暑かったから。 水分を取って少し横になっていれば・・・」
女は自分のバッグからスポーツドリンクを取り出して男に水分補給をさせると、また目頭の部分を冷たい濡れタオルで宛がって、男の介抱を続けた。
「あ、ありがとう。暫くこのままで・・・」
「ええ」
男はそうして女の丁寧な介護を受けつつ、少しの間ベンチにもたれて休んでいたが、やがて悪寒も収まり、何とか普通に立って歩けるまでに回復をした。
「よし、もう大丈夫みたいだ。ありがとう」
「本当に大丈夫?家まで車で送ってあげようか?」
「いや、そんなもう、ホントに大丈夫だから。後はシャワーでも浴びてサッパリして帰れば平気だから」
と、
男はそう言って女のほうを先に帰すと、自分はコートに備え付けのシャワー施設にまでいって、そこでベトベトだった身体の汗を洗い落とすことにした。
シャワーが終わって男が再び脱衣所まで出てくると、男は不意に気になって、近くに置いてあった体重計に乗って自分の体の重さを測ってみることにした。
が、
すると何と・・・。
「な、何だこれは・・・ッ!」
驚いたことに、体重計のメーターの電子数字は、40kgもなかったのだ。
「さ、30kg台だと!?そんなバカな・・・ッ!」
確かに最近では食欲もめっきり落ち込んで、脂肪だけでなく体の筋肉まで一緒に痩せ細ってきてはいたが、それでも30kg台という数値は現実的にあり得ない。
「おかしいッ!やっぱり何かがおかしいッ! オレの身体は一体どうなってしまっているんだ・・・ッ!」
と、男が頭を両手で押さえて叫び声を上げたそのときだった。
、
そこにまた・・・、
「フフフフフ・・・・・」
と、あの女の声が聞こえたのだ。
「お前かッ!やっぱりお前なんだなッ! 一体どこに居るんだ!隠れていないでとっとと出てこい!お前は一体このオレに何をしようとしているんだ・・・ッ!」
男は辺りを右に左に、女の姿を求めて慌しく首をキョロキョロと振り動かした。
「フ~フゥフゥ、やっぱりわからないんだね。私は前からずっと同じ場所のまま、どこからも動いてなんかいないんだよ」
「何だと・・・ッ!?」
咄嗟に男は、脱衣所洗面台の長鏡の前までいき、その鏡に向かって両手を広げてしがみ付く様に擦り寄り、
そして自分の口を大きく開けて奥のほうを覗き込んでみた。
するとsこにはやはり・・・。
「ヒッ・・・!」
そこには前と同じく、男の喉の奥の向こうから、目から上だけニヤニヤと薄笑いを浮かべながらこちらをジッと見つめ返す青白い女の顔があった。
「うわあァァァ・・・ッ!!!!!」
と、男は恐怖の余り洗面台から飛び退いて、腰を抜かしてその場にヘタレ込んだ。
「あわわわ・・・・・!」
男の顔面は蒼白となり、全身ガタガタと震えが止まらなくなった。
「ウ~フフフフフ、そうだよ。あなたはもう長くない。最後にはそうやってどんどんと痩せ衰え、そのまま朽ち果てて死んでいってしまうんだよ」
「な、何なんだお前・・・。お前は俺の身体の中で一体何をしているんだッ!」
「ウフフ、怖い?恐ろしい?けど私は今までその何百倍も苦しんだんだから。最後までずっと見とどけさせてもらうよ、あなたがボロボロになって死んで行く様を」
「や、野郎~・・・!」
男は恐怖のなか、それでも込み上げてくる怒りに何とか身を奮い立たせ、後はもう無我夢中に、再び起き上がって鏡に向かって突進し、
そしてその鏡のなかに小さく映る、女の顔を目掛けておもいきり拳で殴り付けた。
「うおおお~ッ・・・!消えやがれ、このクソ女がァァァッ!!!!!」
ガッシャーーーン!!!!!
けたたましい響きを発しつつ、バラバラと砕け落ちるガラスの破片。
が、それとまた同時に、鏡を粉々に破壊した男は右拳に大怪我を負いつつ、再び意識を失ってその場へと倒れ込んでしまった。
「うふふふふ、無駄だよ。あなたはもう二度とこの私を傷付けることなんて出来やしないんだよ。そう、もう二度と金輪際。そしてそのとき私は本当に今の苦しみから解放をされる。あなたの“死”と共にね・・・・・」
男は意識不明のまま、大学職員の通報で駆け付けた救急隊員により担架で総合病院へと担ぎ込まれ、そしてそのまま原因不明の謎の衰弱と、精神状態の混乱の為、長期入院生活を余儀なくされることとなるのだった。