旅の落とし物
昭和13年くらいの事です。
はるしゃんの家の前を車が通りました。
車といっても木炭車です。
木炭車とは燃料として木炭を使い進む車です。
後ろに木炭をくべる部分があります。
もくもくと煙りを出しつつ進む車。
木炭が燃え尽きかけると一旦車を止め、また木炭をくべます。
スピードはあまり出なかったようです。
しかしそれでも車といえば馬車の時代。
今でいうなら木炭車は超高級車でしょう。
当時の田舎道は舗装などされているわけもなく地面は穴だらけ。
そこに木炭車の車輪がはまり大きく車体が揺れます。
揺れた拍子に積まれていた箱が、一つ道に落ちました。
気付かずに走り去る木炭車。
はるしゃんが落ちた荷物を見つけ、叫びながら追いかけますが車は行ってしまいました。
仕方なく荷物を家に入れて表面を調べます。
名前が書いてありました。
「片岡仁左衛門」(かたおかにざえもん)と。
片岡仁左衛門さんは歌舞伎役者です。
祖母は
「初代 片岡仁左衛門 」の荷物だったと言います。言い張ります。
さて、これはおかしい…………
調べたところによりますと
片岡仁左衛門 (13代目)
十三代目片岡仁左衛門 明治36年(1903年)12月15日生まれ。
現 片岡仁左衛門
(15代目)
昭和19年(1944年)生まれ。
はい、昭和初期に初代片岡仁左衛門さんが生きているわけがありません。
祖母の記憶違いのようです。
しかし何代目かはわかりませんが、片岡仁左衛門さんの荷物に間違いはないという事らしいので、お話を進めます。
さて荷物を拾ったはるしゃんはどうにか持ち主に返したい。
表面には名前しか書いてありませんので、仕方なく箱の蓋を開けました。
一番上に東京の住所が書いてありました。
はるしゃんはその住所に
「荷物を拾い、預かっている」
という内容のハガキや手紙を何度も何度も送りました。
当時の手紙は「巻き紙」だったそうです。
例えは悪いですが、トイレットペーパー状に巻いた紙ですね。
それの端から文章を書いていき、書いた分だけ切り取って手紙として送っていたようです。
その後、ハガキ、手紙を送り続けて一年が過ぎました……
ちなみに片岡仁左衛門さんの公演先は、常設の演芸場だったそうです。
立派な舞台に広い観客席だったであろうと想像できます。
お客さんもお金持ちばかりでした。
一年が経ち、はるしゃんは村の警察官である「こが」(古賀?もしくは古河でしょうか)さんに相談に行きます。
いくらハガキ、手紙を送っても返事がこない、ついては荷物をどうしよう?
というものでした。
すると古賀さん
「荷物開けて、中を見てみろ。もし使えそうな物があるなら使ってよかろう。
一年間待っても取りに来ないというなら、もう相手も荷物の事を忘れてるんやろう。
何かあった時は俺が責任持つけん」
こう答えました。
その答えに頷き、家に帰ったはるしゃんは荷物を開け中身を取り出しました。
中からは、裃、小道具、豪華な振袖、忠臣蔵の衣装、襦袢、大島の着物などなど……
高級な品がたくさんでてきました。
どうやら片岡仁左衛門さん、本人の衣装、小道具だったようです。
その後、衣装や小道具は村の青年団が芝居をする時などに活用されたという事でした。
片岡仁左衛門さんは荷物が無くなったのに気付いた後は、おそらくすぐに東京から代わりの衣装、小道具を取り寄せたのでしょうね。
仁左衛門さんが落としていった荷物は、はるしゃんや村の人達にはまるで昔話の宝のつづらみたいに感じられたことでしょう。
この章はこれでおしまいです。