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山行  作者: クロ
3/3

下の篇


 イシは胸の左下のあたりがずきりと痛むのを感じた。

土掬いの口に咥えられて運ばれているのは、紛れもなくカヅサだった。体は泥土にまみれてぼろぼろだが、何とか息はしているようだった。


 傍らで蠢く蛹の感触が、直に肌に伝わってくる。激しい動悸。飛び出すべきなのだろうか。イシは逡巡した。


 やがて、カヅサを咥えた土掬いは広間の中央にぽっかりと開いた大穴へと姿を消した。

動悸。暴れ喚く心臓。松明を持ち上げた。


 行くしかないのか。

イシは邪念と意識と心の内に蟠る全てとを投げ出して横穴からだっと駆け出した。

往来する土掬いどもに松明を振りかざす。袈裟を脱ぎ捨てて投げやった。自分の、汗でてらてらと光る裸の躰。火の粉が飛んで、熱い。

 大穴に転がり込んだ。剃りあげた頭が縁にぶつかって痛い。体中を打ちつけてイシは呻いた。


 真っ暗な闇の底へ転がり落ちていく。

取り落とした松明が底へ落ちていくのが見えた。しゅっと光って、闇の底に消えた。


 坂が終わりを告げた。イシは起き上がって、辺りを見回した。明るかった。すぐに、天井に生育した光苔が発光しているせいだと気付いた。光の下、床に転がされたカヅサ。カヅサに覆い被さる土掬い。


 駆け寄る。土掬いの腹部から細長い産卵管が突き出ていて、それがカヅサの臍の辺りに突き立っていた。カヅサは身じろぎもしない。イシは渾身のちからで土掬いの横っ腹に体当たりした。びくともしない。土掬いがぎょろりとこちらを見やる。

 相手は自分よりも大きな体を持っていて力もある。大して自分は裸で、それにまだ子供だ。


 どうにかなるはずがないし、何とかなるわけがなかった。イシは何事か叫んで土掬いの頭にむしゃぶりついた。冷たいざらざらした感触。濡れて湿っている。


 カヅサ、カヅサ聞こえるか。叫ぶ。聞こえないのか、カヅサは目を開けない。


土掬いが乱暴に頭を振った。イシは決して離すものかと土掬いの複眼に手をつっこみ、握り締めた。何かがぶちゅりと潰れる嫌な感触。


 イシは土掬いの声を聞いた。樹がばりばりと切り倒されるようなものすごい声をあげて土掬いは牙を剥きだした。足にふれるひんやりとした感触。刃。土掬いの発達した前牙。


 砕く。このままでは肉を噛み千切られる。


 イシの闘争本能に火がついた。イシは何度も土掬いの牙に蹴りをいれた。足の裏が裂けて血が出た。空をきりイシはもんどりうって倒れ込んだ。

 すぐに、横に回った。土掬いの脚にかぶりついた。憎しみを怒りをこめて顎に力をいれた。硬い。とてつもなく。脚ではらわれた。


 背中に強い衝撃があった。体の中から赤い痛みがしみだしてきた。痛い痛い。


 動けなかった。土掬いは、何事もなかったかのように再度カヅサに産卵管を突き入れている。

こいつらは。イシは思った。


 カヅサの体に卵を産み付けて、肉を餌にして幼体を育てるつもりなのだ。

ああ。


 イシは悟った。

結局そういうことなのだ。おれたちは犠牲なのだ。喚くことも運命に抗うことも許されはしない。


 もう一匹の土掬いがぬっと顔を出した。こちらを見つめている。光苔の逆光で、輪郭だけが白く霞んでいた。

 不思議と、当然のことのような気がした。

おれはこの洞穴で得体の知れない化け物に貪り食われて死ぬ運命だったのだ。最初からそうだったのだとひとり納得した。

 ぴちゃり、ぴちゃり。


 土掬いがカヅサの腹に卵を送り込む音。蜘蛛蜂の幼虫はいつか育ち、カヅサの腹を食い破って外にでるのだろう。


 ヨドの顔が頭に浮かんだ。

聡明で誰よりも頭がよかった。修行にも、人一倍熱心に取り組んでいた。きっといつかは僧正にでもなるべき人財だった、はずだ。

 運命は残酷で、誰に対しても平等だ。


 嗣由杷僧正はおれたちを嗤うだろうか。いつものごとく、おれたちをぶつだろうか。


 迫りくる土掬いの顔が僧正の皺まみれの顔面にうつりかわった時、ふとイシはまわりが明るいことに気付いた。


 光苔がこれだけの光を発することのできるわけがない。

とすれば。


 イシは入って来た方を振り向いた。隅に転がったちびた松明。苔に引火した炎が、ごうごうと音をたてて燃え上がっている。

 逃げていく土掬いの甲殻が赤に染まって、表面のこまかな傷や凹凸がみえた。

 火が迫ってくる。逃げなければ。


 イシは駆け出した。無造作にでんと打ち捨てられたカヅサの体を背負って、坂を登りはじめた。

カヅサの体は重かった。ずっしりと、重い。


 火の手が回りこんできた。洞穴を形づくるこの粘土状の物質に発火性でもあるのかもしれない。

しかしもうそんなことはどうでもよかった。イシは焦点の散らかった眼で前だけを見据えた。背中のカヅサはぐったりとしていて、体と体が触れあっている部分は生温かった。


 広間に出た。どこから回ってきたのか、火の手が逐道を包んでいた。逃げ惑う土掬いたちの巨体。足に纏わりつく床。

 イシはよろめきふらつきながら、最初に入った洞穴へと足を踏み入れた。引き裂かれたシクマドの死体が転がっていた。手は何かを掴まんとするように宙につきあげられ、目はかっと見開かれていた。ぱっくりと開いた腹からは赤黒い臓物がぼろぼろと零れ落ちていて、紐のような腸が長く伸びていた。


 目を向けなかった。イシは歩き続けた。

やがて白い光が霞み始めた。出口。ずり落ちるカヅサを背負いなおし、外に出た。


 森は静かだった。イシは林を出て、開けた草原に身を投げ出した。


 大の字に横たわったとき、急に思い出したかのように脊椎に激痛が走った。きられた足からもどくどくと黒い鮮血が流れ出している。隣のカヅサを見やった。安らかな顔だった。目を閉じていた。眠っているみたいだった。


 イシは口をぽっかりと開けて、空気を肺いっぱいに吸い込んだ。おれたちは土掬いに捧げられた。おれたちは供物になった。


 土掬いによる人里への被害をおさえるため、人柱としての意味合いをもって、おれたちは捧げられたのだ。きっとそうに違いない。


「カヅサァ」


 口を開いた。

それ以上何も言葉が出てこなかった。


 嗣由杷僧正はいった。

この行は、必ずしやお前たちにとって意味のあるものになると。


 体中の骨が水になったみたいだった。ふいに尻から糞がこぼれ出ていることに気付いた。


 イシはカヅサに寄り添った。

二人はいつまでも、そうしていた。


 梢の間から覗く青空に、雲が散っていた。








最後まで読んで頂きありがとうございました。

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