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4 裂かれたラブレター

 たまたま立ち寄った渋谷円山町の風俗店だった。

「みなみです。よろしくね」

 高校時代の同級生である圭子は、いつわりの源氏名でぼくを迎えた。スタッフが利用上の注意事項を述べていく中、ぼくは青い顔をして、営業スマイルの彼女と視線を絡めた。


 個室に入ると、圭子は即座に淡い紫のドレスを脱ごうとした。ぼくは彼女の手首を掴み、言葉を絞って恫喝した。

「知らん顔するな」

 彼女はぼくの手を振り払い、およそ昔の面影も感じさせない不快なため息を吐いて、荒くベッドに腰かけた。ドレスの丈はこれでもかというほど短く、座った際に下着が見える。ぼくは下唇を噛み、目を背けた。

「いるのよね。たまに会ってみれば、あんたみたいに善い人ぶって説教してくる同窓生」

 デコレーションされた派手な爪を見せびらかし、圭子は煙草を吸う。喫煙姿そのものより、彼女がぼくを他の同窓生と一緒くたにしたことに深く傷ついた。

「身体を売ることは、魂を売ることと一緒だ」

「魂までは売らないわ。偽物のセックスで、誰が魂なんて売るものか」

「売ってるよ。だって圭子は、一生この仕事のことを忘れないだろう」

 圭子の唇が引き攣って歪んだ。ぼくは突っ立ったままそれを見下ろした。やがて彼女はほくそ笑む。

「私も失望したよ、ヤッちゃんに」

「なにが」

「いつの間に売春なんて覚えたんだね」

 ぼくは絶句した。核心を衝かれたからではなく、その台詞を口にした彼女がうつむき、涙を流しはじめたからだった。ぼくは隣に腰を降ろし、ショルダーバッグの外ポケットから一本の扇子を取り出した。渡すと、彼女は顔を下に傾けたまま、両手で扇子の端を掴んだ。

 かた、かた、と骨木が小気味の良い音を鳴らし、扇子に描かれた朝顔が少しずつ芽吹いていく。


 高校生の時分、圭子と友達付き合いしていたことをよく覚えている。ラブレターを圭子の机に入れた日の放課後、彼女がぼくの手紙を読みもせずに破り捨てたことも、克明に記憶している。

「誰が書いたのかは知らないけど、面と向かって言えないやつは男じゃないわね」

 その挑戦的な目を向けられたとき、ぼくは逆に清々しい気持ちになってしまったのだった。

 三年生のころ、高校最後の夏になると、ぼくは彼女を夏祭りに誘った。圭子の浴衣には、紺地に鮮やかな朝顔が咲いていた。どうして浴衣の柄まで覚えているのかというと、彼女からその日貸してもらった扇子にも、きれいな朝顔が描かれていたからだ。

 夏祭りの帰り、多摩川の河川敷を圭子と並んで歩いていると、対岸の先でおまけの花火が打ち上がった。圭子はわたあめでザラついた指をくわえており、それでいてぱっちりと目を見開いて花咲く夜空を見上げるものだから、本当に子供のようでかわいかった。

 駅の改札を通ったその後ろ姿に、ぼくは声を大きくして「圭子」と呼びかけた。振り返る彼女の顔は期待の色に満ちていたが、それでもぼくの決心は揺らいでいた。

「これ、また今度返すから」

 ぼくは右手にした扇子をかるく上げた。

 あれ以来、ぼくたちは徐々に会話をしなくなった。ぼくの決意は、七年経った今でも失念したままだ。


 時が戻され、朝顔が畳まれる。圭子は扇子を膝の上に置いて、ベッド脇の小棚から一枚の紙を出した。真っ二つに裂かれた便せんで、それはセロハンテープで丁寧に繋がれていた。ぼくが渡したラブレターだった。

「どうしてあのとき、ちゃんと好きって言ってくれなかったの」

 ぼくの胸にラブレターを押しつけて、圭子は嗚咽をかみ殺す。

「それとも、これを破った私がいけなかったの?」

 ぼくは日に褪せた便せんと、圭子の膝元の扇子とを見比べて、しずかに腰を上げる。個室を出てフロントに行くとスタッフが圭子の粗相を尋ねてきたが、なにも答えず店を出た。

 終電間際、空疎な田園都市線に揺られる。裂かれたラブレターをポケットに押し込む。車窓越しの多摩川を見ないように、ぼくは固く目を閉じた。

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