9
永久の愛って、どんなものをいうのかしら?
あなたに、そう聞いてみたことはなかった。
もし、それを聞いたならば、あなたはどんな答えをくれたのだろう。
+ + + + + +
ふ、と浮遊感にも似た身体の傾きを覚え、目を開く。
眦を擦りながら見廻すのは、穏やかな小川の風景。岸際に張られたロープには、色取り取りの波をなした大量の洗濯物がはためいている。
麗らかな陽気。たしか、洗濯の手伝いをしていたはずだけど。
思ったより疲れが溜まっているらしい。どうやらまた居眠りをしていたようだと理解したところで、胸元までしっかりと掛けられたブランケットに気付き、苦笑した。
この季節には少し厚手過ぎるんじゃないかと思える生地だが、水辺で風に当たりながら座っている分には丁度いい。
あとで持ち主から「そんな身体で、どこででも寝るんじゃないわよ!」と、またお小言を貰っちゃうわね。
そう予想しつつ、わたしは大きく膨らんだ自分の腹を、温かなブランケットでもう一度覆い直した。
夫の元を去って、はや半年。
少しでも早く遠くへと遠距離馬車を乗り継ぎ、彼の国から離れたわたしは、とある旅芸人の一座に身を寄せていた。
きっかけは、行き倒れていたところを助けて貰って―――― ではなく、わたしが助けてという成り行き。
街から街への移動の最中、乗っていた旅馬車が、突然林の中から飛び出て来た人影に留められた。聞けば、野営している仲間たちの大多数が、原因不明の腹痛で動けなくなっているので力を貸して欲しいという。
薬剤の心得をおばあさまから叩き込まれていて、本当に良かった。駆けつけてすぐに、この辺り一帯に自生している毒草のせいだとわかったのだから。
毒性が強い代物で、手当てが遅れれば死に至る。幸いにも、同じ草から解毒薬が精製出来るので、皆無事に回復した。
治療のため数週間一座に滞在したわたしは、行くあてのない身の上を知った団長や団員たちに引き止められ、そのまま一緒に旅をしている。
お腹にいる、子供たちとともに。
「ただいま」
声とともに、後ろから抱きしめられた。
おかえり、と応えるのもおかしいので、溜息を洩らしながら回された腕を軽く叩く。
「ちょっと。おかえりって、言ってくれないわけ?」
「ここは貴方の家じゃないでしょう」
案の定、むくれた表情をして隣に腰掛けてきた彼にそう返しつつ、わたしは苦笑した。
彼は――― 元婚約者だったこの幼馴染は、わたしがこの一座と行動を共にするようになってすぐ、ふらりと現れた。
身重の女の元を訪ねてきた、若い男。
腹の子ごとこの娘を捨てた最低男はお前か! と、一座の女性勢が総掛りで彼に殴りかかったのも、今では笑い話だ。
「ひとりで寂しかった?」
「ひとりじゃなかったわ。みんなと一緒だもの」
何かを期待するかのような彼の問いに、あっさりと応えて見せる。
さらに、特別仲の良い友人となった団長の娘の名を上げ、ここ数日の楽しかった出来事を語ると、彼は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「そういうことじゃなくてさ。その、僕がいなくて寂しかったでしょ? 」
「平気よ。それとも、寂しくて死にそうだったわって言えば、あなたは満足かしら」
「ああ、満足だよ。酷いじゃないか、こっちは君が心配だから、一刻も早く帰らなくっちゃって急いだのにさ。ねぇ? 」
君たちのお母さんはつれないよね、と。
こちらに隙間なく身を寄せ、わたしの膨らんだ腹を撫でながら甘やかに話しかける彼。
本当に優しげな目をする彼が、なんだからしくないようで、それが可笑しくて。わたしは吹き出してしまい、頬を染めた彼に睨まれて、今度は二人で笑った。
再会して以来、過去にないほどわたしに触れ、際限なく甘やかそうとする。
婚約者として身近にいた頃だって、軽い口付けを交わしたことはあれど、本当に淡白で、こんなに執着されたことなどない。
もっとも、今の触れあいも性を感じさせるものではなく、真綿で包み込もうという類のものだけれど。
彼とは、この5年間一度も会っていなかった。わたしの身勝手な行いのせいで、もう二度と会えないものと思っていた。
なのに、探して会いに来てくれた。
彼の顔を目にした途端、わたしは泣きじゃくってしまった。今思い返すと、恥ずかしいほど。
独りになってしまったことを心配し、今も傍に居てくれる。
彼を傷付けたのに。別の縁を選び、一方的に捨て去っていった酷い女。
本当に、わたしは身勝手。どこまでも自己中心的。
けれど、そうと分かっていても、やっぱり嬉しいという思いを溢れさせずにはいられなかった。
でも、もう十分。
ねえ、と彼の名を呼ぶ。
応えはない。わたしの膝を枕にし、頬を膨らんだ腹に愛おしげに寄せたまま、目を閉じている。ちゃんと聞こえているくせに。
ねえ、ともう一度彼の名を呼び、ずっと前に言うべきだったことを、わたしはようやく口にした。
「いつまでもこんなところにいてはいけないわ」
「こんなところなんかじゃないよ。君がいる場所だ」
「つまらない言葉遊びはやめて、真面目に聞いて。ね」
小さな子供の我が儘を咎めるような口振りで言うと、腰に回されていた腕に力が籠められた。背の服を握られる感触に、泣きたくなる。
「わたし、もう戻れないの」
故郷である、懐かしいあの森には。
「戻らなくたっていい。君がここに残るなら、僕もここに居るまでだ」
「そんなことすべきじゃないわ」
「決めるのは君じゃない。僕が選ぶんだ。僕は伴侶である君の―――、」
「だから」
そう、だから。
「伴侶ではなくなったわたしの傍に居続けるべきじゃない。そう言ってるの」
5年前まではわたしより遥かに大人びていた彼。
あの時から時を刻むことなく、止まったままの容姿に、わたしは己の罪の深さを改めて思い知った。
「…… やっぱり、気付いてたか」
「うん」
「そりゃそうだよね。育ち盛りな歳頃なのに、なーんの成長も無いなんてさ。まあ、伸長がこれ以上伸びるって、信じてることに基づいた見解なんだけど」
冗談めかして、でもどこか悲しそうに、彼の横顔は笑った。
――― わたしたちの“神”は、伴侶とともに時を重ねる。
それを、まだ子供だった頃、わたしに教えてくれたのは彼自身。
必ず結ばれる強く濃い縁。それがなんのために存在するのかは、神である本人たちにも分からないという。
ただ、代々の神が蓄積してきた知識が証明するのは、伴侶を失った神は時を刻むことを止め、再び得たときにのみ時を刻み始めるという事実のみ。
わたしの石が割れ、夫との縁が絶たれてから、半年。
長くは無いが、短くもない時間。それだけの時間を経ても、彼の容姿は一行に成長をみせない。
彼は、伴侶を取り戻していない。
しばらく、わたしたちは互いに無言でいた。
やがて、ずっと閉じていた目を開き、彼が言う。
「あのね、怒らないで聞いてくれる?」
そう前置きしながら身を起こし、私の手を握って顔を覗き込んでくる。
「僕、あいつに会って来たんだ」
「……… あのひとに?」
「そう。君自身が選んだ君の伴侶に」
今はもう違うけどね、と彼の唇が暗い笑みを描く。
「どうしてたかは、教えないよ。君があいつを気に掛ける回数を増やす手伝いなんて、死んでも嫌だから」
「いいわ。聞かないし…… 聞けないから」
「そう。でもさ、代わりに僕があいつに言ったことは教えてあげる」
そうして、額を合わせた距離で告げられる台詞。
「嘘吐きめ、って言った」
わたしを幸せにするといったくせに。
絶対離さないといったくせに。
わたしじゃない他の女でも平気で抱けるじゃないかと。
彼から盗る必要なんてなかっただろうと。
「あと、次は僕が君を抱く番だって」
いつの間にか抱きしめられていた。
触れる直前の唇に、吐息がかかる。
目は、互いに閉じていない。視線をそらさず、合わせたまま。
そして、