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「お前さ、ほんと諦め悪いよねー。いい加減、無駄だと悟ればいいのに」
嘲りの色を浮かべたままそう言った男を、俺は渾身の憎悪を籠めて睨みつけた。
+ + + + + +
妻を初めて目にした場面。
それを思い出すと、同時に、耳の奥で鈴の音が蘇る。
きっかけは、とある地方視察だった。
幼い頃からの学友――― 幼馴染である第一王子が、成人と同時に受けた立太子の儀。
それに伴い行われた、〈黒い森〉への巡礼。
表向きは、王領の視察という名目で、代々秘密裏に執り行われてきたその慣習に、側近である俺も随行した。
広大に広がる、奥の知れない森。
その名の通り、暗黒の色をした森の前で、一行は“古き一族”と呼ばれる、森の住人たちに出迎えられた。
森の奥深く、何処とも知れない先に集落を構えているという彼らのことを、俺は詳しく知らされていない。
遥か昔、建国の際に一族と王族との間で、何らかの盟約が交わされたらしきことは察せられるが、王の後継たる人間にのみ伝えられるものらしく、王子には「悪いな」と、はぐらかされてしまった。
「ようこそ、嗣子殿。歓迎しよう」
夕暮れの朱い光の中。
出迎えに立った一族の長は、老女だった。
濃紺のローブから覗いた微笑は優しげだが、歳を重ねた者特有の風格と、理知を感じさせる印象的な瞳が、長年一族を纏め上げてきた力ある人物だという事実を告げる。
年老いた小柄な女に過ぎない者を前に、不敬ではあるが、己が国の王に拝謁する時よりも、尊崇の念を煽られた。――― いや、正直に言えば、畏怖に近い感覚に囚われたことを覚えている。
俺たち一行は、彼らが用意したという天幕の群に招かれた。
王子と長の2人だけが一際大きな天幕の中に消え、半刻もせぬ間に出て来る。中で何が行われたのかは与り知らぬこと。その後、夜闇に落ちた中で、慣習通り宴が始まった。
オレンジ色の松明が、あちらこちらに灯される。
森の恵みがふんだんに並べられた宴は、長い旅の行程で疲れ切った身体にはひどくあり難く、皆が夢中で食らいつく。古き一族の者たちは、それを穏やかかつにこやかに歓待してはいたが、決して、積極的に輪の中に混ざろうとはしない。
一つの宴であるにもかかわらず互いが全く交流せず、おまけに誰もがそれを気に留めていない奇妙な場を、俺は王子の隣でなんともなしに眺めていた。
「おい、そろそろだぞ!」
「なにが?」
興奮した様子で声を掛けてきた王子に、俺は気の無い問いを投げた。果実酒の杯から口を離しもしなかった無精な俺に、王子は宴の場の中心を指さして見せた。
「小さい頃からさ、何度も何度も聞かされてたんだよ。父上が若い時、この宴で目にした古き一族伝統の舞が、この世のものとは思えないほど素晴らしかったってな」
「舞?」
「ほら、あの一番大きな松明の前に、舞台があるだろう。たぶん、あそこで舞うんだよ」
確かに、そこには木材で組まれた小さな舞台が備えられていた。先ほどまで、そこでは楽師たちが緩やかな曲を奏でていたはずだが、いつの間にか彼らの姿は舞台の袖下に移っている。
(舞……ね。正直興味無いな)
むしろその時は、手にした酒の方が気になっていた。あんなに美味い果実酒を口にしたのは久し振りだったのだ。
(自家製なのか? 王都に流通させてくれたらありがたいんだけどな)
むしろ、そんな考えの方に意識を捕られていた。
幾人かの女たちが、舞台の上を花の束で掃き清める。
族長である老女が手を打ったのを合図に、隣の王子が居住まいを正したのを感じてはいたが、特に注目もしなかった。
「今宵、我が盟友に新たな後継が誕生したことを祝福し、ささやかな奉祝の舞を」
歌うにも似た老女の言葉が、宴の場全体に響き渡った。
一瞬の静寂。
誰もが、自然もが音を止めたかのような瞬間ののち、得も言われぬ銀の音が、空気を一つ振るわせた。
シャン、と鳴ったのは、鈴の音。
相変わらず杯に視線を落していた俺は、鼓膜を打ったその涼やかな音色に惹かれ、視線を上げた。
舞台の上。
松明に明るく燃え照らされていたのは、互いに向かい合う形で佇んでいた2つの人。
右は男。
白いゆったりとした装束を身に着け、片手に剣を手にしている。
左は――― 女。
身体に添った黒い装束を纏い、やや大ぶりの短剣を両手にしている。
ぎらぎらと炎の色を弾く刃。それは、彼らが手にしている獲物が本物であると唄い挙げていた。
これから始まるものを予感した者たちが、あちこちで鋭く息を呑む。
「―――――――!」
長が、何事かの言葉を高らかに放ったのち、一斉に鳴り響いた楽。
腹の底を叩くような低い打楽の音から始まり、それまで緩やかさしか知らなかったかのような曲調が嘘かのように、あらゆる楽器が激しく掻き奏でられる。
体中を打つ、原始の音色。
それは、それひとつで人を圧倒させるほどの力を持っていたが、あのとき、その場に居た誰もの意識は、舞台に引き付けられていたと思う。
シャン、と銀色に鳴る鈴を追いかけるように、焔色を映した刃の軌跡が閃く。
身の紙一重を薙ぎゆく剣の切っ先。
目にもとまらぬ速さで、だが髪の、衣の先までもが一身であるかのような優美な流れに、感覚の全てが攫われた。
(――― 剣舞)
それを見たのは初めてではない。武の心得を持つ者たちが繰り広げるそれは、幾度となく目にしてきた。
だが、その時目の前で繰り広げられていたそれは、それまで剣舞だと認識してきた舞とは、全く別次元のものだったのだ。
舞台上の2つの身体は、大地の引力など無に帰すかのように軽く跳ね、回る。
互いの身を、決して重なることがない絶妙な間隔で保ち戯れながら、命を狩る刃を奪う限界の位置で躍らせる。
二つの人でもって、一つの舞い。
挙動のひとつでも誤れば、簡単に命を落してしまうだろう舞いを、武骨さや歪さひとつ感じさせることなく優美に仕上げている。
命を掛けあっているからこそ、出来る技。
ああ、あのふたりは、
(互いを信頼しきっているのか………)
先ほどまで夢中になっていた果実酒の味など、舌から完全に抜け落ちるくらいに、舞いに全身を乗っ取られていたのに、そんなことを思った。
後から考えても不思議だ。
対で一を為す極上の舞い。それを目にし、また、1人では完成をみない類の舞いだと、思考では理解していたはずなのに。
黒い衣裳の、おそらくは、少女である舞い手。
魂が掴まれるというのは、あの時の感覚をいうのだろうか。
何故か、理由もなく、彼女の挙動に全神経が向かった。
命を屠る得物を手にして、何の迷いもなく舞う彼女。
白い衣の人物を、そこまで信頼しているのかと考えると、煮え立ちそうな感情が、腹の底にじわりと滲んだ。
全く知らない、顔すら良く見えない少女なのにもかかわらず。そんな感情を抱くなど、莫迦げていると諭す思考すらなく。
剣の切っ先を互いに向け合うのが自分であればという、ありえもしない願望にさえ囚われて。
舞いの最終の見せ場。
ひときわ高く、高く、天に放り投げられた二つの短剣。
投げた黒い少女の足元が、脇が、首元が、白い人影の刃に薙がれた。
だが、彼女は風のように舞い除け、さらに、地面から離れた身を宙返りさせたのち、
「―――――――ッ!!!!!」
場に居る全ての人間が息を呑む前で、振り向きざまに、落ちてきた双の短剣を、交差した手で受け止めた。
それに絡むように、最期の姿勢を取った白い舞い手。
終焉を迎えた舞いと、立ち消えた楽の音により、始まりと同じ幾ばくかの静寂がもたらされる。
直後、大きな歓声と拍手が場を割った。
「素晴らしい! 思い描いていた以上だ!」
興奮と感動で振るえた声で、2人を一つに褒めちぎっていた王子。
その横で、俺は無意識に身を乗り出していた。
(――― 遠い………)
遠く離れた舞台の上で、観衆に礼をとる演者たち。
こちらの心をこんなにも掴んだというのに、向こうは何も知らないという事実が、焼けつくほどにもどかしい。
(もっと……)
もっと近くで。
彼女の前に立つことが叶うなら。
――― それが、今に繋がる願いの始まり。
他人が熱狂の歓声を上げていた中、俺は。
俺だけは、ただただ一つのうちの1人、少女が見せた笑顔に魅入っていた。
+ + + + + +
「他人の片割れを、結ばれるべきだった女を奪っておいて、この体たらく? 愚かしい…… いや、馬鹿にするのも大概にしてくれって感じだよねぇ」
あの日の、白い衣の舞い手。
命を預けられるほどの相手を俺のために失い、そして、それを失った俺を愚かだと詰る男を、俺はただ、睨み返すことしか出来ない。




