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短編詰め合わせ

こいのぼり

作者: 長滝凌埜

 揺れる景色がごうごうとした風に飲まれて後方へと流れていく。だが、その窓から見える景色もずいぶん前から同じ景色だ。青い空をたゆたう白い雲。遠くに見える若い緑の連なる山々。俺の乗る列車のすぐ近くをかすめていく、不規則に生え並ぶ木々。

 思えばずいぶん田舎の村だった。村にはコンビニが無人駅の目の前にあるだけだったし、スーパーは一軒しかなく、ボーリングやカラオケなどの娯楽施設なんてものは一切なかった。学校も廃校寸前の小学校と中学校が一校ずつあるだけで、俺の通っていた村から一番近い高校でも電車に一時間ほど揺られなければならなかった。

 そんな田舎の村で育った俺は、昨年国立大学へと進学した。想定以上の忙しさに目が回り、あくせくと働いてるうちにとうとう一年以上実家に顔を見せることができなかった。都会での一人暮らしにも慣れ、余裕もできたために今年のゴールデンウィークに帰省することにした。

 景色の流れていくスピードが次第に遅くなっていき列車が停車した。隣の席においてあるボストンバッグを肩にかけ、段ボール箱二つを手に列車から降りる。無人駅の改札を通り抜けると、懐かしい畑が広がっていた。その中で一軒のコンビニが違和感だらけで建っていた。俺は駅から山の上の方まで伸びる一本道を歩き始めた。

 コンビニの前を通り過ぎようとすると、後ろから肩をたたかれた。振り返ると、黒いパーカーのフードを目深にかぶった人が右手を挙げていた。こんな田舎の村だと大概の人が顔見知りだから、何となく誰かは想像がつく。

「やぁ。久しぶりだね」

「どうしておまえが俺のパーカーを着てるのか、舞希(まいき)

「うぅ? 顔見える?」

 サイズの合ってないパーカーの袖からかろうじて出てる指で、フードを引っ張り自分の顔を隠そうとする。そんな馬鹿な幼馴染みの頭を軽くはたき、フードをまくり上げた。後ろで結っているポニーテールが揺れた。

「でぁ」

「でぁ、じゃない。何でここにいるんだよ」

「迎えに着たんだよ。 ぱくっちが今日来るって言ってたから」

「親父が余計なこと言ったのか」

 彼女は大きくうなずくと、ずれた黒縁めがねを直した。俺がため息をついて歩き出すと、慌てたように俺の横に並び歩き始めた。

「一年ぶりだよねぇ。じゅん君、何で今まで帰ってこなかったのさ」

「ここから三百キロ離れてるってのにそうやすやすと帰ってこれるか、馬鹿め」

「顔を見るたびに馬鹿って言うのやめてよぉ」

「知るか、馬鹿め」

 隣を歩く舞希に歩調を合わせてゆっくりと坂を上っていく。途中、舞希に押しつけたボストンバッグの中身が散乱し、一度坂を下る羽目になったがそれでも何とか実家にたどり着くことができた。ああ、懐かしの我が家、などと感傷に浸るわけでもなく、さっさと玄関の引き戸を開けて中へと入る。俺の後に舞希が入りさっさと居間へと走っていった。

「ぱくっち、お茶ー」

 遠慮という言葉をどこかに置き忘れたであろう、幼馴染みの頭を叩いて荷物を置いてその横に座る。隣で頭をさすりながらこちらに不満そうな目を向ける馬鹿を無視して、部屋の中を見回す。俺が出て行ったときから一切変わっておらず、映りの悪いブラウン管テレビや、昔俺が書いたであろう家族の絵が額縁に入れて飾ってある、記憶にある部屋のままだ。

 親父が盆に湯飲みと茶請けをのせてくると、舞希と俺の前に置いて、向かいにあぐらをかいた。

「久しぶりだな。盆と正月ぐらいは顔見せに帰って来いってんだ」

「だからこうして顔見せに帰ってきてやったじゃねぇか」

「何を偉そうに。まだまだてめぇの世話もてめぇでできないひよっこのくせに」

「それは、どうもすいませんね」

 俺の茶請けを盗み食いしようとしている馬鹿の手を叩いて、お茶をすする。

「それにしてもこの時期に帰ってくるってことは、豊穣祭目当てか? まぁ今年は舞ちゃんが神楽姫だしな」

 俺は口に含んだお茶を吹き出した。むせ返る俺の背中を舞希がさする。

 神楽姫。この村では例年、五月五日の端午の節句に豊穣を祈る祭事が行われる。その際に、村の娘数人が神楽女として神楽を奏する。神楽女の中でも美しい娘が神楽姫として、参拝客の前で、幣を持ち神楽を舞うという大役を与えられる。この村では神楽姫をやること自体がステータスとして、見合いの席で重要とされている。

 また、豊穣祭にはなぜか恋愛成就のジンクスがあり、年々参拝客が増加している。おかげでそれは、村の観光事業として村の収益の一端を担っていた。

「ん? 聞いたから戻ってきたわけじゃないのか。舞ちゃん言わなかったのか?」

「言わなかったよ、聞かれなかったもん」

「普通聞かれなくても言うもんだろ。誰もおまえが神楽姫やるなんて思わないし」

「そんなことはないだろ。昔から舞ちゃんはかわいかったから、いつか絶対やると思っててた」

 俺の隣でお茶を飲む馬鹿は、幼馴染みの贔屓目を入れて見たとしても、かわいいとは思う。なにせ、彼女の母親も同様に神楽姫をやったのだ。だから、母親に外見が似ている彼女が神楽姫に選ばれるのも、まったく予想していなかったわけではない。ただ、人前で舞うとなると、このバ神楽姫がちゃんと出来るわけがないのだ。

 こいつは昔から人前で何かをするということが出来ないのだ。俺が大学に進学して離れるまでずっと、俺の後ろに隠れるように付きまとっていた。彼女が一人で何かを成し遂げたというのを、一緒にいた十八年間で一度も見たことがない。

「舞希、お前が神楽姫なんて出来るわけないだろ。他の奴に譲っちまえよ」

「やだ」

「嫌だ、じゃないだろ。お前には無理だからやめとけって言ってるんだ」

「絶対に嫌だっ!」

 舞希が突然大声を出して、勢いよく家から出て行った。残された俺は目の前の親父に顔を向けた。親父は盛大にため息をついた。

「お前は本当に馬鹿だな」

「どうゆう意味だ?」

「そうゆうところが馬鹿だって言ってるんだ。舞ちゃんの事もきちんと考えてやれってんだ」

「だから、俺はやめるように言ったんだ」

 親父は再度溜息をつき、俺の茶請けを頬張り立ち上がった。そのまま俺に背を向けて、舞希が勢いよく開けたせいで外れた引き戸に手をかけた。

「お前は相変わらず、馬鹿で駄目な奴だな。まぁ、お前がやめろって言っても、豊穣祭まで、あと一週間もないのにいまさら神楽姫を変えるなんて無理な話だけどな」

 親父の横をすり抜け、自分の部屋へと荷物を運ぶ。今のアパートに大抵のものを運んだから部屋の中はがらんどうとしている。荷物を壁際において、畳の上に寝転がる。頭を折りたたんだ座布団の上において、両腕を広げ全身の力を抜く。ゆっくりと目を閉じ暗闇に入り落ちた。

 目を閉じて最初に浮かんだのは、幼い頃の舞希だった。事あるごとに俺の元を訪れ、いつのまにか俺の後ろにいることが当たり前のようになっていた。だから俺があいつのために何でもしてやらなきゃならないと思っていた。それが幼馴染みである俺の義務だと。

 あいつが高校を受験するときだってそうだ。村から一番近い高校はそこそこ高い偏差値が必要だった。頭の弱い舞希を受からせるために、毎日勉強を見てやった。俺が舞希のためにと思ってやったことは間違いじゃなかったはずだ。

 わからない。

 そういえば舞希が俺に大声を出すなんて初めてじゃないか。……いや、いつだったか一度だけあったな。だめだ、思い出せない。とりあえず、怒ってたみたいだから、謝りに行かないといけないな。

 俺は電車に揺れに揺られて疲れのたまった体で立ち上がり、玄関へと歩いた。靴を突っかけるように足を入れ、暮れ始めた空の下を歩き始めた。舞希の家は、俺の家からもう少し坂を上った位置にある。舞希が自転車に乗れるようになった報告をしに俺のとこに来たときに、スピードがついていて止まれずに、頭から大転倒したことがある。それ以来家に来るときは徒歩になった。そんな思い出のある坂を上り、舞希の家の前へと着いた。

 一拍。呼吸を整え、舞希の家の扉を横に引く。扉の開く音を聞いて、舞希の母親が奥から顔を見せた。

「お久しぶりです、真空まそらさん」

「あ、純ちゃん、久しぶりね。あー、純ちゃんが帰ってきたから舞希の機嫌がよかったわけだ」

 舞希によく似た、自称二十八歳の真空さんが俺の近くに寄って来た。

「舞希いますか?」

「あの子は留守よ。神楽姫に選ばれたの。決まってから毎日朝早くから夜遅くまで、ろくに休憩もしないで舞の練習してるの。今もきっと神社で舞の練習してるんじゃないかしら。あの子、神楽姫をやったら、自分も私みたいになれるって、むかしから思い込んでる節があるから」

「真空さんみたいに?」

「あ、知りたいの? じゃあ特別に話してあげる。それはね……」



      ○



 真空さんの大変に長い過去話に付き合わされた結果、夜になってしまった。しかも後半は盛大なのろけだった。口は災いの元とはよく言ったものだ。今宵は新月。山道には外灯は少なく、月明かりがないと一寸先から闇である。

 暗闇の中をひたすら上り続け、山頂の神社へと続く石段へとたどり着いた。その石段を駆け上がり、鳥居の下で息を整える。舞希が練習しているであろう神楽殿へと近づくと、案の定、明かりの下で舞希がいた。いつも後ろで結わえてある髪を下ろし、めがねを外した巫女は、神楽鈴を手に舞っていた。何回も練習したであろう足運び。優雅に動く細い腕。俺はその姿から目をそらせなかった。

 一連の動きを終え、一息つこうとした舞希が俺に気がついた。一瞬呆けた顔をした後に驚愕していた。

「何でここにいるの!」

「なんか、さっき怒らせちまったみたいだから謝りに来た。悪かった、ごめんなさい」

 俺は舞希の近くにより頭を下げた。舞希が俺の肩に手を乗せて、体を起こそうとする。

「別に怒ってないよ。だから頭を上げて、ね?」

 俺が頭を上げると、舞希がほほえんだ。

「なんだよ、俺の謝り損かよ」

 俺は空を見上げ、長く息を吐いた。目の前の姫には昔っから手を焼かされた。周囲の大人からしたら俺も同じように手のかかる子供だったに違いない。けれども、幼いながらにこいつのこいつであるところに寄り添ってやらなきゃならないと思っていた。そんなことはすでに過ぎ去ったことだ。どうでもいいとは言わないが、いまさらどうにか出来ることでもあるまい。

「お前が神楽姫なんて大役をやるなんて思ってなかったけど、なかなか様になってたじゃん」

 途端に舞希の顔が赤くなる。黙りこくって俯いたかと思えば一転、首を左右にぶんぶんと振り、長いきれいな黒髪を振り乱す。端から見ている分にはずいぶんとおもしろい行動だが、間近で感じるのはただの不気味さだけに他ならない。

「おい、大丈夫か?」

「な、まっ、まだ私のなんかまだまだで、先生からもだめ出しばっかもらうし、全然上手くなんてないのに」

 俺は舞が上手いなんて一言も言ってない。ただ、全体的な雰囲気がよかったと思っただけだ。言い方は悪いが、客寄せパンダとしては最適じゃなかろうかと。真空さんから聞いた他の神楽女も知っている奴らだったが、彼女らに比べて舞希は大衆の受けがいいだろう。豊穣祭にくる若い人たちの神楽姫の評価が高ければ、来年の客足が増えて村も豊かになる。

「だから、本番までに上手くなるから、それまで私の所には来ないでね。本番で見てほしい。約束だからね」

「ああ」

 勢いで、ああとはいったものの、要は、今はまだそんなに上手くないので恥ずかしいから、本番で上手くなった自分をみてほしいと言うことだろう。一週間足らずでどうにかなるようなことだとは思わないが、頑張ればいいと思う。結局、俺にはどうしようもないことで、どうでもいいことなのだ。真空さんの話に乗るつもりもさらさらないし、俺に背を向けて、舞の練習に励む舞希に水を差すほど野暮でもない。舞希がただ踊ればいい。

 俺は舞希の舞を一度目に入れてから、石段を下っていった。



      ○



 五月五日。件の祭りが行われる日である。普段は閑散としている駅前に人があふれ、皆一様に山道を上っていく。働く村民少々に、遊ぶ多数の一般人。まるで働き蟻だ。

 かく言う俺は朝早くから村の空き地に列をなす車の運転手たちに頭を下げていた。山道を大量の車に上られても駐車する場所がないために、無駄に広い土地を持つ家々に駐車してもらうことで、本来十分な場所が確保できるはずだった。ただ、メインの駐車場として使われる空き地から、各駐車場所まで道が複雑なために、村の二人一組の少年少女たちに道案内をさせているのだが、ノルマをこなさずに遊び呆けているペアが多発しているために、どうにも上手く機能していないのである。

 俺は怒声を発する次の車へと足を向けた。ちょうどその前をちびっこい頭と二本の尻尾が駆け抜けた。俺はそれの襟首をつかみ、猫のように持ち上げた。ツインテールに髪を結った女の子が、ちびっこい両足を頑張って地面につけようとするために、スカートがひらひらと揺れる。

「はっ、はなしてよぉ。わたしはちゃんとやってるよぉ。まさくんがさぼってるんだよぉ」

 まだ何も言ってないのに、俺の弟であり、彼女の友人のまさくんをリークした女の子をひとまず地面に置き、しゃがんで目を合わせる。

「雅明には後できっちり話をすることにして、蒼空(そら)ちゃん。今から真空さん、蒼空ちゃんのおばさんの所に行って純兄が、放送してほしいことがあるって、行ってきてほしいんだけど、いいかな?」

 ちびっこい頭がぶんぶんと勢いよく縦に振られた。ウエストポーチに入れていた手帳を破り、切れ端に文字を書き、レモンの飴と一緒に蒼空ちゃんに握らせた。

「じゃあ、いってくる」

 そう言って勢いよく方向を転換して、盛大に転んだ。どうにもこの子は従姉によく似ている。幼い頃の舞希の姿を重ね合わせ、落ちたメモと飴を拾いズボンのポケットに押し込む。転んだままの蒼空ちゃんを起こしてあげる。潤んだ瞳とすりむけた膝がなかなかに痛々しい。水分補給用にともらっていたまだ口をつけていない、水の入ったペットボトルを開け、蒼空ちゃんに声をかけてから、ペットボトルを傷口に向けて傾ける。何でも入っていると子供たちに評判のカーキ色のウエストポーチから、消毒薬とキャラものの絆創膏をとりだし、蒼空ちゃんに使った。

「大丈夫か?」

 蒼空ちゃんが横に首を振る。仕事を放棄するわけにもいかず、困った俺に後ろから昔なじみのおじさんが声をかけてきた。

「ここはおれが代わってやるから。お前は蒼空ちゃんを連れてけ」

 おじさんが怒声を放つ車へと近づき、頭を下げた。俺はおじさんに感謝しながら、蒼空ちゃんをおぶった。どうにも舞専用だった俺の背中が更新された。ポケットからレモンの飴を取り出して、俺の首に回っている手に握らせた。

「ありがと」

 蒼空ちゃんが飴をのどに詰まらせないように、揺れないように細心の注意を払って、中学校へと向かう。

 道中、大量の淡い桃色の幟が嫌と言うほど目に入ってきた。なぜだか発生し、拡散した恋愛のジンクスを全面に押し出し、集客をはかるなんとも滑稽なものだ。いわゆる『恋幟』。悪ふざけが過ぎるとは思うが、これが助長している面もなきにしもあらず、無下には出来ない。五月五日、本来の鯉幟なんか一つもありゃしない。若い衆、小学校低学年の奴らは本物を知らない。この村に生まれた唯一の弊害だ。

 ようやく中学校へと到着し、そのまま職員室へと向かった。

 職員室の扉を開けると、真空さんが俺に気付き近づいてきた。俺は背中ですっかり寝息を立てている蒼空ちゃんを真空さんに渡した。真空さんが蒼空ちゃんを革張りのソファに寝かせるのを見ると、体の力がふっと抜けた。体が傾くのを近くの職員机に手をついてなんとか支える。真空さんが心配そうに俺を見つめた。

「純ちゃん、昨日寝てないんでしょ? 倒れる前に少し寝てきたら? 後は私たちがやっとくから」

「だ、大丈夫です。この忙しいのに俺のせいで人手が足りなくなるなんて事になっちゃ、申し訳ないんで。真空さん放送ってどうやるんですか?」

「倒れちゃ駄目だからね」

 真空さんに忠告を受け、放送のやり方を教わる。いすに座りマイクのスイッチを入れ、マイクのテストの定型文を繰り返し、一息置いてから連絡を始める。

「業務連絡、業務連絡。車の誘導のノルマを達成していないペアが一組でもあれば、特別報酬は付けないものとする。それに加え、ノルマを達成していないペアは報酬なしだ。いいな、特に雅明」

 マイクの電源を切って、職員室から体育館へと移動する。体育館の中に置いてある大きな段ボール二箱を運ぶ作業を終えると、予想外に時間がかかったようで、子供たち――といっても上は中学三年生、下は未就学児と年齢の幅は広い――が校庭で報酬のお菓子の詰め合わせの袋を受け取り始めていた。早速口をもごもごと動かしている子供もいる。

 校庭の真ん中で段ボールを開けると、興味津々で子供たちが目をらんらんと輝かせ、集まってきた。俺は段ボールの中から折りたたまれた黒い布を取り出した。子供達はその布を取り合い始めたが、引っ張るだけ引っ張り広げると、地面に投げ出した。

「どうせ地面に投げるなら広げておいてくれよ、ったく」

 俺は一枚一枚を地面に広げ、中身の確認をした。どうやら全部万全のようだ。後はこれを設置するだけだ。

 顔を上げちょうど目に入った、蒼空ちゃんに手を取られている雅明をこっちに来るように呼びつける。あからさまに嫌そうな顔をした雅明を、蒼空ちゃんが名前を呼ばれたよ、と親切に手を引いて連れてきてくれた。

「なんだよ、兄貴。やけに大きな荷物持ってきたと思ったら中身はこんなのかよ。まさかこれが特別報酬なんかじゃないよな?」

「うるさいな、これ、意外に高いんだぞ。バイト漬けでやっと買えたんだから」

「借り物じゃないのかよ。はははっ、こんなのに大枚をはたくなんて馬鹿じゃないの」

 お前だって見たことないだろうに。

大声を上げて嗤う雅明をどついて、手伝うように促した。嫌々ながらもしっかりと手伝うあたり素直じゃない。

 雅明の手伝いもあり、予想よりも早く掲揚することができた布、もとい鯉幟は力なく垂れ下がっている。

 どうにも今日は風が弱い。昨日はかなり風が強かったんだが、どうにも思い通りにはいかないものだと痛感させられる。などと思ったところで風が吹くわけでもあるまいし、一体どうしたものか。できれば早く吹いていただいて、舞希との約束を守りにいきたい所なんだが。こればっかりはどうにもならない。

 ただひたすら上を見ている俺と雅明と蒼空ちゃんの周りに、子供達が集まってきて同様に空を見上げた。

「何してるの?」

 中の一人が俺の服の袖を引っ張って聞いてきた。その子に目線を合わせ、風を待っていると言ったら、いっしょに待つと、地面に座り上を向いた。

 浮かび漂う雲が流れていくも一向に鯉は流れない。太陽が高く高く上がるも鯉は一向に上がらない。

 首が痛くなり、上を見るのをやめた途端、一陣の風が吹き子供達から歓声が上がった。それにつられ見上げると、鯉が空を泳いでいた。長いカラフルな吹き流しに次いで、一番大きな真鯉、一回り小さな緋鯉、順々に小さくなって青と緑の鯉。周りを見ると、子供達が口を開けたまま、泳ぐ姿を食い入るように見つめていた。時折、すげーやら、でけーやら、かっけーやらのつぶやきが聞こえてくる。

その歓声を聞いたであろう、真空さんがこちらに向かって歩いてきた。真空さんに近づこうと一歩前に足を踏み出したとき、ぐらりと体が傾いた。意識して踏ん張ろうとしても足に力が入らない。背中から地面に衝突しても何も感じない。重く重く沈み込んでくる瞼の重さに抗いきれず、視界に慌て駈けてくる真空さんをいれたまま意識を手放した。



      ○



 目を覚ましたところはどことなく懐かしい天井の部屋だった。窓から入る西日がカーテンに遮られている。中学校の保健室なんてのは怪我した舞希を連れて来た記憶しかない。

 体を起こすと、巫女姿のままの舞希がベッドに頭を乗せて気持ちよさそうに眠っていた。なんとなく髪を梳いてやると、くすぐったそうに身を揺らし目を開けた。寝惚け眼のそいつは徐々に覚醒し、頭を勢いよく上げた。その際に眼鏡がずれていた。

「大丈夫?」

 巫女服にずれた黒縁眼鏡の舞希が、なぜか俺の額に手を当てている。熱があるわけではないはずだ。冗談でも言って茶化そうかと思ったが、舞希の目が相当本気で心配している。

「大丈夫だから心配するなって。それよりも、神楽見に行けなくて悪かったな」

「確かにそれは残念だったけれど、じゅん君が無事でよかったよ。目の前で倒れたってお母さんに聞いて、すごく心配したんだよ」

 今とてつもなく溜息をつきたい気分だ。どうしてこうも真空さんの過去話にそって物事が進むのか。確かこの後は真空さんが、崖から落ちて怪我をした舞希の親父さんに病室で告白されるだったか。その話をなぞる気はさらさらないが。

「どうしたの? 真剣な顔して」

 生きてるうちに言っとかなきゃ後悔する、ねぇ。生きてるうちに言わなかったからって後悔できるとは思わない。それよりも、舞希が真空さんみたいなのにあこがれる少女趣味とはね。日頃から馬鹿だ、あほだとは思っていたが、ここまで頭の中に満開の花が咲き乱れているのなら、それに合わせてやっても悪いもんじゃないかもしれない。

「少し考え事。どうやって埋め合わせしてやろうかと」

「それなら真剣に私の話を聞いてほしい」

 いつになく真剣な瞳をした舞希に少し調子が狂う。

「いつだって真剣に聞いてるつもりだが、とりあえず言ってみろ」

 舞希は 背筋を伸ばし、自分の胸の前で両手を組み、一息ついてから俺の目を見据えた。

「好きです。子供の頃から好きです。昔から優しいところが好きです。私が馬鹿でも見捨てなかったから好きです。私が昔に本物の鯉幟をみたいと言ったことを覚えててくれたり、私との約束を忘れないところが好きです。私が……」

「おまえさ、さっきから好きです、好きですってうるさいよ。だからなんなの? 付き合いたいならそう言えばいい」

 舞希は面を食らったように呆け、逡巡した後に口を開いた。

「私をじゅん君のお嫁さんにしてください」

「嫌だ。断る。拒否する。今、お前からそんなこと言われたくない」

 舞希の目から、一筋の涙がこぼれた。

「なんで、なんで、駄目なの? 私が昔から好きだって事気付いてるくせに、わざと無視して、それなのに冷たくしないで、いつも通りやさしく接してきて、ひどいよ。……いっそ嫌いだって突き放してくれた方が苦しまないでよかったのに!」

 舞希が俺の胸ぐらを掴み押し倒さんとばかりに勢いよくまくし立てる。

「おまえさ、自分の言ったこと覚えてないわけ? はぁ、お前が結婚するなら、お金持ちがいいって言ったから、こっちは必死こいて勉強して医学部に入ったってのに。それなのになんだお前は、自分の言ったことを忘れて、自分だけ悩んで苦しんだってか。ヒロイン気取りもいい加減にしろよ。お前の頭の中がお花畑だろうと知ったことじゃない。それが俺の好きな人だってんだ。少女趣味結構だし、不器用で炊事洗濯掃除も駄目だってかまわない。ただこっちのことも少しは考えてくれよ。俺だって何でも出来るわけじゃないんだ」

 俺は舞希から逃れると靴も履かずに走り出した。行く当てなんてあるはずもない。どこに行っても顔見知り、居場所だってすぐばれる。こうなったら走り続けるしかない。

 はぁ、これでまた恋愛のジンクスが本物だって証明になってしまうんだろうか。そんなとってつけたような物に興味はないけど、癪に障る。俺はこの村が好きで大嫌いだ。

 結局夢見がちで、自分勝手なこの村は肌に合わない。恋幟、ばかばかしいにもほどがある。

 俺は目の前にあったピンクの幟をへし折った。

 両思いなんて事は最初から知ってるし、それでも俺は舞希と一緒にいるにはまだ早いって思ってたのに、全部全部俺の一人芝居って訳だ。あいつからしたら俺が医者になろうが鯉幟を持ってこようが、結果だけしかみないでその内にある苦労には目を向けない。

 最初から間違いだらけだって訳だ。こんなことなら、さっさと押し倒してしまえばよかった。

「ホント馬鹿だよなぁ」

 足を止めると流れ出した涙が止まらなかった。

「そんなことないよ」

 声のした方を振り返ると、膝に手をついて肩で息をしている汗だくの舞希がいた。

「なんで、おまえ」

「私の方が足が速いことを忘れたのかぁ、はぁはぁ」

 そう言って、近づいた舞希は俺の頬を思いっきり引っ張った。私の方こそごめんね、そう言って舞希は俺に顔を近づけて、唇を合わせた。テンぱった俺は舞希に主導権を握られ、口腔内への舌の進入を許してしまったが、とりあえず口を離し、頭をたたいておいた。



      ○



 とまあ、これが村で語り継がれる、最も有名な恋語の一部始終であるが、どうにもこんな創作みたいな展開は嘘くさい。どうせなら神話調の方が信憑性も出ただろうにと、制作者に文句を言いたい。

 今年も例年通りたくさんの人が訪れる豊穣祭であるが、目玉はなんと言っても、神楽姫による舞とこいのぼり、村中にあるピンク色の幟ではなく、全長十メートルはあろうかという巨大な真鯉を筆頭とする中学校の掲揚台で掲揚される鯉幟である。

 この巨大な鯉幟は先の話の鯉幟だという。そんな馬鹿な話があるかといいたいが、せっかくの祭りだ、無粋なことはやめておこう。

「お兄ちゃん、パパが呼んでるよ」

 さてとそろそろ、俺も馬鹿で脳内お花畑の不器用な、転んでいる妹と車を案内しないといけない。この話はここまでということでしめさせていただくことにしよう。


 お兄ちゃん、膝から血が出たー。いたいー。

 今絆創膏貼ってやるから、お前はこの飴でも食ってろ。ったく、少しは気をつけろよ。お前は昔っから………………

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― 新着の感想 ―
[良い点]  幼馴染みって素敵な設定ですよね! [一言]  恋幟と鯉幟、ごちそうさまでした。  こんな恋愛作品が大好きです!
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