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第4話

バリアが解かれる。


透明な壁が音もなく消えた瞬間、アルスの体がわずかに前へ傾く。


立て直そうとする。だが、足に力が入らない。


まるで身体の内側を支えていた芯を、一本すっと抜かれたようだった。


数歩、危なっかしく歩く。


普段なら音もなく優雅に歩く男が、今日はやけに静かだ。

いや、いつも静かだが、今日は“余裕のない静かさ”だった。


ソファに辿り着く。

座るというより、落ちる。


背もたれに体を預けた瞬間、肩から完全に力が抜けた。


魔力は、空。


神経が焼き切れたあとのような、奇妙な脱力感が全身を包む。


「……疲れた」


かすれた声が出る。


エルナはため息をつく。


「当たり前よ。五回なんて」


アルスは目を閉じる。


思考は正常。

記憶も戻っている。


だが、身体がついてこない。


脳だけが全力疾走し続け、急に“主電源を落とされた”ような感覚。


《ラグナ・メンティス》は相手の思考を削り、その体を崩壊させる。

そして術者にも、多大な影響を及ぼす。


エルナが水を差し出す。


アルスは受け取ろうとするが、指先がわずかに震えた。


「……握力まで落ちるとは」


なんとか一口飲む。


喉を通る水がやけに重い。


天井を見上げると、少し焦げた跡が目に入る。


「……家を壊しかけたな」


「ちょっと焦がしただけ」


「修繕費は私が出す」

そこだけ即答。


「当たり前でしょ」


もう、肘を持ち上げる気力すらない。

黒衣のまま、ソファに沈み込む。


夕方の光が窓から差し込む。


その中で、彼の横顔は妙に穏やかだった。


戦場で恐れられる“静寂の天才”は、今はただの限界青年だった。


「……エルナ」


「なに」


少し間を置いて。


「ハンバーグへの愛を語っていたほうが、まだ軽症だったな」


エルナは吹き出した。


「基準そこ?」


「尊厳だけで済んでいた」


「今回は尊厳も家も危なかったわね」


かすかに笑う気配がする。


それだけで十分だった。

彼は完全に戻っている。


ただし、魔力は別問題。


アルスは目を閉じる。


呼吸が深くなる。


「……三日は必要だな」


「最初からそうしなさい」


「……次は二回までにする」


「三回目が出たら?」


少し考えて。


「……先に有給を申請する」


「順番が違う」


だが、声はどこか柔らかい。


エルナは毛布をぽん、と投げる。


見事に顔にかかる。


アルスはそれをどける気力もなく、半分かぶったまま呟く。


「……重い」


それからしばらく彼はほとんど動かない。


魔力は回復するだろう。

思考も戻っている。


だが今は、完全に“空”。


静寂の天才は、ただ静かに沈んでいる。


エルナは編み物を再開する。


「三日目に動けなかったら、四日に延長ね」

静かな宣告。


アルスは目を覚ましたら、きっとそれを受け入れるしかない。



そして数時間後。


「有給の延長理由は?」


申請書の空欄を前に、アルスは固まる。


――暴走により魔力枯渇。

――副作用想定外につき経過観察。

――丸の頂点到達による精神安定期間。


「……書けるか」

ペン先が止まる。


戦場で世界を止めた男は、

たった一行の空欄を前に、沈黙していた。

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