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第2話

朝食のあと。


アルス・ヴァン・ドレッドは、完璧だった。

黒衣は整えられ、銀髪は一糸乱れず、表情は氷のように静か。


ギルド本部の広間、報告を求める視線が集まる。


「北方丘陵戦、敵殲滅完了。被害軽微。問題なし」


低く、簡潔に。


「禁術は使用したのか?」

幹部が問いかける。


「……やむを得ず一度のみ」

空気がざわつく。


「あれを使ったのに平然としているだと⋯⋯?」


《ラグナ・メンティス》。

対象の思考演算を強制停止させる禁術。

そして――術者もまた侵される。


だがアルスの表情は微動だにしない。


「副作用は管理下にあります。今後は極力使用を避けます」


内心では固く誓っていた。

(二度と姉上の前であの姿は見せない)


そのとき。

扉が乱暴に開いた。


「緊急報告! 第七鉱区に多層思考型の魔獣出現!」


ざわめき。


「通常術式無効! 演算速度が異常です!」


幹部の視線が、ゆっくりとアルスへ向く。

嫌な予感しかしない。


「……アルス。お前にしかできない」


静かな断定。


(やはりか)


多層思考型。

術式を瞬時に再構築し続ける相手。

通常魔法では追いつかない。 ――どう考えても。


(ラグナ・メンティスが最適解だ)


アルスは、静かに口を開いた。

「了解しました」

そして付け加える。


「なお、明日は有給を取得します」

「……は?」


「私用です」


空気が止まる。


「問題が?」

「……いや、ない。お前が有給を取ることなど滅多にないから、少し驚いただけだ」


「では、本日中に終わらせます」


黒衣が翻った。



第七鉱区。


岩盤を裂き、地脈を歪ませながら、巨大な影が這い出る。

魔力探知網が警告を連続で鳴らす。数値は常に更新され、安定しない。


――多層思考型。


一つの核ではない。

思考層が幾重にも重なり、破壊すれば即座に再構築される。

術式を読んだ瞬間には、もう次の演算が走っている。


「通常術式、貫通せず!」


雷撃が逸れ、氷刃が弾かれ、結界が逆流する。

味方の魔術師たちの顔から血の気が引いた。


アルスは静かに観察する。


(演算速度、予測値の一・三倍。術式再構築、〇・八秒)


人間の処理速度では追いつかない。


(悔しいが、やはり停止させるしかない)


詠唱する。


「《ラグナ・メンティス》」


魔獣の瞳から光が抜け落ちる。

思考層が、一枚ずつ剥がれるように崩壊した。


動きが止まる。

そして崩壊。


「終わ――」


地面が爆ぜた。


二体目。

先ほどの崩壊を学習している。

思考層の配置が変わっている。


(対応している……?)


一瞬の判断。


「《ラグナ・メンティス》」


二度目。


視界の端がわずかに揺れる。

音が遠い。


だが魔獣は崩れ落ちた。


(まだ保てる)


三体目。

横の岩壁を破壊しながら出現。


味方が後退する。


「数が多すぎる!」


アルスは振り返らない。


「下がっていろ」


三度目。


詠唱の瞬間、脳裏に微かな白濁。

思考の縁が、丸く削られる感覚。


(……輪郭が甘い)


だが粉砕。


四体目。


地中から這い出る巨躯。

魔力波形が秒単位で変質している。


アルスは淡々と呟いた。


「……明日は有給だ」


無表情で、四度目の詠唱。


世界が、ほんの少しだけ柔らかくなる。


岩肌の亀裂が、なだらかに見えた。

鋭い牙の輪郭が、どこか角の取れた玩具のように感じられる。


(……丸い?)


危険だ。

頬を叩き意識を締め直す。


粉砕。静寂。


――終わった。やっと。


そう判断した瞬間。


背後で空間が裂ける。

最後の一体。


他より明らかに巨大。

思考層が螺旋状に重なり、核が幾つも鼓動している。


味方の魔術師が絶望の声を漏らす。


「無理だ……あれは……」


アルスは、無表情のまま言う。


「問題ない」


五度目。


(これで最後だ)


「《ラグナ・メンティス》」

発動。


世界が水の底に沈んだように歪む。


魔獣の思考層が、一枚、また一枚と崩落していく。


それと同時にアルスの内側も、静かに軋んだ。


思考が滑る。

言葉が、ほどけていく。


(……これは……昨日より……)


視界の端で、夕日に照らされた敵の残骸がまるく光る。


いや。


残骸だけではない。

岩も、瓦礫も、味方の兵士の剣も。


すべてが、まるく光っている。

やわらかく、あたたかい。


(まずい)


理性を掴み直す。


(思考を固定しろ。帰還を優先しろ)


「……後は、任せた」


自分の声が、どこか優しい。


転送陣を展開。


魔法陣の線が、わずかに曲線を描く。


(丸いな……)


いや、違う。


違う。


意識がふわりと浮く。


光が弾け、

アルスの姿が消える。


王都の空に、ほんの一瞬。

丸い魔力の余波が広がった。


彼はまだ知らない。

今日の副作用が、昨日の比ではないことを。

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