『幕間。影に咲く少女』
朝、誰もいない小屋で少女は目を覚ました。
王都の孤児院の庭の隅に建つ、古く小さな小屋。
物置のような簡素さだが、寝台と水差し、それに古い机だけは置かれている。
ここが、少女の世界のすべてだった。
「……ん」
淡銀色――光の色をそのまま薄めたような髪が、肩からさらりと流れ落ちる。
寝癖のついたその髪をかきあげて、静かな青灰の瞳がわずかに瞬いた。
朝の光を受けたその目は、どこか“湖底で揺れる光”のように淡く揺れる。
誰もいない空間で、彼女はひっそりと支度を始めた。
髪を梳き、同じ形の服に袖を通す。
窓を開けると、澄んだ空気が流れ込んできた。
青い空と、淡い雲。
少女はまぶしそうに目を細め、静かに、深く息を吐く。
孤児院の本棟からは、朝の喧噪が遠く響いてくる。
笑い声、走る足音、何か取り合う声、泣き声――
しかし少女の周囲は、いつも静けさに満ちていた。
孤児院の子どもたちは、なぜか彼女のそばに寄ってこない。
嫌っているわけでもなく、怖がっている様子もない。
ただ、説明のつかない距離感が自然と生まれ、
子どもたちの足を、少女の方へ向かわせない。
少女自身は、それを責める気持ちも不満も抱いていなかった。
むしろ――静かな方がいい、とすら思っている。
靴を履き、小屋を出る。
朝の光が、淡銀色の髪に落ち、淡く光を返した。
「……今日も、同じ」
呟いた声は、風に溶けるほど小さい。
嘆きではない。ただ、自分の一日の輪郭を確かめるような声。
掃除道具の置かれた棚へ向かい、庭の隅から掃き始める。
ここは子どもたちがよく遊ぶ中庭から少し離れていて、
人の気配はあるのに、誰も近づいてこない。
少女が好む場所だった。
風が吹けば、淡銀色の髪がふわりと持ち上がり、また静かに落ちる。
そのたび、青灰の瞳が一瞬だけ空を映す。
静謐という言葉をそのまま形にしたような、小さな影の少女。
掃除を終えると、お気に入りの木の根元に腰を掛けて少女は古びた本を開いた。
文字を教わったのは孤児院の大人たちからだが、
教えられる端からすぐに覚えてしまう。
本のページをめくる音だけが、彼女の世界の中心にあった。
ふと、遠くで誰かの呼ぶ声がする。
同じ孤児院の子どもたちだろう。
だが、それは少女に向けられたものではない。
この数年、彼女に声をかける子はいない。
少女は顔を上げ、空を見た。
青灰の瞳が、淡い光を静かに湛える。
「……静かで、いい」
誰に届くでもなく、ただ自分の中だけに落ちる声。
その眼差しは、不思議なほど揺らぎがなかった。
孤独でもなく、満ち足りてもいない。
ただ静かに続いていく日々を、当たり前のように受け入れている。
――影に咲く、小さな花のように。
少女はまだ知らない。
数年後、この静寂の世界が大きく変わることを。
そして自分自身が“誰かの光”と出会う日が来ることを。
今はただ、淡銀の髪を風に揺らしながら、
何気ない一日の始まりを迎えていた。
――ノワ。
のちに、ルミエと出会う少女は、
その時まだ、世界の片隅で静かに息をしていた。




