『招待状の重さ』
夜の寮は、昼間の学園とは違う静けさを持っていた。
リュシアンの自室にも、遅い時間らしい落ち着きがある。机の上には講義で使う資料と、王家から回されてきた書付が分けて置かれていた。学生として読むべきものと、第二王子として目を通すべきもの。その二つは、同じ机の上に並んでいても、決して同じ重さではない。
彼にとって、それは珍しいことではなかった。
リュシアンは王立ヴァルテール学園に籍を置く生徒である。同時に、王家の一員でもある。時には講義を休み、王族としての用に出ることもある。招待状も、報告も、相談も、彼のもとには当然のように届いた。
扉が控えめに叩かれた。
「入れ」
補佐役が銀の盆を手にして入ってきた。
「失礼いたします。殿下宛ての封書が数通届いております」
盆の上には、すでに仕分けられた封書が置かれていた。外封は改められている。
差出人、封蝋、急ぎの有無、儀礼上の扱い。それらは事前に確認されていたが、内側の封は手つかずのままだった。
王族である以上、届くものすべてを本人が直接受け取るわけではない。
だが、正式にリュシアン個人へ宛てられた書状なら、封を切るのは彼自身の役目だった。
「急ぎはあるか」
「明朝までにご判断を要するものはございません。ただ、クラリス家より、先日の夜会に続くご案内と思われる封書がございます」
「……クラリス家か」
リュシアンの視線が、盆の上の一通へ向いた。
品よく整えられた封筒に、クラリス家の印が押されている。見覚えのある封蝋だった。先日の夜会の前にも、同じ家から書状が届いた。あの時も、表向きは出席の伺いだった。だが、その実、王族として顔を出す意味は十分にある場だった。
今回も、似たようなものだろう。
リュシアンはそう考えながら封を切った。
中の文面は、想像通り丁寧だった。
先日の夜会への礼。
若い者たちの交流をさらに深めるため、舞踏を交えた小規模な会を検討していること。
王立ヴァルテール学園に関わる者たちを中心とし、礼法と親睦を兼ねた場にしたいこと。
リュシアンが都合の許す範囲で臨席すれば、主催家として光栄であること。
書かれていることは、どれも自然だった。
教育の家であるクラリス家は、王立ヴァルテール学園の運営にも一部関わっている。若い貴族たちの礼法と交流の場を用意すること自体に、不自然はない。前回の夜会にもリュシアンは出ている。そこから続く催しなら、彼に声がかかることも当然だった。
リュシアンは、さらに同封された出席予定者の候補へ目を移した。
数名の上級生。
先日の夜会に参加していた家の子女。
学園と関わりの深い貴族家。
イザベル・ド・ヴェルディエ。
そして。
ルミエ・ヴァロワ。
その名を見た瞬間、指が止まった。
ほんのわずかな間だった。
だが、リュシアンにとっては珍しい間だった。
普段であれば、王族として求められることは淡々と判断できる。出るべき場には出る。控えるべき場では控える。誰と話し、誰と距離を取り、どの程度の時間を使うべきか。面倒に感じることはあっても、迷うことは少ない。
けれど、その名を見た時だけ、文面の続きが一度、頭に入らなくなった。
ルミエ嬢。
図書室で、本を読んでいる少女。
軽やかで、真面目で、少し変わっていて、王子である自分に王子らしい答えを求めていないように見える少女。
彼女が、舞踏会に出る。
そう思っただけだった。
それだけのはずだった。
「殿下」
補佐役の声に、リュシアンは視線を上げた。
「どのような内容でございましたか?」
「……いや、先日の夜会に引き続き、舞踏を交えた会にも出席してほしいというものだ」
「さようでございますか。クラリス家が開催するものである以上、問題はないでしょうな。もちろん、陛下への確認は必要でございますが」
「そうだな」
返事は自然に出た。
実際、その通りだった。
クラリス家が主催する、学園に関わる若い者たちの小規模な舞踏会。王家として顔を出す理由はある。前回の夜会にも参加している以上、今回だけ避ければ、余計な意味を持たせかねない。
出席する。
それでいいはずだった。
いつもの彼なら、そう答えていた。
だが、リュシアンはすぐには言わなかった。
補佐役は、必要以上に促さない。返事を待つだけの静けさで控えている。
「返事は、父上の確認を待ってからにする。出席する場合に差し支えがないか、先に確認を取っておいてくれ」
リュシアンは、ようやくそう言った。
「承知いたしました」
補佐役は一礼した。
「では、陛下への確認後、殿下の正式なご意向を伺った上で進めましょう」
「ああ」
補佐役が下がると、部屋は再び静かになった。
リュシアンは、手元の招待状へ目を落とす。
出席を保留にした理由は、いくらでもあった。
王である父への確認が必要だから。
予定の調整が必要だから。
舞踏会の趣旨を見極める必要があるから。
クラリス家の意図と、ヴァロワ家の扱いを考える必要があるから。
どれも正しい。
だが、その正しい理由の隙間に、別の考えが紛れていた。
ルミエ嬢は、誰と踊るのだろう。
そう思った。
思ってしまった。
そして、すぐにその考えへ別の言葉をかぶせる。
ヴァロワ家の娘が誰と踊るかは、場全体の意味に関わる。王族として、無関心でいてよいことではない。クラリス家がどう扱うつもりなのか、把握しておく必要がある。
それは間違っていない。
間違っていないから、考え直さずに済んだ。
けれど、もう一つの問いは消えなかった。
自分は、彼女と踊るのだろうか。
リュシアンは招待状を閉じた。
閉じても、紙の上にあった名はすぐには消えなかった。
ルミエ・ヴァロワ。
出席予定者の候補として控えめに記されていた名。
それをもう一度確かめようとして、リュシアンは手を止めた。
わざわざ見返す必要はない。
すでに読んだ。
そう考えて、彼は招待状を机の上へ置いた。
翌日の放課後、リュシアンの足は自然に図書室へ向いていた。
講義は終わっている。王族としての用も、その日は早く済んだ。読みたい本があった。返すべき本もあった。だから図書室へ行くことに、不自然な点は何もない。
そう考えることに、もう慣れてしまっていた。
廊下を進み、静かな扉の前に立つ。
図書室の中には、いつも通り落ち着いた空気が満ちていた。
高い棚、紙の匂い、低く抑えられた声。窓から入る午後の光が、机の上に長く伸びている。
リュシアンは、まず棚へ向かおうとした。
その前に、視線が閲覧席の方へ動いた。
そこに、彼女がいた。
ルミエは、よく使っている窓に近い席で本を読んでいた。
黒い髪が肩から静かに落ち、指先がゆっくりとページをめくる。何か難しい内容なのか、少しだけ真面目な顔をしている。けれど、眉間に強い皺が寄るほどではない。
ただ、静かに、涼し気に、本に向き合っている。
図書室の静けさの中に、自然に収まっている。
リュシアンは、その姿を見て、なぜか少し落ち着いた。
探していたわけではない。
そう思う。
けれど、そこに彼女がいたことに、確かに安堵していた。
「ルミエ嬢」
声をかけると、ルミエは顔を上げた。
一瞬だけ目を瞬かせ、それから穏やかに微笑む。
「リュシアン様」
彼女は本に栞を挟み、姿勢を正した。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう。読書の邪魔をしてしまいましたか?」
「いいえ。ちょうど、分からないところをもう一度読み返していたところです」
「それは、邪魔をしたのでは?」
リュシアンが少し笑って言うと、ルミエは真面目に考える顔をしてからそっと微笑み返す。
「分からないところは、読み返しても分からないままのことがありますから」
「なるほど。では、私の声かけは邪魔ではなかったと」
「はい。少し休む理由になりました」
そう答える声は、軽やかだった。
王子に対する礼はある。けれど、過剰に身構えない。失礼にはならず、しかし重くもしない。
そのいつもの距離が、不思議に図書室に馴染んでいる。
リュシアンは近くの席に腰を下ろした。
「今日は何を読んでいるのですか?」
「各国の鉱山管理についての本です」
「それはまた、随分と実務的ですね」
「ええ、こういった本は読んでいると、眠くなります」
あまりに正直な答えだった。
リュシアンは今度こそ小さく笑った。
「それでも読むのですか?」
「はい。眠くなる本ほど、起きている時に読まないといけませんから」
「確かに、寝る前には向きませんね」
「とても向きません。相談室で一人で読むのも同じです。うっかり寝てしまったら大変ですから」
くすっと笑いながらルミエは頷いた。
軽やかで、少し変わっている。
けれど、ふざけているわけではない。冗談めかしているようでいて、彼女は本気でそう言っているように見える。重い話も、難しい話も、どこか少し違う角度から受け止めて、自分の手に持てる大きさにしてしまう。
リュシアンは、机の上に置かれた本へ視線を落とした。
鉱山管理。
ヴァロワ家の娘らしいと言えば、そうなのかもしれない。だが、ルミエが読んでいると、家のための勉強というより、目の前に置かれた本をとりあえず読んでいるだけのようにも見えた。
「リュシアン様は、今日はどのような本を?」
ルミエが尋ねた。
「舞踏に関する本を返しに来ました」
そう答えてから、リュシアンは自分の言葉に少しだけ遅れて気づいた。
舞踏。
その言葉を出すつもりだっただろうか。
分からない。
だが、もう出ていた。
ルミエは、少しだけ目を丸くした。
「リュシアン様も、舞踏の本をお読みになるのですか?」
「必要になることがありますから」
「王族の方は、大変ですね」
その言い方には、同情が含まれているようで、しかし大げさではなかった。
王子だから当然だと片づけるわけでもない。かといって、特別な苦労として持ち上げるわけでもない。ただ、必要なことが多いのだろうと、自然に受け取っている。
リュシアンは、少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。
「ルミエ嬢も、最近は練習をされているのでしょう?」
「はい。まだ、考えることが多いです」
「足元だけではなく?」
「はい。最近は、足元だけ見ていてはいけないと教わりました」
「それは大切ですね」
「ですが、足元を見ないと足元が不安になります」
「それも分かります」
リュシアンがそう返すと、ルミエは少しだけ安心したように微笑んだ。
その表情を見た瞬間、昨夜の招待状が頭に浮かんだ。
クラリス家。
舞踏会。
出席予定者。
ルミエ・ヴァロワ。
まだ、正式に返事をしていない。
話すべきではない、と考えるのが普通だった。少なくとも、王族としては軽率ではない。正式な返答前の招待について、出席者本人と不用意に話す必要はない。
だが、口は別の言葉を選んでいた。
「私にもクラリス家から、招待状が届きました」
ルミエは瞬きをした。
「舞踏会のことでしょうか」
「ええ。先日の夜会を受けて、今度は舞踏を交えた会を検討している、と」
「そうですか」
ルミエは視線を本の上へ一度落とした。
その仕草は、驚きというより、やはり来たかと受け止めているように見えた。彼女にも、すでに何かしら話が届いているのだろう。
「私は、まだ返事をしていません」
言ってから、リュシアンはまた自分の言葉に気づいた。
そこまで言う必要はない。それをルミエに言ったところで何になるのか。
けれど、なぜか話していた。
ルミエは、少しだけ首を傾げた。
「迷っていらっしゃるのですか?」
「迷う、というほどではありません」
そう答えながら、リュシアンは自分の中にあるものの形を測ろうとした。
迷っていない。
王族として出る理由はある。
クラリス家が主催する。学園に関わる若い者たちの場である。先日の夜会にも参加した。王家の顔があることで、場に一定の線が引かれる。
出席すべきだ。
そう言える理由は揃っている。
そして出すべき答えも決まっている。
「ただ」
リュシアンは、少しだけ言葉を切った。
「舞踏会は、夜会よりも意味がつきやすいでしょう。誰と踊るか。どの順で踊るか。どの程度の時間を過ごすか。そうしたことを、周囲は見る」
「そうですね」
ルミエは静かに頷いた。
「私も、父からそのように聞きました」
「負担ではありませんか?」
それは、王族としての確認だった。
そう思った。
けれど、問いの声は思っていたより柔らかかった。
ルミエはしばらく考えた。
その沈黙は長すぎず、短すぎなかった。何も考えずに答えるのではなく、相手の問いをきちんと受け取ったように見える間だった。
「負担ではあります」
リュシアンは、少しだけ目を見開いた。
彼女なら、負担ではないと静かに答えるのではないかと思っていた。
ルミエは続ける。
「けれど、父が条件を出してくださいました。アニエスもいてくれます。エレーヌ様も、きっと多くのことを考えてくださっているのだと思います」
「それなら、出席できると?」
「はい。無理をしない範囲で」
その答えは、前向きすぎなかった。
だからこそ、不思議と信じられるように聞こえた。
「それに」
ルミエは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「リュシアン様がいらっしゃるなら、場は少し落ち着くのではないでしょうか」
ルミエ自身は、場全体の重さを正確に測っているわけではなかった。
ただ、リュシアンが必要としている形の言葉は、自然にそこへ置かれた。
リュシアンは、言葉を失った。
それは、何か大げさな賛辞ではなかった。
王族として当然そうすべきだと押しつける響きもない。ただ、彼がそこにいることには意味があり、その意味が誰かを少し落ち着かせるのではないかと、自然に言っただけのようだった。
けれど、その言葉はリュシアンの中に静かに届いた。
出席すべき理由は、最初からあった。
王族として。
学園に関わる者として。
先日の夜会に続く場に顔を出す者として。
そのどれも正しい。
だが今、もう一つ別の理由が、そっとそこへ重なった。
ルミエ嬢が、そう言った。
ただ、それだけのことだった。
「……買いかぶりではありませんか?」
リュシアンがそう言うと、ルミエは真面目な顔で首を横に振った。
「私は、そうは思いません」
「なぜです?」
「リュシアン様は、場にいらしても、無理に何かを動かそうとはなさらないように見えます。けれど、いらっしゃるだけで、皆様が少し姿勢を正すでしょう。それは、きっと必要なことだと思います」
リュシアンは、黙ってルミエを見た。
王子らしくあれ、と言われたわけではない。
王族として責任を果たせ、と求められたわけでもない。
ただ、自分がそこにいることで生じるものを、彼女は静かに言葉にした。
それが、奇妙なくらい重くなかった。
図書室だからだろうか。
それとも、彼女だからだろうか。
リュシアンには分からなかった。
「ルミエ嬢は、不思議なことを言いますね」
「よく言われます」
「否定はしないのですか?」
「否定すると、かえって不思議に見えることがありますから」
「それはまた、不思議な理由ですね」
「では、やはり否定しない方がよさそうです」
リュシアンは、小さく笑った。
その笑いは、図書室の静けさを壊さない程度のものだった。
ルミエも微笑んでいる。
ただそれだけの会話だった。
舞踏会の答えを決めるには、あまりに軽い会話だったかもしれない。だが、リュシアンの中では、何かが不思議なほど自然に収まっていた。
背中を押された。
そんなふうに感じた。
けれど、ルミエは何かを求めたわけではない。出席してほしいとも、踊ってほしいとも言っていない。ただ、彼がその場にいることには意味があるのではないかと、穏やかに言っただけだった。
その穏やかさが、かえって逃げ道をふさがなかった。
だから進める。
そう思えた。
「分かりました」
リュシアンは言った。
「出席の返事をしようと思います」
ルミエは、静かに頷いた。
「きっと、皆様も安心されると思います」
「ルミエ嬢も?」
口にしてから、少しだけ踏み込みすぎたかもしれないと思った。
だが、ルミエは困った様子を見せなかった。
むしろ、ほんの少し考えてから答える。
「はい。私も、安心すると思います」
リュシアンは、また一瞬だけ言葉を失った。
それは、礼儀としての答えかもしれない。
場を立てるための言葉かもしれない。
王族に向けた、過不足のない返しなのかもしれない。
けれど、そのどれでもよかった。
少なくとも、その時のリュシアンには、そう聞こえなかった。
「それなら、出る理由が一つ増えました」
「理由は、多い方がよいのですか?」
「迷った時には、役に立つことがあります」
「では、よかったです」
ルミエは、そう言って微笑んだ。
その微笑みは、あまりに自然だった。
リュシアンは、自分が何を期待していたのか分からないまま、その表情をしばらく見ていた。
やがて、図書室の奥で誰かが本を閉じる音がした。
リュシアンは、そこでようやく視線を外す。
「長く邪魔をしましたね」
「いいえ。眠くなる本でしたから」
「では、私は良い休憩になったということですね」
「はい。とても」
そう堂々と言われてしまうと、また笑いそうになる。
リュシアンは席を立った。
「では、また」
「はい。また、図書室で」
その言葉に、なぜか足が一瞬だけ止まりかけた。
また、図書室で。
それはただの挨拶だった。
ここで何度か顔を合わせているのだから、何もおかしくない。次もまた会うことがあるかもしれない。それだけの言葉だ。
けれど、リュシアンはその言葉を、思っていたより長く胸の内に置いていた。
部屋へ戻る頃には、廊下の灯りがいくつか入っていた。
補佐役は、約束通り返事を待っていた。机の上には、クラリス家への返信に使うための便箋が用意されている。まだ何も書かれていない白い紙が、静かに彼の判断を待っていた。
「殿下」
補佐役が一礼する。
「クラリス家へのご返答はいかがいたしましょう」
リュシアンは、少しだけ間を置いた。
だが、今度は迷いではなかった。
「出席する方向で進める」
「承知いたしました」
補佐役はすぐに頷いた。
「陛下への確認は済んでおります。殿下のご意向が出席であれば、差し支えないとのことです」
「そうか」
それだけで、王族としての手続きは動き始める。
補佐役が下書きの準備に移る横で、リュシアンは机の上に置いた招待状へ視線を落とした。
文面は、昨夜と変わらない。
クラリス家の丁寧な言葉。
舞踏を交えた小規模な会。
学園に関わる若い者たちの交流。
そして、出席予定者の中に控えめに記された名。
ルミエ・ヴァロワ。
リュシアンは、その名を見た。
今度は、見返す必要がないとは思わなかった。
ただ、確認しただけだ。
そう考える。
出席を決めたのは、王族として自然な判断だった。
クラリス家が主催し、学園に関わり、先日の夜会にも続く場である以上、顔を出す理由は十分にある。ルミエ嬢がそこにいるからではない。彼女と話したからでもない。
そうであるはずだった。
けれど、図書室で彼女が言った言葉が、まだ耳の奥に残っていた。
『リュシアン様がいらっしゃるなら、場は少し落ち着くのではないでしょうか』
その声は、命じてはいなかった。
願ってもいなかった。
ただ、彼がそこに立つ理由を、静かに一つ増やしただけだった。
リュシアンは招待状を閉じた。
窓の外には、夜の学園が広がっている。
図書室の明かりは、もう消えている頃だろう。
そう思った時、彼は無意識にその方角へ目を向けた。
すぐに視線を戻す。
深い意味はない。
ただ、そこに図書室があると知っていただけだ。
補佐役が、返信の下書きを差し出す。
リュシアンはそれに目を通し、問題がないことを確認した。
「これでいい」
「では、そのように」
返事は、出される。
舞踏会への出席は、決まった。
それが何を変えるのか、リュシアンにはまだ分からない。
ただ、図書室で交わした短い会話の後では、その判断が驚くほど自然なものに思えた。
理由は、いくつもある。
王族として。
学園に関わる者として。
先日の夜会に続く場へ臨む者として。
そのどれもが正しい。
だから彼は、その正しい理由の中に、一つだけ別のものが混ざっていることに、まだ気づかずにいられた。




