『レオン誕生と、姉としての歩み』
ルミエが新米の姉になってから、瞬く間に一年が過ぎ、
ルミエは六歳になり、レオンは一歳になった。
母セシルが去った空白は、ルミエの想像以上に重かった。
散々苦しめられてきた自動反応も、この時ばかりは役に立った。
何も考えずとも、周囲の雰囲気を明るくできてしまうのだから。
「私は大丈夫。だから、ね? あなたの笑顔を見たいわ」
影で静かに泣いていた乳母を励まし、案の定、号泣させてしまった。
さすがに自分でも「やりすぎた」と思ったが、もう慣れっこだ。
それでも、ルミエの“誰もが焦がれる”という力は遺憾なく発揮され、
屋敷の中には徐々に明るさが戻っていった。
一方、父フランソワは悲しみを胸にしまい込み、
その反動か、ルミエとレオンへの愛情を一層深く注ぐことで
どうにか均衡を保っているように見えた。
しかし、セシルがいなくなった今、彼の仕事は増え続けている。
公私ともに彼を支えていた妻を失った影響は、商会にも広く及んでいたから。
そのため自然と、ルミエはセシルに代わる『もう一つの顔』として扱われ始めていた。
もちろん、本人の了承などない。
正確には、一応「了承を取る場面」はあったのだが。
「ルミエ。まだ幼い君にこんな負担をかけたくはない。しかし、家のため……なんとか力を貸してもらえないか?」
「もちろんです、お父さま。私がこの家の、そして皆の力になれるのなら、これほど嬉しいことはありません」
胸に手を当て、優しく微笑む完璧な娘の姿に、父は涙をこらえた。
しかしルミエの本心は言うまでもない。
(……断りにくい……というか、口が勝手に……)
現実はいつだって残酷だった。
※※※
そんなルミエの一日は、弟レオンの突撃から始まった。
「ねえ、さま……!」
舌足らずな呼び方で両腕を広げ、全力で突進してくる。
乳母が追うが当然追いつかず、柔らかい体がルミエに飛びついた。
「おはよう……私の可愛いレオン」
少し屈んでからレオン抱き上げた瞬間、侍女たちが、胸を押さえて小さく悲鳴を上げた。
「ああ……朝からなんと美しい……」
「“姉の慈愛”……眩しすぎて……」
(いや、私はただ抱いただけ……)
侍女のひとりは涙目でふらついている。
レオンの場合、弟であることが関係しているのか、まだ幼児であることが寄与しているのか、ルミエの魅了は恋慕ではなく“絶対的な愛着”として発動するらしい。
ルミエが他の誰かと話すだけで袖をつまみ、
他の子を抱こうとすると全力で泣き、
常にルミエを探している。
(……かわいいけど……重い……)
しかし、この姉弟の光景こそが、周囲の人間の感情をさらに爆発させる。
乳母は今日も涙ぐむ。
「レオン様……こんなにも姉君を……ああ、尊い……」
(また“尊い”。絶対流行ってるよね、これ……)
※※※
朝食後、ルミエは作法の授業へ向かった。
最近、作法教師は三人連続で交代している。
理由は単純――“ルミエが尊すぎる”からだ。
今日の教師は、新しく派遣された女性、マダム・ドリュース。
気迫に満ちた眼差しで、ルミエを見た瞬間に宣言した。
「私は惑わされません。外見に左右されず、お嬢様を“お嬢様として”扱います」
「はい、是非ご指導のほどよろしくお願いします」
(いや、私は何もしてないけど……)
ルミエは素直に頷き、授業が始まった。
「背筋を伸ばして……肩を落として……そうです」
ルミエが姿勢を整える――ただそれだけのはずだった。
次の瞬間、マダムは息を呑んだ。
「……聖像……?」
(姿勢を直しただけ!!)
「お嬢様……その佇まい……幼子とは思えません……。
いけません、惑わされては……!」
しかし顔は真っ赤だ。
ルミエが微笑んだだけで、マダムはその場に座り込んだ。
「……尊い……」
(……今日は授業、進むのかな……)
ここでルミエは気づいた。
――この世界に“アイドル”という概念があったなら、私は今、その“最推し”にマンツーマンで接している状態を相手に強制しているのかもしれない。
(そりゃ……耐えられないよね……)
そして授業は案の定、ほとんど進まなかった。
※※※
その日の午後、父に呼ばれたルミエは商会の広間へ向かった。
新しい魔石加工技術の確認のため、職人たちが集まっているらしい。
「ルミエ、挨拶だけでいい。家の娘として、顔を見せておいて欲しい」
「はい、お父様」
広間へ入った瞬間――空気が変わった。
「……ルミエ様……」
「なんという……輝きだ……」
手が震え、ペンを落とす者。
魔石を持つ手が止まる者。
祈るように胸に手を当てる者。
(お願いだから仕事して……私のせいで効率落ちるのは本当にいや……)
フランソワが娘の前に出る。
「皆、手元に集中してくれ! 娘は挨拶に来ただけだ!」
だが職人たちは揃って、
「い、いえ旦那様……!
これほど繊細な“光”を前にして、集中など……!」
(……だめだこりゃ)
フランソワは苦笑し、同時に胸が痛んだ。
娘が背負う“重荷”を理解しているからこそ、余計に。
※※※
その夜。
珍しくフランソワがルミエを自室に呼んだ。
机には、教会からの封書。
「ルミエ。来月、君は“触礼”を受けることになる」
「……触礼?」
「六歳になった子どもが浄界石に触れて祈る儀式だ。
毎年の風習でね。健康と安寧を願うものだ」
フランソワは少し言いにくそうに続けた。
「……浄界石は人が触れれば“触れた人物の波”を映す。
光を放つ子もいれば、淡い揺らぎだけの子もいる。
どれが良い悪いというものではないが……」
「私は、どうなるのでしょう?」
小首を傾げるルミエ。純粋そのものの表情。
もちろん内心は、
(触れたくない……嫌な予感しかしない……)
フランソワはルミエの内心など当然知らずに柔らかく笑った。
「反応は気にするものじゃない。あれは儀礼の意味合いが強い。私も6歳のときにしたものさ。
それと六歳の子どもの人口把握という側面もある」
(まあ……確かに日本でいう七五三みたいな……そんな感じかも)
ルミエは、家庭教師から聞いた知識を思い出す。
浄界石――
八種類ある魔石の中でも、もっとも数が少なく、
もっとも“神聖”とされる石。
国家や教会の手で厳重に管理され、
魔石の大家ヴァロワ家ですら所有が許されていない。
本来なら、軽く淡い光を返すだけ――のはず。
(……嫌な予感しかしない)
六年生きてきて、こういう時は大抵“当たる”と悟ってしまった。
その時、ノックの音。
「旦那様、よろしいでしょうか」
乳母が入室し、腕にはレオン。
眠気でぐずった顔だったが、ルミエを見るなり輝いた。
「ねえ、さま!」
「寝かしつけようとしたのですが……ルミエ様を求めて」
「ふふ、おいで、レオン」
抱き上げると、レオンはすぐに胸に頭を預け、安心したように眠った。
フランソワは目を細める。
「……レオンは、君が大好きだな」
「はい……とても、可愛いです」
レオンの寝息を聞きながら、ルミエは思った。
(……静けさのない人生って、こういうことなのかな……)
でも同時に。
(……まあ、弟は……可愛いけど……)
胸の奥に、ほんの小さな灯がともる。
それは彼女の望んだ“静寂”とは違うけれど――
消えてほしくない、小さな温もりだった。




