『12歳の誕生日と、いつもの一日』
「交渉や取引において軋轢が生じた場合、解決を求めるならヴァロワ家を立会人とせよ」
そういった通達が出されてから1年と少しが経った。
(忙しくなるかと思ったけどそんなでもなかった)
といっても毎日誰かから依頼があるわけではない。そもそも、簡単な値段交渉や勘違い程度であれば、フランソワが連絡で処理してしまう。
ヴァロワ家、つまりルミエが同席を求められるのは大なり小なり拗れた少数の場合だけだ。
月に平均二回、多くて三回、少なかったらゼロ。
その”お仕事”をルミエは何とかこなしていた。
(まあ……仕事って、そんなものだよな。
考えすぎても仕方ないし)
そんなルミエは今日まさに12歳の誕生日。
今日は誕生日だというのに、特別な予定があるわけでもない。
それを、残念とも思わなかった。
現在は、鏡台の前で乳母に髪を梳かれていた。
腰まで届く長い黒髪は、光性石のランプの明かりを受けて艶やかに煌めく。
鏡越しにマジマジと見る己の顔は少女から確実に羽化を続けていた。
(やっぱり、私、可愛い、というか綺麗になったなぁ)
ルミエはどこか他人事で内心呟く。
累計しても男として生きて来た時の方が長く、『自分の顔』を前世と今、どちらで思い浮かべるかと言われればどちらかというと前世だった。
だから客観的な評価をすると”可愛いし美人だな、この子”という感想になる。
そんな内心に関係なく自動的にルミエから漏れる鼻歌に乳母は微笑む。
「機嫌がずいぶんとよろしいようですね?」
「ええ。こうやって髪を梳かれている時間が好きなの。優しい手つき、安心する」
微笑み目を閉じて身体をゆだねるルミエに、乳母の涙腺が緩むが必死に我慢する。悶えるのは終わった後でいい。
そんな穏やかな時間は力強いノックの音で一時中断となった。
「姉さま! いらっしゃいますか!? 姉さま!!」
最近意識して使うようにしているという丁寧な言葉遣い。
ルミエは鏡越しに乳母と目を合わせてクスクスと笑い、扉の向こうに向かって呼びかけた。
「ええ、どうぞ、レオン」
「姉さま!」
バンと元気よく開かれたドアから入ってきたのは弟のレオンだ。
今年で7歳。触礼も昨年済ました弟は、しっかりと成長していた。ちゃんと丁寧な言葉遣いをしようとして、結局使えていないのも周囲から微笑ましく見守られていた。
「学校はどうだった?」
「うん! とっても楽しかった、です!」
「そう、よかった」
目を細め柔らかい表情でそう応えた後に乳母に視線を送る。
『もういい?』というその目に乳母は頷いて髪から手を離した。
「おかえりなさい、私の可愛いレオン」
「む、僕もう7歳だよ? 可愛いじゃないもん」
「拗ねないで。いくつになってもあなたは私の愛しい弟だもの」
抱きしめてその体重の重さを確かめてから頭を撫でるルミエ。その目には昔は抱きあげられていた弟が随分と大きくなったことを喜ぶ姉としての光が――確かに、あったように見えた。
乳母が部屋を辞すと、入れ替わるように扉の向こうから足音がした。
「二人とも。お邪魔するよ」
フランソワだった。
その手には、小さな箱が一つある。
「姉さま、あれなに?」
「さあ。お父さま、なんでしょう?」
問い返しながら、ルミエはわずかに首を傾げる。
期待しすぎず、しかし無関心にも見えない角度。
――無意識に、そうなっていた。
「今日は、誕生日だろう?」
そう言ってフランソワは箱を差し出した。
中に入っていたのは、派手さのない髪飾りだった。
黒髪に映える、細工の美しい銀。
「……わあ」
ルミエは一瞬だけ目を見開き、すぐに微笑む。
「私に、ですか?」
「もちろんだとも。12歳、おめでとう。ルミエ」
「ありがとうございます! とても素敵です!」
声は弾みすぎず、落ち着きすぎず。目は煌めき口元は綻ぶ。
贈った側が『喜ばせられた』と確信できる、ちょうどいい反応。
「姉さま、似合うよ! 絶対!」
レオンが前に出て、無邪気に言い切る。
「ふふ、ありがとう。レオンがそう言うなら、きっと大丈夫ね」
そう言って、ルミエは弟の目線に合わせて身をかがめる。
撫でる手は軽く、長すぎない。
甘やかしすぎないが、拒絶もしない。
「ねえ、レオン。良かったらつけてくれる?」
「いいの!?」
「もちろん。でも、痛くしちゃダメよ?」
「うん!」
フランソワの前で、しゃがんで目を閉じるルミエの髪に、緊張した面持ちで慎重に髪飾りをつけようとするレオン。
(……本当に、大きくなったな、二人とも。君の娘と息子は立派に成長しているよ、セシル)
仲睦まじい姉と弟を見てフランソワは亡き妻を思い出す。
家族として、誇らしく、切なく。
父として、少しだけ胸が温かくなる。
「さあ、行こう。今日は簡単な食事だが、三人で祝おう」
「はい」
「やった!」
食卓には、特別豪華ではないが、丁寧に整えられた料理が並んでいた。
ルミエの好みを把握した配置。
レオンが手を伸ばしやすい位置。
フランソワの前には、控えめな量。
「いただきます」
ルミエの声に合わせて、二人も言葉を重ねる。
食事中、ルミエは多くを語らない。
だが、場が静まりそうになると、自然に一言添える。
「レオン、今日は学校で何を習ったの?」
「えっとね、魔石!」
「それなら得意分野ね。お友だちには教えてあげられた?」
弟の自尊心をくすぐるように促すルミエ。
「うん!みんなに教えてあげたんだよ! それで先生はね、流石ルミエ様の弟だって!」
「私も誇らしいわ」
えへんと胸を張るレオンにルミエが優しく笑いかける。
そして、フランソワが会話に入ろうとすると、ルミエは少しだけ身を引く。
父と息子の会話の邪魔にならない距離。
だが、完全に外れることもない。
――三人でいる、という形が崩れないように。
(……本当に、穏やかだ)
フランソワはそう思う。
この時間が、ずっと続けばいいと。
ルミエは、静かに料理を口に運びながら考えていた。
(うん。今日も問題なし。弟は可愛い)
誰も困っていない。
誰も不満を持っていない。
必要な反応は、すべて出せている。
その上で、前世では得られなかった幸せな家族団らんの光景が目の前にある。
それで十分だった。
数日後。
ヴァロワ家の応接室に、見慣れない顔ぶれが集まっていた。
商人と、下位貴族。
互いに視線を合わせようとせず、空気は張りつめている。
「……条件が違う」
「こちらとしても、譲れない点がある」
フランソワとルミエが間に入る形になっているが介入は慎重だ。
(よくある話ではあるが、それ故に解決が難しい)
フランソワが口頭で終えられなかったのはここである。
ヴァロワ家は良くも悪くも発言権と権力じみた立場を得た。どちらかに肩入れすれば解決はするだろうが軋轢は残ってしまう。
”公平・公正であること”がより強く求められるようになっていた。
「では」
フランソワの思考がまとまるよりも早く、ルミエが一歩前に出ていた。
「少し、整理してもよろしいでしょうか」
声は低く、穏やか。
拒否を許さない強さはない。
だが、止める理由もない。
二人の視線が、自然とルミエに向く。
大人二人の圧力のある視線を受けてもルミエは穏やかな顔のままだ。
そのルミエという自分たちの半分にもならない歳の子供の静かな顔を見ていると、ムキになっている自分たち大人として苦いものが喉にこみあげる。
「今のお話ですと、お互いに“損をしたくない”という点では一致しています」
言い切らない。
断定しない。
ただ、共通点を提示する。
「その上で……どこまでなら譲れるか、改めて教えていただけますか」
一拍の沈黙。
先に口を開いたのは、商人だった。
「……そこまで言うなら。譲歩は商売の基本だ」
それを見て、貴族も小さく頷く。
「確かに。取引自体は行いたい。それは変わらん」
フランソワは、黙ってその様子を見ていた。
(……なるほどな)
この場に必要なのは、
交渉術ではない。
権威でもない。
ただ、”場を落ち着かせる存在”。
ルミエは、二人の様子を見て、良かったと優しく微笑んだ。
(あとは、流れに任せればいいかな。今回も大丈夫。きっと)
それが、12歳の少女の感想だった。




