『やさしい雑談』
ヴァロワ家の応接間は、昼の光が落ち着いて差し込むように整えられていた。
壁際の光性石は控えめに灯り、机上には湯気の立つ茶と小さな焼き菓子。
(……今日は“来る側”か。緊張はもうしないけど、疲れるんだ……)
ルミエはいつもの席に座り、背筋を伸ばして微笑んだ。
卒業してから、こういう場が増えた。父の隣に座るのも、見知らぬ大人に『お久しぶりでございます』と言われるのも。
本来であれば母セシルが基本を担ったはずのもてなす役目。しかし故人となった今ではヴァロワ家でそれが出来るのはルミエしかいない。
「ヴァロワ様、本日はお時間を頂戴し――」
商会の主が、丁寧すぎるほど丁寧に頭を下げる。
作業着よりは上等だが、貴族の礼服ほどではない。商人としてきっちりしている格好。
「こちらこそ。では、話を聞こうか」
フランソワの声は穏やかだが、空気が締まる。
ルミエにとっては基本的に”優しい父”の面が強いが、『魔石のヴァロワ』はその辺りの商家にとっては遥かに格上だ。商人ならではの抜け目のない丁寧さに身を包む。まさしく商談の場だ。
ルミエは横で、ただ静かに“そこにいる”。
それが仕事であり役割だ。
(……笑ってるだけで、相手の声が一段柔らかくなるの、やっぱり不思議)
目の前の商会は、魔石そのものではなく、魔石を使った生活用品を扱う商家だった。
熱性石で温度を一定に保つ保温箱、冷性石の性能を抑えて“涼しさ”だけ残した貯蔵袋。
光性石を薄く加工して、夜道用の小さな“灯り札”にしたもの。
ヴァロワ家の魔石流通がなければそもそも商売が成り立たない身である以上、フランソワやルミエに無礼を働くことは決してできない立場でもある。
「一般向けの商品は、売りやすい。しかし流通量が増えるほど、数が必要になり石の品質が揺れます。そこで――」
主が言いかけたところで、ふと、ルミエのほうに目が滑った。
一瞬、言葉が止まる。
「……いえ。失礼」
すぐに戻る。
戻るけれど、目の奥は戻り切っていない。
(……うん、いつものやつ。やっぱり気になるよね、私)
“言わなくていいことを言いそうになって、飲み込む”目。
王都の大教会での一件は3年前。未だに燻る”何か”はたまにこういう反応をもたらす。
フランソワが淡々と質問を投げ、商会の主が必死に答える。
数字。期限。納品先。責任範囲。
話が進むにつれて、空気は『商談』に戻っていく。
戻っていくのに、ルミエの存在だけは戻らない。
ずっと応接間の中心に、静かに置かれたまま。
「……では、試作品を」
主が合図をすると、控えていた従者が箱を運び込む。
箱の中には、薄く刻印された板が並んでいた。小さく淡い光を返す。
「灯り札です。夜に手元が見える程度、しかし目立ちすぎないように」
「ほう。性能の調整がうまいな」
「ありがとうございます。……ご令嬢にも、おひとついかがでしょうか」
(来た)
ルミエは最適な角度で首を傾げ、やわらかく微笑む。
「まあ。ありがとうございます。とても綺麗ですね」
主の顔が、ぱっと明るくなる。
それが嬉しいというより、“救われた”みたいな明るさで。
(……私は褒めただけなんだけどなぁ)
フランソワが話をまとめに入り、契約の線が見え始めたころ。
「子ども同士、少し庭で遊んでもらおうか」
フランソワの一言で、応接間の緊張が緩む。
商会の主も、ほっとしたように笑った。
「助かります。うちの子も、ずっと緊張しておりまして」
そう言って、控えの間から少年が呼ばれる。今からは次代を担う者同士の縁を育む時間だ。
ルミエより少し背が高い。まだ子どもの輪郭が残る顔。
礼の仕方がぎこちなくて、そこだけ妙に目を引いた。
「……ご、ごきげんよう」
「ごきげんよう。来てくれて嬉しいわ」
ルミエが微笑むと、少年は固まった。
固まったまま、こくりと頷く。
(ああ、分かる。最初ってこうなる。緊張するよね)
※※※
庭は春の匂いがしていた。
芝が手入れされ、木陰が幾つもある。屋敷の庭は“見せる庭”でもあるが、子どもが歩ける余白も残してある。
少年は最初、何をしていいか分からない様子で、手をもじもじさせていた。
ルミエは、相手の視線が自分の顔に貼りついているのを感じながら、わざと視線を外して花壇を眺めた。
(目が合い続けると、余計に固まるから)
「……その、ここ、すごいね。広いや」
「ありがとう。あなたのお家は?」
「うちは、……工房もある。灯り札、作ってるし、保温箱も……」
言葉は途切れ途切れだが、話す内容はちゃんとしている。
“家の仕事”を語るとき、子どもは少し強くなる。
「素敵。何かを作るのって難しそう」
ルミエがそう言うと、少年の背筋がわずかに伸びた。
「うん……難しい。石が割れたり、光が揺れたり」
「すごい! あなたも魔石の品物を作っているの?」
ルミエの涼やかな視線が花壇から少年の顔にシフトする。
「あんまり、すごくないよ。失敗するし、父さん、すぐ怒るし」
「あなたのお父さまがそうするのは、あなたに期待してるからでしょう?」
「……そう、なのかな」
少年は困ったように笑う。
その笑いは、さっきよりずっと“子ども”だった。
(よし、ほぐれてきた。これは仲良くなれそうかな?)
5歳ぐらいのときはルミエを見たら身構えるわ泣くわで、内心戸惑うばかりだったが、ルミエと同い年頃の子供たちは分別が付いてきたのか、今日のようにスムーズに会話ができる。
ルミエは少しだけ安心して、次の質問を探す。
――探す前に、口が勝手に動く。いつも通りに。
「ねえ、あなたは工房、好き?」
「えっ」
「好きかどうか。……聞いてみたくて」
「……好き、だと思う。うまくできたとき、嬉しいから」
少年は、言いながら自分で驚いたように目を瞬かせた。
今のは、誰かに言ったことのない言葉だったのかもしれない。
ルミエはうなずき、ほんの少しだけ身を乗り出す。
「その話、もっと聞きたい」
少年の呼吸が、わずかに止まる。
(……あれ?)
ルミエは内心で首を傾げる。
ただ聞きたいと思っただけなのに、相手の反応が少し大きい。
少年は咳払いをして、慌てて何かを言おうとする。
そこで、ルミエは思い出した“例の形”を、そのまま口に乗せた。
「あなたのお話、とっても面白いもの! ねえ、もっと聞かせて?」
「で、でも、さっきから僕ばかり話しちゃってるし……」
遠慮するように口ごもる少年に、ルミエは優しく首を振る。
「そんなことない。あなたのお話を聞くのが楽しいの。……だめ、かしら?」
小首を傾げて、少しはにかんだように微笑む。
――自分の中では“普通にやってる”つもりの仕草。
少年の耳が赤くなる。
赤くなって、視線が泳いで、そして――笑顔がこぼれる。
「え、えへへ。それなら。この間ね、こんなことがあったんだ!」
ルミエは少しだけ体を前に乗り出して、知らない話を知りたくてたまらないといった風に目を輝かせる。
(よかった……雑談って苦手だったけどスムーズに進む……)
少年の話は、工房で失敗談と成功談だった。
冷性石の調整を誤って、作業台が霜だらけになったこと。
職人に笑われて、悔しくて、でも次はうまくやれたこと。
話しているうちに少年の言葉は滑らかになり、身振りも増える。
ルミエは相槌を打ち、笑い、驚き、時に真面目に頷いた。
(……うん、こういうの。いいな)
理解しようとしなくていい。
評価も、期待も、必要ない――はずなのに。
ルミエが頷くたび、少年の声が一段上がるのが分かった。
ルミエが「すごい」と言うたび、少年の目が明るくなるのが分かった。
それが、少しだけ奇妙だった。
(……私の返事、そんなに嬉しいもの? わからないけど)
ルミエ自身には、その理由が分からない。
褒めるのは当たり前だと思っているし、聞くのも当たり前だと思っている。
“こう返すべき”が先に立って、そこに疑問を挟む余地がない。
表情は自分の知らない形を取っている。
なにより、ずっと、最初から。口は勝手に動いている。
でも。
少年が笑うたび、ルミエは“うまくいっている”と感じた。
その感覚だけが、確かだった。
(子供が楽しそうにしてるのって、なんか、いいな)
今の自分も子供だが、相変わらずその意識は薄かった。
※※※
「坊ちゃま。そろそろ戻りましょう」
従者の声で、庭の時間が終わる。
少年は名残惜しそうに口を開きかけ、結局、何も言えずに飲み込んだ。
ルミエは微笑んで、最後に一言だけ添える。
「今日はありがとう。また、あなたのお話、聞かせてね」
少年は、息を呑んだあと、深く頷く。
「うん。……うん! また、話すよ! 君に!」
「ええ、待ってるわ」
応接間に戻ると、商談は最終確認に入っていた。
フランソワが契約の条件を締め、相手が頭を下げる。
互いに“良い取引”の顔をしている。
「ルミエ、仲良くなれたかい?」
「ええ、とっても!」
花がほころぶような無邪気な笑顔にフランソワも、父親の顔で微笑む。
部屋の中には穏やかな空気が満ちていた。
出立の前。
商会の主が、門のところで、深々と礼をした。
「本日は……本当に、ありがとうございました」
言葉自体は商談の礼だ。
しかし、その目は一瞬だけルミエに向いて、そして慌てて逸らされた。
(……まただ)
ルミエは気づく。
けれど、その意味までは分からない。
馬車が動き出し、窓の外で屋敷が遠ざかる。
フランソワが隣で、いつもの穏やかな声で言った。
「いい時間だったようだね」
「はい。面白いお話が聞けました」
「そうか」
フランソワはそれ以上、何も言わない。
言わないけれど、満足している気配だけはあった。
(……今日も、うまくいった。この調子なら私、うまくやっていけそう、かな)
ルミエは、そう結論づける。
完璧な微笑みで。
そして、まだ気づかない。
“うまくいった”の中身が、
相手の心のどこに、どんな形で残っていくのかを。
※※※
「今日はありがとうな。疲れただろう。子供同士の交流は我々のような家業にとってはとても大切なんだ」
「ううん! ルミエさんってすっごく優しい子だった! 僕の話、聞いてくれてね!」
帰りの馬車でルミエについて楽しそうに語る子供。
商人も今日初めて父親の顔でその頭を撫でる。
「はは、よかったな。さすがヴァロワのお嬢さんだ」
「ねえ、父さん、次はいつ来るの?」
「残念だが当分先だ。おいそれと訪問できる方でもない」
「えー」
親子の賑やかな会話は、家につくまでずっと続いた。




