『いなくなると困る家』
「姉さま! 姉さま! おはなししよう!」
ルミエの朝はそんなレオンからの言葉で始まった。
今日から姉がずっと家にいる。それを考えるとこの姉さま大好きな弟としてはどうしても喜びが勝ってしまう。
ルミエの服を掴み何度もねだるレオンを乳母が嗜める。
「いけませんよ、レオン様。ルミエ様にもご予定が」
「いいのよ。そうね、レオン。今日はたくさんお話ししましょう?」
「いいの!?」
「ええ、もちろん。大好きなレオンの頼みだもの」
「やった!!」
微笑ましい姉と弟のやりとりを見て、乳母は慣れた手つきでハンカチで目元を抑える。
「なんと美しい姉弟愛……ああ、尊い……」
(久しぶりに聞いたな、”尊い”……)
内心でそう呟きつつ、ルミエはレオンの手を取った。
引っ張る力は相変わらず全力だが、歩幅を合わせる余裕くらいはできてきている。
「それで、どんなお話がいい?」
「ヴァロワ! ヴァロワのおはなし!」
「ふふ、どうしてそれを?」
「だって、きのうお父さまがね、
『これからはルミエもヴァロワのしごとをしるころだ』って言ってた!」
(ああ、聞かれてたのね)
子供の耳は侮れない。そこまで意味合いは把握していないだろうが。
ルミエは少し考えてから、ちょうどいい椅子に腰掛け、レオンを隣に座らせた。
「じゃあ、簡単なところからね」
「うん!」
レオンは目を輝かせている。
“姉が語る話”という時点で内容の難易度など関係ないのだろう。
ルミエの口が動き出し、甘く、優しく、語りだす。
「ヴァロワ家はね、昔から“魔石を扱う家”なの」
「まほうのいし!」
「そう。魔石。でも魔法じゃなくて、石の力を“どう使うか”を考えるお仕事」
ルミエは、意識的に言葉を噛み砕く。
もっといえば、どうやって分かりやすく説明しようかと頭を悩ませるが、口は勝手に動いてくれる。レオンでも理解しやすく、もっとも”聞き入れやすい”ように。
(自分で喋る内容だけど復習しておこう……)
それは弟のためでもあり、これから自分が背負う役割を整理するためでもあった。
「昔はね、魔石ってとっても危ないものだったの」
「あぶない? こわいの?」
「ええ。使い方が分からないまま、力だけが先にあったから」
熱を生む石。
冷たさを保つ石。
衝撃を活かしも殺しもする石。
便利で、強力で――だからこそ、奪い合いになった。
「そこで、ヴァロワ家のご先祖さまが考えたの」
「なにを?」
「“独り占めしないこと”」
レオンはきょとんとした。
「ひとりじめ、だめなの?」
「うん。魔石はね、独り占めすると争い、喧嘩になるの。
レオンだってお菓子を誰か一人に取られちゃったら嫌でしょう?
魔石も同じ。喧嘩をしないように皆でわけることにしたの」
「……ふーん」
分かったような、分からないような顔。
それでいい。
「だからヴァロワ家は、
『どうやって分けるか』
『どうやって安全に使うか』
『どうやって続けるか』
を考える家になったの」
ルミエは、少しだけ胸を張る。
もちろんそれは家業を誇りに思っている令嬢、ということを近くで聞いているレオン以外の者たちに示すため。結果として、歳相応のお姉ちゃんっぷりと、子供ながらも家を大切にしているのだなと乳母や従者の胸に暖かい熱がともる。
周囲の者すべてに、完全に、完璧に、隙がなく――ルミエの自動行動は、本日も絶好調だった。
「売るだけじゃない。奪わない。隠さない。
ちゃんと流して、ちゃんと残す」
「ながす?」
「ええ。水みたいに、ね」
その比喩に、レオンはぱっと顔を輝かせた。
「じゃあヴァロワは、いしのみずやさん?」
「ええ、正解。すごいわレオン!流石は私の弟!なんてね」
(説明としては、かなり雑だけど。まあ子供向けだし私も整理できた、かな?)
でも本質は外れていない。
ヴァロワ家は“力”ではなく“流れ”を管理してきた。
「だからね、ヴァロワは王さまでも、きぞくでもないけど」
「つよい?」
「うーん……強い、というより」
ルミエは少し言葉を選ぶ素振りを見せてから、続けた。
「“いなくなると困る家”なの」
「えっ」
「みんながね」
それは誇りであり、呪いでもある。
止まれば責められ、動けば疑われる。
けれど――続けなければ世界が困る。
「だから、姉さまもおしごとするの?」
「そうなるでしょうね」
「やだ?」
「ふふ……どうかしら?」
ルミエは、いつもの“正解の笑み”を浮かべかけて、やめた。
この場において”最高の態度”とは、ほほ笑むことではないから。
「でもね」
「でも?」
「レオンに話すお仕事なら、悪くない、ううん、とっても素敵だと思うわ」
それだけで、レオンは満足そうにうなずいた。
「じゃあ、ぼくもきく! ずっときく!」
「ふふ。ありがとう」
(……こうやって、始まるんだろうな)
家業。
役割。
信頼。
誰かに語り、理解されることで、
少しずつ“当たり前”になっていく。
それが良いことなのかどうか。
今は、まだ分からない。
けれど。
「ねえ姉さま」
「なあに?」
「ヴァロワって、すごいんだね!」
その言葉に、ルミエは微笑んだ。
完璧で、優しくて、
――少しだけ、何も考えていない笑顔で。
「そうね。すごい家、なのかもしれないわ」
(少なくとも、便利ではある。この能力も)
そうして、
ヴァロワ家の“物語”は、
また一人、静かに刷り込まれていった。
※※※
その夜、部屋を訪ねてきたフランソワは楽し気に笑いルミエに語り掛ける。
「聞いたよルミエ。今日はレオンにヴァロワの歴史を説明してくれていたんだってね」
「もう、誰かしら。お父さまに言ってしまったのは」
少し照れたように唇を尖らせるルミエ。久しぶりに見た娘の年相応の仕草にフランソワはホッと胸を撫でおろす。
「ルミエの説明はわかりやすかったとも聞いた。”いなくなると困る家”。まさに我が家を表す言葉だ。学校での勉強は確かに君の血肉になったと言えるだろう」
「……お父さまにそう言っていただけるなら、嬉しいです」
そっとほほ笑むルミエに、
フランソワは『機嫌を直してもらえたかな?』と、一瞬だけ父親の顔で娘を見た。
「いや、責めるつもりはなかったんだ。ただ……安心しただけさ」
「安心、ですか?」
「ああ。君が学んだことを、誰かにきちんと伝えられているということにね」
フランソワは、椅子に深く腰を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
昼間の商人としての張りつめた空気はもうない。
ここにいるのは、ただの父親だ。
「知識は、溜め込むだけでは意味がない。
噛み砕いて、誰かに渡して、初めて“使えるもの”になる」
「はい。私もそう思います」
「レオンに話した、というのがまたいい。
あの子にとって君の言葉は、きっとずっと残るだろう」
(それは、少し重たい評価だな)
内心でそう思いながらも、ルミエは否定も肯定もしなかった。
ただ、いつも通りに静かに聞く。
「実はね、今日もう一つ話しておきたいことがある」
「何でしょうか?」
その問いかけに、フランソワの視線がわずかに鋭くなる。
商人の目だ。
「近いうちに、”顧客”が来るかもしれない」
「お客様、ですか?」
「正確には……挨拶だな。
クラリス家を知っているだろう?」
顧客、それは単なる取引相手を指すだけではない。交流のある家々も示す場合もある。
その名を聞いた瞬間、
ルミエの中で、いくつかの情報が自然と結びついた。そう、必要な情報さえルミエの頭に入っていればそれでいいのだから。
(中流貴族。教育。学園。各地に伝手――)
「はい。学問と教育で名を成しているお家、ですね」
「さすがだな」
フランソワは小さく笑った。
(……そうなんだっけ? そう言われれば前にお父さまからそんなこと聞いたような気も……)
「彼らは、我々とは違う分野で力を持っている。
だが、“世界を回す”という点では、決して無縁ではない」
「……提携、でしょうか」
「可能性の話だ。まだ確定ではない」
そう前置きしてから、フランソワは言葉を選ぶように続ける。
「ただ、向こうは以前から君に興味を示していてね」
「……私に、ですか?」
驚いたように目を瞬かせる。
その反応は自然で、年相応で――そして完璧だった。
「学業成績、立ち居振る舞い、評判。
そして何より、“人の集まり方”だ」
「それは……」
「否定しなくていい。事実だからな」
責める調子ではない。
ただの確認だ。
「クラリス家は教育を生業にしている。
彼らにとって、“人を惹きつける才能”は、何より価値がある」
「……なるほど」
ルミエは、静かにうなずいた。
(また、そういう評価か。まあ仕方ないよなぁ……)
嫌ではない。
慣れてもいる。
だからこそ、それ以上は特に思うことは無い。
「無理に会わせるつもりはない。
君が嫌だと言うなら、この話はなかったことにする」
「いえ」
即答だった。
「お父さまの判断に従います」
「……本当に、それでいいのか?」
ほんの一瞬、
フランソワの声に“父親”が滲んだ。
ルミエは、少しだけ考えるふりをしてから答える。
「私は、ヴァロワの娘ですから」
フランソワは、その言葉を受け止めてから、ゆっくりと息を吐いた。
「……そうか」
それ以上は聞かなかった。
聞けなかった、と言った方が正しい。
「では、今日はこのくらいにしよう。
明日から、少しずつ仕事の話も増えるだろう」
「はい」
立ち上がり、扉へ向かうフランソワの背に、
ルミエは一言だけ声をかけた。
「お父さま」
「ん?」
「……ありがとうございます」
何に対する礼かは、言わなかった。
フランソワも、問わなかった。
「おやすみ、ルミエ」
「おやすみなさい」
扉が閉じる。
静かになった部屋で、
ルミエはベッドに腰を下ろし、天井を見上げた。
(教育、か……)
人を育てる家。
人を惹きつける自分。
その交点に、
これから誰かが現れるのだろう。
(まあ……なるようになる、かな)
そう思いながら、
ルミエは、いつもの笑みを浮かべた。
完璧で、穏やかで、
――何ひとつ、本音を含まない笑顔を。
そして、
ルミエを、周囲の人々を巻き込む歯車は、静かに回り始めた。




