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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『慣れゆく世界と、揺れない距離 』
15/24

『世界の話と、帰る場所』

ルミエの朝のルーティンは、

・朝起きて乳母に感激される

・従者に褒め称えられながら朝食をとる

・人々の静かになったが確かに存在する視線に笑顔(自動)で対応しながら通学する


(それで、次は授業……疲れた)


別に授業は楽しいしそこまで難しくもない。疲れは単に気疲れ。

ルミエとしてはもう少し穏やかに授業までの時間を過ごしたいだけだ。


「皆さん、そろっていますね?」


教室に入ってきた教師がそう宣言して見回す。一瞬、ルミエで視線が止まるが慣れとプロ意識の成果か外見上何の反応もなく視線が素通りしてルミエはホッとする。


「よろしい。本日はこれまでの復習となります。

 ――皆さんが、これから生きていく“世界”の話です」


黒板に書きだされていく単語は魔石の種類。


「さて、魔石について。この世の誰であっても必ず触れるものが、皆さんもよく知っている魔石です。

 まずは一番目にする機会が多いのが光性石」


黒板に書かれた文字を、教師が指でなぞる。


「街路、家屋、そしてこの学校。夜を克服するための石ですね。

 皆さんが夜を怖がらずに歩けるのは、この石のおかげです」

(……夜が怖い、って感覚、やっぱりあまり分からないな)


知識はあっても夜の恐ろしさを味わったことがない。前世はどこにいっても電灯があったし、こちらの世界でルミエとして生きている今は、教師の言う通り光性石に囲まれている。外で真の暗闇を見たのはいつ以来だろうか。


「次に、熱性石」


文字が書き足される。


「これは家庭や工房で使われることが多い。

 調理、暖房、加工――火、つまり熱を安定して扱うための石です」


教室のあちこちで、うなずく気配。


(朝のスープ、パン……確かに、料理は全部これだ。冬も暖かいし)


火を起こす苦労も、失敗も少ない。

便利で、安全で、生活に溶け込みすぎていて、意識されない石。


「続いて、冷性石」


教師は少し声の調子を変える。


「主に倉庫や輸送で使われます。

 この性能によって程度は異なりますがこの石は周囲を極度の低温にする効果があり、

 食料や薬品を長持ちさせる。言ってしまえば”時間の流れを遅らせる石”と言えます」

(お父さまの倉庫にもあったしうちの食糧庫にもあったっけ。

 ……そういえば冷蔵庫が発明されるまで食べ物の保管って苦労してたって聞いたことがあるな)


季節を越えて物を運ぶ。

それはつまり、“距離”を縮める石でもある。


「そして、衝性石」


黒板に書かれた文字に、何人かの生徒が顔を上げた。


「馬車道、建築、武具などに使われます。

 衝撃を増幅する、あるいは吸収する、力に関係する魔石ですね。

 直接感じる機会は少ないでしょうが我々の文化に確かに根付いている大切な石です」

(相変わらずこれが一番しっくりこないんだよなあ。増幅させるし吸収するしで)


前の世界でもこんな性質の物質ってあったか?と内心首をひねるルミエ。

教師は一度、黒板から手を離した。


「……さて」

一拍。


「最後に――浄界石」


その言葉が出た瞬間、

教室の空気が、ほんのわずかに張りつめる。

教師の視線が――

一瞬だけ、ルミエに向いた。

だが、それは本当に一瞬で、すぐに逸らされる。


「皆さんも触礼で触れたことがある通り、教会と王族の方々が厳重に管理している奇跡の石となります」


淡々と、しかし慎重に。


「教会にあるもののほか、公衆浴場、病院などにも置かれており、

 物質の浄化、病の緩和など――不浄なものを退ける力があるとされる、稀有な石です」

(……あのお騒がせな石だよね)


胸の奥で、言葉にならない何かが静かに動く。

光るはずだった石。

揺れるはずだった反応。

訪れた沈黙。


「以上が、皆さんが日常で最も関わる魔石です。

 これらがあるからこそ、私たちの文明は成り立っています」


教師はそう締めくくり、軽く息をついた。


(成り立ってる、か……)


ルミエは視線を落とす。

魔石は、世界を支えている。

それは事実で実感もあるが、同時に違和感もある。

この世界で生きて七年。慣れているつもりはあっても、どうしても理解や実感にワンテンポかかってしまう自分は、まだこの世界の”ルミエ”として中途半端なのだろうか。

そんなルミエの自問自答を尻目にそれでも、授業は進み、

世界は何事もなかったかのように回っていく。


(でも……私は、この世界で、生きていくんだ)


静かに、そう思いながら。


※※※


(今日はいろいろと考えさせられたな)


授業としては正しい結果なのかもしれないが、疲れるものは疲れる。

馬車の窓から外を眺めながら少しだけ物思いに耽る。ため息をつくことも、ぐったりすることも”許されていない”ルミエは疲労を発散する術がないのだから。

屋敷につき、ありがとう、と御者に笑顔で伝えたルミエを出迎えたのはにぎやかな声だった。


「姉さま!おかえり!!」


そして以前と比べてはるかにしっかりした足取りでの猛ダッシュ。

驚くことも今はちょっと疲れてるんだよ?と反応することもしない。

笑顔で少ししゃがんで手を広げる。


「ただいま、レオン。おいで」

「わーい!」


二歳児とはいえ全力でのタックルを喰らえばルミエも尻もちくらいつくことになっただろうが、レオンもそのあたりの分別はあるのか、ルミエにぶつかる直前に少しだけ減速してポフっと抱き着いた。

しっかりと受け止めつつ、芯に響く衝撃に少しだけ息を詰まらせる。


(うっ……大きくなったなぁ)


以前よりも少し重い。少しずつだが確かに成長している愛しい弟。


「姉さま、きょうね! ぼくね!」

「ええ、聞くわ」


ぎゅっとしがみついたまま、レオンは今日あったことを一気に話し始めた。

勝手に庭に出て転んだこと、叱られたこと、でも泣かなかったこと。

話は前後も要点もばらばらだが、声は弾んでいる。

ここは屋敷の敷地内だがまだ外だ。本来なら部屋でゆっくり話した方がいいのに、大好きな姉と早く話したくてたまらない、とキラキラ光る瞳に癒される。


(……こういうの、いいな)


理解しようとしなくていい。

整えなくていい。

評価も、期待も、必要ない。


「姉さまは? きょう、なにしたの?」


少し考えてから、ルミエは答えた。


「今日はね、世界の話をしたの」

「せかい?」

「うん。光る石とか、あったかい石とか」

「しってる! ひかるやつ! まぶしいやつ!」


目を輝かせるレオンに、思わずくすりと笑う。


「そう。それ。それがないと、夜は暗くて歩けないのよ」

「ふーん……ねえさま、すごい!」

(……すごくはないんだけど)


でも、否定はしなかった。

ただ、レオンの頭に手を置いて、そっと撫でる。


「レオンも、そのうち知ることになるわ」

「ぼくも?」

「ええ。ゆっくりね。あなたは私の弟であり、ヴァロワ家なんだから」


レオンは満足そうにうなずき、やがて眠気に負けたのか、ルミエの腕の中でこくりと首を垂れた。

元気いっぱいとはいえ二歳児。まだまだ急に電池切れになる。


「……ふふ。ほら、中に入りましょう?」

「……うん」


手を繋いで屋敷に向かう中、乳母が苦笑する。


「少し前からずっとルミエ様に会いたいとここで待っていたのです。お疲れなのでしょう」

「もう。姉さまは逃げないわ。今度は部屋で待っていてね?」

「……やあ。姉さまと、はやく、あいたい」


眠くてぐずりだしたレオンを乳母に任せ、部屋へ戻る。

一人になった室内は静かで、さきほどまでの騒ぎが嘘のようだった。


(……可愛かった、な)


身体に残った弟のぬくもりを感じて、今日初めて、心からほほ笑んだ。




夜。

灯りを落とした部屋で本を読んでいると、控えめなノック音がした。


「ルミエ、入ってもいいかな」

「はい。どうぞ、お父さま」


扉を開けて入ってきたフランソワは、昼の商人の顔ではなく、

ただの父親のそれだった。


「今日の授業はなんだったかな?」

「はい。魔石の復習でした」


椅子を勧めると、フランソワは腰を下ろし、少し間を置いてから言った。


「……どうだった?」

「はい、考えさせられました。世界の根本の魔石について、私としても、”魔石のヴァロワ”としても」

(いや、そこまでは考えてないんだけど……)


胸に手を当てて目を閉じる、100点満点の回答をするルミエにフランソワは頷く。


「魔石は、世界を支えている。そしてその流通を担うのが我々ヴァロワ家だ。

 大丈夫、君はしっかりと理解できているよ」


フランソワは、わずかに目を細めた。


「はい、これからも奢らずに知識を深めていければと、そう思っています」


まっすぐにフランソワの目を見て芯を感じさせる微笑みを浮かべるルミエ。


(相変わらずこの子は)


発言。

声色。

表情。

仕草。

どれも完璧だった。

これを素でやっているのか、それとも”望まれたヴァロワ家の娘”を必死に演じているのか。

同じようなことを何度考えたかはもうわからない。相変わらず、商人として長年交渉の場に身を置いているフランソワでもルミエの心は読み取れなかった。


(我が娘ながら末恐ろしいな。この子が大人になった際、周囲はこの子をどのように見るのだろう。この子はどれほどの影響を与えるのだろう……無理はさせたくないのだが)


しばしの沈黙。今しがたさせたくない思ったばかりの”無理”を娘に伝えることになるから。


「ルミエ。近いうちに、王都へ行くことになるかもしれない」

「またお仕事ですか?」

「いや、今回違う。ついでに色々と要件は済ませるかもしれないが、本題は教会だ」

「教会?」

(何の用?)


首をかしげるルミエ。珍しく内心と外見の行動が一致した瞬間だった。

フランソワは、口元を固く結んだあと、ゆっくりと語りだす。


「……浄界石の件だ。

 あれから1年以上たったが、やっと今後の方針の結論が出たらしい。その関係での招聘だ」

「どのようなお話があるのですか?」

「わからない。だが、怖がらせるつもりはない。ただ……」

「知る準備はしておけ、ですね?」


片目を閉じて茶目っ気のある返答をして見せるルミエ。フランソワは小さく笑い返した。


「君は本当に、よく分かっている」


ルミエは視線を落とす。


「……私、この世界で生きていくんですよね」

「ああ」

「それなら……目を逸らさずに、見ます。全てを」


フランソワは立ち上がり、娘の肩にそっと手を置いた。


「無理はしなくていい」

「無理はしていませんよ?」

(めっちゃくちゃしてます)

「君ならそう言うだろうと思ったよ」


苦笑の中に込められたものは悔しさであり、同時に“信頼”だった。

フランソワが部屋を出たあと、ルミエはしばらくその場に立ち尽くしていた。


(世界は、思っていたより広くて……)


ベッドに身を投げ出すと柔らかいクッションが体を受け止めてくれる。

天蓋を見つめながらそこに見えないものを見ようと目を細めるルミエ。

それでも。


(私は、この世界で生きていく)


その決意はまだ形にならない。

だが確かに、胸の奥で、静かに根を張り始めていた。

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