『扉の先に、まだ知らない世界がある』
その日、ルミエは学校を休み、フランソワに連れられて王都へと赴いた。
ルミエの通う学校は、『できれば通いましょう』程度の努力義務こそあれ、出席が厳しく義務付けられているわけではない。
家業の都合で休む子どもも多く、ルミエの欠席も珍しいことではなかった。
早朝に馬車で出発した二人は、日が登りきる前には王都の手前まで到着していた。
「思ったより早く着きましたね、お父さま」
「ああ。道も舗装されているし、そもそも私たちの街と王都の距離はそこまで離れていないからね」
まだ地理までは習っていなかったルミエは馬車の窓から顔を出して外を眺める。
悠然とそびえる城。
城壁。
そして城門前で既に学校の人口を超える人口密度。
(都会って感じだ)
ルミエの住んでいる街も、農村や小さな町から見れば十分“都会”なのだろう。
けれど、自分の見ている世界なんて、まだ地図もろくに習っていない七歳相応の狭さだ――と、ルミエはなんとなく自覚していた。
馬車が城門をくぐると、ふわりと空気が変わった。
(……これが、王都)
息をのむほど高く積まれた石造りの建物。
通りの両脇では、光性石の灯りが昼間でもほのかに輝き、
馬車の振動をやわらげる衝性石の舗装がゆるやかに波打つ。
魔石文明の中心地――とは聞いていたが、
目にするのは初めてだった。
「王都は地方とは違い、さまざまな魔石の技術が集まる場所だ。我々の地元も発展しているほうだが流石にここには敵わない。
新しい石の加工法や、商会同士の取引もここで決まることが多いんだ」
馬車の中で父フランソワが穏やかに告げる。
その横顔は、商会の長としての顔に近い。
(こうして見ると……お父さま、本当に“仕事の人”って感じだなぁ)
街には商人、神官、旅人、学者――
人が絶え間なく行き交い、光と影が忙しなく移ろっていた。
※※※
馬車を降りて歩き始めると、ルミエはすぐに違和感に気づいた。
「お父さま。王都の方々って」
「ん?」
「あまり、私に驚かないのですね?」
たしかに振り向く人はいる。
軽く息をのむ者もいる。
だが、地元のように
泣き出す
拝む
語彙をなくす
立ち尽くす
崇拝の気配を出す
そんな反応は見られなかった。
(地元だと、出かけるだけで大騒ぎなのに……)
今でこそ落ち着いてはいるが、それでもまだ一定の反応はある。
しかし王都の住人たちは視線は寄ってくるのに、一定以上近づかない。
遠くから珍しいものを見るくらいの距離感。
フランソワとしては、娘が“自分は驚かれる側の人間だ”と自覚してしまっていることに、鈍い痛みを覚えずにはいられなかった。
それでも努めて明るい笑みを浮かべ答える。
「ああ。王都には貴族の方々も多い。君のように素敵な見た目の人はよく目にしているんだよ」
王都の住人。彼らの日常にはすでに “美男美女の貴族や商家の子息・令嬢” があふれている。
噂が広まる速度も早く、何より――“王都は王都の顔ぶれ”に慣れている。
だから、ルミエを見ても
『ああ……あれが例の……』
程度の軽いざわめきで済むのだ。
(いいなぁ。これくらいの距離感で接してくれたら日常がもっと生きやすいんだけど)
思わず胸が熱くなる。
しかし――
「ルミエお嬢様……今日もっ……!」
近くで控えていた従者の一人が
ハンカチを胸に押し当てて小刻みに震えていた。
(……従者はなんでいつまでも慣れないの?)
王都の住人が“距離感のプロ”である一方、
身近な従者は永遠に“初見のリアクション”を更新してくる。
「お、お嬢様の……その、天使のようなほほ笑みが……っ」
「私をそのように評してしまっては天使様に失礼だわ。もう」
自動出力された困ったような照れたような、そんな可憐な微笑みが今日も従者の胸を撃ち抜く。
ルミエも結局、平常運転だった。
※※※
「さて、ここからは少し商会の仕事に付き合ってもらうよ」
フランソワが軽やかに言う。
そして次々と商会支部へ挨拶に向かい、
魔石のサンプルを確認し、
書類を受け取り、
時折、街の要人と軽く言葉を交わす。
ルミエはそれを横で見守りながら、
父の“働く姿”に少し目を奪われていた。
(すごい……こんなふうに、家を動かしてるんだ……)
家で見る父とは違う、凛とした雰囲気。
従者や職員たちが自然と道をつくり、
皆がフランソワに最敬礼する。
(私も、いつか……こういう顔を見せることになるのかな)
そんな考えが頭をよぎったときだった。
ちなみに”いつか”どころではなく、行く先々で、ヴァロワ家の令嬢として幼いながらも立派に振る舞う美しい娘は、今回の挨拶回りで完全に覚えられてしまっていたが、まだルミエはそのことは知らない。
――フランソワが、ふと歩みを止めた。
「ルミエ。今日、少し寄りたい場所がある」
彼の顔はいつもより柔らかく、
どこか決意のようなものが滲んでいた。
「王都の外れにある孤児院だ。
我が家も務めとして寄付をしている縁があってね。久しぶりに様子を見に行きたい」
「孤児院……」
「ルミエにも見せたい。
世界には、商会や学校とは違う“生活の場”がいくつもある。
君にも、いろいろな人の生き方を知ってほしいんだ」
そう言って微笑む父の横顔は、
商人ではなく“ひとりの父親”のものだった。
(……お父さまが、こんな表情をするなんて)
胸が少し温かくなる。
「わかりました。ぜひ、ご一緒させてください」
「ありがとう。きっと、良い経験になる」
そうして二人は、
王都中心部の喧騒を背にゆっくりと歩き始めた――
※※※
王都中心部の喧騒を外れ、
道が石畳から土に変わり始める頃――
ルミエは、ふと空気が柔らかくなるのを感じた。
(……静か)
街の中心では絶えず喧騒が響いていたのに、ここでは鳥の声と風の音が混じる、
どこか懐かしいような静けさが広がっている。
「孤児院はこの道の先だ。
王都の中では古い施設だが、教会の良い人たちが運営していてね」
フランソワは穏やかに説明する。
(お父さま……こういう顔、するんだ)
今日は色々な表情を見ているなと思う。
商談のときとも、家でのときとも違う。
どこか柔らかく、遠くを思うような――そんな表情だった。
やがて、小さな屋根が見えてくる。
白い塀に囲まれた、質素な建物。
庭には洗濯物が揺れ、
子どもたちの遊ぶ声が遠くから微かに聞こえてくる。
「着いたよ、ルミエ。ここだ」
孤児院の門は、木製で素朴な造り。
王都の華やかさとは無縁だが、どこか温かい。
ルミエは門の前で立ち止まり、
自然と背筋を伸ばした。
(ここに……子どもたちが暮らしているんだ)
同年代の子たちが過ごす場所。
家庭の形も、環境も、立場も違う。
自分とはまったく異なる世界。
それを前にして、
言葉にできない緊張が胸に広がる。
フランソワが優しく言う。
「ルミエ。ここで何を見るかは、君次第だ。
ただ……大切なのは “自分の目で確かめること” だよ」
「……はい」
小さく息を吸い、
ルミエは両手で門に触れた。
少しひんやりとした木の感触。
そして――
きぃ、と静かな音を立てて、門が開く。
その瞬間、
柔らかな風がルミエの髪を揺らし、
庭の奥から子どもたちの笑い声がふわりと届いた。
(どんな子たちがいるんだろう……
私を“普通”として見てくれる子なんて、いるのかな……)
不安と、ほんの少しの期待。
胸の奥がきゅっと締めつけられるような感覚。
けれど――
その奥底で、確かに何かが、そっと動いた。
ルミエは足を一歩踏み出す。
「行きましょう、お父さま」
「……ああ」
二人の影が、夕色に染まりかかった庭へ伸びていく。
この場所で、
彼女は “自分の人生を揺さぶる少女” に出会う。
だが――
それを知るのは、あとほんの少しだけ先の話。




