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調整役令嬢は、何も知らない  作者: ナギサト。
『慣れゆく世界と、揺れない距離 』
10/24

『はじめての学び舎、しかし静けさはどこにも』

六歳の冬が過ぎ、ルミエは七歳になった。

初等教育へ通う準備が整い、ついに“学校”という新しい場所へ足を踏み入れる日がやってきた。

ヴァロワ家であれば家庭教師だけでも勉学は補えるが、フランソワの考えは違う。

『その歳でしかできないことのほうが大事だ』と。

同世代と肩を並べ、協調性も含めて学び、それを人生の礎にする――その方がはるかに大切だという判断からだ。


その朝、屋敷の門を出た瞬間――ルミエは小さく瞬きをした。

……静かだ。

かつては通りを歩くだけで、若干過剰な表現をすると人々が絶句し、涙し、倒れ、祈り、意味のわからない言葉を叫び、

「天使だ……!」「いや女神だ……!」と混乱が広がっていた。

だが今、街の反応はまるで違う。

通りの商人が、品物を並べながらちらりとこちらを見た。

視線が合うと、丁寧に会釈し、すぐに作業へ戻る。

遠目でルミエを見つけた女性は軽く手を振りほほ笑んでから道を行く。


「おはようございます、ヴァロワ様。」

「今日もお美しい……いえ、その、素敵な日を。」


軽い挨拶はあれど、誰も取り乱さない。


(慣れって……すごいよね……)


触礼の日から数ヶ月。そしてルミエが初めての外出をしてから約2年。

街では「光の子」の噂がすっかり常識になり、

見る者の多くが一度は目撃済み――または、噂で存在を知り尽くしている状態だった。

人は、良くも悪くも“慣れる”。

それをルミエは身をもって知った。前世の灰色の生活が何となく頭を過る。

……ただし。


「ルルルルル、ルミエ様ぁぁぁ……! 本日も尊麗なる……っ!」

「はぁぁっ……! 今日もまばゆい……っ! 光が……光が……!」


後ろから聞こえる 乳母と従者の大げさすぎる呼吸音 は、

何ひとつとして慣れていなかった。


(なんでこの人たちは……毎日一緒にいるのに……?

 どういう精神構造でそんなに初見みたいな反応ができるの……?)


乳母は毎朝泣きそうになりながら髪を結い、

従者はドレスの裾を整えるだけで震え、

護衛は目を伏せて赤面するという有様。


(むしろ外の人のほうが落ち着いてるんだけど……)


街の住民たちは、

「本物を見ると呼吸が整わなくなる」

「美しさに魂が持っていかれそうになる」

などと噂しつつも、ある程度距離を保つ術を身につけたのだ。

が、身近な大人たちは――


「ルミエ様が今日もご健康で……!ありがたい……!」

「歩いておられる……! 生きておられる……!」


(いや私、生きてるのは普通だからね!?)


という、ずっと変わらないテンションを維持していた。

通りを歩くルミエの心境は、

“周囲の反応が落ち着いた”安心感と、

“身内だけ異常に慣れない”困惑の入り混じった複雑なものだった。

とはいえ、静かになった街の空気は、これまでより確実に歩きやすい。


(……これなら、学校も……なんとかなるかもしれない。)


そう思った矢先――

遠くに見えてきた初等教育院の門の前で、

十数名の子どもたちがざわざわとこちらを見ているのが目に入った。

半分は驚き、

半分はそわそわと落ち着かず、

しかし誰ひとりとして大声を上げたり、泣いたりはしていない。


(……うん、やっぱり“慣れ”ってすごい。)


けれどルミエ自身は、胸の奥が、少しだけざわついた。

――新しい世界へ踏み出す緊張。

――そして、“はじめての同年代との本格的な交流”。

前世での幼稚園、小中高、大学をいれれば人生6回目の本格的な『入学』は、相変わらず未知の期待と不安が入り混じったその感覚が付き纏まう。


(……静かに暮らしたいけど……まあ、うん……頑張るしかないよね……)


ルミエは小さく息を整えて足を踏み出す。

――世界はまた、彼女を放ってはおかない。

ただ、その日はまだ、何も始まっていなかった。そう”まだ”。




学院の正門をくぐった瞬間――

空気が、ほんの少しだけ変わった。

街のざわめきは遠のき、代わりに石畳を踏む靴音と、子どもたちの話し声が混じる穏やかなざわめきが広がっている。


(……なるほど。ここが、“学び舎”ってやつか)


広すぎず狭すぎず、ほどよい規模の敷地。

二階建ての校舎がひとつと、小さな講堂、裏には練習用の庭が見える。

門のそばには、今日が初日らしい子どもたちと、その付き添いの家族が何組か固まっていた。

ルミエの姿に、ちらりと視線が集まる。

けれど――そこで、慌てて目をそらす子が多い。


「……あ、ほんものだ」

「見ちゃだめって、お母さんが……」

「でもちょっとだけ……」


視線を向け。

慌てて逸らし。

またこっそり見る。

その繰り返す少年少女たち。


(なるほど……“見慣れてはいないけど存在は周知”って感じか……)


家の周辺だけでなく、地域の子どもたちにも噂は十分回っているらしい。

付き添いの大人たちも、以前なら悲鳴を上げたりその場で泣き崩れたりしかねなかったところだが、今日はさすがに抑えている。


「……ヴァロワのご令嬢よ」

「ご挨拶だけは、失礼のないように」


ひそひそと囁き合いながらも、礼節は守ろうとしている。

――そんな中で。


「ルミエ様……! お気を確かに……!」

「今あちらから、あの、好奇に満ちた視線が……!」


いつまで経っても慣れない乳母と従者が、今日も通常運転だった。


(あのくらいの視線で騒ぐの、むしろあなたたちだけだよ……)


心の中でぼそっと突っ込みながら、ルミエは父を見上げる。

フランソワは、娘の肩にそっと手を置いた。


「大丈夫だ、ルミエ。ここでは、君も“学ぶ子の一人”だ。

 ――少なくとも、私はそうあってほしいと思っている。行っておいで」

「……はい、お父さま」

(そうなればいいけど……)


※※※


教室に入ると、すでに半分ほど席が埋まっていた。

木製の机と椅子が整然と並び、窓から差し込む光で室内は明るい。

壁には簡素な地図と、数字や文字が描かれた板。


(……うん。教室だ。なんだか懐かしい)


前世の教室よりはずっと質素で、魔石文明の世界にしては質実剛健なつくり。

けれど「集団で何かを学ぶ場所」という雰囲気は共通している。座席を見るに生徒はルミエをいれて8人。

眼鏡をかけた真面目そうな子、肌が少し日に焼けた活発そうな子、華やかな服を来ている子。様々な階級から集まってきているがその絶対数は少ない。そう感じるのは時代などを考えれば妥当なのだろう。


(触礼の時は周辺の街とか村から集まってたって聞くし、この地域だと同年代は少ないよね)


ルミエが入口に立った瞬間、ざわり、と空気が揺れた。


「……あ……」

「来た……」

「ほんとに紫の目だ……」


だが誰も、悲鳴は上げない。

椅子から立ち上がって駆け寄る子もいない。

みんな、どう反応していいか分からず――

結果として、「固まって見る」か「見ないふりをして気にしている」かのどちらかだった。


(……うん。前よりは、だいぶマシかも)


「おはようございます。ルミエ・ヴァロワと申します。

 今日から、皆さまとご一緒できることを嬉しく思います」


教壇のそばで軽く一礼すると、教室の何人かが小さく息を呑んだ。


「……声まで綺麗だ……」

「ちょっとぞわぞわする……」

(心の声、けっこうだだ漏れだよ……?)


幼い故の純真さか、と思ったが我が家の人々を思うとそうでもないのかもと、一切漏れることのない苦笑を心の中でしつつ、表面上は目を細めて慈愛に満ちた笑みを浮かべる。

それでも、一年前ならその場で泣き出したり祈り出したりする子がいてもおかしくなかった。

そう考えれば、これは大きな進歩と言えなくもないと自分を納得させて。

担任らしい女性教師が、一歩前へ出る。

三十代前半ほど、知的な眼差しに少しだけ気の強さが混じった顔立ちだ。


「みなさん。彼女はヴァロワ商会のご令嬢であり、今日から皆さんと同じ“学びの仲間”です。

 “特別な人”として見る前に、“同じ教室の子”として接するように」


教師はあえてそう言った。

その言葉に、数人の子が目を丸くする。


「……同じ、教室の……」

「仲間……」

(先生、がんばってる……)


ルミエは思わず教師の背中に感謝の視線を送った。

教師と目が合う。

一瞬だけ、彼女も微笑んだ。

――その横顔に、ささやかな決意の色が見えた。




席は、窓側の二列目に用意されていた。

隣には、短く切った髪の少女が座っている。

ルミエが腰を下ろすと、少女はぴくりと肩を震わせた。


「……あの……」

「はい?」

「よ、よろしくおねがいしますっ!」


勢いよく頭を下げる。

顔が真っ赤だ。


(お、でも話しかけてくれるのはありがたい)

「こちらこそ。よろしくお願いします」


と、柔らかく笑いかける。

次の瞬間、少女は固まった。


「…………」

「…………?」

「っ、いま、“こちらこそ”って言われた……」

「え?」

「わ、わたしなんかに、“こちらこそ”って……!」

(自分を“なんか”って言わないで……!)


ルミエの返事一つで、隣の席はしばらく落ち着かなかった。



午前の授業は、読み書きと計算の基礎。

内容自体は、すでに家庭教師との勉強で身に付けている範囲だ。


(内容は簡単なんだけど……)


問題は、周囲の視線の方だった。

前の席の少年は、振り返るのを我慢しているのが丸分かりだし、

斜め前の少女は、ちらちらとルミエの手元を気にしている。


「(わ、すごく綺麗な字……)」

「(え、さっき習ったばかりなのに、もう全部書けてる……)」


心の声は聞こえないが、目の泳ぎ方でだいたい分かる。


(……見ないで……集中して……)


とはいえ、ルミエも周囲の子どもたちを見るとはっとすることがある。

前世よりは全体的に「勉強への意欲」が高い。

家業を継ぐ者、神殿に入る可能性のある者、職人の後継ぎ――それぞれが“生活のための知識”として学んでいるのだ。


(……ちゃんと、“生きるために”勉強してる感じ、だな)


前世の、自分も含めた『なんとなく義務だから座っている』教室とは熱量が違う。

そこに、どうしようもなく浮いている自分。


(私は……なんのために、勉強してるんだっけ)


ふと、そんな疑問が頭をもたげる。

けれど考え込む前に、教師の声が飛んできた。


「ヴァロワさん。ここはどうなるかしら?」

「はい。こちらは――」


問われれば、すらすらと答えが出る。なにせ既に家で習った範囲。そこに前世の知識が加われば異世界といえど基礎教育くらいはわけない。

それがまた、周囲の「すごい……」という視線を増やしていく。


(……こうやって、また距離が広がるんだろうなぁ)


分かっているのに、出来をわざと落とす勇気もない。

前世の「頑張れなかった自分」を思い出すと、どうしても手を抜くのが怖くなる。


(中途半端な奴には、なりたくないし)


それが、今のルミエなりの意地だった。


※※※


休み時間。

皆がおずおずと会話を開始している。商家の子、地方から来た子、神殿志望の子。背景は違うが同年代。自然とおしゃべりが始めるものだ。ただし、ルミエの周りには――なぜか一定の距離を保った円が出来ていた。

半径、だいたい一メートル。

そこだけ、ぽっかりと空間が空いている。


(……なに、この“禁足地”みたいな空白)


誰も近づいて来ないわけではない。


「ルミエ様、その……さっきの計算のところ、すごかったです」

「いえ。先生の教え方が分かりやすかったからです」


話しかけられれば、きちんと応じる。

会話もそこまで続かないが、途切れたあと――

相手がなぜか、じわじわと後ずさっていくのだ。


「……本当に、同い年とは思えない……」

「なんか、眩しくて……真正面からお話しするの、ちょっと……」

(まるで高位の神官か何かに話しかけた一般信徒、みたいな反応なんだよなぁ)


隣の席の少女も、机の端でそわそわしている。


「ル、ルミエ様……」

「そんなに『様』をつけなくても――」

「い、いえ! やっぱり“様”を外すのは恐れ多いので……!」

(恐れ多いって言われた時点で、友達ルートは閉ざされるよね……)


『友達』というより、『距離を取って敬う対象』扱い。

前世では“空気以下”だった自分が、今度は“空気よりずっと上の何か”になってしまった。

どちらにしても、同じ目線では見てもらえない。


(……なんか、バランス悪い人生歩いてるな、私)


また苦笑しかけたところで、教室の扉が開いた。


※※※


午後の授業を終えてルミエは迎えが来るまで教室で黄昏ていた。

表面上は淑やかに、静謐に、席から窓を眺めているだけだが。


(……疲れもしたけど、なんだかなぁ)


クラスメイトの反応はある程度想像していたが廊下を歩けば視線がそこら中から突き刺さり、一定の距離が開くさまを見ればこの学び舎での生活は前途多難だった。


「ルミエ様。お迎えに上がりました」


従者が教室を訪ねてくる。『ルミエ様、席に座っているのも様になっていらっしゃる!』という顔をしているが流石に外で取り乱すのを避ける分別があるのか、表面上は礼儀正しく礼をする。


「ありがとう。帰りましょう」


鞄を持ち立ち上がり、従者を連れ立って廊下を歩く。ルミエに限らず上流階級の子供は従者が馬車で迎えに来ることはよくあるのでそう珍しくはないはずだ。

しかし、一斉に向けられる視線と自然と割れていく人の波は、ルミエが”珍しくはない”の範疇に入ってないことをひしひしと感じさせた。

帰りの馬車の中。

同乗していた乳母は相変わらず、朝からの出来事を思い出してはひとりで感極まっている。


「ルミエ様が建物に入られた瞬間の、あの凛としたご様子……

 まさに学舎に差し込む光でした……!」

(だから比喩が大げさなんだってば……)

「周囲の子たちが頬を赤くして固まっておられたのも……

 ああ、きっと今日一日で、あのお子様たちの価値観は塗り替えられたことでしょう……!」

「そんなことないわ。でも、素敵な出会いが出来て私もとっても嬉しいの」

(勝手に人生変えないであげて……)


ルミエは、窓の外を流れていく街並みを眺めながら、小さく息を吐いた。

今日一日で、友達らしい友達はできなかった。

距離はまだまだ遠い。

けれど――まったく変化がなかったわけではない。

少なくとも今日は今日。明日なにがおきるかは誰もわからないのだから。


(……静かに暮らしたい気持ちは相変わらずだけど)

それでも。

(この世界の広さを、もう少しだけ見てみたいな)


そんなふうに思っている自分がいることを、

ルミエは、ようやく素直に認めることにした。

ほんの少しだけ、心を前に向けてルミエは久しぶりに心からほほ笑んだ。


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