第10話 『森核(しんかく)の胎動 ― その答えの代償 ―』**
森の底は、暗闇ではなかった。
ミナトが辿り着いた場所は、光の粒が舞う“胎内”のような空間だった。木々の根が天井から垂れ下がり、まるで巨大な生き物の血管のように脈動している。赤い鼓動のような震えが、足元の地面まで伝わってきた。
(ここが……森核。森母や原初熊の力の源……)
「境界の子よ——よく来たな」
森母の声が響く。その姿は、先ほどよりも透明感を増し、宙に浮かぶ影のように揺らいでいた。熊の姿でありながら、人にも似た輪郭。境界そのものの存在。
「ここで、汝は“核”となる儀式を受ける。
あの原初熊でさえ、森の意思に従う器にすぎぬ。
だが汝は……新たな森の未来そのものとなるのだ」
原初熊が一歩前に出た。
その影は巨大だが、先ほどより明らかに形が安定している。ミナトの到来を待っていたかのように。
ミナトは拳を握った。
「……核になるってことは、オレの意思が森を動かすってことか?」
「その通りだ。人と熊、どちらにも偏らぬ境界の存在。
汝こそ、森が自ら選び抜いた“第三の種”よ」
「でも——」
ミナトは目を閉じた。
(ユリー……クロガネ……シロガネ……
オレは本当に、この森の未来を決める資格なんてあるのか?)
迷いが胸に渦を巻く。
そのとき——。
「ミナトォーーッ!!」
空気を突き破る叫び。
背後から聞き慣れた足音が迫る。
ユリーが息を切らせながら駆け寄ってきた。
続いて、クロガネが血を流しながらも吠えるように走り込み、シロガネが鋭い爪を地面に突き立てて踏みとどまった。
「ミナト! 森に喰われるつもりかよ!」
クロガネの声は怒りよりも、明らかな恐怖に震えていた。
「兄さん……!」
シロガネが叫ぶ。
「森核に触れたら、ミナトはもう戻れない! 森そのものになるんだよ!」
ユリーも泣きそうな声を上げる。
「ミナト……あなたは人だよ……! 熊でも人でもない存在なんて……そんなの……あなたが消えるのと同じだよ!」
ミナトの胸が締め付けられた。
だが、森母が冷ややかに告げる。
「感情は不要だ。
境界の子が核となれば、森と人の戦は終わる。
犠牲はひとつで済む。最も合理的な選択だ」
「合理で命を決めるなッ!」
クロガネが吠え、森母に飛びかかろうとした。
しかし——原初熊の影が動いた。
巨大な腕が振るわれる。
クロガネの体が遠くへ吹き飛んだ。
「兄さん!!」
シロガネが悲鳴のような声を上げる。
だがクロガネは、よろめきながら拳を地面に叩きつけて立ち上がった。
「ミナト……! オレは熊として人間を憎んで生きてきた……
でも、お前を見て……初めて迷ったんだ。
お前は……ただの獲物じゃなかった……!」
その言葉は苦しく、重く、そして真実だった。
(クロガネ……)
ミナトの胸の奥に、熱いものが広がっていく。
森母が言う。
「迷いは弱さだ。
熊も人も、弱き者から淘汰される。
境界の子よ、汝が核となり、森を——」
そのときだった。
ミナトの右腕が眩い光を放つ。
森母の声が途切れる。
原初熊が低く唸る。
シロガネが息を呑む。
「……ミナト……その光……あなた……!」
ミナトはゆっくりと前へ出る。
「森母。原初熊。森核……全部わかった。
オレを選んだのは、森の意思なんだろ?」
「然り。だから汝は——」
「でもな」
ミナトは光る右腕を掲げた。
「森がオレを選んだら……オレにも森を選ばない自由がある!」
森核が大きく脈動する。
光が天井へ走り、森全体が震えた。
「境界の子よ……何を言っている……!」
「森も人も救う。
どっちかだけを選ぶなんて……そんなのは間違ってる!」
ミナトの言葉に、ユリーが泣きながら微笑む。
「……ミナト……」
クロガネが低く唸りながら頷く。
「お前らしい答えだ……!」
森母が叫ぶ。
「あり得ぬ! 境界が両方を救うなど——
それは“森の秩序”を壊す!
世界を壊すことになる!!」
「——なら、壊すよ」
ミナトは静かに言った。
「間違ってる世界なら、壊してでも作り直す」
次の瞬間。
ミナトの右腕の印から、光と風が爆発した。
森核が悲鳴を上げる。
原初熊が後ずさり、森母が影のように揺らぐ。
境界の子の“答え”が、森を揺るがした。
その代償として——
ミナトの身体がゆっくりと光に溶け始めていた。
「ミナトッ!!」
「ミナトーーッ!!」
ユリーとシロガネの声が交錯する。
(……これは……代償……?)
意識が薄れていく。
ただひとつだけ聞こえた声があった。
「境界の子よ……
汝の答えは……破壊の道か……創造の道か……
その先に待つのは——」
声が途切れた。
ミナトの意識は、光の中へ溶けていった——。




