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折り紙に包まれている  作者: 浦瀬凪
8/13

練習の会

 「失礼します」

 次の日の青空休み、細い声がコスモ組の教室に届いた。届いたのは多分、私の耳にだけ。教室では、トランポリンで遊ぶ子、先生と話している子、塗り絵をいている子、そんなカラフルな声で満ちていた。

 勇気を出して、振り絞った小さな声。

 私にはどうしようとできないと不安になりながら、切なくなるようなその声を聞いて聞かぬふりをすることはできなかった。

絵を描いていた手を止め、顔を上げる。

教室の入り口にあやちゃんが立っていた。

ドキッと心臓が跳ねる。

 あやちゃんと目が合う。春の桜のように穏やかに笑い、小さく手を振っていた。その表情に私の心も凪いでいく。

 席から立ち、あやちゃんの方へとかけていった。

「音楽会出るんでしょ?小川先生から聞いたの。それでさ、一緒に練習しようか。リコーダーでしょ?私はケンハモなんだけど、一緒にやろ」

 あやちゃんは片手にリコーダーと鍵盤ハーモニカを抱えていた。

 あまりにキラキラした目だったから、私も素直にこくりと頷いた。




 あやちゃんは鍵ハモ担当だが、リコーダーも完ぺきだった。

 一方私は音楽自体、よく分からないから、指の動きを教えてもらい、あやちゃんが歌うメロディーに合わせて指を動かした。

 楽譜にドレミを譜ってもらい、音ごとの指使いも教えてもらった。

 教室の隅っこに私の弱弱しいリコーダーの音と、あやちゃんの涼しい歌声が通っては消えていく。

「昨日、机に折り紙くれたの翠ちゃんでしょ」

 リコーダーの上で動かしていた指をとめる。

「すごく嬉しかったんだあ。ピンクと黄緑、桜みたいだった」

 桜、をイメージして作ったの。伝わったみたいで良かった。心の中でつぶやく。

「翠ちゃん何色が好き?そうだ、これに書けたら書いて」

 そう言ってあやちゃんがスカートのポケットから取り出したのは、四つにたたまれたルーズリーフと鉛筆だった。

「書けるときに書いたらいいからね。私は音にならにときは文字にするの」

 あやちゃんはそう言うと“練習しないと本番間に合わなくなっちゃう”と、ひざをバタバタさせながら言い、再びリコーダーを手に取った。

 あやちゃんにも音にならない時があるのかな。そんな風に思った。


 緑が好き。だけど、桜が好きだから、ピンクもオレンジも茶色も好き。黄色も

 

ルーズリーフに書いた昨日の質問の答えを、今日の練習で渡す。昨日の練習終わり“また明日”と言って、あやちゃんは去っていった。

 “また明日”

 いい響きだった。緊張している体の力が抜けていった。肩の力を抜くというのはこういう状態を指すのかもしれない。口が、頬が、少しほころんだ気がした。

「私の質問に答えてくれた。嬉しい」

ルーズリーフを渡すと、あやちゃんはまだ紙を開いていない段階でそう言った。

「緑ね!私も好き。桜!この前の折り紙も桜模様だった」

 一つ一つの言葉に無邪気にリアクションするあやちゃんを見ながら、気恥ずかしいような、でも、嬉しいような気もした。

 “会話”とまではいかないかもしれないけど、そこにあるのは、小さな“会話”だった。そうだ、ずっと会話がしたかったのだ。多分私はそうだった。だから、嬉しい。

「ねえね、どうして桜なのに、オレンジと黄色と茶色なの」

 あやちゃんがきょとんとした目でこちらを見る。

 私は自分の席まで行くと、自由帳と鉛筆を手に取った。家にいる時みたいに、体が軽かった。

 桜の葉っぱ、紅葉するときオレンジだから。黄色も。きれい。茶色は木かな。学校の桜の木はどっしり太くて頼もしい。


 自由帳にそう書くと、あやちゃんに見せた。

「行こ‼」

 それを見るなりいきなり叫んだ。目が輝いていた。

「ああ、でもダメダメ。今は木星の練習しないと」

 五本の指をバラバラに動かし斜め上を仰ぎながら言う。

「放課後!放課後にしよ」

 普段の大人しい印象が吹き飛ぶくらい、はつらつとしていた。だから私も何だか、まっすぐ芽吹いた若葉のように清々しい気分になった。


 放課後、校門であやちゃんが待っていた。ランドセルはなく、キッズスマホを首からぶら下げているだけだった。

 あやちゃんは私の方にかけ寄ってくると、そのまま私の手を握った。びっくりする間もなく、気づいたら私たちは走っていた。

「木が紅葉しているのって今でしょ。私もそれ見たいから」

 息を切らしながらあやちゃんは言った。

 昼下がりの太陽の下にいるからというのを差し引いても、彼女の笑顔はまぶしかった。

 私が言うのもあれだけど、十二才らしい笑顔だった。

 この学校のグラウンドがこんなに広いことに初めて気づく。こうやって走ったのは初めてだったから。

 中央でサッカーをしている男子をさけ、遊具のある方へと走る。

 私は足が遅い。あやちゃんも足が遅い。

 足が遅い二人が全力疾走をしている。はたから見れば笑い者だ。恥ずかしい気持ちはあった。それでいいと思えるほど強くもなかった。

 だけど、嫌ではなかった。だって、私たちを見て笑おうとしている人以上に、私たち自身が笑いそうだったんだから。

 何をこんな一所懸命に。そう思っていた。それなのに、今は一生懸命走らなきゃいけない気がして、おかしかった。何がおかしいのかハッキリ分からないけれど、おかしくてたまらなかった。

 体育館横の桜の木に着くころ、二人とも息を切らして、両手を膝につきながら肩で息をしていた。

表情がほころんでいた。

「うお!ほんとだ!ね、紅葉してる」

 両手を腰についたあやちゃんが少し興奮気味に言う。

「オレンジ、赤、黄色、緑。桜の葉っぱってこんな感じなんだね」

 赤くなった頬で笑う。

「よく知ってるね。私の方が長く、この学校に通ってるのに全然知らなかった。桜は春にしか見ないから」

 私も呼吸を整えながら立派な木を見つめる。

「きれい。秋の桜もきれい」

自分が好きなものをきれいだと言われるとうれしい。それが、仲良くした人ならなおさら。

「桜の木をまじまじ見たのも初めて。立派ね。何年ここにいるんだろうね。すいちゃんは桜の全部が好きなんだね」


 転校する前に住んでたところに桜の木がある公園があったの。


 スマホに打った文字をあやちゃんに見せる。

「その場所が好きだったの?」

 

 好きだったかどうかは分からない。でも、友達が不思議なことを言ったの。


「不思議なこと?」


花は助けを呼ぶ声だって。木とか草とか葉っぱのときは誰も気づいてくれないけど、花を咲かせたら気づいてくれるから。みんながきれいって言ってくれるから。


 理科の授業で花が咲くのは命をつなぐためだと習った。園子の言葉は事実ではない。花は人に気づかれるためではなく、虫に、風に気づかれるために咲く。

 だけど、私は園子の考えが好きだった。どこに事実があるのかなんて私にとってはどうでもよくって、園子の見ている世界が好きだった。

「翠ちゃんの友達さんにはそう見えていたんだね」

 そう、ちょっぴり悲しい景色。だったのかもしれない。

「じゃあ、じゃあさ!私は助けを呼ぶ花のそばにいてあげられる風になりたい」

 あやちゃんはあざやかに紅葉した木を見ながら、まだすこし乱れている呼吸で言った。

「助けを呼ぶ悲しさなんて抱く必要もないくらいずっとそばにいてあげられる、その木だけの風になりたい」

 まっすぐ、この世界に言葉を放り出す彼女がまぶしかった。

 私も園子にとっての風になりたい。そして、図書室で泣いていたあやちゃんにとっての風になりたい。

 家族以外の人に言葉を投げかけることができたのは、二、三年ぶりで、(小川先生除く)少し調子に乗っているかもしれない。

 家族には言えなかったこと、だけど、同い年の子になら伝えたいこと、そういうのがあふれ出しそうだった。

 スマホに文字を打っていく。


この前ね、放課後の学校におじゃましたの。みんながいない学校はいつもと全然違って見えた。イスも机も、チョークも黒板もいつも子どもたちに見せる顔とは違って見えた。


「うおぉ私も放課後の校舎に忍び込みたい」


 ここにきたのもそうけど、大分好奇心旺盛なところがある。


忍び込んだわけじゃないよ。堂々と入ったの。保健室の入り口から。いつも自分が見ている校舎の姿が全部じゃないんだって思った。全部だと思ってた。だって、毎日通ってるから。


「そうだね」

 あやちゃんの優しい相づちに、ひとつ頷く。


 見えていなかっただけなの。だってその時間は家にいるから。


 でも、と続きを打って、そこに続く言葉がうまく出てこない。

 空を仰ぐ。枝が葉っぱがそよそよと揺れている。

「でも、見えていないからといってこの世界にないわけじゃない」

 あやちゃんが言葉を引き取って続ける。あやちゃんも空を見上げていた。

「世界には確実に存在した。夕焼け色に染まる校舎を、真っ暗闇になって物音ひとつしない校舎を、朝日が昇っていく校舎を誰も見ていなかったとしても、世界には存在した。それがたとえ一瞬だったとしても、これは揺らぐことのない事実だ」

 詩を朗読するように、堂々とした音で、言葉を紡いだ。私がどうやって表現すればいいか分からなかったものを、的確に表現してくれた。

 思わず頬がゆるんで、口角があがる。

「私もそう思うの」

「たとえば今、思いを言葉に表せなかったとしても、思いがこの世界になかったということではない。音として誰かに聞こえる形、見える形、分かる形になっていなくても、そこにはあるの」  

 ふと、園子が言っていたことを思い出す。

 “すいもちゃんとそこにいるよ”

 園子はそういうことを言いたかったのかもしれない。私は話すのが下手で、できなくて、いつも下を向いていた。

 だけど、言葉が喉から出ないからといって、この世界になかったわけではない。ちゃんとここにあったの。私は私の言葉がちゃんとあったんだよ。

 きっと誰かに分かってほしかったの。言葉そのものよりも、伝えたいという思いを、分かってほしかったの。



 その日以降も私たちの密かな練習会は続いた。

青空休みには、コスモ組の隅っこで、放課後には、誰もいない音楽室で。ときに、空き教室で。先生たちはそんな練習を快く見逃してくれた。ような気がする。

実際、とがめられたことはないし、みんな応援して去っていく。

私が学級全体の練習に参加できていないから、特別にという計らいかもしれない。

毎日の練習のかいあってリコーダーの腕前は、なんの曲をやろうとしているか分かるくらいにはなっていた。

ひょろひょろとリコーダーの頼りない音がする放課後の保健室。グランドとつながっている入口が開け放たれている。グランド側の石畳に座り込み、不器用に指を動かす。

あやちゃんがドレミで木星を歌ってくれるから、どういう風に音がつなっがているのかは完璧に覚えている。

だけど、それと一緒に指を変えていくのが難しかった。どの音でどの指使いか覚えられなかった。

「音楽、少しは好きになった?」

 ガラガラっと保健室の扉が開き、あやちゃんの声が届く。

 そちらを向いて、目をほそめ、首をふるふると振る。

 好きじゃないから、覚えられない。それはあると思う。興味がないから今まで触れてこなかった。というより避けてきた。

「まあね、気持ちは分かる。私も得意ではない。好きかどうかと聞かれても、首をかしげる」

 楽譜の下に置いていたノートを広げ、鉛筆を動かす。


 好きじゃないの?保育園の時からピアノ習っているんでしょ?


「うーん。音楽自体は好き、だと思う。ピアノがぽろろんとなっているのはかわいくて好き。でも、大きな音は苦手。疲れちゃうの」

その気持ちは分かる。

 そういえばあの日、図書室で会った時、あれは楽団が子どもたちに向けて演奏しに来ている日だった。

 私と同じで、行かないという選択をしたのかもしれない。

「合唱曲は“マイオンロード”だよ。知ってた?」

 

 知らなかった!どんな曲?


「うーんとね」

あやちゃんは私の隣に来て、地べたに座りながらそう言うと、小さな声で歌った。

彼女の綿毛みたいにふわっと優しい歌声が好きだ。

 私だけに聞こえるくらいの声で歌うその歌声が好きだ。吹いたら飛んで行って二度と見つけられないけど、遠くでまたきれいに咲く。

歌詞を覚えきっていないのか、ところどころ鼻歌で歌っている。それがとても、愛らしかった。

 あやちゃんの歌声と同じくらい優しい歌。あやちゃんの歌声が綿毛だとしたら、この歌はタンポポかなと思った。

 あやちゃんと相性のいい曲。

「練習始めようか。どこからやる?」

 私は楽譜の一部を指さす。

「そこ、得意なところでしょお」

 あやちゃんはきゃはははと無邪気に笑った。

「だめです。難しいところからやります」

あやちゃんは指をふる。私は肩を落とす真似をしつつ、楽しかった。彼女とならどこから練習を始めようが楽しかった。

ここ数日でそう思えるほど私たちは距離を縮めていた。

あやちゃんはリコーダーをケースから出し、鍵ハモのパートを吹く。私はリコーダーのパートを吹く。

そうやって今日も練習が進んでいった。

途中、通りがかりの先生たちが顔を出しては消えていった。

「翠ちゃんほんと上手になったね」

 これも、あやちゃんが一から丁寧に教えてくれたおかげだ。三年前に買ったリコーダーがやっと手になじんできた気がする。

 

そういえば、指揮者、先生じゃないんでしょ?


 一通り吹き終わったところで会話する。これもここ最近習慣化していることだ。

「そうそう。六年生は先生じゃないみたい。りんちゃんがやるんだよ。知ってる?りんちゃん」

 私はまたこくりと頷く。

 四年生のとき同じクラスだった。そのときは学級委員長で今は児童会長だ。学校の中でも目立つポジションにいる子。

 

今日も練習あったの?

 

「今日もあった。最近毎日のようにあるんだよ。今日は体育館で、だったけど、そうじゃないときはオープンスペースとかで」

 オープンスペースとは教室の外にあるだだ広い廊下のようなものだ。


音楽会の練習大丈夫?疲れない?


 私の問いかけにあやちゃんはあいまいに笑った。

「でも、やらない訳にはいかないじゃない?私だけ、嫌だからという理由で、出ませんとは言えない。他にもそういう子はいるかもしれないのに私だけね、ダメだから。それはダメ。みんな嫌でもがんばるんだから。頑張らないと」

 あやちゃんはリコーダーをバトンのようにくるくる回しながら言った。その技はどこで身に着けたんだろう。話の流れとは関係ないことをぼんやり考える。

「そういう子からつぶれちゃうのよ」

 後ろから声がして振り向くと、養護教諭の山田先生がいた。教務室から帰ってきたようだ。穏やかな目と声を持つ大好きな先生。六十代くらいの先生に、怖い貫禄は一切なく、おばあちゃんのような親しみやすさがあふれている。

「やりたくないと言う子はきっと他にもいるでしょう。面倒くさいと言う子もね。問題はそれがどれほどその子の負担になっているか、ということよ。ただ口癖みたいに言う子もいる。友達が言っているからと言う子もいる。本心はそこではないけれど何かをごまかそうと言う子もいる」

 私たちは首だけ山田先生の方を向きながら話を聞く。

「そして、本当に、体いっぱいに負担になっている子もいる。そういう子はね、やめたいとは言わないの。冗談交じりに一度言ってみればいいのに、言ってしまえばもう二度と立ち上がれないとでも思っているかのように、言わないの。だって、あの子だって嫌だよねと言いながらやってるんだから、私だけ逃げてはダメだと。“あの子”と本人が抱えている負担の大きさは違うのに、目に見えないから分からないの。分かっていても見ぬふりをする。頑なに口を閉ざし、そして、楽しいです、頑張ります、大丈夫ですと言い、自分に鞭打つの」

 山田先生は目を細めながら言った。目尻によったしわがどこまでも優しい。

私たちはお互いの目を見た。そこに何が映っている訳でもないのに、見つめ合った。

「先生、その鞭で強くなっているように錯覚しちゃうの?本当はその鞭であざができて、肌が切れて、血が出ちゃうのに」

 あやちゃんは私の方を見たまま、山田先生に聞いた。

「そう、なのかもね。だから、そういう子から潰れてしまうの」

 じゃあ、どうすればいいんだろう。どんなときだって、鞭を打つしか、今日を乗り越える方法はないのだ。

「うん。先生ありがと。特別授業みたいだった」

 あやちゃんも私と同じことを考えているだろうか。その横顔からは何も読み取れない。

「あら、ほんと?」

 山田先生はうふふとかわいくほほえんだ。



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