痛みと喜びと
私の記憶の中で、家族以外の人と話した記憶はほとんどない。声が出せないことが当たり前だった。声を出したいと思いながら、声を出すことを諦めていた。そうやって諦めているくせに、いつもどこか緊張していた。いつも、普通に話せることを望んでいた。
お父さんはいつも仕事で忙しそうにしている。だけど、休みの日はいつも私と遊んでくれる。家族で出かけるために車を出し、おいしいものを注文し、欲しいものを買ってくれる。娘が好きな優しいお父さん。
パパっ子な幼少期だった。お母さんのことも好きだったけれど、お父さんとはいつも会えるわけじゃなかったから、会えた時は特別感があって、心が躍った。一緒に遊びに行けるとなれば、朝早くに起きて、まだ寝ているお父さんの身体に飛び乗り、はしゃいだ。
水族館に行った時だった。私はそこら辺にいる子どもと何ら変わることなく、光を反射して輝く魚を見てはしゃぎ、あれは何ていう魚なのか両親に聞き、絵本でも見たことのない変わった形の魚に笑いかけた。
水槽、お父さん、お母さんのことしか見ていなかった。
だから最初に気づいたのは、多分向こうだったと思う。最初に気づいたのはどっちだっただろう。水色に包まれた通路の先を歩いていた男の子と目が合った。同じ幼稚園に通う同じクラスの男の子だった。両手を緑のジャンパーに突っ込んだその子は、身体こそ水槽の方を向いているけれど、潤んだ瞳は私の目とぶつかっていた。
不思議でたまらなかっただろう。幼稚園では一言も話さず、動くことさえできないことがあるのに、普通に話し、笑い、歩いていたことが。
私も不思議でたまらなかった。その子の目を見た途端、笑い声が出なくなり、足が動かなくなり、楽しいことなんか何もなかったように心が凍りついたのが。
不思議でたまらなかった。
空気の流れが、あの大きな水槽を流れるあの水のようにゆっくりになった気がした。
チクタク動く時計は速くなったり遅くなったりするのだと、あの時初めて知った。あの子の隣にいる背の高い男の人は、あの子のお父さんだろう。
私のお父さんとお母さんは、今どうしているだろう。私の後ろに立っているのかな。私が今、困っていることに気づいているのかな。
あの子の瞳を見ていればその答えが写っているとでも思っているかのように、その子の目を見続けていた。
時計が元に戻ったのは、男の子が私から目を逸らし、通路の先へと歩き出したから。男の子は顔を背け、何もなかったかのようにお父さんと手をつないで歩いて行った。
「翠、あと少ししたらアシカショーがあるみたいよ」
頭の上からお母さんの声が落ちてきた。
お母さん、あの子、幼稚園が同じ子なの。お父さん、あの子に普通に話しているところ、見られたかもしれない。幼稚園では話さないのに変に思われるかもしれない。明日はもっと幼稚園に行きたくない。
あの時、そんな言葉を全部のみ込んだ。
「アシカショー?イルカさんじゃないのお?」
あの時、初めて、両親の前で作り笑いをした。幼稚園の女の子たちがおままごとでお芝居をしている時みたいに。
あの時、初めて、両親の前で涙をこらえた。
本当は泣いてしまいたかったかもしれない。泣いたって、ばれなかったかもしれない。水族館には水がたくさんあって、私が泣いたところで、誰かの瞳に映る水の量は大して変わらないのだから。
だけど、涙を流さないことを選択した。
私にも友達が一人いた。私のことを見つけると、笑顔で駆けよってきた。私よりも小さな体だったけど、あの時の私の世界では、自分の存在よりその子の存在の方が大きかったかもしれない。その子の前では、自分の声を音として出すことができた。お母さんと話すときみたいにたくさん話せるわけではなかったけれど、あの子といる時は、外の世界で唯一、息ができていたと思う。
同い年のその子は保育園に通っていた。私は幼稚園だったから同じ幼稚園がいいと何回も思ったけれど、だめだった。その子の両親は二人とも働いているから、夜遅くまで預かってくれる保育園じゃないといけないらしかった。
隣の隣の家に住んでいたから、その子が家族といるところを見かけることもたまにあった。日曜日のお昼時、お母さんとショッピングセンタ―に出かけようというときに、たまたま向こうも同じタイミングで家を出て、あっとなった。
親同士は子供には見せないであろう笑い方でおじぎをし合った。
私たちは、手を振り合った。向こうが笑顔になるから、私もつられて笑った。そういう時は、車の中に入ってもなお、嬉しい気持ちが残っていた。
その子はいつも突然私の家を訪ねてきた。私のお母さんが“ママとパパは仕事?”と聞くと、“これから仕事”と答えた。“じゃあ、すいと遊んでくれる?”とお母さんは言った。そうすると向こうのママが小走りでやってきて、大人同士が挨拶をする。それがいつものパターンだった。
私たちはよくその子の家のガレージで遊んだ。コンクリートの地面にチョークで絵を書いて、笑いあった。
小学校からは同じ学校に通った。なんだか不思議な気がした。家の前でしか会えなかったその子と、毎日一緒の学校に行っていたから。
一緒に学校に行き、授業が始まるまで一緒にいて、授業が終わった後も一緒にいた。昼休みも一緒にいたし、学校の前でバイバイをするまで一緒にいた。
一緒に家まで帰りたかったが、その子は放課後に児童館へ行かなければならないみたいだった。だから私は、一人で家まで帰った。
小学生になっても、私が声を出せるのは家族とその子の前でだけだった。
その子は私が学校で話せないことについて何も聞いてこなかった。何も聞いてこないからとても居心地がよかった。どうして黙っているのかと聞かれることほど、私をさらに喋れなくする言葉はなかったから。
二年生に上がるころには、学校でも、その子となら少し話せるようになっていた。二人きりの時か、誰も見ていない時だけだったけど、私は学校に自分の声が零れ落ちていく感覚が嬉しかった。外の世界では話せないことが当たり前だったから、言葉を発する度に外の空気とくっつき仲良くなれたみたいで嬉しかったのだ。
その子は三年生に上がるころには、児童館に行くのを辞め、放課後は家で留守番をするようになった。そうなると、私たちは放課後もずっと一緒にいた。一緒に宿題をやって、ゲームをやって、お菓子を食べながらたくさんおしゃべりをした。
学校にいる時の私と放課後の私は全くの別人みたいに見えていたと思う。自分でもこんなに変わるもんかと思うくらいに、よく笑い、よくしゃべった。ゲームに夢中になって叫び、ソファの上で飛び跳ね、そしてまた笑った。
その子はそれに応えるように一緒に笑ってくれた。
笑顔が可愛い子だった。えくぼができるわけでもなかったし、よくいう鈴がなるような笑い声でもなかったけど、少し上を向き、口を大きく開けて笑う姿はとてつもない愛嬌を潜ませていた。学校でもよく笑う子だったが、放課後にこうして笑っている姿が好きだった。学校での笑顔は私を和ませようと、元気にしようとしてくれている笑いかけだったから。
何も考えず、どこかの物語にでてくるバカな男の子みたいに笑っている時間が好きだった。夜も朝も来なければいいのにと思った。
だけどどこかの物語に出てくるバカな男の子でも朝と夜が繰り返しやってくることは知っている。
父親の仕事の都合で引っ越しをすることになった。最初はお父さんが一人で引っ越す話も出ていた。きっとそうなるだろうと勝手に思っていた。
けれど、何がどう転んだのか、家族みんなでお父さんの新しい仕事先へ引っ越すことになった。確かにお父さんと離れて暮らすことになってしまったら、寂しかったかもしれない。でも、隣の隣の家の園子と離れることもそれと同じくらい寂しかった。
毎日一緒にいたから。家族以外で話せる唯一の人だったから。唯一の友達だったから。
私が通っていた学校では誰かが転校するとき、クラスでお別れ会を開くのが普通だった。黒板に大きく“○○ちゃんありがとう”と書き、その周りをお絵描きして賑やかに飾る。クラスみんなでレクリエーションをして、最後に寄せ書きをした手紙を渡す。そうやって見送られているのを他のクラスの子含め何人か目にしてきた。
私はお別れ会を望まなかった。みんなの注目の的になるのが嫌だったし、園子以外は一度も話したことのない子たちだ。私が転校することを悲しんでいる子なんていないと思ったから。そうだとしたら、お別れ会など誰の得にもならないことだから。
お母さんにお別れ会はしなくてもいいということを連絡帳に書いてもらい、担任の先生に伝わるようにした。
連絡帳に書き込む母の背中を私は黙って見ていた。
その時の気持ちがどんなものだったかなんて、表現できる言葉を私は持っていない。
お母さんはどんな気持ちだっただろう。
お別れ会を拒むような娘であることをお母さんはどう思っていただろう。
最後の登校日の日、それは卒業式だった。三個年上の六年生の卒業式。私は卒業式が好きだった。みんな退屈そうにしているし、足元が落ち着かない子が多いけれど、私は学校で一番落ち着ける行事だった。
淡々と聞こえてくる先生たちの声、難しい言葉を連ねて話している大人、一人二人と歩く音。いつもと違う体育館。静かにするという一つの約束を小さな子から髪の毛のないおじいさんまで律儀に守っている姿が私に安らぎをもたらした。
ストーブの匂い、暖かい指、冷たい足、先生が肩で呼吸する、隣の子が手をこすり合わせる、誰かの深呼吸、窓の結露、ストーブの波打つ色、曇り空に除く小さな太陽。
そのどれもが私の味方だと思った。
一番好きな行事だった。今日がこの学校に来る最後の日で良かったと思った。こんなに
も素晴らしい思い出で終われるのだから。最後がきれいだと全部がきれいだったように思えるから。だから今日が最後で良かったと思った。
「一緒に帰ろ」
解散となった教室で声をかけてきたのは園子だった。
一緒に帰ろなんて言わなくても、いつも一緒に帰っているのに、今日は珍しくそんなことを言ってきた。園子が児童館じゃなく家に帰るようになった時も、そんな風にして誘ってくれた。その時も今も、その一言がとても嬉しくて、なんだかくすぐったかった。
今日が最後の帰り道だとはとても思えなかった。家へと続く道はいつもと何も変わることなくそこにあったから。いつも通りのアスファルト、横断歩道、住宅街、店、そこに停まっている車。
明日もきっとこの景色を見るのだろうと頭を全部使って勘違いしているようだった。
一つ、いつもと違うことと言えば、ライドセルでなく、身軽なトートバッグを持っていること。
それが今日が卒業式だったと教えてくれる唯一の物だった。
家へと続く道の曲がり角の一つに小さな公園があった。ベンチと水道しかない、これを公園と呼んでいいのかと思うほどに、本当に小さな公園だった。住宅街に完全に溶け込んでいるこの場所に訪れる人はほとんどいない。溶け込みすぎてみんなの頭の中から消えているんじゃないかと思う。
けれど公園らしいものがないに等しいこの場所に、一つ、そこを公園と言うにふさわしいものがあった。公園の縁に沿うように植えられた二本の木。
桜の木だった。
暖かくなれば、花が咲く。花が咲けば、見慣れた住宅街が少しだけ明るく見える。もっと暖かくなって花が舞っていけば、さらに明るく見えた。だからみんな思い出す。ここに公園があったことを。
桜がなければこの公園の存在は忘れ去られているかもしれない。初めて見た人はただの空き地だとずっと勘違いし続けるかもしれない。
それこそ、頭の中から消えるまで。
「見て、桜、まだつぼみにもなってないね」
隣を歩いていた園子が足を止めて呟く。瞳はまっすぐ桜の木を見上げていた。それにつられて私も桜の木を見上げる。
見上げた木につぼみっぽいものは何もなく、ただの木だった。
「ただの木だって思った?」
園子が私の方を見て言う。
「どうして分かったの?」
「どうして分からないと思うの?」
園子には時々こういう不思議なところがあった。
「ただの木だけど、桜がなくても桜の木だよ。一か月あとにはみんな思い出す。桜が咲けばみんな思い出す。桜の木だって。夏も秋も冬も忘れていたくせに、花が咲けば、ずっと可愛がっていたかのように見つめるの。花は助けを呼ぶ声なの。ここにいるよ、忘れないでって。ほとんどの人はただの木とか、ただの葉っぱとか、ただの草には目をやらないけど花には綺麗だねって言ってあげられるから。寂しいよって声なの。その声が花を咲かすの。みんなが気づけるように」
「じゃあ、どうして枯れちゃうの。ずっと咲いていればいいのに」
桜の木を見ながら聞いた。
「泣きつかれた赤ちゃんと同じだよ。ずっと泣いていたのに、その声にお母さんが気づいてくれて、あやしてくれて、温もりをくれると、泣きつかれて悲しかった気持ちをすっかり忘れて、眠りについてしまうの。悲しいことも寂しいことも忘れてしまうから。花は花の役割を終えて飛んでいくの」
「花は涙?」
園子は曖昧に笑った。
園子の言っていることが本当か嘘かは分からないけど面白い話だった。絵本の中みたいに。園子は面白い話をたくさん持っていた。全部自分で考えたことなのか、誰かから教えてもらったことなのかは分からないけれど、同い年で同じ時間しか生きてないとは思えなかった。
きっと前世の記憶があるタイプの人間だろうと、ずっと前から勝手に思っている。
「花が涙だとしたらこの世界は涙であふれているよ」
私はポツリとつぶやいた。
「花が涙だとしたらこの世界は水だらけだね」
園子は私の声と溶け込むくらいの声の大きさでつぶやいた。
「海より多いかな」
海の水、涙。
私はぼんやりと、家族と行ったあの水族館を思い出していた。泣けばよかったと思ったあの時を。
きっとあの時、涙を堪えたのは泣いている姿をお父さんとお母さんに見られたくなかったから。それなのに、泣けばよかったと思ったのは、泣きたいくらい悲しい気持ちに気づいて欲しかったから。
「きっと海よりは少ないよ。海の水がこんなにもたくさんあるのは、生き物の涙を隠すためだから」
園子はいたって真面目に、嘘か本当か分からないことを言っている。園子が言っているから本当な気もするけど、きっと他の人に言ったら笑われる気もする。
だから、私は、友達の言葉も、今の表情も、胸に閉まっておくことにした。私は笑いたくなかった。いつか、笑わないで聞いてくれる人と、この美しい話を共有しようと思った。
「すいの涙も花と海が隠してくれるかもしれない」
園子はそういうと、肩にかけたトートバッグの中をガサゴソと漁り始めた。
いったいそのバッグの中には何が入っているのだろう。今日必要なのは筆箱くらいだ。それなのに園子の持っているカバンはふっくらと膨らんでいる。やがて、園子はカバンの中から手の大きさくらいの立体的な四角い何かを取り出した。
「はい、これあげる」
真っ直ぐ私に差し出してきたそれは、薄いたくさんの色が組み合わされた四角い何かだった。
たしかこういう色をパステルカラーと言ったはず。園子の方を見ると、差しのべた手をんっとさらに伸ばしてきた。
私は両手をお茶碗の形に丸めて園子の方に差し出した。
コロンと四角い何かが転がって来た。やさしい色と合うようなやさしい軽さだった。
「紙?」
聞くと、園子はうんと頷いた。
四角い何かは、紛れもなく紙だった。肌触りもその身軽さも、毎日どこかで手に触れる紙だった。
だけど、手の平に転がるまで紙だと思えなかった。それは、今まで見たどの紙よりきれいに輝いていて、たくさんの色を複雑に持ち合わせていたから。
「折り紙だよ」
園子が少し自慢げな声で言った。
折り紙。
折り紙はもちろん知っている。こうやって立体的になっている折り紙も知っている。図書館や時々学校でも見たことある。
けれど、そのどの折り紙とも違う光が目の前にあった。
一つの面の四角にはもう一つ四角が斜めに組み込まれていて、ダイヤモンドみたいに光っていた。
よく見れば、ううん、よく見なくても、どの面も、どの角も、いくつもの三角が組み合わされて四角をつくっていることが分かった。
そのどれもがあざやかな光を放っていて、三月の冷たい空気に一番に差してくる春の光みたいだった。
「きれいだね」
「私が作った」
園子は今度こそ、ちゃんと自まん気に言った。
「ありがとう」
いつも隣にいる子と向かい合っているのはなんだか照れくさくて、でもそれがとてもうれしくて、声がいつもより上ずった。
園子の家の前でいつも通り“バイバイ”と別れた。また明日も会うかのようにいつも通り。
引っ越しの日を園子は知らなかった。聞いてくるようなこともしなかった。私も教えようとは思わなかった。
出発の日を言ってしまったら、その日で終わりになるような気がしてしまったから。その日で二人の友情は終わりだと言ってしまうみたいで怖かったのかもしれない。
実際引っ越しの日に園子に会うことはなかった。引っ越し屋さんが家の物を次々に運び出していく合間に、お母さんと園子のお母さんは少しだけ立ち話をしていたけど、そこに園子の姿はなかった。家にいたのかもしれないし、遊びに出ていたのかもしれない。何をしているのか少しは気になったけど、お母さんはバタバタと忙しそうだったから聞けなかった。
園子のお母さんに聞けたらと思ったけど、私はただ遠くから園子のお母さんを見るばかりで、お別れの挨拶をすることさえできなかった。
だから出発の直前、園子の家のポストに手紙を入れてきた。お父さんとお母さんが引っ越し屋さんと話しているすきを見てこっそりと。
簡単な手紙だ。園子が私に書いてくれたのに比べれば。
園子からの手紙があの綺麗な折り紙の箱の中に隠されていたことを知ったのは、引っ越しの前日の夜だった。全ての荷物が段ボールの中にしまわれ、だけど、この折り紙だけは段ボールに入れたらこわれてしまいそうだと、手に持ったままベッドに寝転がり、春の光のようなそれを見つめていた。
どうやって作ったんだろうと色んな方向に傾けながら見ていた。ある一点をじっと見たり、全体的にぼんやり見てみたり。すると、折り紙を動かした拍子にさっとわずかな音が聞こえてくることがあることに気づいた。
何だろうと思って折り紙をくるくる回してみる。けれど、確信が持てなかった。聞き間違えだったかもしれないし、折り紙ではなく別の所から聞こえてきた音かもしれない。目を閉じてもう一度くるくる回してみる。ゆっくり回したり、速く回したり。
小さく小さく聞こうとしなければ聞こえないほどの音が聞こえた気がした。それと同時に親指にトンと何かが落ちてくる感じがした。
まちがい。この折り紙の中に何か入っている。
これを渡してくれたのが園子じゃなかったら確信はしなった。でも、園子は秘密めいたことが好きなのだ。
近所で人気が少ないところを見つければ“ここを二人の秘密基地にしよう”と必ず言うような子だ。そのおかげで二人の秘密基地は今や6個もあった。
ベッドから身体を起こす、折り紙を持った手を上下に振ってみる。すると、箱の中からはっきりとコッコっとにぶい音がした。
折り紙を顔に近づける。隙間がないほど綺麗に組み合わされている。
ひっぱれば崩せるだろうけど、崩したら元通りに直せるだろうか。どうしようと思いながら、好奇心には勝てず、四角形の角をつかみ優しくひっぱってみる。力を入れたら潰れるほど弱いものだと、力を入れてない指先が力を入れまくった手に伝える。
折り紙を力ずくで崩すつもりはない。いくつかの折り紙が組み合わさってこの形ができているのだとしたら、必ずどこかからか一枚ずつ抜くことができるはずだ。
折り紙の折り目になっている所を少しずつ触っていく。少し引っ張ってみては直し、また別の所を引っ張ってみる。
すると、四角形の真ん中部分が少し動き、立体の中に折り込まれていた部分が出てきた。
なるほど、ポケットみたいになっているところに折り紙の端が入っているんだ。
一枚くずしたことで、箱に隙間ができた。他の所も少しずつ触ってみる。そうしているうちに側面の真ん中は動かしやすくなっていることに気づいた。
その側面から折り込まれていた部分を抜き出していく。一つ、二つ、三つ四つと進めていく。
どうやらこれは下の箱の部分と上のふたの部分で大きく二つに分けられるらしい。
試しに上下に引っ張ってみるとスーッと半分に割れた。そして中には小さく小さく折りたたまれた白い紙が入っていた。
胸がどきどきしていた。
白い紙へと手を伸ばす。興奮が指先に伝わり指がふるえていた。そんなふるえた指のまま小さくたたまれた紙を開いていく。
紙を開くとそこには園子の字がならべてあった。まぎれもなく園子の字だった。
一番上に一番大きな文字で「翠の好きなところ!」と書かれていた。上手じゃない不格好な園子の字だった。
その次はこうだった。
すいの好きなところ!
☆目がきれい!
☆やさしい!(絵を教えてくれたり、席をゆずってくれたりする)
☆かみがきれい!
☆パパとママが大好き!
☆声が木琴みたいにやさしくてきれいでかわいい!
☆絵が上手!
☆お日様がにあう!
ほかにも好きなところいっぱいだよ!みんなそこにいるよ!翠もちゃんとそこにいるよ!これからも友だち‼
園子の字だった。毎日のように見てきた園子の字。手紙に書かれた文字から園子の声が聞こえてきた。
園子は文字が書けるようになるのが速い方だった。少なくとも私が通っていた保育園の子たちよりも早かった。私も小学校に上がる前にはたくさん書けるようになっていたけど、それはほとんど園子が教えてくれたからだ。
だけど、園子は字が上手じゃなかった。はやく書けるようになることと、字のきれいさは一緒ではなかったらしい。先生によく注意されていたし、テストでも書けているのに形が悪いとかで×にされることが多かった。
だから私は園子に絵を教えた。園子が昔、字を教えてくれたみたいに。園子は喜んで書いてくれた。
私はもっぱら植物の絵を描いた。最初は園子も私の絵を真似て描いていた。だけど、あっという間に自分の描き方を見つけたようだった。
園子の絵は何にもとらわれていないかのように自由だった。輪郭がなければ、色に統一感もなく、正直何を描いているのか分からなかった。
園子はそんな一つを指さして“これは人間だ”と言った。クレヨンを持てるようになったばかりの子どもが走りながら描いたような線だった。どこが顔でどこが体かも分からなかったが園子が人間だと言ったのなら人間だったのだろう。
「字も絵みたいに自由だったら先生に怒られずに書けるのに」
園子は満面の笑みで言うと、ニコッともう一度笑った。
その笑顔の眩しさとは裏腹に園子の心は一ミリも笑っていないような気がした。
文字はみんながみんな同じように分かる必要があるのだ。自由だったら意味がないのだ。園子だって、そのことが分かっているから、笑えないのだ。
だから、私は悲しくなった。苦しくなった。
自由に絵を描き広げていく園子の子どもすぎる横顔と、作り笑いをして見せた大人っぽさが、歯車が食い違うみたいに変な音を立て、見ていられなかった。
そんなことを思い出しながら、折り目が刻まれた手紙に目を落とす。やっぱり上手な文字ではなかった。
よく見ると、字の上下にうっすらと線が引かれている。よく見なければ気づかない。消しゴムで消したけど、消しきることができなかったなかったえん筆の跡。
その線からはみ出さないように文字が置かれている。字を整えて書くために書かれた線であることは一目りょう然だ。
決められた枠に文字を収めるのに、バランスよく書いていくのに、どれだけ苦労していたかを一番近くで見てきたのは私だ。
同い年の誰よりもたくさんの言葉を知っている子だった。同い年の誰よりも難しい漢字が読める子だった。それなのに、誰よりも漢字テストがきらいだった。
その子のその頑張りが目の前にあった。
絵みたいに自由に書くことが許されない文字を、テストでも宿題でもなく私のために書いてくれた。
何よりもそのことが嬉しかった。
園子へ
お手紙ありがとう!折り紙の中に入っているなんてびっくりだよ!それに折り紙上手だね!それもびっくりだよ!
私も園子のこと大好きだよ!いつもやさしくしてくれて仲よくしてくれてほんとうにありがとう!
園子もちゃんとそこにいるよ!そうでしょ?
転校初日、それどんな日だっただろう。今までで一番緊張していたのだ。天気がどうだったかとか、気温がどれくらいだったかとか、お母さんとはどこで別れたかとか、その他もろもろ思い出すことができないことが多い。
ただ、体の芯から外側まで全部が真冬みたいに冷たかったことは覚えている。
新しく通うことになった学校は前にいた学校に比べ、人数が少なかった。一クラス三十人が二クラス。全校で四百人もいない。けれどそれが安心材料になるかと言われれば、そんなこともなかった。
小さな正方形に三十人。その世界は広い。
知っている人がいない、知らない世界の渦へ歩いていくのは生まれて初めてのことだった。
前にも後ろにも、左にも右にも、もう園子はいない。
「全員じゃがいもだと思えばいいのよ」
新しい担任の先生、空上先生はそう言った。すらっとした体形に、薄水色のズボンがよく似合っていた。
もっとも転校初日はそんなこと気にする余裕はなかったけど、通学を重ねるうちに先生が水色のズボンばかりはいていることに気づいた。それがトレードマークのようだった。そのせいか先生は子どもたちから水色先生と呼ばれていた。
そんな空上先生と一緒に教務室から教室へと向かった気がする。先生は私に色々話しかけてくれていたと思う。しきりに大丈夫と言った。大丈夫、大丈夫、と。
私はすごく緊張していたから先生の言葉なんてほとんど入ってこなかった。水の中にいる時、音は聞こえるけど何を言っているのかつかみきれない、そんな感じだった。
先生は一人で話し続けた。私に質問してくることはなかった。
全てが先生の気づかいだったと気づくのはまだまだ先の話だろう。
この学校の教室には扉がなかった。廊下と教室を区切っているのは、移動式のロッカーだけだった。
だから私が歩いてくるのはみんなから見えていたと思う。
始業式ということで先生が自己紹介するのを教室の外で待っているよう言われたが、そもそも教室の外というのがあいまいなので、ここでいいのだろうかとドキドキしながら、待っていた。
初日は給食を食べずに帰った。
学校の玄関を出て外の空気に触れたとき、冷たい風と生ぬるい空気が体いっぱいに入って来たのを覚えている。
校門を出て、グラウンドの横を通ると、児童の明るい声が校舎から響いてきた。少し前までこんな風に声を響かせられるようになることにあこがれていた。
園子が他の子と笑いながら話しているのを見ながら、いつも自分もその輪にいることを想像していた。
きっともうそんな想像をすることはない。
あのオレンジ色に輝く声はあこがれまま、輝き続ける。
光の音を聞きながら土手を歩いた。学校のすぐ横を流れる川がキラキラと光る。お星さまみたいだった。夜空に浮かぶ星には手が届かなくても、川に浮かぶ星には触れるかもしれない。
グラウンドをなぞるように続く土手を、川を眺めながら歩いていた。しばらくぼーっと歩いていると、頭のあたりで、何かと、わさっとぶつかった。
びっくりして、肩をこわばらせ、腕で顔をおおう。頭を下げ、二、三歩はねるように後ろに下がる。
びっくりしたまま反射的に、何か、の方を見て、思わず全身の力を抜いた。
そこには薄いピンクの光が広がっていた。
桜の木だった。
土手の下のグラウンドから伸びたそれは私の身長を余裕で超し、その枝は土手の方へ、そして青空へ、伸び続けていた。
そして、立派な枝をおおってしまうほど、小さな花がいくつもいくつも咲いていた。
「きれい」
緊張していた力が全部抜けて、そっと言葉をもらしていた。
本当にきれいな桜だった。
春の風景とはこういうものをいうのだと初めて知った。まだつぼみもたくさんあって、満開はもう少し先のようだったけど、十分きれいだった。
「これを見るために学校に来よう」
その日の夜、家で桜の絵を描いた。いつも描くのは草や葉など緑ものが多いから、花を描くのは新鮮だった。
あの空き地のような公園の桜ももう咲いただろうか。園子はその花を見ているのだろうか。
あそこに立派な桜の木があることにみんな気づいただろうか。
ああ、そうだここは砂ばかりの空き地ではなく、花が咲く公園だったと、桜の花を見上げているだろうか。




