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折り紙に包まれている  作者: 浦瀬凪
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わたしを見ないで

今、何時だろう。

お母さんが仕事に行ってから何時間たっただろう。

学校を休んで二日目。いや、厳密にいうと三日目という扱いだろうか。

昨日はというと、ああ自分は何てことをしているのだと、後悔の念に駆られていた。ベッドの中で泣き晴らし、しばらくすると睡魔に襲われ眠りについた。そして、目が覚めて、また泣いた。

そんなことを繰り返しているうちに夜になって、いつのまにかお母さんもお父さんも家に帰ってきていた。

それでも、いや、親がいるともっとベッドからでていくことができなかった。“りん、ご飯食べないの?”“ご飯食べなさい”“りん、お風呂入らないの”“お風呂入りなさい”

そんな声が聞こえてきた。

その声を全部無視して眠っているふりをした。

こちょこちょでもされたら一発で眠っていないことがばれると思って身を硬くしていたけれど、こちょこちょが襲来することはなかった。

今日の朝、昨日の朝と同じように“学校休むの?”とお母さんに聞かれた。ベッドの中で無言のまま頷いた。その動きが見えていたのか、それともなんとなく感じとったのかは分からない。

だけど、お母さんは休みの連絡を学校に入れてくれ、そのまま仕事に行った。

二日間と半分休んだ。学校を。でも、今ならまだやり直せる。三日程度なら風邪だったとでも言えばいい。言い訳は何でもできる。明日は行くんだ、ちゃんと学校に行って、何事もなかったように席に着くんだ。そうすれば、きっと友達が大丈夫だった?と声をかけてくれる。大丈夫大丈夫、と笑えばいい。それで全部元通り。

頑張れよ、自分。頑張って体を動かせよ。

それなのに、想像して、シミレーションすればするほどそれは不可能のことのように思われた。

学校に行ってしまえばいいだけなのに、なんなら明日の朝、玄関を出て登校班に集合してしまえばいいだけなのに。なのに、そんな簡単なことができなかった。

バカだな、私は。

 昨日泣きこのまま眠りにつけたなら、何も考えずに済むのに。

 頭までかぶった布団がいつもよりとても重さをもったものに感じる。布団にまで責められているみたいだ。

目を瞑って”眠ろう眠ろう“と唱える。

けれど唱えれば唱えるほど逆に頭の中が鮮明になってくるのを感じる。この現象はなんなのだろうか。この現象に名前はついているのだろうか。“眠るな眠るな”と唱えれば眠りにつけるだろうか。

息が苦しい。

布団の中で吐いた息と吸った息が循環しているみたいだ。新鮮な空気を吸いたくて、布団の端を少し持ち上げる。

新鮮な空気とともに眩しい光が布団の中へと入ってくる。

部屋のカーテンは閉め切られているのに、どうして、こんなにも眩しく感じるのだろう。

布団の内が黒色だとしたら、布団の外はグレーだ。それでも黒い世界で苦しい呼吸を繰り返している私には、わずかに入り込んできたグレーさえ眩しい光に見えた。そんな光は嫌気がさして、新鮮な空気を取り入れたらすぐに布団をかぶり直す。

腫らした目は乾燥していて、もう涙は出そうになかった。でも、それでよかったと思う。

今も泣いていたらみじめだもの。

私はみんなに迷惑をかけているのに、自分が泣く資格なんてない。

 そのとき、間抜けなことにグルグルグルゥとお腹が鳴った。

何もしていないのに、食べ物だけは求めるのだな、この体は。

そういえば昨日何も食べていないことを思い出し、一階に下りて食べ物を物色しようかと考える。

布団から顔を出し、目を細める。眩しい。眩しい。

ほとんど目をつむった状態でベッドから出る。一、二日ぶりに地面に足をついて立つ。若干よろけそうになりながら、階段を下りる。身体に纏わりつく空気が生温い。

階段を下りると、向かいにある、何の特徴もない薄茶色の扉を開け、リビングへと入った。

ソファの上にあるクッションが横一列に並べられ、二つあるテレビのリモコンはテレビの前に整列し、本は順番通りに本棚にしまわれていた。リビングと一間続きになっているキッチンにも余計なものは置いてなく、調味料も調理器具も食べかけのお菓子もすべてあるべきところに置かれていた。

きれい好きなお母さんらしいなと感心する。私がリビングに下りてこないとこんなにもきれいに片付くのか。

気がついたら、細めていた目を開き、部屋を見渡していた。

ダイニングテーブルに置かれている学校の名札が視界に入る。いつもここに置いているのだ。名札をつけ忘れていくことがないように。ここに置いておけば朝食のとき目につくから。自分で思いついてからずっとそうしているが、今日ほどこのアイデアを疎んだことはない。

名札を見て、憂鬱な気分になる。自分が学校に行っていないことを思い知らされる。

溜息をついて、視線を背け、台所へと向かう。

冷蔵庫を開けて、なんかあるかなと探してみる。整理整頓は得意だが料理は苦手なお母さんは冷蔵庫に食材を入れておくということをほとんどしない。冷蔵庫の中にあったのは、ハムとソーセージと卵だけだった。次に野菜室を開けようと思い冷蔵室を閉めたところで、冷蔵室の扉に付箋が貼ってあることに気づいた。開けるときには見落としていたらしい。   

その付箋には、お母さんの整った字で“冷凍庫にお弁当の冷凍食品があるから食べてね”と書かれている。お弁当?と思い、冷凍庫を開けてみると、たしかにお弁当の冷凍食品があった。手に取ってみると、ご飯と鯖の味噌煮とポテチサラダが一つのトレーにまとまっているものだった。

包装紙に写されたご飯の写真を見ていると、なんだか急にお腹がすいてくる。さっそく解凍しようと思い、冷蔵庫のすぐ横、横長の棚の上に置かれた電子レンジに手を伸ばす。

電子レンジを開け、お弁当を入れようとして、その手を止める。なぜだか入れることができなかった。

ふと思い出したのだ。

五年生のときに行われた学校の授業を。

それは、世界の飢餓と貧困についての授業だった。飢餓という言葉はそのとき初めて聞いたけど、食べ物がなくて死んでしまうことらしかった。写真が何枚か黒板に貼りだされる。日本じゃない国の写真。子どもの写真が多かった。カメラに向かって笑っている子もいるし、無表情の子もいた。同い年ぐらいの子もいるし、ずっと年下の子もいた。私が一番目をひかれたのは、小さな男の子の写真だった。茶色の肌に目の白い部分がよく映えていた。黒い瞳はまるで目の前にいるのかと錯覚させるほどまっすぐとこちらを見ていた。       

その子の腕は写真越しにも苦しくなるほど細かった。とても細かった。それなのに、お腹ばかりは膨らんでいた。それがなぜだかとても痛々しく感じた。

先生はそれらの写真と一緒に国や地域ごとに色がつけられた大きな世界地図も黒板に貼り出した。

一番食べ物がなくてたくさんの人が苦しんでいる所が紫、次が赤、次がオレンジ、その次が緑、次が薄い緑、最後に青。日本は青だった。日本以外にも青はいっぱいあって広かった。でもアフリカの方や南アメリカとか、アジアでも南の方はカラフルな色合いだった。

カラフルなのはきれいだけど、でもそれは食べ物がない人たちがたくさんいることを表してきれいだなんて思ってはいけないことは分かっていた。それに先生が言っていた。“紫や赤やオレンジの場所は青に比べたら少ないと思うかもしれないけど、この地域にはたっくさんの人が住んでいます。たくさんの子どもたちがいます。アフリカでは五人に一人が飢餓に直面しています。”

 そういうことを話してくれた。子どもたちは家が貧しいから学校に行けず働かなければならないこと、でも教育を受けなければ大人になったとき給料のいい仕事に就けないこと、だから貧困から抜け出せないこと。他にも戦争とか宗教とか差別とか文化とか、いろんなものが入り組んでいるのだと。

 それに遠い国だけではなく、日本でも生活が苦しいという家庭はたくさんあるのだと。先生はそういうことをたくさん話していたと思う。

 五十分という時間にはとても納められないようなてんこ盛りの内容だった。でもきっとすべては芋ずる式に繋がっているのだと思う。だから先生はとりとめもなく話続けていたんだと思う。

 私は授業中ずっとショックを受けていた。何でかは、分からない。とにかくショックで落ち込んでいた。

 電子レンジに何も入れないままゆっくりと閉める。冷凍庫にお昼ご飯を戻す。すごく胸が痛かった。申し訳なかった。申し訳ないと思うことさえ欲張りだと思った。授業でみた写真の子たちは学校に行けずに働いて、それでも満足に食べられない日もきっとたくさんあって、それなのに、自分の気分で学校に行かず、何もしていない私がご飯にありつけるなんて、そんな不公平なことが起こっていいはずがなかった。

家があって、服があって、食べ物があって、両親がいて、友達がいて、勉強ができて、私はすべてに恵まれている。それなのに――

自分はひどい。

あの男の子の黒く真っ直ぐな瞳が蘇る。その瞳に責められているようだった。

のそのそと自分の部屋に戻ろうとする。そのとき、視界に入ったのはきれいに整えられた食器棚だった。お母さんの趣味で集められた色鮮やかなガラス食器が整然と並んでいる。

白と黄色の水玉模様が入ったお皿、深い海を描いたような青色のお皿、波紋が広がるように丸く波打つお皿、桜の花びらが散っているようなピンクのお皿。他にもたくさん。普段使っている食器からお父さんが時々晩酌で使うおちょこ。そのどれもが自分の場所を明確に持っていて、堂々としているように見えた。

 自分の内側に沸々と衝動が湧き上がってくるのを感じる。

 ダメだよ、ダメだよ。我慢するんだ。

 けれど、眠れ眠れと唱えるほど眠れなくなるように、衝動を抑えようとすればするほど身体の底から湧き上がってきた。

 次の瞬間。私は食器棚に手を伸ばしていた。どれでも良かったと思う。どれでも良かったけれど、自分の行動を止めようとしている冷静な部分がたくさんの食器の中でも一番小さな小鉢を選んでいた。左手に小鉢を載せる。土色の陶器が鈍く光る。その光が最後の弾頭だった。

 やめなさい、やめるんだよ。

 そんな声が頭の中から聞こえる。胸を締めるような苦しい痛い衝動は体をかけ巡る。

 私は小鉢を一度じっとみてから、掌を裏返した。

自分の手の平に乗るほどの小さな小鉢は床へと向かい動き出す。小鉢が離れてから床に落ちるまでの時間が嫌に長く感じた。

その間だけは、頭がすごく冷静に物事を観察していることが分かった。

女の子が誰かの悪口を言っているとき。笑いながら、私も悪口を言いながら、そんな自分と友達を遠くから見ているようなあの感覚。

カッシャーンという音が部屋の中に響く。それが引き金となった。一瞬の冷静さは、あっという間に吹き飛び、体中に強い衝動が駆け巡っていく。

 手あたり次第食器を手に取ると、床に向かって投げつける。それが割れるときにはもう、別の食器を手に持っていた。

投げる、次々に、叩き割る、次々に。

ガラスが砕け散る音が部屋に響く。一つ一つ取っていくのさえ面倒くさくなって食器棚に手を突っ込むとそのまま腕を放り出す。自分の立ち位置を追われた食器は次々に床へと落ちていく。

腕を振りかぶり、皿を落とし、コップを冷蔵庫に投げつけ、お茶碗を電子レンジにぶつけた。

耳をつんざくようなガラスと陶器の音が家中に木霊する。床にガラスの破片が散らばっていく。

たくさん、たくさん、割っていく。腕が痛かった。指だって痛かった。ガラスを踏んだ足も痛かった。でも、そんなことは取るに足らないことだった。本当にもっと痛く苦しいところが痛みを消してくれるなら。全てが終わったとき後悔が大きくなりそうな物ほど、壊しているときの解放感が凄まじいことを私は知っていた。

ほとんどの食器を割っていく。次第に涙が溢れてくる。涙で視界が歪む。それなのに、手を止めることはできず、割り続ける。

割って、割って、そうすることで胸のわだかまりが無くなっていくのを感じる。勢いが緩み始めた腕を降り下ろし、あなたが最後だと言わんばかりにゆっくりと透明の器を落とす。パリンと、その音はやけに静かに聞こえた。涙で歪んだ視界の端に桜が散っているのが見えた。

だけど、違った。桜だと思ったそれは、ピンクのお皿の破片だった。お母さんが好きで、丁寧に並べられていたお皿。

乱れた呼吸を整えながら辺りを見回す。真っ二つに割れたお皿。亀裂が入ったお皿。何の食器だったのかも分からない破片たち。それらが無数に散らばり、床を埋め尽くしていた。

白と黄色の水玉模様はシャボン玉のように弾け飛んでいた。丸く波打っていたお皿はもはやそこに波はなくただのガラスと化していた。深い海は大きな悲しみを含んでいた。

自分がしてしまったことへの後悔が胸を満たしていく。大粒の涙が無数に弾けたガラスの上に零れた。ただただ悲しかった。自分がとても愚かだった。こんな気持ちになることもすべて分かっていたのに、分かっていたからこそ止められなかった自分が馬鹿で馬鹿で仕方なかった。

涙では消化しきれない水分が鼻水として出てくる。きっと今の自分ほど醜い顔の人は地球上にいないだろう。鼻水で呼吸が塞がれ、息が苦しい。空気を確保しようと藻掻くかののように口を開く。

それさえ愚かでどうしようもなく愚かで仕方かった。

こんなにも、悲しく、真っ暗なのに、私の身体はまだ生きようとしているのか。

開かれた口から嗚咽が零れる。それは次第に泣き声になって、さっきまで食器が割れる音だけが響いていた部屋に木霊していく。。

なにもないところに行ければいいのに。なにもないずっとずっと遠くにいければいいのに。そうしたら何も感じないで、絶望も希望もなくて。

 そんなこと言ったら周りの大人は何て言うのだろう。

「希望もないところなんてつまらないよ。」

 とか、

「絶望があるから希望があるんだよ。」

 とか、そんなことを言うんだろう。いいこと言っているような顔で。いいこと言っている自分に酔っている顔で。希望を失った子どもを励ましてあげる優しい自分が好きだから。

 そういうのが一番、絶望だ。

 透明なガラスの上に透明な涙が溢れている。そこにどこから出てきているのか赤い血液が流れている。

 痛みなんて感じなかった。もっと痛ければいいのに。絶望をすべて覆いつくしてくれるくらいもっと痛ければいいのに。

 そう思ったら、自然と足はキッチンの引き出しへと向かっていた。そこを開け、真っ直ぐ包丁を手にとる。包丁の刃先を自分のお腹へと向ける。

 この薄っぺらいパジャマを貫通させるのにはどれくらいの力がいるだろうか。肌を切り裂くのにはどれくらい力がいるのだろうか。お腹の下のしたには確か小腸と呼ばれる、ぐるぐるしたものがあって、それは簡単に破壊できるものなのだろうか。どれくらい痛いのだろうか。意識を失うまでどれだけの時間がかかるだろうか。

 そんなこと教えてもらっている訳がないじゃないか。

 手が震えてくる。涙がボロボロと零れ、首を伝っていく。

 できない。私は自分を殺すことができない。できないんだ。できないんだよ。痛いのは怖いから。痛いのは怖いことなんだって、知ってしまっているから。

でもやってよ。苦しいのが嫌ならやってよ。そんなに自分がかわいいの?そんなに臆病なの?これじゃあ、本当にどこにも行けないじゃん。

台所のカウンター越しに見えるダイニングテーブルには眩しいほど日差しが入り込んでいた。外の世界から入り込んできた光は、どこにも行けない私をあざ笑っているようだった。

その光の中にある学校の名札が、外の世界に出してくれない主を睨んでいた。

日差しに照らされた名札にある“りん”という文字がいやに光っている。

母の字で書かれたその名前は本当にりんとしていた。その名前こそがそうはなれなかった自分を一番あざ笑っているようだった。

包丁を取り落とすと、そのままガラスの破片たちの上にしゃがみこんだ。

声をあげて泣く。もうすぐ十二歳になるとは思えないほど幼い子どものように声をあげて泣く。泣いてはしゃくり上げ、また泣いた。そうやってずっと泣き続けていた。




「なんでこんなことするの⁉」

 という、お父さんか、お母さんか分からない怒鳴り声で目が覚めた。重くなった体が誰かの力により、持ち上げられる。

 あまりに力が強いからお父さんかと思った。

 でも、私の目が捉えたのはお母さんだった。

 いつの間にか、夜になっていたようだ。

「なんでこんなことするの。こんなんしたって意味ないじゃない」

 そうだね。私は散らばったガラスの上に座っていた。腕や足にはぴたりと破片が張り付いている。

 そうだね。ごめんなさい。

「なんでこんなことするの⁉」

 お母さんの怒り声はそこら中に散らばった破片よりずっと鋭く、体に刺さってきた。当たり前だ。怒られて当たり前のことをした。

 ごめんなさい。

「なんの意味もないじゃない⁉」

 お母さんは私の目を見る。私はお母さんの目を見られない。

「あなたは何がしたいの⁉」

 ごめんなさいと一言声に出したかった。だけど、私の体からは息の根一つ出なかった。私は何でこんなことしたんだろう。私は何がしたかったんだろう。

 最低だな。

 体を強く揺さぶられる。そこで、はっと自分が息を止めていたことを知る。

 息をし出すと、お母さんの顔が鮮明に見えるようだった。

 お母さんは涙目だった。目の周りが赤くなっていた。

 ああ、私は最低だ。

 お母さん、私を嫌いになって。こんな乱暴でどこにも行けない娘、嫌いになって。お母さん、私を見捨てて。




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