折り紙に包まれたい
ねえ、りんずちゃん知ってる?私ずっと普通になりたかった。よくさ、普通なんてないとか、普通ってなに?とか言う人がいるけど、私は普通ってやっぱりあると思う。それはとても尊くて、儚いもの。
私は自分のことを普通だと思っている。だけど、周りから見たらやっぱり違うよね。みんな私に接するとき、すごく気を遣ってくれる。時には冷たい人もいるし、傷つくこともあるけれど、だけど先生もあなたも優しくしてくれる。
ピアノと歌と指揮が流れていく。川が海に流れるように戻ることはなく、進んでいく。
それが、とてもありがたくて、とても苦しい。とても、申し訳なく思う。
優しくされればされるほど大好きになって、大好きになればなるほど、気を遣わせてしまっていることが、心をすり減らさせているような気がして、つらくなる。
私はみんなの輪に入りたかった。りんずちゃんの言うようにどうでもいいけど重要な話をして、笑いあってみたい。
昨日の授業のグチや、マンガの話、アニメの話、家族の話、服の話、ウワサ一つで盛り上がる恋の話、そういうのを、当たり前のように、自然だとも感じないくらい自然に話す事にあこがれていた。
ずっと、ずっと。気がついた時からずっと。きっとこれからもずっと。
私自分のことが嫌い。自分の小さな望みさえ叶えてあげられないし、大好きなりんずちゃんとさえ、ノートかスマホがないと話せないから。
りんずちゃん知ってる?私、自分のセリフ言わないって小川先生に伝えたの。練習の時と同じように、よもちゃんが言うと思う。私は逃げたのかもしれない。できないと分かっているのに、自分を追い込むのが怖くなって逃げたのかもしれない。
歌が終わる。拍手が流れる。ぱちぱちと重なる手の音が、炭酸がシュワシュワと弾ける音に聞こえるのは私だけだろうか。
私はりんずちゃんのことが羨ましかった。みんなの輪の中にいながら、だけど、自分だけの時間の流れを持っていたから。
助けを求められる相手がいっぱいいるような気がして、助けを求める力もりんずちゃんにはあると思っていたから。
りんずちゃんなら、薬局への道を尋ねてきた女の子に道を教えてあげられると思っていたから。
不審者に出くわしても、防犯ブザーを鳴らすことができると思ったから。
美容室で好きな髪型を頼めると思ったから。
好きなものを選び、好きなものをレジで買えると思ったから。
前を向いて歩くことができ、自由だと思ったから。だけど、あなたはずっと窮屈で不自由な世界を生きていた。
あなたは桜の四季の美しさを知らなかった。
そのとき、ステージ上がざわざわとし出した。
「あやちゃんの番だよね」
どこからともなく声がする。
私はりんずちゃんの方を振り返る。たしか斜め右後ろあたりだったと思う。
振り返った先にいたりんずちゃんは顔を真っ赤にしていた。ほっぺも耳も真っ赤だった。海へと流れる川の流れが静かに止まる。川は海へと戻ることなく来た道を戻ろうとする。
「セリフ忘れちゃったのかな」
誰かが小さな声でそう言った。
人が密集した体育館に流れているのは誰もが分かるほどの空白の時間だった。何もない時間が流れていく。どうして先生は何も言わないの。何もしないの。りんずちゃんのこと見て。顔が真っ赤じゃない。どうして肝心な時に限って見ているだけなの。
だけどそれは私も同じか。
ここにいるひとみんな同じ。
先生、りんずちゃん、私はね、自分の助けが誰かに届かない事よりも、誰かが求めた助けを掬えないことの方が怖いの。
自分の中に新鮮で冷たい風が入ってくるのと、後ろでりんずちゃんが崩れ落ちる気配がしたの、どちらが先だっただろう。
私は気づいたら目を閉じていた。そして、
「精一杯思いを込めて」
気づいたら自分の言葉が空気に触れていた。
体育館がどよめく。周りの子たちが私の方を見る。その視線の名前は驚きだ。ようやく先生たちがりんずちゃんの方へかけよる。
山田先生も混ざっていた。一瞬先生が私の方を見て微笑んでくれたような気がした。ただの気のせいだったかもしれない。だって、次の瞬間にはもう私の視界に山田先生はいなかったから。
その後何事もなかったように、六年生の発表が続いていったのは、私の言葉の後に、次の番の子がセリフを繋げていってくれたから。
それからちぐはぐではあったが、徐々に勢いを取り戻すように、発表は続いていった。
りんずちゃん一人がいなくなったところで、演奏に支障はない。だけど、私にはそれが悔しかった。
演奏が終わったころにはりんずちゃんが先生たちに運ばれていったことを、みんな忘れてしまっているようだった。
だけど、確かにあったことだ。たくさんの保護者が向けていたカメラにそれが収まっているだろう。六年生の演奏を撮っていたそのカメラのデータを全員消してほしい。
演奏が終わったころ、私が抱いた感想はそれだけだった。
「翠、あんた良かったよ」
帰り道、お母さんは何か核心につくことをいうでもなくそう言った。何が良かったのかは言わなかった。
みんなの前で話せたことかもしれないし、空白を消したことかもしれない。
だけど、それはりんずちゃんが倒れたという前提があっての出来事だから、喜ぶことができなかった。
周りに誰もいないことを確認してから、
「そうだね。ありがと」
と、あいまいに笑った。
あれからりんずちゃんがどうなったか誰にも聞けずにいた。帰る前に保健室に寄ったけれど誰もいなかった。
情報としては、お父さんが迎えに来たらしいよというウワサが回っていたくらい。
月曜日、会えるといいな。
音楽会練習という理由がなくなっても遊んでくれるかな。
そんなことを考えていると、お母さんが、私の掲げてるバックの中を、わずかな隙間から見つめていることに気づいた。
「翠、トートバッグに入っているの何?」
言われて、気づく。
何か水色のコロコロしたものが入っていた。お母さんと目を合わせた後、開けてみると、それは金平糖のような水色のユニット折り紙だった。凹凸のところどころに白いビーズや小さなリボンが飾りつけしてある。
「かわいい」
思わず声をもらす。
「ねえ、ほんとかわいい。翠が作ったの?」
「ううん、違う」
お母さんは不思議そうな顔をした。
私はそんなお母さんの何か聞きたそうな顔を見たかったことにし、代わりにユニット折り紙を見つめる。そして、ああ、と思い出す。
これは、最初、図書室で作ってみたものだ。秋晴れの空に折り紙をあげてみる。今日の青空より少し薄い水色。雨も降らない平和な空色。
試しに、折り紙を上下に振ってみる。だけど、何も音はしなかった。
「さすがに入ってないか」
何々とお母さんが興味ありげに声をかける。
「何でもない。これは友達が作ってくれたの」
「じゃあ、月曜日にお礼言わなきゃね。また月曜日に会えるんでしょ」
また月曜日に会える。いい響きだ。この一言で、未来が約束される。不確かでうずまくような未来に、確かで、明るい光が一筋あることが約束される。
「翠、今日は前を向いて歩いてる。ずっと下ばかり見てたのに」
「あのね、お母さん、私誰かの助けてを掬える人になるよ」
少し恥ずかして、折り紙を空にすかしながら言う。
誰かが言った。自分のことを救うことさえできないのに、人のことは救えないと。誰かが言った。自分のことを愛せない人は、他人のことも愛せないと。
だけど私は思う。それは誰かにとっての真実であって、みんなの真実ではない。そして、私もまたその誰かではない。
目の前にあの日、私が置いてきぼりにした薬局の女の子が見える気がした。
私は自分のことを助けてあげられないし、自分のことを好きにもなれない。弱くて臆病な自分を今はどうすることもできない。
だけど、薬局の女の子にまた会ったら逃げないでいようと思う。
“傘をすてて、ずぶ濡れになって、地面を跳ね上げて笑いながら走りたい”
いつかのりんずちゃんの声がよみがえる。そしてまた思う。私はそんな風にはできない、と。
でも、友達が捨てた傘を拾いたい。そして、友達が一息つくとき、屋根になり、水になり、栄養になりたい。
そんな人になりたい。
これが多分私の心が納得いく走り方。
また月曜日、会ったら何から語ろう。




