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折り紙に包まれている  作者: 浦瀬凪
10/13

子ども時代に一回はあってもいいこと。

 「翠ちゃん、これ音楽会のそれぞれのセリフなんだけど、翠ちゃんはどうする?」

 帰り際、小川先生に声をかけられ足を止める。

 小川先生の持ってきた紙を覗き込む。

 音楽会発表原稿とタイトルがあり、その下には

私たち六年生/五十九人は/これが最後の/

 から始まる文字が並んでいた。

そういえば、あのとき男子たちもそんなこと言っていた。卒業式みたいに一人一人セリフをつないでいく発表があると。

一つ一つ区切られ、縦に並んだ文字のとなりには、そのセリフを言う子どもの名前が順々に並んでいた。

「考えといてね。マイクを使っても全然いいし、できなくても何とかなるように、翠ちゃんのセリフの前後の子たちには私から言っとくから」


 いつまでにお返事すればいいですか。


 スマホに打った文字を見せる。

「期限は音楽会前日まで。ゆっくり考えてみてね。と言いつつそんなに時間は残されてないか」

 私はこくりと頷く。

 小川先生は私に用紙を渡すと“気を付けてかえるのよ”と言い残し、行ってしまった。

 改めて、その用紙を見る。

 /私たちは/

 の隣に、

 本田翠と名前が書かれていた。

「何見てるの?」

 後ろから声をかけられ、振り向く。ミント色のトートバッグを前後に揺らしたりんずちゃんが玄関から入ってくる。

 りんずちゃんは私の手元を覗き込むと、あ~という顔をして頷いた。

「音楽会のやつね。前に男子が言ってた」

 りんずちゃんの番はどこにあるのか探す。

 あった。

/精一杯思いを込めて/

 森宮綾子

 と。

「明日からそれの全体練習もあるんだよ。翠ちゃんのところはたしか、変わりによもちゃんが言ってくれるんだって」

 よもちゃんこと葉山蓬ちゃんとは同じクラスだ。名簿番号が前後だった気がする。

 私たちの足は自然と図書室へ向かう。今日は図書室で練習する。その許可を山田先生がとってくれたらしい。

 りんずちゃんは図書室に向かう途中、マイオンロードを歌っていた。風に乗って飛んでいきそうなほど、涼やかな声。

 私の前で歌うことに慣れたのか、それとも、毎日の練習で歌うこと自体に慣れたのか、初めて聞いた時より、自信がありそうだった。

「せ~のび~して、かっこうつけても~こころがちがうとさけんでる~」

 りんずちゃんの歌声を聞いてると、つられて歌いたくなった。風に乗って私も歌える気がしていた。

 それなのに、できない自分が嫌いだった。

「貸し切りの図書室だね」

 りんずちゃんがほほえむ。

 談話スペースにこしかける。一番最初に遊んだ日の席だ。同じ場所にいても、あの日と今日とでは少し違って見える。

 何がそうさせているのかは分からない。季節かもしれないし、時間帯かもしれない。

違っていることはいくつもあって、それらが重なって、今見ている景色が少し変わって見える。

「今日ね、練習の時に」

 りんずちゃんは薄暗い空を見ながら寂しそうな目をした。

「音楽会の練習に来れるんだったら教室にも来ればいいのにって言われたの。女子に」

 投げ捨てるように言った。

 早く言ってしまいたいと思ってるようだった。

「ずるいって」

 涙で瞳が潤んでいるような気がした。

りんずちゃんが悲しい目をすると私は本当に何も言えなくなってしまう。

「もちろんそう言ってきた子に悪意があったわけじゃないと思うの。純粋にそう思ったから言っただけ。そう思うのは普通だし、問題がある行動をしてるのは私の方だから。私が悪いんだけど」

 不登校でありながら、音楽会の練習には欠かさず出席している。それは、はたから見れば、ちぐはぐな行動だ。その女の子のように思うのは自然なことだと思う。

 好きなことだけして生きている人はいないから。

 その女の子の目には、誰かの目には、りんずちゃんが、やりたくないことを避けて、やりたいことだけやっているように見えてしまうのだろう。

 だけど、そうじゃないということを私は知っている。

 毎日のように練習に参加しているのは、彼女の抵抗であり、自分自身への反抗心だ。

 大きな音が苦手で、だけど自分だけ逃げるような真似はできないからと、今日も彼女は行くのだ。

 たとえ教室に行くことはできなくても、これ以上自分自身に絶望しないように。

 薄暗い雲の間から、傾きかけた太陽が見える。

 

りんずちゃんの行動は問題のある行動なんかじゃないよ。私はすごいなって思ったから。


私は素直な気持ちを伝える。誰も悪くない。だからこそ、気持ちのぶつける場所に困ってしまう。

私はふと、昔の記憶を思い出していた。思い出したくないけど、忘れることもできない記憶。


似たようなこと経験したことあるの。


 りんずちゃんはこくこくと頷くと、

「その話聞きたい」

 と言った。


 まだずっと小さかった時、お母さんとお父さんと水族館に行った。私ははしゃいだ。幼稚園ではもう話す事ができなくなっていたけど、家族となら、外でも話す事ができたから。そしたら、偶然同じ幼稚園に通う、男の子に会った。そのときは何もなかった。ただ良くない予感はした。次の日、言われたの。本当は話せるのに、話せないふりしてるんだって。その男の子は別の子にも、すいちゃん本当は話せるんだよって言って回った。先生にも。


 ここまでスマホに打つと、一旦りんずちゃんに見せた。

 りんずちゃんは何も言わなかった。

 ただ私の方に体を近づけた。私の肩とりんずちゃんの肩がぶつかる。


 その男の子にも悪意はなかったと思う。自分だけが知ったものを誰かに披露したくなる自然な気持ちだけだったと思う。

 だけど、多分、私は落ち込んだ。

 

 横に並んだりんずちゃんの肩が頼もしくもあり、儚くもあった。


 誰も悪くないと、自分が悪いんだって思っちゃう。だって、誰かのせいにしないとこの気持ちをどうしたらいいのか分からないから。


 左腕をそっとさする。その日から私は気持ちが落ち着かないとき、右腕で左腕を強く握りしめるようになった。

 痛みを感じると、気持ちが落ち着くから。

 りんずちゃんは私が打っていく文字を静かに眺めていた。


 でも、そうじゃないのかもって思えてきたの。ほら、りんずちゃん、言ってくれたでしょ。世界には確実に存在したって。

傷ついた気持ちも、自分を責めた気持ちも、歴史の流れにしたら一瞬にも満たないけれど、世界には確かに存在したの。一瞬で起こり一瞬で消えていくその波を、どこにやるでもなく、ただ見て、聴いて、抱きしめて、そういう選択肢もあるんじゃないのかなって。


私は長く息を吐いた。ここまで、言葉を並べたのは初めてだから。それに自分の中で自分の気持ちをまとめられたわけではなかったから。

「ありがとう。ありがとうね」

 だけど、きっと何かは伝わったのだと思う。

 言葉は素晴らしい。そして、友達は美しい。

「私の落ち込んだ気持ちも一緒に眺めててくれる?大きな波がひいていくまで」

 私は大きく頷いた。

 


 私たちは沈みゆく太陽を見ていた。触れた肩から感じる体温が優しい。

「今日は練習しないで終わっちゃったね」

 時計が五時を指したころ、りんずちゃんがつぶやく。さっきまでの潤んでいた瞳に力が戻っていた。

「翠ちゃんには恥ずかしいところばかり見られてるね」

 ぽつりとそう言うと、へへっと笑った。

 いつものりんずちゃんの笑顔だった。

「ほら、楽団が来てた日にここで会ったの覚えてる?私、あの日も泣いてて」

 覚えている。そんなに前のことじゃないのに、なんだかすごく前のことのように思う。

「あの日から今日までのなんで泣いてたのか聞いてこなかったすいちゃんに感謝してる」

 感謝してるだなんていうやけに大人っぽい言葉が似合う。

 それに聞かなかったのではない。聞けなかったのだ。


 それって聞いてもいいことなの?気になってはいる。


 それを見せると、きゃきゃきゃっとさっきより大きな声で笑った。

 良かった。波はもう引いたみたいだ。

「話したいから話すね。すいちゃんが止めても話す」

 私は止めはしない。

 私の話を聞いてくれたから。

 ずっと言えなかった胸に刺さったままの気持ちを聞いてくれたから。聞きたいと言ってくれたから。

「図書室のこの窓から見える風景が好きだった。私が生活してきた町の全部が見える気がして。歩いてきた道、歩いて帰る道、季節によって姿を変える向こうの山、いつも近くで癒してくれる川、土手、花。誰かの帰りを待っている家。そういうの全部見えるから。だけど、ある日の授業で図書室に来て、この風景を見たとき胸がつまったの。あの、道を通るにはあと何時間ここにいればいいの。これから二時間目があって、青空休みがあって、体育があって、社会があって、給食を食べて、昼休みがあって、清掃があって、五時限目、六時限目があって、帰りの会があって、それを全部乗り越えたらやっと、窓越しに今見ている風景に飛び込める」

 私はその時のりんずちゃんの気持ちを想像する。

「できないって思ったの。平然とした顔でみんなと同じ波に乗り、今日やるべきことを当たり前のようにやることができないって。今まではできていたのに、その日は溺れそうで息苦しかったの」

 五年間、りんずちゃんは必死に溺れないように頑張ってきたのだ。誰かが余裕で超えられる波を、自分も平気なふりをして乗り越えてきたのだ。余裕なんかじゃなかったのに。誰にも悟られないように。

「飛び出したい衝動にかられた。もう飛び出していた。誰にも見つからないように図書室を出て、必死に走った。玄関の扉の鍵がやけに大きな音をたてていたのを覚えている。うち履きのまま帰り路を走って走って、走った」

 

 そこから不登校に?


 りんずちゃんは頷いた。

「でもさ、コスモ組のみんながここにいた日。不登校になったことを後悔したの。ううん。本当は学校を飛び出したあの日から後悔してた。後悔していることを認められたの」

 曇り雲がどんどん濃くなっていく。今日は雨だな。明日も雨だ。

「だってさ、コスモ組のみんなの声はキラキラ輝いていて、弾んでいて、眩しくて、光に包まれていたから」

 りんずちゃんは、ずっと誰かに話したかったのだ。誰かに聞いて欲しかった。胸にあふれる言葉と気持ちを自分の中だけで納めておくことが苦しかったから。

 誰かに話そうと思ったとき、その隣に私を選んでくれた。

「私も少し前まではその光の中にいたの。友達と笑って、どうでもいいけど重要なことを話して、また笑う。だけど、自分から逃げ出した。自分から手放した。

 私が一時の衝動に任せて捨てた、光の中にいるみんなが眩しくて、羨ましくて、気づいたら泣いてた。できるなら、あの日に戻って自分が不登校になったことをなかったことにしたい」

 りんずちゃんのいうあの日とは、学校を飛び出した日だろう。

 話し終わると、ふーっと長い息を吐いた。さっきの私みたいに。

 

 話してくれてありがとう。


「逆だよ。聞いてくれてありがとう」

 つらい話を聞いていたはずなのに、心がほっこり温かくなるのはなぜだろう。素直にありがとうと言える彼女の気持ちが真っ直ぐ届くからかもしれない。

 だけど同時に虚しくもあった。心がぽっかりするような。彼女の話に対してじゃない。これは自分に対して。私はりんずちゃんのことが羨ましいのだと思う。

 自分だけの音で自分の思いを伝えられるから。

 私が初めてたくさん言葉を並べて、思いを伝えようとした、それを軽々超えてくるから。

 それがどれだけ、貴重で誰かに羨ましがられているかもなんて考えもしないだろうということが。

 思いを言葉にしていなくても、誰かに伝えてはいなかったとしても、確かに世の中には存在する。それが誰にも見られることもなく、聞かれることもなかったとしても。

 じゃあそうしたら、私の伝えたいと言う思いはどうなるんだろう。

 授業中、分からない問題があった。解き方が分からない問題だ。教科書だけではよく分からない。普通なら先生に聞いたり、友達に聞いたり、聞くことで解決するだろう。

 でも私は?

 聞くこともできず、先生が気づいてくれるのを待っているだけだ。運よく、気づいてくれたとしても、ここが分からないとか、よく分かりました、とか、じゃあこれはどうするんですかとか、聞きたいことを聞くことができない。私が固まっていると、先生を困らせてしまう。そんな自分が嫌いだ。

 時々想像する。帰り道、不審者に出くわしたときのことを。私は動くことも、叫ぶこともできず、連れ去られるだろう。スマホがそばにあったとしても、恐怖を前にして、動くことも話す事も出来ない。

 警察に電話することもできない。

 私の助けては誰にも伝わらない。

 外はぽつりぽつりと雨が降り出していた。




 児童用玄関につくと、雨は勢いを強め、地面に激しく打ちつけていた。

「翠ちゃん、家まで歩いて何分?」

 傘をぶらぶらしながら、どこか清々した顔のりんずちゃんが聞く。


 十五分くらい。


「おっけい。私は二十分くらい」

 りんずちゃんとは途中まで道が同じだ。

 りんずちゃんは、持っていた傘を傘立てに戻すと、そのまま雨の中を飛び出した。雨を跳ねる靴も、左右に揺れるポニーテールも、音をならしたランドセルも、すべてがスローモーションに見えた。

私はびっくりして、ポカンとする。

 すると、りんずちゃんがこちらを振り返り、

「私今日は走って帰る!雨に打たれることができるのは雨が降っている時だけだ!」

 と叫び、そのまま走った。手で頭を覆うこともなく無邪気に走っていく彼女を見る。心のモヤモヤをどこかに流したかった。

 彼女の無邪気さをみると、少し、腹立たしくもあった。

 数秒時が流れているように見えて、ほんの一瞬。

 その瞬間私の心も決まった。

 ピンクの透明傘を傘立てに投げ置くと、雨の中に飛び込んだ。雨は冷たいはずなのに、冷たくはなかった。すべてを歓迎している温かささえあった。

 すぐにりんずちゃんの背中に追いつく。

 りんずちゃんは一瞬たりともびっくりした顔をしなかった。私が来ることを分かっていたみたいに。

 私たちは腕を組んで、雨の中を全力疾走した。

 りんずちゃんを追い越したかった。そうすれば、自分のモヤモヤが晴れるとでもいうように。

 土砂降りと言っても過言ではないくらいの雨になっていた。


 

 家に帰るとお母さんが目を丸くした。

「傘は?忘れたの?」

 忘れたわけではないことを、お母さんは知っているはずだ。今日、雨が降るかもしれないと言って、出がけの私に傘を持たせてくれたのはお母さんなのだから。

 お母さんは茫然としたまま、玄関に立ち尽くしている。

 私は、こんな雨の中走って来た自分の無謀さや、りんずちゃんが時折みせる自由さ、それと、お母さんの表情がおかしくて、気づいたら声を上げて笑っていた。

 ここ数年で一番声をあげて笑っていた。

笑えば笑うほどおかしくって、喉の振動が止まらない。一度振るえた喉の振動は体全体に広がり、次から次に笑いがあふれてくる。

「お母さん、何て顔してんのさ」

 笑い転げる私を前にお母さんはポカンとしたままだった。

「なんて顔って、あんたこそ、なんて格好してんのさ」

 空に閃光が走る。辺りがまばゆい水色に照らされたあと、地面をゆらすほど大きな音が轟く。

 私はその間も笑い続けていた。

 お母さんが、ついにこの子はおかしくなったのかと顔をしかめた後、

「とりあえず、お風呂に入りなさい」

 と言い、奥に消えていった。



 お風呂に入り、一通り笑いがおさまったあと、お母さんがまた顔を出した。

お母さんは、ドライヤーを手に取ると、私の頭をゴシゴシと揺らした。

 まだ雷はなっている。遠くの方に消えては、また近くにやってくる。

「いじめられでもしたの」

 お母さんの突拍子もない質問に、んあ?と変な声が出る。

「だって、そうでもなきゃ、傘を持って出かけた娘が雨を被って帰って来ないでしょ」

「外れです。いじめられてません」

 そお?と言うと、指で髪をとかしながら、ドライヤーを当てていく。心なしか手の力がゆるんだ気がする。

「普段は大人っぽいのけど、本当は自由を好む友達に振り回されたの」

 私は鏡越しのお母さんを見て、口角を上げる。

「お母さん、私その子のことが、いいなって思う」

 いいな、入れ替わりたいな、そう思う。

 お母さんは鏡越しの私に微笑むと、またゴシゴシと頭を揺らす。整えているのか、乱しているのか分からない。

 きっとこの日を忘れない。

 りんずちゃんが言った。“子ども時代に一度くらいあってもいいよね”それはきっとこんな日だ。

バラがなるすてきな洋風の家でもないし、魔法使いも魔法道具もない。

外は暗くて、土砂降りで、雷が人々の不安をあおる。

だけど、不安を吹き飛ばすように、地面をけり上げ、何も考えずにただ走る。

宝石のような今日を忘れない。

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